「それで、その子は消えちゃいました」
「そうですか……」
帰宅後。
さとりの自室にて先の一部始終を報告すると、さとりは口元を歪めてなんとも言えない表情をした。
「とても怪しいと言わざるをえないけど、悪意はなさそうね」
忽然と現れたアヤネと名乗る少女は、こちらの利になる情報だけを残して消えた。彼女に何の得があるのか分からない分、奇妙で不気味な話だが、少なくとも口ぶりから敵意や悪意は感じなかった。
「狭間をたゆたう影法師、ね……なんですかそれ」
「さぁ……」
こいしと同じ、元・さとり妖怪なのかとも思い、念のためさとりに確認したが、案の定一切心当たりがないようだった。
「そんなのいるわけないと言いたいところですけど、似たようなのを知ってるせいで一概に否定できないですね」
「似たようなの?」
「この世界の管理者が似たような存在なんですよ。狭間というのを額面通りに受け取るなら、ですけど」
世界──幻想郷の管理者とはおそらく、以前に魔理沙から聞いた人物と同一だろう。予想はしていたが、人間ではなさそうだ。アヤネと同じく精神世界の狭間に住んでいる存在なのだろうか。
「その人の関係者ってことはないですか?」
「その少女がですか? ……ないとは言い切れないけど、いち妖怪の個人的な事情に首を突っ込むような連中でもないと思うんですよねぇ」
「お知り合いなんですね」
「一方的に知っているだけです。妖怪にアレを知らぬ者はいません」
もし件の人物がアヤネと繋がっているのなら、話せば何かしらヒントを得られるかもしれない。
地底の重鎮であるさとりの口利きがあれば、お目にかかれるのではないか……と考えていたところ、さとりに真顔で見つめられていることに気がついた。
「……会おうと思って会える相手じゃないですよ」
「あ、ですよね……」
幻想郷全体を管理するほど位の高い存在なのだ。いち庶民がそう簡単に会えるものではないのだろう。
「そういう意味ではなくて、物理的に不可能というか」
「すごい遠いところに住んでるんですか?」
「そもそもどこにいるか分からないので」
「あぁそういう……」
幻想郷を裏から牛耳る、さながら影の支配者か。為政者の姿がベールに包まれている状況は、外の世界の基準に照らすと問題に感じるが、特定の地域ではなく世界そのものの管理者、なおかつ妖怪ならあり得るかと納得してしまった。
「興味もないので調べたことはないですけど、噂では山奥の隠れ家に隠遁しているとか、幻想郷と外の境に住んでいるとか、どこか異空間を漂っているとか……」
もしかしてその妖怪(?)は超次元的なとんでもない存在なのでは──と、カンザトは薄ら寒さを覚えた。
「名前だけでも教えて貰えませんか?」
返ってきたのは長い沈黙と、見定めるような視線。カンザトは「名前も言っちゃいけないレベルでヤバい人なの?」と困惑せざるをえなかった。
「“八雲紫”です」
やがてさとりは表情を変えずに、その名を口にした。
「八雲……ゆかり」
女性みたいな名前だな。
当然だが聞き覚えのない名前であり、他に想起することもなかったせいか、そんな些末な感想を抱いた。
「この世のありとあらゆる境界を自在に操る力を持っている……らしいです。原理はよく分かりませんが」
「へー……」
文面のみでは具体的に想像できないが、強大な力であることは察せられた。
「さっきも言いましたけど望んだとて会える相手じゃないので考えるだけ無駄ですよ。そんなことより気になるのは赤い少女……アヤネの発言ですね」
そんなどうでもいい疑惑は放っておけと言わんばかりに、さとりは話題を本筋に戻した。
「こいしの望みを聞くために現れた、とはどういう意味でしょうね。彼女の言うとおり、こいし自身が願ったのかしら」
「身に覚え無いみたいですけどね。そもそも話したことすら無かったらしいし」
顔を上げると、視界の中で黄色い服がわさわさと忙しなく動いていた。
「無意識に呼んだ可能性が無きにしも……」
「あぁ、それだったら自覚ないのも分かりますね」
補色同士である赤紫と浅緑の髪がもつれ合い、コントラストが効いている。
「で、そのこいしですけど」
さとりの気だるげな眼差しが横へ流れる。
「あははー」
「なんですかコレ」
眼差しの先にはこいしがいた。
