咄嗟に後方へ飛び退き警戒態勢をとったカンザトは、言いようのない違和感を感じた。
心の奥底に秘めた何かを、脇目も振らず吐き出したい気分。胸がムカムカして、思考がボヤける。目の前の妖怪に対処しなければならないのに、どうにも気持ちが悪い。
「うっ……」
たまらず、その場で片膝をついた。そればかりか、敵を前にして目をつむってしまう。どうにかして立ち上がろうと藻掻く脳内に、女性の声が響いた。
『貴方は妬んでいる。羨ましいけれど、憎くて憎くてしょうがない』
妬んでいる……
『ささいな嫉妬でも、余すことなく周りに吐き出したい』
そんなの……無い。
『人間たるもの、いくらでもあるはず。日々生きることで積もり、抑圧され、棄てるしかなかった嫉妬の感情……それらは貴方についてまわり、逃れられない』
でも、それは悪い感情だ。
『目を背ける必要はないのよ。今まさに解放するんだから。さあ、心の奥を探って……よく思い出して』
……
…………
………………羨ましかった。
優しくて眩しかった■■姉ちゃんと仲がいい、■■兄ちゃんが。
俺が知らない■■兄ちゃんのことをよく知っていて、信頼されている■■姉ちゃんが。
多分、妬ましかったんだと思う。
『それは酷いわ。でも、そんな貴方をほったらかしにして、幸せそうにのうのうと生きている……そこのお仲間は、もっともっと妬ましいと思わない?』
ふたりは関係ない。ふたりはいつも俺を気にかけてくれて、飛べなくて悩んでた時も……
『いいのよ隠さなくて。それこそが貴方の影であり、本性なんだか──』
声がぷつりと途切れた。気持ち悪さが霧散し、思考がクリアになったカンザトは瞼を開いた。
「……?」
自分のすぐ前に何かがいる。
顔を上げると、人の頭ほどもある水色の勾玉が浮遊していた。瞬時にそれがペルソナだと理解する。
「俺、いつの間にペルソナ……」
いや、それよりも。
謎の声──おそらく金髪の女妖怪の声が聞こえたと思ったら、示された問いに無意識のうちに答えていた。ただ、答えの意味は分からない。
「貴方、何よそれ」
今度は物理的に声が聞こえた。
「ひ弱な人間のくせに、式神使いだっていうの? 妬ましい……」
口癖なのか、また言っている。
カンザトは立ち上がって、女妖怪と相対する。
「さっきのは何だ! 俺に何の──」
先の不可解な現象を引き起こしたであろう彼女に大声で問う。しかし、それを言い切る前に異変が起こる。
「ぐっ!?」
脇腹を何かに殴られ、仰向けに倒れた。
「いっ……てぇ……うっ!?」
腹部にかなりの重量がかかり、数瞬息が止まった。何が何だか分からないまま頭を起こし見れば、そこには馬乗り状態の布都がいた。
「ふ、布都さん?」
目が据わっている。一目見れば分かる不機嫌な表情と共に、黒い瞳がこちらを見下している。
まさか殴ってきたのは布都なのか?と混乱するカンザトを他所に、布都の口が開かれる。
「なぜ……」
「え?」
「なぜ会ったばかりのお主が、太子様に認められているんじゃあ〜!」
布都の叫びが鼓膜を震わし、カンザトの無防備な腹部へ拳が振るわれた。
「ぶっ!」
乱れる思考の片隅で、ペルソナを出していて良かったと思った。この拳の重さ、布都は全く手加減をしていない。
「我ももっと気にかけて欲しいのに〜っ!」
すかさず二発目が放たれる。またもマトモに食らったカンザトは、激しく息を吐き出しながら思う。
なぜ布都は意味不明な物言いで攻撃してくるのか。
ハッキリしないが、ただひとつ、間違いなく女妖怪が関係しているだろうことは分かった。
「布都さん、すいません!」
上体を起こし、無理やり起き上がろうとする。彼女の軽さなら、跳ね除けることは容易いだろう。もうひとりの仲間が正気だったなら……容易いことだったろう。
「がっ!」
両肩を掴まれ、激しく地面に叩きつけられた。
また布都がやったのか? いや、違う。
「こ、こころ……」
こころの無表情と能面が、痛みに呻く自分を覗き込んでいる。
「カンザト」
まさかこころもおかしくなってしまったのでは。そんな不安が募る。
「鰻串、私も食べたかったのに……私に内緒でこっそり食べてた……」
「は?」
唐突に出された場違いな単語に思考を巡らせれば、酉の市で食べた鰻串のことだと分かった。たしかに、あの時のこころは(能のパフォーマンスが終わったあとに見に行ったら売り切れだったので)鰻串を食べられなかったことを残念がっていた気がする。それにしてもいつの話だと言いたいところだが。
