数分後、さとりはトレーに2つのカップを乗せて戻ってきた。
「コーヒー、飲めますか?」
「あ、はい。ありがとうございます」
色調暗めのコーヒーカップからはほんのりと湯気が昇っている。
「それで……こいしがどうして見えないか、ですよね」
さとりはカップをカンザトの前に置き、ソファに腰を下ろした。
「改めて、こいしの現状から説明しましょうか」
かなり私の憶測が含まれているけれど……と前置きしてから、さとりは説明を始める。
「こいしは人々が認識できる意識の外の存在──無意識の存在になっています。すぐ傍にいても、何かしらきっかけがなければ、いること自体分からない」
「ただ気配を消してるとか、カメレオンみたいに風景に溶け込んでるわけじゃないんですよね」
「ええ、そういった物理的に姿を消している状態ではありません。他者の精神に作用する、より高度な力です」
「力? こいしの能力なんですか?」
「さとり妖怪としての能力を失い後天的に得た力なので、そう言えるでしょう」
「心を読めなくなって……無意識の存在になった? どういう理屈ですか」
「そうですね……我々妖怪の力は言ってしまえば人智を超えた力なわけだから、論理的な説明は難しいですか」
さとりは自身の横に佇む
「私、さとり妖怪はこの目を通して見た者の思考を読み取る。読み取れる内容は今現在意識しているものに限り、無意識的な情報には及ばない」
「無意識的な……」
大前提として、意識と無意識の違いはなんだろう。そんな疑問が頭に浮かんだ。
「意識とは“自覚”です。今自分は何をしているんだ、何をしたいんだと脳が主観的、客観的に思考していること。反対に、無意識は無自覚。こちらは自分では瞬時に気づけません。脳が自動的に処理しているから、コントロールが難しいのが特徴ですね」
例のごとく口に出さずとも解説してくれた。これも意識的に疑問を浮かべたからなのだろう。
「呼吸やまばたきが分かりやすい例です。大きく息を吸おうと意識することはあるかもしれないけれど、普段の呼吸を常に意識しながら実行する人はいないでしょう?」
「あー……たしかに。息吸うのにいちいち考えないもんな。てことは、無意識には思考がないってことですか?」
「いえ、無意識でも脳は常に思考しているようです。習慣的な行動などでなんとなく考えが浮かぶのは、無意識に脳が瞬時に思考しているからだそうで。これはむしろ、意識的な思考より情報量が膨大です」
仮に精神の無意識領域に思考が無いのなら、こいしは物言わぬ置物となり、身動きすら取れないだろう。
「私の目はそこまで読み取れません。それすら拾ってしまったら、脳がパンクしてしまいますからね」
今でも充分疲れますけど、とつぶやくさとりを意識に留めつつ、カンザトは先ほどの説明を思い返す。
「意識は読めるけど、無意識は読めない……こいしも元々は意識していることを読めたんですよね。でも今は無意識の存在にって、なんか真逆になってませんか」
「その通り。こいしは目を閉じたことで、さとり妖怪とは真逆の存在になった。意識を読む力を失った代償として、無意識を操る力を得たわけです」
「操る? 読むじゃなくて?」
「相手の無意識を操って、本来ならこいしを認識する回路を遮断させている……のだと私は思っています。そして無意識の思考を読むことは、おそらくできない。脳の大半を占める無意識の思考なんて読み取ったら、情報を処理しきれなくて精神が崩壊しますから」
脳の活動における無意識の割合は全体の9割を占める。とても一個人が意識的に処理し切れる量ではないだろう。よって、能力が真逆になったからといっても、こいしは無意識の思考を読んでいるわけではない──というのがさとりの見解だ。
「なんか……すごい力ですね。本当に高度な事してるんだ」
「能力もそうですが、今のこいしは妖怪としてかなり稀有な、奇跡のような存在でして」
「見えないのが珍しいってことですか?」
「あ、いえ、それもそうなんですけど。珍しいのは妖怪としての“成り立ち”です」
古明地こいしという無意識妖怪は、その存在の生まれた過程や構造自体が珍しい希少種である。
「妖怪というのは人間と違って、肉体よりも精神に依存している、ある意味で危うい存在なんですよ」
「精神に?」
「自分は何者か、自分らしさは何だ、というアイデンティティが存在そのものに直結しているんです。各々が持つ、妖怪としての“在り方”とも言えるでしよう」