先ほどからカンザトとさとりの周りをうろちょろしていたが、今は後ろからさとりにベタベタとまとわりついている。
「おねぇちゃんおねーちゃーん」
「分かったから……あんまりくっつかないで」
「ハハ……もっと周りの人たちを意識するためらしいです」
「だからって極端すぎるでしょ……ひゃっ!」
敏感な部分を触られたのか、さとりは上擦った声をあげた。
「ぎゃん!」
さとりは拳を大きく振り上げ、擦り寄ってくる妹にゲンコツを食らわせた。
「いたーい……」
「今のアンタならいくらでも叱れるのよ。肝に銘じておきなさい」
「ごめんなさぁい」
こいしと一緒にいたいと思っているが、過度な接触は望まない。それとこれとは話が別なのだろう。
「今マジメな話してるから。こころさんと遊んできなさい」
「は〜い」
こいしは悪びれる様子なく、軽やかな足取りでドアへ向かう。
「この地に蠢く思念とは怨霊のことでしょう。アレには脳が無いけど、何も考えてないわけじゃない」
こいしが退室したのを確認して、何事も無かったかのように会話を再開する。こころを遊び相手に選出したことについてはツッコんだ方がいいのだろうか。
「怨霊とこいしが無意識に呼んだから、望みを聞くために来た……? 全然分かんないですね」
「そうですね……情報が足りない」
「でも、あの子のおかげでこいしは考え方が変わったみたいです」
大切な人たちと共に生きるためには、想いを受け取るだけに留まらず、自らも意識を向ける必要がある。それも漠然と感じるのではなく、本心から強い想いを持たなければならない。それがこいしの出した結論だった。
「みたいですね。まあ、考え方が変わるのは悪くない……のかしら。さっきのはやりすぎだけど」
とは言いつつも、口元には優しい笑みをたたえていた。
「そういえば、そもそもこいしはどうしてそんな所にいたのかしら」
「目を閉じた時のことを思い出そうとしたみたいで」
「え? 今さらなんで」
「俺が調べてることのヒントになると思ったから、ですね。手伝ってくれたんです」
「そうだったんですか……」
さとりの視線がテーブルに落ちる。
「私たちを手伝ってあの場所に向かったら、アヤネは願いを叶えるために現れた……こいしの望みは……」
何か引っかかる点があったのか、ブツブツと呟き思考を巡らせている。
「あ……! そういうこと……」
「どうしたんですか?」
「こいしが変わった理由、分かったかもしれません」
「ホントですか!?」
さとりは名探偵が難事件の真相を暴くかのような、喜色の滲む声で語り始める。
「こいしは『普段よりも周囲が自分を認識するようになった』原因を確かめるために、あの場所へ行ったんですよね」
この変化は初冬、命蓮寺でこいしと再開した頃から起きていた。
最初はこいしの存在を認知していなかった芳香が声を聞けるようになり、また、博麗神社の境内にて除雪した際はその場にいた全員が常にこいしを認識できていた。後者に関しては、カンザトが近くにいなくとも明確な変化があったようだ。
「赤い少女『アヤネ』に遭遇し望みを問われると、『みんなと一緒にいられるか』と訊いた。この問いこそが重要だったと私は考える」
「こいしを認識しやすくなったことに繋がるんですか?」
「繋がるというか、イコールですね。『みんなと一緒にいる』状態というのは今と同じ。つまりこいしは、現状維持するためにはどうしたらいいか……と遠回しに尋ねたわけです。本人がそのことを意識していたかは分かりませんが」
「じゃあ、アヤネは俺たちが知りたかったことの答えもたまたま教えてくれたってことか……」
「そうなりますね。対し、アヤネは『自身と周りを求め、己の中で変化したものを捉えなさい』と伝えた」
「えーっと、つまり……」
「大事なのは、自身と周囲を求めること……すなわち、自分の本心を肯定し、周りの者とも意欲的に接する。内と外、双方に心を開き、その心境の変化を自覚すべきと説いていたんじゃないかしら」
「なるほど……あ」
こいしは『私がみんなと一緒にいるには、本心から自分とみんなを求めなきゃいけないのかもしれない』と言っていた。
「こいしは分かってたんだ。アヤネの言葉の意味が」
こいしはアヤネの指摘を自分なりに咀嚼し、己の意志で道を定めた。これを自我が無いとまで言われた彼女が成し遂げた事実には、大きな意味があるだろう。
