「いいですよー! その調子!」
「おあっ、くっ」
「そのままゆっくり進んでー! ちょっとずつでいいですから!」
「はい! ゆっくり、ゆっくり……」
「貴方は鳥です! この大空を羽ばたく鳥です!」
「と、とり……」
横から美鈴の声援を受けて、巨鳥のペルソナ『グルル』は亀と見まごうほどの緩慢な動きで前進する。
「あっ進んでる! 進んでますよカンザトさん!」
「ホントですか! よっし、もうちょっとスピード出して……」
次のステップへ移ろうと思考を切り替えた時には、景色が残像を作っていた。
「オ゛ワ ア ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」
空へ弾き飛ばされ、カンザトの身体は風圧に抱かれながら斜めに落下していく。
「カンザトさーーーーん!!!」
美鈴は悲鳴じみた声をあげ、純白の大地へ吸い込まれていくカンザトを追う。
その様子を、布都とこころは下から眺めていた。
「……駄目か」
「千里の道も一歩から」
「気が遠くなることを言うな……」
この旅の道のりが千里にならないよう、皆で協力せねばならない。
大図書館を尋ねた翌日、カンザトは紅魔館の門前で飛行訓練を開始した。
・
・
・
「大丈夫ですか……?」
「すいません……ご迷惑おかけします」
「いえ、全く迷惑なんかじゃないですから」
地面にぶつかるスレスレで美鈴に止めてもらった。
雪が積もっているとはいえ、激突すればかなり痛そうだ。
「なかなか難しいですね」
「はい……ちょっとだけ進もうと思ってるのに急にスピード出ちゃって……」
「たしかに、突然もの凄い勢いで動き出してましたね」
訓練の際はこうして、暇を見て美鈴に手伝ってもらうことになった。紅魔館のすぐそばでわたわたと悪戦苦闘していたところ、いつも通り門番を務めていた美鈴が声をかけてきたのだ。
「う〜ん、私が上手い飛び方を教えられたらいいんですけど。その、ペル、ソナ……でしたっけ。それの扱いが分からないのでなんとも言えないですね」
「美鈴さんはどうやって飛んでるんですか? 羽、ないですよね」
「私? んー、なんて言ったらいいかな……」
美鈴は口をへの字にして、一瞬だけ考える素振りを見せる。
「体内に内包された気……エネルギーを操って、体を浮かせてます。気の操作は極めると、色んなことが出来るようになりますよ」
「へー……難しいことですよね。すごいです」
「えーそうですかぁ? えへ、私すごいですか?」
やっていることがバトル漫画のキャラクターだ。
とてもすごい事だと肯定すると、美鈴はとても嬉しそうに微笑んだ。
「それで言うと、あの……あそこにいるフトさんも似たようなことしてますよ」
「そうなんですか?」
「あれ、知りませんでしたか」
「飛んでるところ、あんまり見たことないので」
思い返してみても、布都が空を飛ぶ姿は数える程しか見ていない。旅の移動時も、空を行かず自らの足で歩いている。
それは当然、弟子に合わせて面倒な徒歩を選んでいるからなのだろう。
「……そうだよな」
今さら考えるまでもないことだが、改めて意識すると、なんだか申し訳なく思ってしまった。
「どうしました?」
急に静かになったカンザトを不思議に思い、美鈴はしゃがみ込む。
「いえ……」
早く飛べるようにならなければ。
焦りに近い使命感が胸を焼く。
「特訓、続けますか?」
「はい」
了承しつつも曇り顔のカンザトを見て、美鈴はひとつの案を思いつく。
「そうだ!」
闇雲に特訓するより、時には別の方向へ手を伸ばしヒントを探ることも大事だろう。
「気分転換に、私とお手合わせしませんか?」
