早春の候 酒宴の誘い
人里に帰還してから、二週間あまりが経過した。
カンザトは数枚の紙を手に、こころと共に再び香霖堂に向かった。
「これが……君の見た景色か」
その日の香霖堂は閑古鳥が鳴いているそうで、前回いた魔理沙とアリスも不在だった。
「……辛かったろう」
カンザトは肯定も否定もせず、黙って俯いた。
大丈夫、なんて強がりはとてもじゃないが言えなかった。イメージの組み立てが得意なのも考えもので、一度トラウマを強く思い出そうとすれば、あの凄惨な光景が嫌というほど鮮明に浮かぶ。何度も中断し、幾度も挫折しそうになりながら、時には悪夢にうなされながらも、苦痛を押し殺して描きあげた絵がそこにある。
絵はいずれも鉛筆のみで描かれており、赤いドレスの少女、森で遭遇した青い硬質の異形、三つの遺影を前に立ち尽くす三兄弟、雪原に吼える騎士、そして『海辺に現れた黒衣の怪物』の5枚だ。
また、それぞれに状況を説明する手書きのメモが添えられている。
「よく描きあげたよ」
紙の表面には細かな皺が刻まれており、ところどころに水が滲んだような跡があった。
「この絵だが……」
霖之助は、海辺の絵を手に取る。
そこに描かれているのは、宙に根を張るように浮かぶ黒衣の怪物が、二人の人間──カンザトの両親を、宙吊りの状態で拘束している衝撃的な光景。黒く塗りつぶされた両親と、砂浜に濃く落とされた血溜まりが、見た者に言い知れぬ恐怖を抱かせる。
「この、『誰かがいた』というのは?」
霖之助は、怪物の下あたりに書かれたメモに着目した。メモから伸びる矢印の先には、正体不明の人影が描かれている。
「なんか……そのデカイやつの下に、誰かがいたんです。多分、子どもが」
「その子どもは、襲われていなかったのか?」
「はい、俺が見た限りでは」
「……そうかい」
霖之助は漠然と引っかかりを覚えながら、再び紙に視線を落とす。
「それにしても大したものだな。一度見ただけの光景をこうも忠実に描画できるとは。塑像や似顔絵を見た時も思ったが、君の記憶力と再現力には目を見張るものがあるよ」
「ふふん、そうでしょうそうでしょう」
「なんでこころが誇らしげなんだ……。それで、何か分かりそうですか?」
霖之助は、ふむ……と顎に手を当てた。
「ちょっとした疑問なんだが、君がさとり妖怪の力を借りて想起したトラウマ──過去の記憶を映像として見た順に並べると、こうだったね?」
霖之助は絵を手に取り、左から、海辺の記憶、葬式の記憶、雪原の記憶の順番に並べた。
「なぜ、時系列順ではないのだろう?」
「えっと……どういう意味ですか?」
「君はさとり妖怪との話し合いで、遺影に写っている三人、つまり亡くなった家族が、父・母・姉だという結論に至ったようだが……そう決定づけてしまうと、時系列に矛盾が生じるんだ」
霖之助が左の絵から順に、指を指す。
「最初の映像で、両親は何かに襲われ亡くなった。その次、家族三人の葬儀に参列した。そして最後、姉が襲われる」
「あ……そうか、二つ目の時点で姉が亡くなってるんだったら、最後の映像がそれより前に来ないとおかしいのか」
「そう。だからこの順番だと、時系列がおかしくなるんだ。だが、それはあくまでこの3つの記憶が時系列に沿って想起されていたらの話だ。順番なんて関係なく、ごちゃ混ぜに思い出したのかもしれないからね」
「うーん、なるほど……」
「それはさとりに訊いてみないと分かんないかもね」
「映像の中だけで、時系列を推測できるものがあれば話は別だが」
三人は、カウンターの上に並べた三枚の絵を凝視する。
「季節……は無理か。降雪の有無はあるが、直近の出来事とは限らない。カンザトくん、暦が分かる物を見た記憶は?」
「いえ、カレンダーどころか時計も……」
二人してう〜んと唸っていると、こころがたった一言呟いた。
「身長」
「……身長?」とそっくりそのまま聞き返すと、こころは小さく頷いた。