「……そうね。自我が無いなんて認識は間違っていたのかも」
本来なら本能のみで活動する生命体が他者の言葉で考えを改めることなど、ありはしないのだ。
さとりは認識を改める。
私自身こいしの境遇に絶望し、変わること、変えることを諦めていたのかもしれない。今のこいしと向き合うことから逃げ出し、目を閉じていたのは私の方だ。
こんな体たらくでは、こいしも──
「さとりさん?」
声をかけられ、さとりは我に返った。
「大丈夫ですか?」
「……すみません。なんでも」
内省は後にしようと、思考を切り替える。
「つまるところ、その心境の変化こそが今のこいしを作り出したわけです。私たちがどれだけ調べても分からないのも当然ですね」
「心境が変わって、見やすくなった……ってことですか」
「はい。要するにこいしを認識しやすくなった理由は、『考え方が変わり、能力が抑制されている』から。私たちはこいしを見る側の問題だと思って色々と調べていたけれど、実際はあの娘の認識の問題だったんだわ」
「確かにそれじゃ分かりようないか……俺が近くにいなくても話し続けられたっていうのもそれが理由ですかね」
「はい。あくまでこいしの能力が発動しているかしていないかが問題なわけですから」
「あれでも、こいしは自分で能力を使ってるなんて言ってなかったような」
「前に話したとおり、あの娘に自分の意思で能力のオンオフを行う権限は無い。全て無意識の産物でしょうね」
「ん? 無意識なんですか? みんなと一緒にいたいって自覚したから、能力が弱まったんじゃ?」
「能力の行使自体は無意識だと思います。もし自覚してるなら、操作できることをとうに理解してるでしょうから」
無意識でも、脳は常に高速で思考している。
さとりが言いたいのは、こいしは他者の存在・言葉を認識したうえで、その後姿を見せるか見せないかの選択は無意識の自分に委ねているということだ。
「しかしこれからは違う。周囲との関わりを増やし自己を見つめ直せば、能力を完全にコントロールできるかもしれない」
「ってことは……!」
「目を閉じる前の状態に戻れる」
アヤネも『いずれ瞳は開く』と言っていた。その可能性は高い。
さとりが出した結論を聞き、カンザトは濃霧の中に進むべき道が浮かび上がった気がした。長らく停滞していた調査と、姉妹の関係性に大きな変化が訪れる予兆を感じて。
「こいしはそれを直感的に理解したのかも」
「俺、分かってなかったな……」
こいしの語る真意を理解していなかったと、カンザトは先の自分を悔いた。
「でも、変わるきっかけは貴方だったんですよ。貴方がこいしを見つけなければ、動かなかった今がある」
膠着状態だったこいしの“今”に変化をもたらしたのは、外からやってきた異邦人だった。最も近くにいたはずの自分ではなく、出会ってまもない部外者だったのだ。さとりはその事実が少し口惜しかった。
「だから、自信を持って」
上から目線ですみません、とさとりは苦笑した。
「それにしても……やはりその亡霊は気になりますね」
打開の一助となったアヤネに感謝すると同時に、不審にも思うさとり。
「ホントすごいですね……」
一方カンザトは、アヤネではなくさとりに感心していた。又聞きの情報で見事納得のいく結論を導き出した彼女に。
「えぇ、何故こいししか知り得ないことを分かっていたのかしら……すごいというより不思議…………え、私?」
「あ、はい。さとりさんが」
いきなり賞賛されると思わなかったのか、さとりはポカンとした。
「なんか探偵みたいです」
「……探偵業でも始めますかね」
これが推理小説なら、彼女は現場に赴かず事件の謎を紐解く、安楽椅子探偵と称される存在になれるだろう。
「さとりさんが探偵やったら反則ですよ。心を読めるんだから」
「なら天職ですね。ミステリーものとしてはつまらないけれど」
取り留めのない雑談をしていると、さとりはどこか自嘲めいた笑みを口元に作った。
「やっぱり、私の考えは正しかった」
「?」
「こいしは無意識に私を拒絶している。……だから、思考を読めない」
「え……」
今回のことでさとりは確信した。切ないが、紛れもない事実だ。彼にも共有せねばならない。
「こいしは自分を排斥した者たちを拒絶し、殻に閉じこもった。無意識を操って自分を見えないようにした。それは私も例外ではない」
