「まったく、この森はどうなっておる」
布都は明らかに不機嫌な顔で異形を見据える。
目を凝らすと、遠くの異形の身体は薄ぼんやりとしており、背後に森の風景が透けて見えた。
「おいそこの! 何奴だ!」
応答は無い。問いかけに応じないソレは微動だにせず、生物かすら怪しく思える。
「……ただの置物か?」
「透けてるし幽霊かも」
「え、う、嘘だろ……」
森林のオブジェにしては随分前衛的だし、幽霊とも思えない謎の存在感がある。
「我らに何用か?」
布都が近づきながら再度問うも、何のリアクションも起こさない。
「おい、なんとか言ったらどう──」
30mほどまで距離を詰めた次の瞬間、異形の前方に浮遊していた赤紫色の機構が初めて動作し、極大の掌のような形に変形した。
「お、おぉ? なん」
ドン
身を裂くような強風が吹き抜けたかと思うと、後ろから鈍い音がした。壁に何か大きな物体がぶつかったような音だ。
次に、眼が視界の変化を捉え、脳へ異常を伝達した。
目の前にいたはずの布都が、忽然と姿を消した。
状況を理解出来ないまま、カンザトは反射的に音のした方へ振り向いた。
「ふ、布都さ……」
大木の幹に全身を預け、力無く項垂れる布都。
身体は弛緩して瞼を閉じ、一目で意識が無いのだと判る。
数秒頭を働かせ、やっと理解した。
布都は異形から攻撃を受け、木に激突したのだと。
「カンザト!」
鼓膜を震わせる、こころの悲鳴に近い呼び声。
「うっ!?」
全身を突き刺す疾風と強い衝撃がカンザトを襲う。
同時に、何かが前方から飛び込んできた。
それは自身を巻き込む形でぶつかり、カンザトは後方に跳ね飛ばされた。
背中から地面に倒れ込み、数瞬息が止まる。
だが、すんでのところで思考が追いつき、飛んできたソレを抱き抱える形でキャッチできた。
「こころ……大丈夫?」
「大丈夫」
ぶつかってきたのはこころだった。
自分を庇おうとしたが、衝撃を殺せず、まとめて吹き飛ばされたのだろう。
「ごめん、守りきれなかった」
「いや、ありがとう。俺より──」
前方へと顔を向け、息を呑んだ。
異形が音もなく接近してくる。
すぐ近くには──布都が倒れている大木。
「布都さんっ!!!」
こころから離れ、全力で右足を踏み出す。
視線の先では、異形の掌のような機構が大きく広がり、敵対者を押し潰さんと振り下ろされようとしていた。
「や、めろおおぉぉぉぉ!!!」
布都を庇うようにして両者の間に身を躍らせたカンザトは、怪力をもつ『戦車』のペルソナ、『オニ』を顕現させる。
オニは両腕を天に掲げ、迫り来る掌を受け止めた。
「ぐっ! ……うぅ……!」
両脚が震えるほどの重圧に襲われる。受け止めたはいいものの、今にでも体勢が崩れそうだ。
このままでは布都もろとも押し潰されてしまう。痛いでは済まないだろう。全身の骨が砕かれ、命すら危うい。
なんとか、なんとかしなきゃ。
この攻撃を防いで、布都さんを抱えて逃げる。コイツが何なのか、なんてのは後から考えればいい。今はとにかく、布都さんを守るんだ──
燃え滾る意志を糧に、両脚に力を込める。口が切れ、舌の上に血の味が広がる。
だが、抑えきれない。見る見るうちに姿勢が低くなる。
今の俺じゃ、力不足なのか……
心が諦念に染まる寸前──
ガキン! という鉄を砕いたような強い破壊音が聞こえたのち、身体にかかっていた圧が軽くなった。
好機を感じ取り、低い姿勢から勢いよくオニの拳を突き上げ、異形へアッパーカットをお見舞いした。
異形の巨体がぐらりと傾く。拳が当たったところを見るに、実体はあるようだ。
顔を上げると、細長い薙刀を携えたこころが浮いていた。
「こころ!!!」
こころと視線が交わり、オニが薙刀に似た金棒を出現させる。