「独りで食べるなんて……酷いわ……」
「今それどころじゃ……!」
「でもね、それはいいの」
ズイっとこころの顔が急接近する。
「嬉しそうに見てた。咲夜さんのこと」
「……ん?」
「熱い視線を送ってたよね」
食べ物の話をしたと思ったら、話題が180度変わり紅魔館のメイド長の話になった。
「なんの話……」
「あなたの部屋の前で、布都と何をしてたの? 私が来なかったら二人で寝ようとしてたでしょ」
また話題が変わった。今度は紅魔館で泊まった夜のことだ。
「ちょ、ちょっとこころ」
「あなたはよく赤い妖怪の肩をもつ。そんなにあの女が大事なの?」
三度変わり、おそらくは赤蛮奇のことを言っている。
「胸がチクチクして不愉快」
いつも抑揚のない声が、より一層冷たさを増している気がした。
「私のこの感情はなに? 教えてよ」
濁る桜色の双眸が目と鼻の先に迫る。普段のこころには無い、威圧的な雰囲気に気圧される。
「まだ話は終わっとらんぞー!」
「ぐふっ!」
こころに気を取られて布都の存在を忘れていた。
視線だけ向けると、続けざまにストレートパンチが繰り出されようとしていた。何度も食らうわけにはいかないと、慌てて振り下ろされた両腕を掴み止める。
「離せー! 師への反逆は重罪ぞー!」
「布都さん! しっかりしてください!」
「目、逸らさないで」
顔面を両手で掴まれ、こころと目が合うように固定されてしまった。
桃色の長髪が視界を覆い、こころしか見られない。非常事態でなければドキドキしていただろうが、今のこの動悸は動揺によるものが大きい。
「……っ」
間違いなく、二人はおかしくなっている。治療法は不明だ。二人を力任せに押しのけてでも元凶を捕えるべきか。
しかしそうなると、なぜ自分だけ正気を保っていられるのだろう。
(たまたまか? ……いや、違う)
先ほどの気持ち悪さが二人と同じ症状によるものなら、等しく自分もおかしくなったうえで、回復したのだ。
そこまで結論づけたカンザトは、いつの間にか顕現していたペルソナの存在を思い出す。召喚主の精神異常を治したのがあのペルソナだとしたら──
(あの技だ!)
カンザトは決死の思いで、人の脳から触手が生えたような見た目のペルソナ──天津神『オモイカネ』を召喚した。
「な、何アレ……っ!?」
その正気度が低下しそうな姿を間近に見た女妖怪は、激しく狼狽した。
『
オモイカネの触手が蠢き、現状を打破する魔法が発動する。布都の喚き声が止み、拘束から逃れようと暴れる両腕が大人しくなったことで、召喚主は治癒の成功を確信した。
「……ん? 我は一体……」
布都が視線を落とすと、弟子の腹部とこころの長髪が目に入った。
「おわーっ! 何をやっとるんじゃあ!」
己が馬乗りになっていることと、こころがカンザトに覆いかぶさっていることによるダブルショックである。野良猫の如き速度で後ろへ飛び退くのも無理はない。
「カンザト……?」
「こころ……」
こころも無事に正気を取り戻したようだ。こころは慌てふためくより、状況を把握できず固まっている。
「何が起きたの?」
「えっと、妖怪に攻撃されておかしくなってた」
「あなたが治してくれたの?」
「ペルソナで治した」
「そう……こんなに近いと、流石の私でも照れちゃう」
「あぁそう……とりあえず離してくれる?」
「ごめん」
二人は立ち上がり、こんな異常事態を引き起こした元凶へ注意を向ける。一方、女妖怪は顔を歪めて恨めしげに呻いていた。
「な、なんだっていうの……なんで私の力が効かないのよ!」
「なんでいきなり攻撃してきたんだ! 俺たちは戦う気なんてないから、話を聞いてくれ!」
「うぅ……」
もう術は効かない。なおも抵抗するなら無力化を試みる。
ところが、妖怪の次の言葉は予想だにしないものだった。
「妬ましい……!」
「え」
「あんな醜い獣を従えているのに仲間から慕われているなんて……あぁ、ますます妬ましい!」
「なんかもっと怒ってる!?」
「お、おいカンザト! 奴を止めよ!」
遠くから布都の命令が飛ぶ。
「耐えられないわ! より狂ってしまえ!」
怒りのままに女妖怪は妖気をたぎらせる。
性懲りも無く人を狂わす力を使う……かに思われた。
「てーい!」
「へぶっ!」
女妖怪は妙な声を出したかと思うと、うつ伏せに倒れた。呆気にとられる三人の前に、近くの茂みから小さな影が飛び出した。