「お手合わせ?」
「はい!」
「組手とかですか?」
「そんなしっかり形式ばったものじゃなくていいので。ほら、お師匠さんと戦闘訓練してるって言ってたじゃないですか。同じ感じで私とも、ぜひ!」
普段の修行と同じように、美鈴と手合わせを行う。
なるほど、いい経験かもしれない。相手が変われば新たな発見があるだろう。
「じゃあ、お願いします」
気分転換のために手合わせするとはどういう流れだと疑問に思いながらも、快諾した。
話し合いの結果、お互い致命傷にならない程度の攻撃は可。先に相手を無力化、もしくは降参させた方の勝ちとなった。また、ペルソナの使用も許可が出ている。
「布都さん、審判をお願いしますね」
その役割が必要かはさておき、暇そうだった布都を審判に任命した。
「なぜ我が……」
「変わろうか?」
唇を尖らせ、分かりやすく不満げな布都に対し、こころが尋ねる。
「…………いや、いい」
長い沈黙ののち、渋い顔で断った。
「では、よろしくお願いします!」
美鈴は流麗な動作で
対するカンザトはテレビなどでしか見たことがない中国武術の所作をナマで見られたことに軽く感動を覚えつつも、頭を切りかえて姿勢を正した。
「お願いします」
礼に応え、美鈴の立ち姿を観察する。
「いつでもいいですよ」
相手へ左半身を向けた姿勢で、左腕は地面と平行に構え、肘を曲げ後ろに引いた右腕は天を突く。
由緒ある構えなのか、それとも彼女独自のスタイルなのかは定かでないが、攻撃の当てどころを少なくしたうえで素早く攻めに転じられる、理にかなった構えと言えよう。
ところがカンザトには、立ち姿の分析より気にかかることがあった。
「あの……すみません、やりづらいかもです」
「ん? やりづらいとは?」
「痛くしないか心配で……」
考えてみれば、自分は人を直接攻撃したことがなかった。布都との修行でも、拳を使った肉弾戦などしていない。
そもそもの話、実力差はさておき女性と殴り合うのは気が引ける。投げ技や締め技なども知識がないので実践不可能だ。
「いえ、遠慮はいりませんよ! 私も武術家の端くれ、打たれる痛みには慣れてますので!」
だが、美鈴はいいからかかってこいと拳を下ろさない。しかしそれも当然のことで、真剣勝負においてそんな優しさは甘ったれた思考でしかない。
「と言いたいところですが、それで動きが悪くなっても本末転倒ですね」
かと思えば、パッと構えを解いた。
「弾幕勝負……は適してないか」
美鈴は腕を組んでうんうんと唸る。
「そうだ! 私の右肩に一発当てたらカンザトさんの勝ちにしましょう!」
美鈴が自身の右肩を指さす。
「流石に俺が有利すぎるんじゃあ……」
「私は基本的に右肩を引いて動きますし、簡単に打たれないように守りながら動きます。やってみたら意外と難しいと思いますよ」
勝ち筋をひとつに絞ってしまえば、もちろん相手は十全に対策する。同時に美鈴は行動が制限されるわけだが、確かにカンザトにとっても難しい条件と言えるかもしれない。
「どうですか?」
「じゃあ……それでお願いします。無理言ってすみません」
「お気になさらず。私もお互いが納得できた方がいいと思うので」
とはいえ肩に一発入れるだけで勝ちという、一方が有利なルールを美鈴は提案してきた。
つまり、それだけのハンデを与えても勝つ自信があるということ。
「では、気を取り直して」
再度構える美鈴。
その洗練された動きからも伝わる彼女の自信に、自分は打ち勝てるのか。
気分転換のため何気なく受けた試合だったが、気を休める暇は無いようだった。
・
・
・
大きく踏み込み繰り出された掌打が空気を穿ち、カンザトの胸部に迫る。