「???」
「人間は己の在り方が大きく変わったとて、その人がその人であることには変わらないでしょう? しかし、精神が主体である妖怪の場合そうはいかない。最悪の場合、死ぬ」
「死ぬ……? 体は元気なのに?」
「アイデンティティという精神の核を失うため、肉体は死んでいなくとも妖怪としては死んだに等しい。その先はもはや別の存在でしょう」
「でも実際、そんなこと起こるんですか?」
「そうそう無いでしょうね。怨霊に取り憑かれて精神の主体が奪われたり……それこそ貴方のような記憶喪失は危ないかもしれません」
人間であるカンザトは肉体がある限り記憶喪失に陥っても生きているが、妖怪が記憶を失い自己があやふやになった場合、存在そのものが危なくなる。それは一度死に、新しい妖怪として生まれ変わることと同義だ。
「ゆえに、我々は強大に見えて危うい。些細な心境の変化ならまだしも、大きく性格が変わると存在にまで関わる」
「全然そんなイメージ無かったです」
さとりはサードアイを指さした。
「私の場合、サトリをサトリたらしめるのはこの目の存在です」
「あ……こいしが珍しいって、そういう」
「そうです。こいしはさとり妖怪でありながら『心を読める』というアイデンティティを放棄した。なのに、こいしは姿形を保ったまま生きている。記憶を失った風もない」
その事実が妖怪としては珍しい、奇跡のような存在だとさとりは言う。
「なるべくしてなったか、奇跡が起きたのかは分かりませんが」
「記憶を持ったまま、新しい妖怪に生まれ変わった……とか」
「……そうですね。にわかには信じがたいですが、こいしは既に“サトリ”じゃないんでしょう」
さとりはどこか寂しげにつぶやいた。人間には共感し難いが、やはり同種の仲間が少なくなるというのは悲しいことなのだろう。
「あの、それって妖怪なら誰でも同じなんですか」
「神格化するような、余程強力な個を持たない限りは同じでしょうね。神になると、今度は信仰が必要になるそうですが」
「そうですか……」
カンザトは考える。
「こころのアイデンティティはなんだろう」と。
こころも面霊気という妖怪だ。つまり、彼女もさとりの語る妖怪の危うさに当てはまるのだろう。
では、こころが掲げる自分らしさとは、在り方とはなんだろう。彼女の持つ『感情を学びたい』という目的にも関係があるのだろうか。
「過大に心配する必要はありませんよ。精神の核が崩壊するなんてことはそうそう無いし、普通ありえないんですから」
「……ですよね」
朧げながらも、カンザトは漠然とした不安を心の片隅に追いやった。
「話が脱線してしまいましたが……こいしの現状は今説明した通り。目を閉じたことで無意識を操る力を得たこいしは、自らの能力のせいで人々の無意識に入り込んでしまう、誰からも認識されない透明人間のような状態。もしくは認識されたうえで、意識するほどではないものとして処理されている。なので、目の前にいても気づかないし記憶にも残らない」
「能力が暴走してるから、そんなことに?」
「暴走して止められないのか、本人に止める意思がないのか……どちらでしょうね」
こいしの発言から察するに、他人の無意識に入り込んでしまうことは本意でないのだろう。能力が暴走状態にあると考えるのが妥当か。
「自我が無いから、能力を止められないんじゃ……」
「かもしれません。無自覚に能力を発動していて、こいしには発動と停止の選択肢自体が無いのかも」
「そうだ、目を閉じたら自我が無くなったっていうのはどういうことですか。それも無意識を操る能力と関係あるんですか?」
こいしの現状を紐解くうえで重要な、もうひとつの異常に切り込む。
「おそらく。こいしは自身の能力を手段として、無意識下の本能的衝動に身を委ねているのだと思います」
「えっとそれは……能力を自分に使ってるってことで合ってます?」
「はい。こいしは他者の無意識を操りますが、それは自身も例外ではない。本来なら目覚めているはずの意識を、自身の無意識で塗りつぶしているんです。だからあの娘の精神は有意識がポッカリと抜け落ちていて、今自分が何をしているのか、という自覚がない」
「そんなことが……」
「出来てしまうんですね。恐ろしい力です」
あくまで私の予想ですが、とさとりは付け加えた。
「どうやって自覚がないって分かったんですか?」