「討ち取ったりぃー!」
「こいし!」
女妖怪をノックアウトし一行を助けたのは、本来なら最初から旅に同行していたはずの古明地こいしだった。
「私、颯爽と登場! 危ないところだったね」
「ありがとう。助かった」
こいしは笑顔で駆け寄ってくる。
「ほらこころちゃんも感謝してよ」
「わーありがとー」
これでもかというほど棒読み。とても分かりやすい。
「ハァ、まったく難儀な……」
「あー、お皿投げる人だ!」
こいしがもうひとりの同行者の存在に気づく。
「貴方も来たんだね」
「知り合い?」
「人里で私と闘ったんだよ。あの時は楽しかったなー」
「む、そうだったか?」
「えー忘れちゃったの? 皆が応援してくれてるって、貴方が言ったんだよー!」
「そ、そうか。すまぬ」
布都の方はあまり記憶にないようだが、二人は面識があったらしい。
それはさておき、カンザトはこいしに訊きたいことがあった。
「こいし。もしかしてずっと地底にいたのか?」
「ん? そうだよ」
「案内してくれるんだよな」
「するよ」
「前に集合場所伝えなかったっけ……」
責めるつもりは毛頭ないが、念のため来なかった理由を聞いておく。
「人里の前に集まるって話でしょ?」
「なぜ来なかった。待っていたんだが」
痺れを切らしたこころが問う。
「集合場所は聞いたけど、来てとは言われてないよ?」
「は?」
「だってー、いついつ集まるからよろしくとしか言われてないよ?」
つまり、こいしが引き受けたのは『地底内部の案内』であり、「
「待ってたのに全然来ないんだもーん。待ちくたびれちゃったよ」
こいしは不満げに唇を尖らせた。彼女からすれば、約束を破ったのはこちら側だった。
「おい弟子ぃ……」
布都は目をギラつかせる。弟子の失態を知った彼女の今の感情は……言うまでもないだろう。
「……す」
よしんば最初からこいしがいたとて旅程は変わらないので、彼が全面的に悪いわけではない。
とはいえ、だ。
「すいませんでした……」
打ち合わせはしっかり細部まで詰めよう。こいしのような掴みどころのない相手なら、なおさらだ。
・
・
・
「じゃあ行こー」
何はともあれ、地霊殿へ向かうことにした。
「この人どうしよう……」
地面に転がっている女妖怪の扱いを考えあぐねる。
「ほっとけばいいよ。そんなに強く叩いてないから大丈夫」
「いいのかな……」
「というか誰なんだコイツ」
こころが女妖怪をツンツンと突っつく。
「ぱる……なんだっけ。名前覚えてないけど、ここで縦穴通るヒトを見守ってるみたい」
「いきなり攻撃してきたんだが」
「んー、暇だったんじゃない?」
それは見守っていると言わない。それに、直接手を下すことなく仲間割れを狙うあたり小狡い。妖怪らしいといえばその通りだが。
「私も暇だったら色んな人にちょっかいかけるし」
「えぇ……」
「まー、だいたい気づいてもらえないんだけどね!」
それを聞き、カンザトは同情しそうになる。しかし、一欠片も悲哀を感じさせないこいしの笑顔を見て、口を噤んだ。
「そんなことより早く行こーよ」
「あぁ、うん」
ひとまずうつ伏せは可哀想なので、上体を起こして背中を木橋に預けさせた。
「橋はあっち。渡ったら街に行けるよ」
こいし先導のもと、一行は森を歩く。
そうかからずに森を抜けると、横幅が数十メートルはあろうかという大きな橋が現れた。
「でけぇ……」
「鬼が通るからね」
「して、あれが」
正面を見やると、怪力の鬼たちが建築したであろう立派な正門が口を開いており、中からは煌びやかな街明かりが外に漏れていた。
「ここからでも
眉間に皺を寄せる布都。彼女は地底都市の万灯がお好みでないらしい。
「鬼が……いっぱいいるんですよね」
ここまで来て躊躇しているつもりはないが、三人は橋を目前にして、不意に足を止めた。
立ち止まったことに気がついていないのか、こいしは軽やかな足取りでずんずん進んでいく。提灯と行灯が小柄な少女を両脇から照らし、まるで花道を渡っているかのようだ。
「大丈夫」
こころが率先して前に出る。
今回ばかりは布都も張り合わない。いや、張り合えない。この中で最も不安を感じているのは、彼女だからだ。
「うん」
カンザトが隣を見ると、布都と目が合った。
「……行くぞ」
三人は歩を進める。
期待と不安、相反する感情を
・
・
・
光に照らされ、喧騒の中を連なって往く。現地住民であるこいしを除き、三人の余所者は心なしか以前より身を寄せて歩いていた。