心を開いているのなら、毎日いつもと変わらぬ様子で姿を現すはず。しかし、そうはなっていない。
「むしろ、こいしが強く否定した力を持つ私は、なにより忌むべき相手でしょう」
いつからか、こいしには自我が無いと決めつけていた。今のこいしから目を背けて、変わりはしないと思い込んでいた。
それはサトリを忌み嫌う周りの人妖よりもよほど質の悪い──“無関心”という罪。
「あの娘が心を開かないのも当然です」
──どれだけ拒絶されても、文句は言えない。
この時、さとりのサードアイは目を逸らしていた。それは何故か。
口から出る言葉とは裏腹に、賛同されることを恐れていたのかもしれない。
「それは……違う気がします」
「えっ」
ゆえに、彼のその返答も読めていなかった。
「違うって……なぜです?」
「いや、うーん……なんとなく」
根拠もなく否定したのかと、さとりはムッとした。
「あ、でも、さとりさんはやっぱりこいしにとって特別な気がします」
「特別、ですか」
そうは言うが一番特別なのは貴方だろう、とさとりは思った。
「普段からよく話に出るし、初めて会った時もさとりさんのことを話してたんですよね。当たり前ですけど、
「まぁ……そうでしょうね」
「そういえばその時、誰にも気づかれなくて寂しくないか訊いたんです」
今はとうに過ぎ去った、凍えるような孤独感。こいしの境遇を聞いた在りし日のカンザトは、とても他人事に思えなかった。
「そしたら、お姉ちゃんがいるから今は楽しいって言ってました」
「そう……」
さとりは納得しつつも受け入れ難く感じた。結局は大勢と同じで、こいしを救うには至らなかったのだから。
「独りの時に身近な人がいるって、やっぱり嬉しいと思います。こいしから直接聞いたわけじゃないですけど」
「それも自覚できないから、自分からは言わないでしょうね」
「そうなんですかね……でも、さとりさんがいるから楽しいってわざわざ言ったってことは、寂しい時にさとりさんを意識してるのは間違いないんじゃないですか?」
寂しくないかと尋ねた際、明確に名前が出たのはさとりだけだった。まず第一にあげられるほど、こいしの中で絶対的に忘却してはならない大切な存在なのだろう。
「それはそうかもしれないけど……私はあの娘の期待に応えられないわ。結局、他と同じ」
「他の人と同じでも、さとりさんの存在そのものがこいしの心を救ってるんですよ。見えるか見えないかじゃなくて」
「あの娘は私がいなくても自由に生きていけますよ」
「でも、こいしは誰かと生きたがってました」
「それは私じゃなくても……」
今日のさとりはやけに卑屈だ。
頑なに否定するさとりを見て、カンザトは多少無理にでも彼女を励まそうと頭を働かせる。確証は無いが、これからのこいしには姉の存在が必要不可欠だと直感的に思ったからだ。
「……精神が強い人か子供でしたよね。たまにこいしを認識できる人」
「? ええ。おそらく」
「さとりさんはどっちかに当てはまってますか?」
「……どちらでもないですね」
「どっちにも当てはまってないのに、さとりさんはちょくちょく家に帰ってくるこいしと会話できてたんですね」
言わんとしていることを見抜いたのか、それとも思考を読んだのか、さとりは眉を上げた。
「実はずっと考えてたんです。さとりさんはどっちの例にも当てはまらないのに、なんで俺が来る前からこいしと話せてたんだろうって」
「理由は分かりましたか?」
カンザトはひと呼吸置いて、ハッキリと自論を告げた。
「こいしが、さとりさんのことを好きだからです」
シンプルすぎる答えに拍子抜けしたのか、さとりはキョトンとした。
「……えっと、それはどういう……」
「さっき、こいしがさとりさんを拒絶してるって言いましたけど……おかしくないですか? 嫌いな人たちならまだしも、さとりさんすら拒絶するなら、もう誰の前にも姿を見せないはず」
「それは……」
「逆だと思うんです。さとりさんも拒絶されているんじゃなくて、
やろうと思えば、最初から世界中の誰の目にも触れない──こいしの言うところの『死』と同じ状態になれたはずだ。そうしなかったということは、能力に限界があり不可能だったか、本能的にその状態を避けたのだ。
「こいしにはさとりさんが必要です」
「……」
「だから……あんまり悲しいこと言わないでください」