「あぁぁっっ!!」
隙を見せた異形に対し、こころと共に痛烈な一撃を食らわせると、異形は木々をすり抜け吹き飛んでいった。
距離が空いたのを確認して、こころが横に降り立つ。
「ゲホッ……ごめんこころ、助かった」
「貴方が抑えててくれたおかげ」
二人は背後の布都を護るように立ち、敵を見据える。
ダメージは入ったようだが決定打には至らず、すぐにでも反撃してくるだろう。
「どうする?」
「……逃げよう。迂回して森を抜ける」
「了解」
動けない者を庇いながら戦うのは得策じゃない。
ならばとるのは逃げの一手。立ち塞がる異形を避け、迷わない程度にまわり道し、森を抜けるべきだ。
「俺が布都さんを連れてく。こころは」
「引きつつアイツを迎撃する」
「……あぁ、よろしく!」
こころが一歩前に出たのを合図に、カンザトは布都の元へ駆け寄った。
「布都さん……布都さん! 大丈夫ですか!」
布都の様子は依然変わりない。流血は見られないが、肩をゆすっても小さく頭を揺らすだけで、何の反応も示さない。
自ら動けないなら、誰かが運ぶ必要がある。
カンザトは布都を横抱きにして走り出した。
「こころ!」
逃走するため声をかけると、こころは後ろを警戒しながら浮遊し、追従してきた。
カンザトが足を動かしつつ背後を見やると、体勢を立て直した異形がゆっくりと近づいてくるのが分かった。実体はあるはずなのだが、音を立てることなく、狭い森の中を直進してくる。
「くっそ……やっぱ追いかけてくるよな」
「なんで襲ってくるんだろ。なんか恨み買っちゃった?」
「心当たりないんだけど!」
口が聞けないのか、理由も語らず問答無用で襲いかかってくる輩に心当たりなどあろうはずも無い。まさか布都のファーストコンタクトが失礼すぎたせいで腹を立てた……などということはあるまい。
「またあれが来る……避けて!」
警告を受け、カンザトは横に逸れて木を背にした。
数秒後、旋風が先ほど立っていた場所を吹き抜け、地面が薄く抉れた。
「あっぶね……」
アレだ。布都は目に見えない速度で打撃を受けたわけではなく、掌から発される衝撃波をモロに受けて吹き飛ばされたのだ。
「あの攻撃、すごい射程範囲」
カンザトの位置と反対側の木で攻撃を凌いだこころが冷静に分析する。
原理は不明だが、あの攻撃が無尽蔵に発生するなら、このまま逃げ続けてもジリ貧だ。向こうは直進出来るぶん速いため、森を抜ける前に追いつかれるか、どれだけ急いでも先にこちらのスタミナが尽きる。
「さっきの大きいペルソナ使えないかな」
「あれを……どうやって?」
「アイツが私たちを目で見てるかは分かんないけど、間に出せば視線から逃れられるかも」
「なるほど。やってみるか」
戦闘要因ではなく、壁として巨大なペルソナを呼び出す作戦だ。視界を共有していないので攻撃は難しいが、上手くいけば逃走や身を隠すのに使える。
カンザトは走りながら、自分たちと異形の間にヴァスキを召喚した。操作距離の問題でその場に留めておくことが出来ないため、後退させつつ間合いを保つ。
「う、狭いから操作が難しい……」
「無理しないで。危険だと思ったら戻していいから」
「だいじょ──ぐっ!?」
龍の巨躯を挟んだ反対側から破壊音が聴こえたかと思うと、カンザトの身体を軋むような痛みが襲った。転びそうになるのを踏ん張り堪える。
「カンザト!」
「く……ペルソナが攻撃された」
「そっか……盾になるかと思ったけど、このままじゃいい的ね。すぐ戻して」
ペルソナは操作主と感覚を一部共有している。
作戦通り壁にはなるが、反撃と防御が容易でない分、攻撃を受けた際に操作主への負担が尋常ではなかった。
「でも……」