「心が読めないからです。心の声が小さいとか、読みづらいとかじゃない。無いんですよ」
改めて聞いても信じ難く、恐ろしい。あれほど活発にコミュニケーションをとる少女に自我が無いなんて。そういう意味でも、『自分は誰だ』という思考が欠けたこいしは、アイデンティティが精神の核となる妖怪においては奇跡の存在なのだろう。
「なんか、寂しいですね……」
「本人は寂しそうに見えないけれど」
こいし本人は寂しさを感じているか。その問いは、こいしと初めて会った日に訊いたのだと思い出した。
「多分、さとりさんがいるから寂しくないんですね」
「……私も他の人と大差ないのに」
「大差ない?」
「私も大多数と同じでこいしを見つけられないってことです。近くにいるから、目撃することが多いっていうのはあるかもしれないけど」
「……」
いや、こいしが言いたいのはそういう意味ではない気がする──そう思っていると、さとりが怪訝な表情を浮かべた。
慌てて取り繕うように、カンザトは思考を切り替えた。
「そういえば、俺以外にもたまにこいしを認識できる人がいるらしいですよ」
「え? あぁ……それは私も前々から疑問だったんですけど、なんとなく予想はつきますね」
「誰ですか?」
「よほど精神力が強いか、意識と無意識の境が曖昧な者たちではないかと」
よく分からないと、カンザトは首を傾げる。
「強靭かつ複雑な精神性を備えていると、能力が効かない場合があります。それが前者」
「そんな人が……もうひとつは?」
「幼い子供です。一説によると、精神には意識の層と無意識の層があるそうです。こいしの能力はその無意識の層に作用しますが、その境界が曖昧な──例えば子供は、こいしの力が及ばない可能性がある」
「へー……子供はこいしを認識できるんですね」
「ちなみに、この無意識の層は根底で全ての者と繋がっていて、共有されているとする説もあります。いわゆる集合的無意識というやつですね」
「……?」
なんだか難しい話になってきた。思わず険しい顔を晒してしまう。
「そう難しい顔をしないでください。簡単に言うと、人と人は全くの他人に思えながら、個人の無意識を超えた深いところで繋がっているのでは……という考えです」
「なんか、あんまりイメージ湧かないです」
「誰かとおおよその考え方や行動パターンが似通っている、誰かと話している時に、相手の考えていることがなんとなく理解できるなんて経験、ありませんか?」
「あ……あります。よく」
言葉を交わすと、度々訪れる感覚。相手の感情や思考が、なんとはなしに理解できる経験が何度かあった。特に、こころと話している時はその傾向が強い気がする。
「それは、その人とどこかで無意識が繋がっているから。もちろん個人の経験から論理的に導き出すこともあるでしょうから、一概にそうだとは言えませんが」
「でも、呼吸とまばたきは無意識の行動なんですよね。そんなのも繋がってたら大変じゃないですか?」
「それは無意識の層の浅い部分で、個人の経験や記憶が蓄積された個人的無意識という領域にあるから。繋がっているのはもっと深い、基盤の部分」
「な、なるほど……?」
思わず唸った。なんとなく理解できるが、いかんせん抽象的でイメージがしづらい。
「難しいですよね」
どうにか上手く伝えようとしてくれているのだろう。頭を悩ませるさとりを見ていると、カンザトは申し訳なくなってきた。
「あ……そうだわ。海って分かります?」
「海って……あの海ですよね。分かりますよ」
「あぁ良かった。幻想郷って海ないから……カンザトさんは外から来たんだもの、当然知ってるわよね」*1
幻想郷には海が存在しない。里の人間に認知率アンケートでも取れば、『知っている』回答が極端に低くなることは火を見るより明らかだ。
「とてつもなく広い海を想像してください。人々の……我々妖怪もですが、個々人の意識はその海に浮かぶ無数の島です。海面上の見えている部分が意識の層。そして海面より下は無意識の層です。ひとつひとつの島は小さく孤立しているように見えて、水面下の深い部分では全てが繋がっていて、ひとつの大陸のようになっています」
「繋がってひとつの大陸に……あ、それが」
「はい。その大陸になっている部分が集合的無意識です。そこには『アーキタイプ』と呼ばれる、感情や行動の共通パターンとなるひな型があるそうです」