こいしは姉を想っているのに、当のさとりは自ら身を引いている。これではいくら手を伸ばしても繋がることはない。
「カンザトさん……」
さとりが両目を細める。彼女は納得してくれただろうか。
説得は──
「推理ヘタですね」
見事に失敗した。
「……えっ」
「その例から外れてるの、私だけじゃないですよね」
「……あ」
「お燐とお空もそうですよね」
「うっ」
「それだけなら仲がいいで筋は通りますけど、怨霊が地上に流出した時は霊夢と魔理沙がこいしと話したみたいだし、命蓮寺の住職もこいしを勧誘しましたよ」
ぐうの音も出ない。過去のエピソードは自分が知りえない初耳情報だとしても、具体的な反例をあげられてしまえば反論の余地はなかった。
「根拠が薄いし、抜け道が多くて一貫性に欠ける。そのうえ、貴方の主観に偏ってる。推理モノなら三文小説もいいところですよ」
「う゛っ」
無慈悲な言葉だけがデタラメに積み上がっていく。
耳を塞ぎたくなるほど正論すぎる酷評。カンザトの心はボロボロだった。
「物書きはそう簡単に騙せませんから」
「すみません……出直してきます」
すると、さとりは突然吹き出した。
「そ、そんなにおかしかったですか」
恥ずかしすぎて、穴があったら入りたい気分だった。
「すみません。意地悪言っちゃいました」
「えぇ……」
さとりは目元を緩めて小悪魔じみた笑みを浮かべたかと思うと、パッと優しい表情に変わった。
「たしかに根拠は薄い。でも……今は貴方の言葉を信じてみたい」
「さとりさん……」
「あの娘の姉なんですもの。私は好きでなきゃダメですよね」
全面的な納得は難しい。それでも、さとりは気持ちの落とし所を見つけたようだった。
そうカンザトが安堵していると、さとりは突然両手で顔を覆った。
「え……どうしたんですか」
さとりは深くため息をついた。
「いえ……すみません。恥ずかしくて……」
「……?」
「私、貴方に嫉妬していたんだわ」
思い返してもこれまでのやり取りに嫉妬する要素が見当たらず、カンザトは小首を傾げた。
「こいしは私じゃなくて、貴方に心を開いてるんだと思ってしまって……」
「えっ? あ、そういうことですか……」
先ほどの卑屈な態度は嫉妬の表れだったらしい。
「さっきも言いましたけど、さとりさんは特別ですから。嫉妬することないですよ」
「えぇ、本当にそのとおりですね、えぇ……」
さとりは恥ずかしそうに唇をへの字に曲げた。
「はぁ、大人気ない」
見た目少女が大人気ないとは。外見と言動が一致しない──なんて、つい最近も似たようなことがあったと思い出した。
「子供扱いしないでくれますか」
「す、すいません」
じっとりとした目つきで不満を吐いたあと、目を逸らして、言いづらそうに口を開いた。
「あの……恥の上塗りをするようで申し訳ありませんが、少し訊いていいですか?」
「なんですか?」
本日のさとりは落ち込んだり笑ったり、恥ずかしがったり怒ったりと……感情が忙しない。普段は泰然自若とした彼女も、妹のこととなると冷静でいられないようだ。
「私はこれから、こいしとどう接したらいいんでしょう」
「どうって……」
「私、今のこいしのことが全然分からないんです。心を読めないから、こいしのことを知ろうと思っても上手くいかなくて。……でも貴方なら何か、こいしの考えを読む手段を持ってるんじゃないかと……」
腿の上で両手を握り合わせるさとり。その動作は不安の表れだった。
「……」
弱気なさとりを見てカンザトは思った。そもそも彼女は、他者とコミュニケーションをとる際の前提が違うのだと。
「心を読む必要、ないんじゃないですか」
「……いや、でも……」
「心を読まなくても、自然に話せばいいと思いますよ」
さとりは俯き、そっと目を閉じる。
「……怖いんです。力に頼らず誰かと話すのが」
心を読めば、敵意を含めたあらゆる感情が流れ込んでくる。ところが読まなければ、“分からない”不安感が重くのしかかる。手段があるばかりに、サトリはそのジレンマに苛まれる。
(このサトリの性こそ、こいしが嫌ったものだったのかしら)
妖怪のアイデンティティであるゆえに、終生逃れられない。
人は常に不明瞭な事実を恐れる。苦しむぐらいなら読まなければいい、ではないのだ。