それじゃあ逃げられない──そう言おうとした瞬間、脳が揺さぶられるような痛みが立て続けに走った。龍の体を壊し抜けようとしているのか、異形は攻撃の手を止めない。
カンザトは布都を抱えたまま両膝を着いてしまった。
「早く!」
「くそ……っ」
カンザトは奥歯を噛み締めながら、タダでは終わらないと苦し紛れの斬撃を放った。
「はぁっ……はぁ……!」
「カンザト、しっかりして」
「だ、大丈夫……」
かなり消耗したが、攻撃は当たらずとも切断された木がぶつかり多少は時間稼ぎになるだろう。
そう思っての行動だった。
背後にある木の残骸が吹き飛ばされ、雪が白煙のように舞う。開けた空間の先には、様子の変わらぬ異形が悠然と佇んでいた。
「嘘だろ……無傷かよ」
「さっき切りつけた時も感じたけど、あいつ、肉体がかなり硬い」
やはり衝撃波を避けつつ逃げるしかないか。
そう考え再び足に力を入れると、こころが異形のいる方へ数歩進んだ。
「こころ?」
「あいつ、思ったより速く追いかけてくるし、連発でもされたら布都を抱えたままの私たちじゃいつか限界が来る」
こころが己の体躯ほどもある薙刀を両手でしかと握りしめ、すらりと伸びた刀身を敵へ向ける。
「なら、私が食い止める」
「ダメだ! 一人じゃ……」
「取引の際、私は言った」
カンザトの声に被せるようにして、こころは言葉を紡ぐ。
「地底を目指す旅は危険が伴う……でも、『私に任せて』と」
カンザトは息を飲んだ。
こころの瞳が、声音が、魂が……未だかつて無いほどの覚悟を感じさせる。
「心配しないで。少し相手したら追いかけるから」
「私を信じろ」と、武器を構えたままカンザトに顔を向ける。
「……!」
ざわつく脳内と共鳴するように、ドクン、ドクンと心臓が脈打つ。
ここで逃げていいのか。
彼女を死地に放り出して、自分は尻尾を巻いて逃げ出していいのか。そんなことが、許されるのか。
恐怖に身体が戦慄く。
恐れているのは得体知れずな異形か、異形を召喚する術を持ちながら何も出来ない自分自身か。
いや、何を躊躇うことがある。
今こそ、今だから、内から湧き出ずる強大な力を行使するべきではないのか。布都はそこで寝ててもらえばいいのだ。
この場で奴を倒して、活路を──
「迷ってる」
修羅場においても冷静な、透き通るような声で我に返る。
「貴方は優しいから。私を置いて行っていいのか、力をどう使うか、迷ってる」
胸の内を全て見透かされている。
だが、不思議と悪い気分ではなかった。
「今はその力……ペルソナは、布都を守るために使って」
こころの言葉に、カンザトは胸の中心を射抜かれたような衝撃を受けた。
害するためではなく、守るために。
単に言い方を変えただけなのだが、それは非情になり切れない彼が求めた、納得のいく答えだった。
「大丈夫。私、まだやりたいことがたくさんあるから」
ここで倒れる気はさらさら無い。そう言いたいのだろう。
「行って」
こころの視線が、影のように迫り来る異形を真っ直ぐに射抜く。もうこちらを振り向くことはなかった。
「……ごめん」
カンザトは苦渋の面持ちでこころに背を向け駆け出すが、思考は迷いを捨て切れていなかった。
こころの言葉と、ぐったりと腕の中で眠る布都の姿が、彼の足を前へ前へと動かしていた。
・
・
・
しばらく走り、かなり距離をとっただろうか。後ろからは追いかけてくる異形も、激しい戦闘音が聞こえてくることもなかった。
足取りを緩め、肩で息をする。冷気が肺に入り込み、胸が痛みを覚えた。多量の胞子を吸い込んでしまうのは危険だが、自身の肉体を気にかける余裕は無かった。
「布都さん……」
