香霖堂の出入り口を開けて外に出ると、爽やかな風が吹いた。数歩歩き太陽の下に出ると、強い陽の光が体全体に降り注ぐ。眩しくて、たまらず目を塞いだ。
小鳥のさえずりや、木々のざわめきが聴こえる。目を開けると視界に映ったのは、息を飲むような美しい自然風景だった。周囲には緑の草原が拡がり、遠くにはかなり広大なことが伺える森林や、そびえ立つ山々が見える。木々の葉は茜色に染まり、現在の季節が秋だということが分かった。空は高く、目の覚めるような青がどこまでも続いている。
「おぉ……」
思わず感嘆の声が漏れた。記憶を失う前の自分には見慣れた景色なのかもしれないが、今は素直に、これまで見たこともない美しい風景だと思った。
「いくらか気分は晴れたかな?」
秋めく景色にしばし瞬きを忘れ魅入られていると、突然後ろから声をかけられ我に返った。森近さんが店内から出てきてすぐそばに立っていた。自分は人が近づいてきていることに気づかないほど集中していたらしい。
「はい。やっぱりこの景色に見覚えはないですけど……」
「……そうか。それでこれからのことだが、やはり一度博麗神社に行って霊夢と会うのが得策だと僕は思う。目的は不明瞭だが、何もせず腐っているよりは記憶を取り戻す手がかりを探すのがいいんじゃないかな」
「そう、ですね。でも神社に行って何したらいいんでしょう。 あと霊夢さんって……」
「霊夢は博麗神社の巫女、異変解決の専門家だ。彼女に、今の幻想郷で異変が起きていないか訊く。もしかしたら、君と同じく記憶喪失になっている人間がいるかもしれない。次に、一度試しに外へ出てみる。もしかしたらコロッと思い出すかもしれない……希望的観測だけどね。外の世界につながる結界を管理しているのは霊夢だ。やはり彼女に話を通すのがいいだろう。あとは何かしら記憶を取り戻す手段がないか聞く。霊夢は幻想郷全体に顔がきくから、何かしら心当たりがあるやもしれない」
「な、なるほど」
霊夢って人なんか色々凄いな……と思った。それだけ幻想郷にとって重要な存在、やはりその人も妖怪なんだろうか。森近さんと同じく半妖の可能性もあるか。
「それじゃあ僕は店を閉めてくるから少し待っていてくれ」
そう言い森近さんは踵を返して店内に戻ろうとする。
「えっ、一緒に行くんですか?」
「駄目かい? 道案内が必要だろうと思ったんだが」
「いえ、むしろありがたいんですけど、そこまでしてもらうのは悪いですよ」
「なに、乗り掛かった船だ。それに、ちょうど僕も霊夢に用がある」
「……ありがとうございます!」
森近さんの優しさに感激する。自分が誰なのかすら分からないで放り出されたこの世界だけど、こんなに優しい人がいるなら、なんとかやっていけるのかもしれない……
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香霖堂を発ち、自然の景色を楽しみながら道沿いにしばらく歩いていたところ、森の近くを通った際、突然森近さんが立ち止まった。そして、歩を進めようとする自分を手で制してきた。顔を見ると、何かを警戒するような険しい表情を浮かべている。
「どうしたんですか?」
「気をつけて。森の中から妖怪達がこちらを見ている」
「えっ……」
驚いたのも束の間、森の中から複数の影が飛び出してきた。見た目は野犬のようだが、普通の野犬とは比べ物にならないほどに鋭い牙がむき出しになっており、頭には二本の角が生えている。