カンザトは左腕の側面を手で押すことにより間一髪で回避し、即座に美鈴の肩へ手を伸ばした。
「しッ!」
対して美鈴は一気に体勢を落とし、素早く足払いをかけた。
「あっ!?」
避けることなくモロに食らってしまった。視界が傾く。
そのまま倒れるかに思えたが、反射的に出した両腕を地面に突き立て、不格好ながらもバク転のような動きで体勢を立て直した。
「カンザトさん……動けますね」
少し距離が空いたことで追撃の手を止めた美鈴が語りかける。
「ごめんなさい、正直侮ってました。まさか私と対等にやり合えるとは」
「ゲホッ……ありがとう、ございます」
対等だと言いつつもあちらは本気ではないのだろう。汗を流し、激しい運動に肺が悲鳴をあげる自分とは対照に、美鈴はこんなもの準備運動だと言わんばかりに平然としている。
「体の動かし方がしなやかです。ご師匠様に鍛えられた成果でしょうか」
「上手くできてますかね」
「ええ、なかなか」
褒めつつ、美鈴はカンザトのとる戦法のチグハグさを感じていた。
美鈴は離れた位置からこちらを見つめる布都を横目で見る。
彼女はカンザトと違い小柄だ。その体躯を活かした素早い動きで敵を翻弄し、有利に立ち回る。実際に戦っているところを見たことはないが、おおよそそのような戦法をとると予想する。
(彼のような高身長にその動きはあまり適していない……なのに、人間離れした反射神経と瞬発力で、彼女の教えを無理やりものにしている)
聞いたところによると、布都を師事してから3ヶ月も経っていない。元々武術の心得がなければ、純粋な人間である彼がここまで動けるようになるには長い期間を要するだろう。
しかし現に、彼は何らかの手段でその戦法を実現している。それにはおそらく……彼の背後に立つ、ペルソナという存在が関係している。
「そこにいるヒョウ頭の御方は見ているだけですか?」
赤い体毛を持つ豹面の戦士『フラロウス』が、召喚者から少し距離を置き、戦いの行く末を見守っていた。
「遠慮せずに、全力出していいんですよ」
「すいません、手を抜いてるわけじゃないんですけど……ただちょっと、まずは自分の力だけで頑張ってみようと思って」
「……なるほど」
まさか二対一の試合がフェアじゃないとでも考えているんだろうか。要らぬ心配だと言いたいところだったが、彼には彼なりの矜恃があるのだろう。それ以上は口を出さなかった。
「では遠慮なく!」
地を蹴り、距離を詰める。
強い脚力に、地面の雪が紙吹雪のように宙を舞った。
「はッ!」
疾走の勢いを乗せ、右腕を前へ動かす。
先と同じように掌打を放つ──かに見せかけて、出しかけた腕を瞬時に引っ込めた。
「……!」
腕の動きに注視し待ち構えていたカンザトは、急なフェイントに動揺した。
直後、脇腹付近に走る痛み。気づけば、美鈴の右脚から放たれた回し蹴りが直撃していた。
「いっ……!」
苦悶の声が漏れる。こんな強烈な痛みを常に人当たりのいい美鈴が与えてきたのかと、手合わせの最中にも関わらずギャップのような何かを感じた。いくら性格が温厚であっても、やはり彼女は戦闘を得意とする門番なのだろう。
「隙あり!」
カンザトのよろめく姿を好機と見た美鈴は、彼を突き飛ばすべく、鋭く掌打を繰り出す。この後は倒れたところを組み伏せてフィニッシュだ。
だが、狙いすましたその一撃がカンザトの肉体に当たることはなかった。
ビタリと、左腕がその場で固まる。何かに手首を掴まれている感覚があった。
見ると、カンザトの体に半透明の人型が重なっている。
国津神『オオクニヌシ』の篭手を身につけた腕が、美鈴の手首をしかと掴んでいた。
(いつの間に……!)