打ちどころが悪かったのか、未だに布都は目を覚まさない。目立った外傷はないが、この小さな体が目に追えないほどの速度で大木に打ち付けられたかと思うと、ゾッとした。
「俺、逃げてよかったんですか」
返答があるわけないのに、訊かずにはいられなかった。
『彼女たちと協力し、失った記憶へ繋がる成果を持ち帰ってくれ。旅の無事を心から祈っているよ』
数刻前、霖之助からかけられた激励の言葉が蘇る。
心強い仲間達と協力して、地底を目指すのだ、と。
「くそ……っ」
だが、実際はどうだ。
布都を守るためとはいえ、自分はその大事な仲間に庇われて、逃がされた。
こころを信じての計画的逃走ならまだしも、とめどなく積み上がる葛藤を抱えながらここまで逃げてきた。
青年は、またも大きな岐路に立たされる。
最前線に立つ彼女を信じ、このまま森を抜けるか。
それとも安全な場所に布都を寝かせて、こころを助けに戻るか。
どうする。どうすればいい。
……
──耳鳴りがする。
「ぁ……? うぅ……!」
頭が痛い。
誰かの声が聞こえる。
『俺が殺した』
『あいつも、そう言っていた』
誰だ。誰の声だ。
『その男はペルソナを暴走させ、その騒動に他人を巻き込んでしまったんだ』
ペルソナが暴走……?
『あれは事故だった。そんな言葉は、慰めにもならなかったようだ。だが、あいつなりの答えを見つけたんだと思う。結局は共に戦ってくれたからな』
何の話をしてる。
『俺にはあいつの答えは分からん。聞くことも出来ない』
『その男は……』
もう一人の男の声が尋ねると、脳裏に浮かぶ銀髪の男性が、神妙な面持ちで頷いた。
『ああ……死んだよ。仲間を庇って』
……
「……っ!!」
カンザトはよろめき、近くの木にもたれかかった。
なんだ今のは。突然頭痛がしたかと思うと、覚えのない男性の会話が聞こえた。能力に目覚めた時や、こころと出会った時に聞こえたものとは違う声だ。
……まさか、失った記憶の一部が唐突に蘇ったとでも言うのか。
ペルソナの暴走。他人を巻き込む事故。
やはりペルソナは危険な存在なのか。
だがカンザトにとってなにより気にかかったのは、続けて聞こえてきた『仲間を庇って死んだ』誰かの存在。その者の勇敢な行動が、今の状況と重なった。
もしこころが戻ってこなかったら……
想像して、喉奥から絶望が込み上げた。自然と布都を抱く腕に力が入る。
こころを失うなんて……考えたくもない。
「……」
聞こえた声はまるで、己を鼓舞するために響いたように思えた。
話していた男の片方は自分か?
なら、自分は過去に似たような経験をしている?
答えは出ないが、おかげで意思は定まった。
カンザトは東方を守護する四聖獣の一柱『セイリュウ』を顕現させ、
「すみません布都さん。すぐ戻ります」
布都の体を木の幹に預け、暖房代わりのマジックアイテムを近くに置くと、元来た道を引き返す。
「こころ……!」
荒れる海のように感情がざわめき、気が急く。
凶暴な異形よりも、己の手中にある強大な力よりも、今はただ、こころを失うのが恐ろしかった。
挿絵だと分かりづらいと思いますが、この敵は全長6~7mくらいあります。結構デカイ。
ペルソナ〜トリニティ・ソウル〜は
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全話視聴済
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途中まで視聴
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未視聴
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存在を知らない