こいしはその不安と周囲より向けられる敵意、内と外両方から精神を蝕まれていき、ついには自傷行為に走ったのかもしれない。
「燐さん、空さんと話す時も怖いですか?」
「……いや、そんなことはない。何を考えてるか、無意識に読もうとしてしまいそうだけど」
「今も別に、ずっと俺の考えを読んでるわけじゃないですよね」
「……」
「じゃあこいしも大丈夫ですよ。心を読めなくても、仲良くしたいって気持ちがあれば上手くいきます」
カンザトも特段人付き合いが上手いわけではないが、こいしがさとりの親愛を拒むことだけはありえないと断言できた。
「他所様は知らないけど、姉妹でこんなに身構えてるなんておかしいですよね」
「別におかしくないですよ。兄弟って人によって色々複雑だと思いますし……コレって決まった形はないですから」
カンザトは、兄弟姉妹の関係性が内包する複雑さを実感した出来事を思い返した。
「ちょっと前に知り合った人の話なんですけど、その人妹がいて。ムカつくムカつくって妹のことで俺に愚痴ってきたんですよ」
「仲が悪いんですね」
「って、思いますよね。俺もそう思って嫌いなのか訊いたら、笑いながら『嫌いなわけない。大切な妹だ』って速攻で否定されたんですよ」
「なんですかそれ」
「ちなみに初対面ですからね、これ」
「軽率ね……」
「まぁとにかく……人によって仲の良さとかは違うけど、好きでも嫌いでも一生切れない繋がりだとは思うんです」
血という、魂が目に見えない糸で繋がっているかのような最も深い繋がり。どう感じ、どのように向き合うかは彼女次第だろう。
「ずっとこいしを捜し続けたさとりさんなら大丈夫。もし拒絶されても、頑張って捜したことを伝えればいいんですよ。それでもダメなら……」
一発ぐらいぶってやれば──と神の教えに倣い言おうとして、流石に野蛮すぎるので止めた。
「手を握ってあげてください」
こいしはあの時、自分自身の意思で確かな繋がりを求めていた。彼女の願いに応えることこそが、姉妹の今とこれからを形づくるだろう。
「あとは……思ってることを正直に話す、とか。お互い正直に話してたら、心を読む必要もないですよね」
「正直に……」
さとりには一つ、胸に抱えたままの想いがあった。
それは、『今のこいしをどう思っているか』ということ。明確な理由はない。ただなんとはなしに避けていた。
(向き合うべき時が来たのかもしれない)
アヤネの『いずれ瞳は開く』という発言。
それは、今後の意識次第でこいしが再びサトリ妖怪として息を吹き返すことを意味する。
いずれその時は否応なしにやってくる。今こそ、気持ちを整理したうえでこいしと向き合うべきだろう。
「そうね、こいしとしっかり話してみるわ。ありがとうカンザトさん」
さとりは手のひらを見つめて決心する。表情から憂いは薄れ、晴れやかな色が滲んでいた。
「……あ、そうだ。こいしに関係ないですけど、俺もいっこ訊いていいですか?」
「いいですよ」
「俺、アヤネが消える直前にアヤネの願いを訊いたんです」
「アヤネの願い? なんのことですか?」
カンザトは共同墓地での出来事を語った。
「あの時は怖すぎてなんのことか全く考えもしなかったんですけど」
「それでアヤネはなんと?」
「なんか……“歪み”っていうのがあるらしくて、それを退けるには……二つの異なる力が必要って言われました」
必死に頭を働かせ、記憶に残りにくい難解な内容を口にする。
「これ、どういう意味ですかね」
「ふむ……これから起こる“何か”に対抗するために、別な二つの力が必要になるということでしょうけど……墓地での発言を踏まえて考えるなら、『彼の力』と『彼女の力』というのがそれに該当するのかしら」
「誰かの力を借りてそれに対抗しろってことですかね」
「そうですね……わざわざ面と向かって言ったなら貴方の複数あるペルソナ能力のことを指しているかと思ったけど……」
「二つどころじゃないですね」
「ですよね。あとは何か言ってませんでしたか?」
「あと……あ、ペルソナと言えば、『受け継がれたペルソナの力がこいしの心を融かす』って言ってました」
「受け継いだ……? 誰かから力を貰ったということ?」
「力なんて貰った記憶ないですけど……」
力を授けた存在として疑わしいのはイゴールだが、似た質問をした時に『あくまできっかけを与えたに過ぎない』と答えていた。