先ほどまで佇んでいたはずの獣人はいなくなっている。咄嗟にペルソナを入れ替えて、身体の内側から発現させたらしい。
「ペルソナ、やっと動かしましたね。ふふ、まさか自分の力だけでやると言って私を騙すとは」
「あ、すみません……防御しようとして、つい」
「いえ、勝負ですから何も謝ることないです。そんなことより、チャンスですよ?」
指摘され、カンザトはハッとした。
意表を突き、美鈴の片腕を捕らえた今はまたとない好機だ。
「この方はそれが分かってるみたいですね。私の手、結構強い力で掴まれてますよ。いてて」
オオクニヌシが美鈴を食い止めている内に、カンザトは肩を掴みにかかる。
しかし指先が触れる寸前、美鈴は脚を大きく振り上げて、オオクニヌシへ蹴りを食らわせた。
「うっ……」
蹴られた弾みで手が離れ、オオクニヌシが消滅する。伝播する衝撃を感じながら、カンザトは追撃を警戒して背面に大きく飛び退いた。
「あっ逃げられた」
「……美鈴さんも騙してるじゃないですか」
「フフフ、これでおあいこ、です! さあ、勝負はここからですよ!」
まだまだ余裕そうに笑う美鈴を見て、カンザトは覚悟を決める。互いに出し惜しみしている場合ではないと気を引き締め、再びペルソナを召喚する。
紅魔の御前にて、
カンザトが美鈴にとっての虎足り得るかは、このまま戦い続ければ自ずと分かることだろう。
そんな2人の攻防を、布都とこころは離れて観戦していた。
「カンザト、前より速くなってる気がする」
「幾分かマシになったろう? 我の指導の賜物だな」
旅程が決まって以降、カンザトを修行に連行していた布都。美鈴の動きに食らいつく弟子を見て、誇らしげに鼻を鳴らす。
「私も混ぜて欲しかったのー」
「まだ言うか。致し方あるまい」
その間のこころは火の番を務めていたため、修行の様子を知らない。
「だが、あの人もかなり強いな」
「ああ。あやつ、相当な手練だぞ」
視線を移し、常に優位に攻める美鈴を観察する。数的有利を取られたとて、彼女の挙動に迷いは見られない。
「布都より強いかもね?」
「むぅ……」
自分から訊いておきながら、こころは布都の控えめな反応に驚き、横に立つ彼女の表情を伺った。プライドの高さゆえに「舐めるな! あの程度小指1本で片付けられるわ!」とでも言い返してくるだろうと思っていた。
「美鈴殿は強い。あの身のこなし、積み重ねた修練の重みがある」
カンザトの攻撃を易々といなす動きには無駄がない。美しささえ感じる、達人の身のこなしだった。
「会った時から思っていた。あの吸血鬼のように嫌な感じはせんが……強者特有の気質を有している」
布都は紅魔館を仰ぎ見る。
「普段は意識して抑えているのだろうが、身体の内から湧き出ずる膨大な闘気が伝わってくる。美鈴殿は身体だけでなく、力の使い方を熟知しているのだ」
「随分褒めるね」
「……全力を出せば、我とお主、2人がかりでも敵わぬやもしれん」
これには流石のこころも驚きを隠せず、思わず後ずさった。
思い込みやすく自負心の強い布都が、会って間もない他人の実力を認めたどころか、精神的敗北を感じた?