獣型の妖怪はこちらを睨みつけながら低い唸り声をあげる。人生で初めて向けられる殺気に、数瞬呼吸が止まった。
「逃げるぞ!」
恐怖に苛まれそうになっていた自分は、森近さんの緊迫した声で我に返る。視線は外さず後ずさり、森近さんと共に逃走を図る。
しかし相手の方が一手早く、素早く背後に回り込まれてしまった。さらに、森の中に隠れていたのか獣妖怪の数はさらに増え、森近さんと自分は包囲されてしまった。
「不味いな……」
「も、森近さん」
「そんなに不安そうな顔をするんじゃない。僕が突破口を開くから、キミはその隙に逃げろ」
「でも、それじゃあ森近さんが……」
「なあに、僕は半妖だから地力はある。あまり荒事は得意じゃないが、この程度一人でもなんとかなる。それよりキミを守りながら彼らをあしらう方が大変だ」
「……分かりました」
助けて貰ってばかりなのに、こんな時でも足でまといになるなんて。悔しさで歯噛みする。
森近さんが正面に相対する獣妖怪に向かって駆ける。対し、一体の獣妖が待ちわびたかのように飛びかかる。
森近さんは足を止め半歩後退したかと思うと、目にも止まらぬスピードで相手の首根っこを掴み、飛びかかってきた勢いを利用して他の獣妖怪に向かって放り投げた。放り投げられた獣妖怪は正面にいた仲間達を巻き込みながら吹き飛んでいった。
襲いかかったはずの仲間が突如その勢いのまま跳ね返って来たのだから、群れは大いに混乱しているようだった。
「今のうちに行け!」
森近さんの叫びとともに自分は駆け出した。未だ混乱している獣妖怪の横を通り抜け、博麗神社があるという方向に走る。
後ろを振り向くと、森近さんは混乱が落ち着いた獣妖怪と対峙していた。一人でもなんとかなるのかもしれないが、時間が経てばさらに増援がくるかもしれない。早く助けを呼びにいかなければ。
そうだ、霊夢という人は戦闘能力も高いと聞いた。このまま博麗神社に向かい、助けてもらおう。
しかし、無我夢中で走る自分は、森の中に潜んでいた獣妖怪が放つ殺気に気づかなかった。草木を激しく揺らしながら飛び出してきたその存在に気づいた時にはもう遅く、鋭い牙が眼前に迫る。
「危ないっ!!!」
森近さんの叫び声が遠くに聞こえる。
ああ、俺はここで死ぬのか。自分が何者か分からないまま、死に際に見る走馬灯も無いまま、この幻想の地で無惨に喰い荒らされて屍に成り果てるのか。
そんなの、嫌だ──
いずれ訪れる痛みに耐えるように、目を強く閉じた。
…………
──耳鳴りがする。
誰かの声を、聞いた気がした。
『あなたはもう、お目覚めになっていらっしゃる』
心臓が一際大きく鼓動をうつ。
刹那、体中の血液が沸き立つような感覚を覚えた。
………………
いくら待っても痛みは訪れない。不思議に思いおそるおそる目を開くと、襲いかかってきた獣妖怪の首根っこを薄水色の腕が掴んでいるのが見えた。
この腕は一体どこから?
そう思っていると、腕だけだった存在の薄水色の体が視界を覆うほどに大きくなる。
これは、誰の体だ──
いや違う。
これは、俺の体から出てきている!
ついに全身を現したソレは、上半身は筋肉質な人間の体、下半身は蛇という、奇妙な見た目をした生物だった。
しかし、雄々しくも美しい、洗練されたその姿はどこか神聖さを感じさせた。
『それがあなたのペルソナ。この世界を生き抜くための、もうひとつの可能性』
また、声が聞こえた。
これが、ペルソナ……?