「こいしの心を融かす、受け継いだ力に、二つの異なる力……なにか関係が……」
熟考モードに入りかけたその時、さとりの目が大きく開かれた。
「……っ!」
眉間に皺を寄せ、弾かれたようにこちらを見た。
「カンザトさん……」
「どうしました……?」
「……いえ」
かと思えば顔を逸らし、黙り込んでしまった。
カンザトが不安になっていると……
「おふたりを呼んできてください」
質問の答えはどこにいったのか、唐突にそんなことを言い出した。
「こころと布都さんですか?」
「はい。これから大事な話をするので」
刹那、第3の目に紫の閃光が奔る。
「約束通り、今から貴方のトラウマに触れ、記憶の恢復を図ります」
・
・
・
こころと布都を部屋に呼んだ。
「急だな……」
「何を言う、早いに越したことはあるまい。むしろ遅すぎたくらいだ」
心配そうなこころと対照的に、布都はどっしりと構えている。
「その前にひとつ聞いてください」
三人分の視線がさとりに集まる。
「これからする話は、とても理解し難いと思います。鵜呑みにせず、話半分で聞くべきかもしれない」
「……ん?」
予想外の前置きに、三人は疑問符を浮かべた。
「私の思い違いならそれでいい。でもこの想像は、あながち的外れじゃない気がするんです」
さとりは目を合わせず、辛そうな表情をしている。
「残酷だけど、受け止めねばならない事実なのだと思う」
「それって俺の記憶の──」
「話したことで貴方は私を恨むかもしれない」
「え、ちょ、ちょっと」
「それでも、こいしを導いてくれた恩義に報いて、貴方に隠し事はしたくない」
戸惑うこちらに構わずまくし立てるさとりに、カンザトはただならぬ空気を感じた。
「どうか、落ち着いて聞いてください」
三人は緊張感を覚え、思わず姿勢を正す。
「カンザトさん」
「……はい」
「貴方は──」
「魂を、三つ宿している」
目覚めたるは、幻想が流れ着く異郷の地。
辿り着いたのは地底の中心、地霊殿。
青年はついに──喪われし記憶の欠片を集める旅路の、出発地点に立つ。
★作者自身混乱してきたからこいし関連の設定をまとめるコーナー(多分本筋にはそんなに絡まないしスーパー自己満足なので読まなくても問題なし)
※以下の内容は原作ゲーム・書籍の情報に基づき考察したものであり、だいたいこの小説だけの独自設定かつ妄想です。矛盾が発生する可能性もあります。
●こいしの能力について
『無意識を操る程度の能力』
心を読む能力を失い、後天的に得た能力。自他の無意識を操ることができる。無意識を操られた者はこいしが目の前にいても姿を認識できず、仮に認識できても即座に記憶から薄れていく。
現在は半暴走状態にある。
存在自体はあるので、仮に石を投げて偶然こいしに当たった場合、石はすり抜けないが、投げた側は「何かに当たった」という事象を理解できない(こいしの反応によっては変化する)。
●古明地こいしについて
姉のさとりとペットたちが好き。
思考を見透かし話すので人と妖怪両方から嫌われ、心を病んでいった。能力を使わず生きる道を模索していたが、最後は自己(アイデンティティ)を否定して無意識の存在になった。
神子はこの状態を「逃げ方としては低レベルな部類」と言い、聖は「ありのままで行動しており、心を閉ざしたとは言えない。それは修行を積んだ僧侶にも難しいこと」と評した。(求聞口授より)
●さとりの考え
こいしの能力は暴走状態にあり、自我が無い(こいし自身もそう思い込んでいた)。
こいしは本来あるはずの意識(または自覚。私は誰で、何をしていて、何をしたいんだ、という客観的な思考)を全て無意識で塗りつぶしている。だから、こいしは自分の行動を予測できず、理解できない。さとりがどんな状態か質問しても「分からない」としか返ってこない。そんな状態なので、さとりの心を読む能力でもこいしの考えは読めない(心を読む能力は意識しか読み取れないため)。
感情が消えたわけではないので、呼びかければ何かしらのアクションを起こす。しかしそこにこいしの意識は関係しない。本能に基づき反応している。野生動物とかロボットに近いかも。
もしくは……
普通に意識が残ってるけど、自分と話す時だけ無意識を操ることで意識が無いように見せかけて、思考を読まれないようにしているのではないか…とさとりは考えた。