おかしい。こう易々と身を引く性格だったか。それとも知らないだけで、元々弱気がちだったのか。
「……なんだ」
「びっくり仰天だぜ」
「は?」
「大丈夫? 調子悪いの? お腹痛い? さすろうか?」
「お主こそどうした、気色悪いぞ」
「おお、優しさを無下にするその横柄な態度、まさしく物部布都……」
「よし、よう分からんが馬鹿にしていることだけは分かった」
2人が小競り合いをしている間も攻防は続き、打ち合いの末、ついに美鈴が一本先取した。
「
「強い……」
地面に倒れ伏すカンザトは、抱拳礼をする美鈴に尊敬の念を抱く。
「いやー凄いですねカンザトさん! こんなにやれる人久しぶりなので、ついつい楽しくなっちゃいましたよ!」
「そ、そうですか……ありがとうございます」
息を切らし、汗を滲ませる。
満足していただけたようで何よりだが、終始ついていくだけで精一杯だった。
「ペルソナを使った戦い方も斬新で面白いですねぇ」
ペルソナを参戦させてからは、多彩な攻め方を試した。ペルソナと息を合わせて挟撃したり、時にはペルソナを囮にする手も使った。
「戦う時はちゃんと動くんですね」
「何がですか?」
「ペルソナですよ。さっき飛んだ時は暴走してたのに、戦ってる間は普通に動いてたなって」
「……たしかに」
言われてみれば、戦闘中に自分の意思に従い動き回るペルソナの挙動におかしな点は見られなかった。
「やっぱり飛ぶのは難しいってことですかね。私の周りの人達はみんなひょいひょい飛んでるから、感覚狂っちゃいますよ」
「そう、かもですね……」
飛行能力が標準搭載の彼女達について行くにはどうしたらいいんだろう。アプローチを変えるべきか。
「あの、最初はペルソナを使わなかったですよね。なんでですか?」
「え?」
「言いたくなかったら言わなくていいんですが」
先ほど自身の力だけで戦ってみたいと説明したところだが、詳しい理由が気になったらしい。
些細な心配事であるため語るのは少し気恥ずかしいが、彼女は今や第二の師匠のような存在。変に誤魔化す必要はないのかもしれない。
「最近ちょっと、ペルソナの操作が心配で……」
「そうなんですか? それは……飛ぶと暴走しちゃうとか、そういうことですか?」
「まあ、そうですね」
「なるほど。うーん……」
カンザトはペルソナという超常存在がとる予期せぬ行動に一抹の不安を感じていた。それは戦闘時も例外でなく……
「なら、もっと特訓しましょう! 飛ぶのも、手合わせもたくさん頑張りましょう! 私と同じく力を上手く扱えるようになれば、色々と見えてくるかもしれません!」
不安を吹き飛ばすような、自信に満ち溢れた笑顔がそこにあった。気の操作を極めた者は、相手の気持ちを読み取ることにも長けているのか。
「付き合いますよ!」
しゃがむ自分に手が差し伸べられる。
理論とはかけ離れた脳筋発言ではあるが、今はその優しさが素直に嬉しかった。
「……ありがとうございます」
同時に、一滴の申し訳なさが心に波紋を広げる。
「さあ、ではもう一度! 幾重にも拳を交わし、その身に宿る能力を極めるのです!」
「え゛ちょっと休憩……」
「限界を超えた先にこそ、見える景色があるんです! さあ立って立って!」
美鈴はぶつかり甲斐のある人間と出会って、テンションが上がっているのかもしれない。
彼女が満足するまでスパルタ教育を受け続けたカンザトはそのうちダウンし、早めの休息をとるのだった。
・
・
・
一方その頃、魔理沙は自宅に戻っていた。
「よっ、おまたせ」
「やあ、悪いね。お邪魔してるよ」
玄関ドアを開けると、居間には待ち人がいた。
勝手知ったる様子で茶を啜る、森近霖之助である。
「勝手に入っておいてなんだが、鍵ぐらいかけたらどうだい。不用心だよ」
「こんな場所にコソ泥は来ないから大丈夫だ」
魔理沙は魔女帽子を手作りポールハンガーにかけてから、霖之助の向かいに腰掛けた。