その領域には集団・民族・人類──果てには時代すら超越し、心の原型となる普遍的なイメージがあるという。それらは時に悪魔や英雄の姿をとり、無意識の深層で生き続ける。
「もしかして、こいしはそれも操れるんですかね……」
「……どうでしょう。そこまで行ったら、もはや洗脳のような領域に……」
それはないだろう、というのがさとりの所感だ。精神の基盤にまで作用できるのなら、規模によるが全生命体を支配する能力に等しい。
「こいしを島のイメージに当てはめるなら……陸地が雲に隠れて認識できない状態かしら。大海を自由に泳ぐ魚でもいいですね。普段は海に潜っているから、孤島である我々は見つけられない」
「海に潜ってるなら、一人も認識できないんじゃないですか?」
「たまに浮上して海面から顔を出すんですよ。そこを近くの島は目撃するけど、都合よく高波が上がって姿を認識できない……とか、どうです?」
「なるほど。なんかイメージできました」
魚ではなく潜水艦をイメージしてもいい。要は、人の無意識領域である海とその上を自由に行き来する存在、それが古明地こいしだ。
「私も多数ある島のうちのひとつですが、他と違って周囲の島の陸地を眺望できる。私の目は、さながら空を遊泳する怪鳥でしょうか」
空(意識の層)を自由に飛び回り、近くの島の外観(思考)を丸裸にする鳥。それがさとりのサードアイだという。ではカンザトの場合は──
「カンザトさんも島のひとつ。本来なら他と同じくこいしを己の意思で観測することはできない。だけど、貴方は何らかの方法でこいしを認識している。先ほどはその理由をなんだと言っていましたか?」
「ペルソナ、ですね」
「じゃあ海のイメージで言うと、ペルソナはどこにいるのかしら」
「俺の精神の一部だから……島のどこか」
「現実に現れる瞬間はそうでしょう。しかし、元の居所は……それよりずっと深いところかもしれない」
「集合的無意識ですか?」
「ええ。ペルソナは沢山いるんですよね? 貴方は全てのペルソナを己の知識から呼び出していますか?」
「いえ、なんかこう……やりたいことをイメージすると、ぼや〜んと浮かんでくるんですよね」
「もしかしたら、それは集合的無意識からイメージを引き出しているのかもしれませんね。もしも貴方が自身の記憶や経験から数多の怪物たちを呼び出しているのなら、貴方の精神性は混沌としているでしょう」
そうはなっていないため、ペルソナは集合的無意識から呼び出されている──とさとりは考えた。
「自分のことなのに知らなかった……」
「まぁ私個人の推測ですから。でも人々の心の海から生まれ出る存在なんて、すごく神秘的ですね」
それを聞き、頭の端で閃くものがあった。
以前、どこかで似たような話を聞いたような気がする。
「あっ!」
『力に目覚めた者が外側の事象と向き合った時、ペルソナは
群青に染まる異界めいた小部屋──ベルベットルームに住む老人、イゴールの言葉だ。
「どうしました?」
「ペルソナは心の海から生まれるって、ある人に言われたことがあるんです。それを思い出して」
「……なるほど。やっぱりこいしが言っていたのは、そういう意味だったのね」
何か謎が解けたようである。聞けば、こいしの『私とカンザトは精神が近い場所にある』旨の発言についてだった。
「精神が近いところにある──それはつまり、こいしとカンザトさんの半身たるペルソナが、同じ無意識の層にいるという意味だったんだわ」
「あぁ! なるほど」
「能力により限りなく心の海に近づいたこいしと、心の海から生まれるペルソナ。同じ空間、あるいは近い空間を漂っているから、どこかで波長が合っているのかも」
「じゃあ俺がこいしを認識できるのも、ペルソナが近くにいるから?」
「ありえますね。やはり貴方とペルソナが今のこいしの謎を解く鍵になるのは間違いないでしょう」
話し合ったことで、さとりは自説に十分な説得力があると確信したようだった。
「カンザトさんが謎を解明して、いずれは私も自由にこいしを認識できるように……なんていうのは欲張りかしら」
さとりはささやかに苦笑した。
今の今までハッキリと口に出さなかったが、不意に漏れたそれがさとりの本懐なのだろう。
「見えるようになっても、考えが読めないのは変わらないだろうけど」
自嘲気味に笑う様子を見て、深く追求したい疑問が生まれた。これまでのやり取りは前座であり、次の質問がもっとも重要と言っていい。
「あの」
──本当に訊いていいのか?