左右をチラリと見れば魑魅魍魎、空を見上げれば背の高い建物が下界を見下ろしている。
「すごい明るいな……」
「ずっとこんな感じだけど、ここ最近はいつもより明るいかも」
「なんで?」
「年明けだからかな」
建築様式は人里とそう変わらないが、密度と高さ、なにより活気がまるで違った。人里が閑散としているわけではないのだが、この場所に比べれば大人しく感じる。無秩序に吊るされ景観を彩る提灯が、この街の混沌たる様相を呈しているようだった。
「……めっちゃ見られてる」
「人間がいるのは珍しいからねぇ」
道行く者はもちろん、道端にたむろしている妖や屋台に腰掛ける客も物珍しそうな目線を向けてくる。見てくるだけで襲われるようなことはないが、とても居心地が悪い。
「いかんせん空気が悪いわ」
「意外と落ち着いてるね」
こころは、自分の後ろを歩く布都が予想よりも落ち着いていることが意外だった。
「鬼を見たらもっと騒ぐかと思った」
「まあ、助けられてしまったからな……」
「?」
何の話だと訊こうとするも、不意に飛び込んできた怒声が邪魔をした。
「やっちまえ若造!」
「ぶっ潰せぇ!!」
驚き目をやると、道端で鬼同士が取っ組み合いの喧嘩をしていた。周囲の鬼は仲裁に入るどころか、むしろ煽り立てている。
「こわ〜……」
カンザトは震え上がった。
なんたる世紀末めいた光景か。霖之助の言っていた『丸腰の人間には入る余地の無い異世界』に自分は入ってしまったのだと実感する。
「カンザト。こいしを見失う」
「あ、ごめん」
警戒心は緩めず、目を離せば消えてしまいそうな案内人の後を追う。
しばらく歩くと、徐々に人気が少なくなっていることに気がついた。それにつれて光源も減り、熱気が遠ざかっていくような感覚を覚えた。
妙な雰囲気の変化に疑問を感じていると、やがて塀で囲われた建物の前に到着した。
「ようこそ! ここが私のおうちでーす」
「ここが……」
地霊殿。旧都中心に位置する、さとり妖怪とそのペットたちの居城である。西洋建築の外観を見上げれば、羽ばたく鳥を象った色彩豊かなステンドグラスが目を引く。正面からでは奥行きが分からないが、大きさは紅魔館に負けず劣らずといったところか。
「じゃ、お姉ちゃんのとこ行こ」
「普通に入って大丈夫?」
「多分だいじょうぶー」
こいしは扉を開き、地霊殿の中へ姿を消す。
三人は無言で顔を見合せてから、誰にともなく正面玄関から入館した。
「こっちこっちー」
館内は薄暗く、自分たち以外の気配は無い。聖徳王と話した時に似た緊張感を味わいながら、導かれるままに階段を登る。
こいしは片開きの扉の前で足を止めていた。そのまま何も言わず部屋に入る。
「こいし……」
扉の前に立つと、中から少女の声が聞こえてきた。
「お姉ちゃんにお客さんだよ。さー入って入って」
こいしがドアを少しだけ開けて手招きする。
「いいの?」
「いいよいいよ。遠慮せずどーぞ!」
この一瞬で許可をとったようには思えないが、無理に拒否しても仕方が無いのでドアノブを引く。
「失礼します」
カンザトを先頭に、三人は入室する。
室内は何の変哲もない個人部屋だった。しかし、そこに座る彼女は己を探す旅路において、ぞんざいに扱えない重要人物だ。
「古明地さとりさん……ですよね」
彼女はいくつかの本棚を背にして、椅子に腰掛けている。わずかに細められた双眸からはその心境を窺い知れない。驚いているのか、値踏みしているのか、はたまた警戒しているのか。
「突然すみません。貴方にお願いがあって来ました」
妹が連れてきた突然の来客に、覚の瞳が揺れた。
※どうでもいい補足
パルさんの言ってた「それこそが貴方の影であり本性」は弱っている人間を唆すための言葉で、カンザトの中にこころと布都に対する妬みは一切ない
ペルソナ〜トリニティ・ソウル〜は
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全話視聴済
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途中まで視聴
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未視聴
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存在を知らない