→逆に考えて、さとりが認識できていたのはこいしがさとりと話す時のみ能力を弱めているからだ、とカンザトは否定した。
●こいしの見え方の変化
カンザトと会う前:基本気配すら感じない。たまに見える人がいる。能力を制御できていない状態。
カンザトと会った後:こいしが心を開いた相手はこいしを認識しやすい。カンザトが近くにいるいるとその変化が顕著になる。まだ能力を完全に制御できてないので、たまに見えなくなる(かも)。
●なぜカンザトはこいしを一方的に認識できるのか
こいしと同じく、心の海(集合的無意識)と近い場所に存在するペルソナを持っているから。しかし最たる要因は別にある。
●変化に対するさとりとカンザトの推理
アヤネの話を聞くまでは……
カンザトがこいしを認識しているとペルソナが仲介役になり、周囲もこいしを認識できるようになると思っていた。つまりこいしを見る側の問題だと思っていた。
実際は……
こいしを見る側ではなく、こいし自身の認識によるものだった。こいしが「この人と関わりたい」と思った相手は無意識を操られず、こいしを認識し続けられる。なので、こいしと関わりが深い者ほどこいしを認識しやすい。
そのきっかけはカンザトとの出会い。「私を見つけてくれる人がいる。他の人たちとも関わっていきたい」と、基本受け身だった意識が能動的になったため、能力の強弱が変化していった。
また、アヤネのアドバイスを聞いて考え方を改めたことから、完全に意識が無いわけではない事が判明した。
●アヤネは何を言いたかったのか
平たく言えば、「カンザトがきっかけで貴方の考えが変わった。その調子で色んな人たちと関わり続けたら能力を完全に操れるようになって、心を読む能力も取り戻せるかもしれないよ」ということ。
●結局、自我(意識)はある?ない?
かなり薄いけど、完全には無くなっていない。ただ、その少しだけ残っている自我も無意識で塗りつぶしているため、こいし自身は自覚できない。
●時系列
①守矢神社にて霊夢、魔理沙と出会う。こいしが地上の者たちに興味を持ち始めると、地霊殿の住人以外にも認識され始める。
②決闘祭りや寺での修行を経て、意識が変化していく。
③いつも通り色んな場所をふらふらしていたこいしを、命蓮寺でカンザトが見つける。
④こいしはもっと色んな人と交流したいと思うようになり、こいし自身の意識と共に能力が徐々に変化していく。
⑤アヤネのアドバイスを受けて、明確に意志が定まる。今後は能力を完全制御できるかもしれない。さとり妖怪に戻る可能性もある。
●人による見え方の個人差(能力制御前なので今後変化していくかもしれない)
布都とか霖之助とかその他大勢
→目の前にいても認識できないし記憶にも残りづらい。
精神が成熟しきっていない子供
→全員ではないけど認識できる場合が多い。成長すると次第に記憶から薄れていく。
霊夢、魔理沙、聖(こいしの人生に影響を与えた人たち)
→たまに認識できる。基本こいしを覚えている。
さとり、お燐、お空
→頻繁に認識できる。ずっとこいしを覚えている。
※さとりだけ少し特殊
神子
→基本は布都たちと同じ。能力を駆使すればカンザトと同じような状態になれる可能性がある。
こころ
→基本は霊夢たちと同じ。能力を駆使すればカンザトと同じような状態になれる可能性がある。
カンザト
→どれだけ距離が離れていても、こいしがこちらに気づいてなくても一方的に認識可能。つまりカンザトには普通の人と同じように見えている。
鈴仙
→能力を使うとカンザトと同じような状態になる。
※以上の設定は今後の展開によって微妙に改変される可能性があります
ペルソナ〜トリニティ・ソウル〜は
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全話視聴済
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途中まで視聴
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未視聴
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存在を知らない