なぜか、理性が己に問いかける。
こいし本人が隠しているわけではないのだが、しかし口に出そうとして、禁忌の扉を開くような形容しがたい気分に包まれた。
「こいしが目を閉じた理由ですよね」
当然そのような葛藤も筒抜けである。彼女の瞳の前では、頭に浮かんだ瞬間、差し出しているも同然だ。
「こいしは自らの意思で目を閉じました」
「なんで……」
こいしは稀有な状態にある。ということは、容易にサードアイを封印できるわけはない。何か複雑な事情があったに違いない。
「己を守るため……でしょうか」
曖昧な答えだった。さとりでもこいしの本心は分からないのだろう。
「ここの妖怪は嫌われ者が多いけれど、私たちさとり妖怪は特に、
まるでなんでもないように言う。そこには苦悩を通り越した諦念が見え隠れしていた。
「特段嫌われるようなこともしてないんですけどね。胸の内を覗き見されるのがよほど不快なようで」
合点がいった。縦穴で遭遇した妖怪と、燐の妙な態度は、自ら進んで心を読まれに行く自分が奇妙に思えたからだった。
「俺、心を読めるのって凄いと思ってたんですけど、やっぱりいいことばっかじゃないんですよね」
「そうね。悪意も丸ごと頭に入ってくるので、こちらとしても周りが嫌いになりますよ。残留思念が濃いところに行けば気分悪くなりますし」
本心を覗く力は人心を掌握できる夢の能力ではない。むしろ、建前や社交辞令といったコミュニケーションを円滑に進めるためのフィルターが一切取り払われるために、覗く側の心身を蝕む諸刃の剣だ。
「こいしはそれが苦痛だったんでしょう。昔から人懐っこい性格だったけれど、例に漏れず周りから嫌われていたので」
さとりは?と思った。
「私は別に。嫌われるなら、こちらもそれ相応の対応をするだけです」
冷たい、図太い、閉鎖的、負けん気が強い……さとりの態度を現す言葉はいくつもあるだろうが、全ては心を守るため、己の能力を受け入れた末の彼女なりの処世術なのだろう。
「あの娘は私と違って繊細だった。よく外に出ては、暗い面持ちで帰ってくる……傷つくぐらいなら、関わらなければいいのに」
同じさとり妖怪でも、性格によってスタンス、能力に対する向き合い方が大きく違うようだ。
「それどころか、生傷つくって帰ってくることもあったんですよ。どう思います?」
「えっ」
突然ボールを渡されて、戸惑いを隠せなかった。
正直なところ、どう言っていいか分からないというのが本音だ。こいしが不憫に思えたが、それを素直に口に出すことは、どうしてか躊躇われた。
「……すみません」
逡巡しているうちに、さとりは申し訳なさそうに視線を逸らした。
「──あの日、こいしが変わった日です。私は外へ出かけるこいしの姿を見かけました」
落ち着き払った声色で語り始めるさとり。彼女は自分にとっての運命の日を思い出していた。
「いつものことでした。また性懲りも無く泣いて帰ってくるのかと、私は止めなかった」
喉を通る音は冷静そのもの。
しかしさとりは、心にさざ波が広がるのを感じていた。
「……でも、違った。あの時、こいしの心はたしかに言った」
今でも鮮明に覚えている。
記憶にこびりついている。
心眼が捉えた、彼女の押し殺した無言の叫び。
「“消えたい”って……」
「──!」
額に汗が滲む。荒い呼吸と心臓の音が煩わしい。
がむしゃらに足を動かして、彼女の輪郭を探す。
あの娘が家を出てから四半刻も経っていない。まだそう遠くへは行っていないはずだ。
暑い。苦しい。
しかし止まれない。肉体の悲鳴なんて、さしたる問題じゃない。
「こいし……っ」
運動不足がたたったのか、胸が痛む。飛べばいいのに、なぜかそんな簡単なことも思いつかなかった。
いる。この先にいる。
こいしが残したメッセージか、姉妹の絆か、はたまた無意識のテレパシーか……直感的に、こいしのいる方向が分かった。
「……いない」
手招きされるように、街の外れまで来た。足元には赤々とした地獄の彼岸花が咲き誇り、生暖かい風に吹かれて不気味に揺れている。
だけど、ここにもこいしはいない。たしかに感じたはずなのに。
しばらく肩で息をして、立ち尽くしていた。
たすけて
ふと目をやると、べったりと赤い液体の付着した木片が落ちていた。
「何これ……」
おおかた、野蛮人の喧嘩のあとだろう。あの娘が巻き込まれていないか心配だ。
こわい
──カツンと、小さな音を耳が捉えた。どうやら石ころを蹴ってしまったらしい。