「で、どしたよ。アリスに言われて急ぎで戻ってきたが」
「そうか、それは悪い事をした」
紅魔館にダラダラと滞在していた魔理沙を連れ戻したのは、アリス人形からの知らせだった。
曰く、『森で歩いてる店主さんを見つけたから、帰ってきなさい』と。
その日、アリスは森を散策しながら魔理沙に同行させた人形とは別で、複数の人形を周囲に放っていた。目的は青い怪物の正体に繋がる手がかりの捜索だったのだが、そこで目にしたのは、歩きにくそうに木々の間を進む霖之助の姿だった。
注意喚起ついでに目的を尋ねたところ、先日の大きな揺れの正体を確かめに来たのだと言う。
それはカンザト達と青い怪物の戦闘によるものだと伝えたところ、今度は彼らの安否と魔理沙の所在を訊かれた。
「アリスは?」
「帰ったよ。どうにも居づらそうに見えたが、何か悪くしてしまったかな」
「あー……あいつ意外と人見知りなとこあるからな。人形劇なんかしてるくせして」
魔理沙を呼び戻した方が早そうだと判断したアリスは、ひとまずカンザト達の無事を知らせてから、少し待てば魔理沙が戻ってくることを霖之助に伝えてその場をあとにした。
「……」
「どした?」
先ほど自分への要件を訊いたはずだが、答えが返って来ない。霖之助は口を閉ざし、テーブルの木目に視線を留めている。
「何日か前に、カンザトくん達がウチを出発して地底へ向かったんだ」
「あぁ? うん、知ってる」
「今は紅魔館にいるらしいね」
「ああ。絶賛飛行訓練中だ」
「飛行訓練? なんのために」
「縦穴下りるためだ。穴の目の前行ってから、飛べなきゃ地底行けねーじゃん! ってなったんだよ」
「ああ……なるほど、言われてみればそうだな。僕も思い至らなかった」
「私ら飛べるのが基本能力みたいなとこあるし、気づかんかったわ」
弾幕勝負に興じる以上、幻想少女の嗜みと言ってもいいかもしれない。別に女性だけに備わった力ではないのだが、人間に限っていえば、霊夢のように純粋な人間で飛行能力を有する者は珍しいだろう。
「アリス君から聞いたが、何やら妙な生物と遭遇したとか」
「そうそう。私はちょっとしか見てないんだけど、すっげー変な見た目でデカかったらしいぜ。でさ、そいつの正体を色々と調べてるんだが、これがまー不思議な事ばっかで!」
「ふうん……それは後で聞かせてもらおう。それより、カンザトくん達は何ともないのかい? その怪物と争ったと聞いたが」
「あれ、アリスから聞いたんじゃないのか? 3人ともピンピンしてるぜ」
「そうか、良かった。尋常じゃない揺れだったから、気になっていたんだよ」
「あーそれ布都が起こした爆発のせいだな」
「彼女か……見かけによらず大した魔術師だな。人の師を名乗るだけあるということか」
布都に魔術師なんて言ったらキレそうだなぁ……と魔理沙は苦笑した。
「まあ、無事なら良かった」
霖之助は湯呑みを手に取り、持ち手に伝わる温かさを確かめるようにゆっくりと口元へ運んだ。
「んん……?」
その様子を見て、魔理沙は違和感を感じていた。
なんだか、いつにも増して無愛想に感じる。
いや、無愛想というより、覇気がない。普段から自分より数段テンションが低い彼だが、今はより一層そう感じる。
「……やはり危険が伴うものか」
「なにが?」
「いや悪い。なんでもない」
「なんだよ言えよ。気になるだろ」
彼は博識ゆえに、含みのある発言をするきらいがあるが、付き合いの長い魔理沙の前で隠し事は通用しない。
「……彼らの旅には常に危険が伴うな、と。目的地が地底なのだから当然ではあるが……どうにも心配だ」
「香霖がそんなに誰かを気にするなんて珍しいな」
「そうかもね。全く僕らしくない」
てっきり反論してくるかと思いきや、奇妙なほど素直に認めた。
「ついでに言うなら、僕は魔理沙のことも心配だ。さっきの言いぶりからして、君もその怪物と戦ったんだろう?」
「……はあ?」
香霖が私を心配? なんでいきなり?