状況が理解出来ず固まっていると、焦った森近さんの声が聞こえてきた。
「キミ、大丈夫か! 一体何が起きたんだ! それにその妖怪は……」
森近さんの声にハッとする。
そうだ、今は固まっている場合じゃない。森近さんを助けなければ。
そう意識を切り替えた途端、獣妖怪を掴んだまま空中に静止していたペルソナと呼ばれる存在が動き出し、森近さんの周囲を取り囲んでいる獣妖怪の群れに突っ込んで行った。
手始めに、掴んでいた獣妖怪を放り投げ、いつの間にか左手に携えていた細槍をなぎ払い、敵を数体吹き飛ばした。
仲間がやられた獣妖怪達は息を荒くし、ペルソナに注意を向けた。
突如動き出したペルソナに驚いたが、直ぐに意識を敵へ向ける。何体か倒したが、戦いが長引くとさらに数が増えるかもしれないため、効率よく複数を相手取る必要がある。
そう考えると、再びペルソナが動いた。右手に持つ大盾を掲げ、なにやら力を貯めているように見える。
瞬間、何故かペルソナの次に取る行動が理解出来た。
「森近さん! 耳塞いで!」
呼びかけられた森近さんは驚いたようだったが、すぐに両耳を塞いだ。
直後、ペルソナが胸を前に突き出したかと思うと、眩い閃光が弾け、甲高い破裂音が辺りに響き渡った。
その凄まじい音に獣妖怪の群れは激しく動揺し、喧しい鳴き声を発しながら散り散りに森の中へ逃げていった。
場がシンと静まり返る。
先ほどまで息が詰まるほどの殺気に満ちていたその場に、自分と森近さんだけが残された。
いつの間にか、ペルソナと呼ばれる半人半蛇は消えていた。
「今のはキミが出したのか? 降霊術か召喚術の類に見えたが……」
森近さんが駆け寄ってくる。怪我はないようで安心した。
「分かりません……。ただ、また声が聞こえました。さっきのは、『ペルソナ』と言うらしいです」
「ふむ……ペルソナか。心理学でいうところの、外的側面……心の仮面だったか」
「心の、仮面」
「もしかしたら、その力は幻想郷の住人が持つ特異な力と同じものなのかもしれない。そうなると、君が本当に人間かどうか怪しくなってきたな」
「俺は人間です……たぶん」
なんだか自分でも自信が無くなってきた。一体俺は何者なんだろう。
「なにより時たま聞こえる誰かの『声』というのが気になる。キミの失くした記憶と関係しているんだろうか……」
森近さんはブツブツとつぶやきながら思考し始めた。この人はこうして考え込むことが多い気がする。
考察するのが好きな人なんだな……と考えていると、ガクッと体から力が抜けて、突如身体全体を疲労感が襲った。
「大丈夫か!?」
倒れるすんでのところで森近さんが体を支えてくれた。軽くめまいがする。
「無理もない……目覚めてすぐ妖怪に襲われるなんて。やはり僕が着いてきて正解だったな」
「すみません、大丈夫です。少し休んだら歩けると思います」
「そうか? それなら少し休憩してから向かうとしよう。博麗神社まであと少しだ」
自分と森近さんは森の傍から移動して木陰で少しの間休憩することにした。そよそよと吹く心地よい秋風が、身体の熱を内側から冷ましてくれるようだった。
ここまでの道のりで幻想郷の美しさと恐ろしさを同時に味わった。幻想郷のこと、ペルソナという謎の力、自分自身のこと……分からないことだらけだ。
この先幻想郷でどう生きていくのか、今はまだ分からないけれど、助けてくれた人にはいつか恩返ししたい……そう思った。
「う〜ん……久しぶりに体を動かしたとはいえ、あの程度に手こずるなんて、だいぶ鈍ってるなぁ……」
今回登場したのは『隠者』のペルソナ「ナーガ」です。タナトスとかイザナギとか格好良い主人公ペルソナじゃなくて申し訳ない。
ところで幻想郷は外出るだけでこんな簡単に襲われるんでしょうか。近所の神社行くだけで襲われてたら命がいくつあっても足りませんね。
●解放されたコミュ
『愚者』???:ランク1
ペルソナ〜トリニティ・ソウル〜は
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全話視聴済
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未視聴
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存在を知らない