いたい
……そんなことはどうでもいい。早くこいしを見つけないと。
「こいし……」
無意識に名を呼んだ。
──声は、突如として現れた。
「おねえちゃん」
「ッ!?」
声のした方を振り向けば、彼岸花に囲まれるようにして少女が蹲っていた。
いつの間に? 誰もいなかったはずなのに。
いや、そんなことより。
「こい……し?」
未知の感覚だった。
ソレは、異質で、空虚で、無機質で。
聴こえない。
心が、読めない。
糸に引っ張られる操り人形のように、少女がゆらりと立ち上がる。両手には球状の何かを掴んでいた。
「──ぇ」
それを見た瞬間、様々な後悔が溢れ出した。
たしかに聞こえたはずなのに。あの娘の悲痛な叫びを、私の目はたしかに捉えたはずなのに。
私は手を差し伸べられたはず。あの娘を救えたのは、同じく心を読める私だけのはずだった。
なんで。なんで。
なんでこいしを助けなかったんだろう。
「あれ? お姉ちゃんだー。なにしてるの?」
「こいし……それ」
こいしの両手に捕らえられた
静かに、血の涙を流していた。
「どうしたの?」
「……っ」
キョトンとしている。まるで自身の状態に気がついていないかのように。
「なんか辛そう? そういう時は笑えばいいよー」
「わら……う?」
何を言ってるの。
「こうやって。あははは」
愉しそうに笑っている。
自分とは違う異質なナニカが、眼前で笑っている。
私の妹はどこへいった。
人懐っこくて、優しくて、それゆえに傷つきやすい、私の妹こいしはどこへいった。
「は……はは」
何も面白くない。なのに、つられるように乾いた笑いが漏れた。
「……! ぅ……」
その音が自分から出たものだと気づいた瞬間、吐き気がした。
「あははは」
「あはは」
「あは」
あはは
あはははは
あははははははははは
あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
……………………。
あの日、古明地こいしは死んだ。
あの時……声をかけていれば、引き止めていれば、手を握っていれば……何か変わったんだろうか。
この目は主である私を助ける、どんな相手にも通用する素晴らしい力だ。
でも、たった一人の妹を救ってはくれなかった。
『役たたず』
私の目は、さとりの目は──呪われている。
─────────────────────
「……っ!」
カンザトは思い切り頭を殴られたような衝撃を受けた。
自ら傷つけ、壊したというのか。さとり妖怪にとっての存在証明、第3の目という心臓を。
「子供らしい稚拙な考えです。嫌われるならその原因を絶ってしまえばいい、なんて」
「自分で傷つけて、無理やり閉じたんですか」
「もちろん傷つけただけで存在そのものが変化するなんてありえない。こいしは自傷という明確な拒絶反応をもって、己を否定したんです」
物理的に閉じたのではなく、
「それからこいしは変わった。傷つかない代わりに、誰からも認識されなくなった」
「性格も変わったんですか」
「一見してそう見える。でも意識を失ったと考えれば、今の立ち振る舞いこそがこいしの本性であり自然体なのかもしれません」
内省を挟まず純粋な本能のみで動く現状こそが、混じり気のない古明地こいしである。
「でも……」
それを、カンザトはあまり良いものとは思えなかった。
だが、今のこいししか知らない彼に口を挟む資格は無い。こいしの傍に居続け、彼女の変化に違和感を覚えられるのはただひとり。
「このコーヒー」
机の上に立つ2つのカップへ視線が向かう。
「こいしは苦くて飲めなかったんです。私と同じものを飲みたかったみたいで、淹れてほしいってせがまれたこともあったんですけど……すぐに音を上げてました」
在りし日を懐かしむように、さとりは目を細める。
「でもいつだったか、淹れたはずのコーヒーが目を離した隙に無くなってて。部屋には自分しかいないから、こいしが飲んだんだろう。そう思ったら……恐ろしくなりました」
彼女の知る妹は、ひょいと口つけたコーヒーを飲み込んだかと思うと、笑ってしまうような渋面をつくっていた。
「成長して飲めるようになったんだって思えたらよかった。でも、なんだか……こいしが、私の知っているこいしじゃないように思えて」
今のこいしが何を愛し、何を拒むのか分からない。記憶の中のこいしが薄れていくようで、彼女はとても恐ろしく思うのだ。