度々異変解決に赴いても、必要以上に心配する素振りなんてなかったじゃないか。
魔理沙はえも言えぬ居心地の悪さを感じ、表情を歪めた。
「おいおい、ホントにどうしちまったんだよ。いっつも心配なんかしてないだろ。なんか……らしくないぜ?」
霖之助は灰色の湯呑みをそっとテーブルに置くと、さざ波のようにうねる木目へ視線を戻した。
「責任だから……かな」
やけに神妙な面持ちの霖之助に、魔理沙は首を傾げることしか出来なかった。
・
・
・
皆が寝静まる夜、不意に目が覚めた。
室内温度は低いはずなのだが、どこか寝苦しさを覚える。瞼を半分持ち上げ、部屋に満ちる闇へ視線を漂わせていると、喉が渇きを訴えた。
「水……」
水でも飲んで寝直そう。
そう考えたカンザトはベッドから起き上がり、枕元の灯りをつける。柔らかいオレンジ色の光に照らされぼんやりしていると、じわじわと昼間の出来事が頭に浮かんできた。
『なかなか難しいですね』
なぜ上手く飛べないんだろう。戦う時は言うことを聞いてくれるのに、宙に浮き、進めと命じるだけでもう一人の自分は落ち着きが無くなる。
『それで言うと、あの……あそこにいるフトさんも似たようなことしてますよ』
布都とこころの2人なら、地底でも天上でもどこへでも飛んで行ける。今、枷になっているのは翼を持たない自分だ。
『やっぱり飛ぶのは難しいってことですかね。私の周りの人達はみんなひょいひょい飛んでるから、感覚狂っちゃいますよ』
人がそう簡単に飛べるものか。特異な者達と違い、自分のような凡人が自由に大空を羽ばたくまでに、一体どれほどの苦労が伴うか。
(違う……!)
よりにもよって八つ当たりしている場合か。
美鈴は長きに渡る修行の末に、気の扱いを覚えたのだ。彼女の言うとおり先の景色を拝むには、能力を極めずとも相応の努力を経るしかない。
今ものんびり寝ている暇なんてないんじゃないか。寝る間も惜しみ努力しないと、次へは進めず、欲しいものは得られないんじゃないか。
なら今すぐにでも外へ出て、特訓の続きを──
「…………はぁ」
疲れているし、焦っている。
考えが極端になり始めたあたりで、自ら気づいた。
勢いよく立ち上がり、粗い思考を断ち切る。
音を立てないようにそっと扉を開き、廊下に出た。
深夜であるため灯りはついておらず、数少ない窓から差し込む月光が、ぽつぽつと寂しげな足跡を残していた。
(うわ……結構暗い)
止めて戻ろうかと弱気な思考がチラつきながらも、こころと布都が安らかに眠っているであろう二部屋の扉を見つめる。
誰かが出てくる気配はなく、静寂に包まれた廊下に息づく生命は自分だけだと認識する。
足音を立てないよう細心の注意を払いながら、キッチンがあるはずの方向へ歩き出した。
(あんまり長くいても迷惑だ……早く飛べるようにならないと)
光を追い、闇の中を歩む。
時たま己の影が月に誘われ、光の下に輪郭を現した。
(2人にも迷惑だな……頑張って飛べるように……)
影は増幅し、光を塗りつぶす。
生まれ出てし新たな影は、命脈をも貪り喰らう。
(飛べるように……)
傍に立つ影が、大きく揺れる。
「あ……」
視線の先、頼りにしていた光を見つけられない。
月を覆い隠すのは──二つの陰影。
その場に息づく生命は、もう一つ。
光を殺したのは、彼女なのか?
月の魔力は悪魔をも魅了し、地上へ誘い出す。
得体は知れず、正体不明。
紅い月が照らす彼女は──
「貴方、だあれ?」
七色の宝石と金糸が闇に浮かび上がる。
頼りない月明かりに姿を現したのは、紅い瞳を爛々と光らせた幼い少女だった。
ペルソナ〜トリニティ・ソウル〜は
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全話視聴済
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途中まで視聴
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未視聴
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存在を知らない