「さとりさんは、また目を開いてほしいんですか?」
「……分かりません」
答えにくいのだろう。さとりは声を絞り出すように言った。
「私は今までこの力に頼って生きてきたから、失うには惜しいと思う。でも、あの娘にとってはそうじゃくて……」
さとりは能力を悪く思っていないらしい。こいしとは真逆だ。
「嫌われる原因だから全面的に肯定はしないけれど、この力があったからこそ今は平穏に暮らせてるわけだし。少なくとも私にとっては必要なものです」
サードアイがあったからこそとは、どういう意味だろう。
「心を読めるから怨霊の管理を任されてるんですよ。おかげでこんな豪邸に住んでます」
我が異能は他者から疎まれる災いの源流である。その認識は姉妹に共通している。しかしさとりはそれすら利用し、現在の地位を確立した。対して、こいしは能力を放棄し逃げ出した。
「この力は……呪われた天賦の才。願わずとも与えられ、その者に利害をもたらす。私はたまたま運が良かったんです」
古明地姉妹は、試練に晒される刑死者のようだ。
さとりは悪辣な環境の中にいても光を見出し、ひたすらに耐え忍ぶ道を選んだ。こいしは自棄になり全てを投げうった結果、無我という自由を得た。
「それに、この目があるからこそ少しでもこいしを認識できてるのかも、なんて考えたら呪いきれないわ」
「……そうですよね」
カンザトのペルソナがこいしと繋がる手段であるように、さとりはサードアイが妹との唯一の繋がりだと思っているのかもしれない。
「こいしに目を開けて欲しいなんて言ったら、もっと避けられてしまいそう」
「え、避けられて……?」
「さっきはああ言ったけれど、時々考えてしまうんです。こいしの心が読めないのは、自我を閉じ込めているからじゃなくて、私を拒絶してるからじゃないかって」
「そんな……!」
「こいしは目を閉じて、心を閉ざした。自分を傷つける周囲全てを拒絶し、意図的に無意識という精神を守る殻に閉じこもっている。小難しい理屈こねるより、よっぽど納得できませんか?」
たしかに納得できる。納得できるが、したくない。
「でも貴方には懐いてるようで、少し安心しました」
「……」
「何もこいしをどうにかして欲しいわけじゃない。ただ、こいしを見続けられる貴方には、こいしの味方でいてあげて欲しい」
任せてくれ──と言いたいのは山々だったが、この場で易々と承諾するのは少し違う気がした。
「ごめんなさい。なんだか暗い話ばかりしてしまって」
さとりは控えめに、申し訳なさそうに微笑んだ。
「さとりさん」
「……? はい」
「調べてみます。俺がこいしを認識できる理由」
「え……」
「絶対分かるとは言えない。でも、できるだけ頑張ってみます」
胸中に湧き立つは憐憫か、使命感か、それとも。
記憶の欠けた不完全な自分でも力になれるのなら、彼女の──姉妹の力になりたいと思った。
「もちろん、俺はずっとこいしの味方です。でもさとりさんがこいしと一緒にいられるなら、それが一番いいと思うので」
さとりはわずかに眉を上げた。
「……そうですね。ありがとうございます」
再び微笑むさとり。先ほどより、どこか安らかな表情に見えた。
「貴方と話せてよかった」
「いえ、俺の方こそ話したかったので」
「実は、貴方のことは少し前から知ってたんですよ」
「あ、もしかしてこいしから?」
さとりは頷いた。
初対面にも関わらずトントン拍子で話が進んだのは、そのような経緯があったからだった。
「興奮しながら『私と話せる人を見つけた』なんて言うものだから、いつか会いたいと思っていたんです。まさか突然訪ねてくるとは思っていなかったけれど」
「ハハ……すみません」
「こちらから伺うべきかとも考えたんですが……正直、半信半疑だったので」
仕方がないだろう。性格が分からなくなった妹の、『なんだかよく分からないが他と違うヤツが現れた』なんて眉唾情報を鵜呑みにする方が難しい。
「自我が無いと言ったけど、進んで誰かと関わろうとするあたり、こいしも変わってきてるのかもしれないわね」
「こいしは意外と知り合い多いですよね。布都さん聖さんは知り合いで……霊夢と魔理沙もか。こころとは仲良さそうだし」
こころは本気でこいしを嫌っているわけではない……はずだ。とはいえ仲が良いと言うかは意見が別れるところだろう。
「あの……お連れの方とはどういった関係なのかしら」
「たぶん、友達ですかね。ちょっと前にあった決闘祭りとかいうイベントで会ったみたいですよ」
「あぁ、そういえばそんな事も言ってたような」
妹の人間関係を気にする様は、どちらかと言うと姉よりも母らしい。
「……私より友達多いかも」
さとりは虚空へ遠い目を向けた。理性を失った方が人脈が広がるとは、なんたる皮肉だ。
「えーと……俺とこころと布都さんでプラス3ですよ」
「…………ありがとうございます」
長い沈黙のあとに述べた感謝の声は小さかった。
さとりは気を取り直すようにひとつ咳払いをした。
「思い返せば、あの娘がよく外に出るようになったのは霊夢と魔理沙がここに来てからだわ」
「遊びに来たんですか?」
「いや、攻め入って来ました」
「はい?」
「ウチのペットが怨霊を地上に流出させたから、その調査に来たんですよ」
想像していたような平和な事情ではなかった。一体なにがどうなってそんな珍事が起きたのか。
「私がペットを与えてもそう変わらなかったのに……今のあの娘に必要なのは、外部との交流なのかもしれないわね」
「ペットって、燐さんと空さんですか?」
「その2匹だけじゃないけど、あの娘たちは特に仲がいいですね」
ペット。
人型だが、ペット。
外見上は人間に近い燐と空をペットとして妹に与えるあたり、やはり普通の人間と妖怪では感覚が違うのだろう。
「どうしました?」
「いえ」
「あの姿の時は、貴方の思うようには扱いませんよ」
「え」
「まあ、貴方がペットらしく扱いたいなら構いませんよ。頭でも撫でてあげれば喜ぶんじゃないですかね」
「遠慮します……」
一通り話し終わったのか、さとりは一息つくようにコーヒーを飲んだ。
そういえば手をつけていなかったと、カンザトもつられるようにカップへ手を伸ばす。
「冷めちゃったわね。淹れ直しましょうか」
「いえ、お構いなく」
コーヒーカップの中に広がる黒い水面には、なんとも言えない表情が映り込んでいる。
思えば、幻想郷に住み始めてからコーヒーは飲んだことがない。外の一般的な知識を持つがゆえに味の想像はつくが、香りから豆の品種を言い当てるような芸当は出来そうもない。
「いただきます」
ごくりと、一口飲む。
「……」
苦い。ただ、そう思った。
酸味がどう、香りがどうかなど全く分からない。記憶喪失以前の自分もコーヒーは飲めなかったんじゃなかろうか。
「お味はいかがかしら」
「……味わい深いです」
馬鹿正直に言うのもアレなので、それらしい常套句で茶を濁す。
「ふふっ」
「……あっ」
格好つけたはいいものの、心を読める彼女には通用しないことを忘れていた。
「いや、読まなくても分かりますよ。分かりやすく眉間に皺を寄せて、反応がこいしと似てる」
「そ、そうですか」
カンザトは顔全体が熱くなるのを感じた。
「ミルクとお砂糖、持ってきますね」
さとりは部屋を出ていった。すぐさま客人を慮るあたり、能力のせいで嫌われていることが勿体なく思えるほどに彼女は優しい。
優しいのだが……
「か、かっこわりぃ……」
見栄を張っていたのがバレた。問題ないと言っておきながらその実、子供舌だったとは……さぞ可笑しく思ったことだろう。というより、そもそも最初からいい加減に答えたことは看破されていたのかもしれない。
なんとも恥ずかしい。頼りなく思われていないことを願うばかりだ。
こいしが第3の目を閉ざした理由を知った……
悲愴感たっぷりの設定にしてみましたがいかがでしょうか。ぶっちゃけ原作の古明地姉妹にはそこまで悲しき過去…的な雰囲気はありませんが(自分のこと11点とか言っちゃう姉だし)、さとり様に曇り顔して欲しいがためにこんな感じになりました。古明地姉妹推しの方の感想をお待ちしております。
●コミュランクup
『刑死者』古明地こいし:ランク4→5
ペルソナ〜トリニティ・ソウル〜は
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全話視聴済
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途中まで視聴
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未視聴
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存在を知らない