「なるほど、自身の視点で分かることがあったか」
「よく思いついたなぁ」
「私、あなたから記憶の話を聞いた時から、自分も似た体験をしたような気がしてたの。それがずっと何か考えてたんだけど……今やっと分かった。あの青い生き物の感情を読み取ろうとした時に見た映像と同じだって」
「あれか。自分が男の人になってて、アヤネと話してたってやつ」
「初耳だな。なんの話か教えて貰っても?」
こころは森で青い怪物と戦闘した際、自身の能力で感情の操作を試みた。しかし操作は失敗に終わり、その代わりに怪物の記憶と思われる映像が頭の中に流れ込んでくる。その映像は、男性が赤いドレスの少女アヤネと会話しているものだった。こころはそこに第三者として傍観していたわけではなく、男性の視点に憑依していた。*1
「アヤネは男に、願いを尋ねていた」
「願いか……さとり妖怪の妹──古明地こいしだっったか。アヤネは彼女にも同じことを訊いたのだったね」
「そう言われれば……」
「アヤネは人々の願いを叶える願望機だとでも言うのか……? ……いや、今はそれよりも記憶のことか」
「記憶の中の自分の身長は覚えてる?」
こころに問われ、三つの記憶の中で、自身の目線がどの程度の高さだったかを思い返す。
「海辺では……今よりもっと低かった。葬式もだ。多分、どっちも子どもの頃の記憶だから。三つ目は──」
一方で、雪原の記憶には明確な違いがあった。あまりに衝撃的で、今の今まで気づかなかったのだ。
「身長が高かった……! というか今とほぼ同じだ!」
「ではやはり、これらは時系列に沿って思い出したんだな」
カウンター上を、霖之助の人差し指が左から右へ滑る。
「そう考えれば、導き出される答えも変わる。君ににとってみれば泣きっ面に蜂だろうが……」
姉は葬儀の時点で存命だった。これが示すところはつまり、親類縁者の誰かがもう一人、命を落としているという事実に他ならない。
カンザトは無意識に視線を落とし、奥歯を強く噛んだ。
自分はどれだけ大切なものを失ったのだろう。失われた記憶という過去の悲劇は、その姿が暴かれる度に心に爪を突き立てる。
「大丈夫です。俺はまだ」
全てが分かったわけじゃない。それは現実逃避にも近い思考だったが、己の心も守るために、今はそれでもいいと思えた。
「ああ、そうだね……」
霖之助は海辺の絵へ視線を移す。視線の先には、『父と母』というよれた字のメモがあった。
・
・
・
その後も話は続いたものの、どれも確たる曖昧さを残すばかりであり、やがて話題は日常的な事柄へと移っていった。
「そういえば霊夢からお花見に誘われたんですけど、森近さんも行くんですか?」
「ああ……もうそんな時期か」
霖之助は窓の外を一瞥し、両目を細めた。
「正直、あまり気は乗らないな。賑々しいだけなら許容範囲だが、
「そう、ですか……」
ほんのわずか、残念そうに眉尻を下げたカンザトの表情変化を、こころは見逃さなかった。
「森近さん、花見に行きましょう」
「……ん、うん?」
「花見に行こう」
「いや、だから僕は」
「行こう」
「……」
強すぎる圧に押され、霖之助は閉口する。
「こころ……? どうした?」
「霊夢が寂しがってた。一緒に楽しみたいのに、霖之助さんがお花見に来ないよーって」
返答が予想の斜め上だったのか、霖之助は数秒固まり、目をしばたたかせた。
「本当か?」
「うん」
「あの霊夢が……? そんな出鱈目な」
「デタラメじゃない。霊夢の感情が言ってた」
長い付き合いの霖之助からしても、普段はさばさばした性格の霊夢が、人恋しさを募らせている様子が想像できないのだろう。
「よもや何か企んでいるのか……? 僕を自らの領域に引き込み、酔わせて思考能力を奪い、日々の負債を……」
「んもー、そんなんじゃないよー」
気のせいかもしれないが、何かこころが必死そうに見えたので、カンザトも助け舟を出すことにした。
「単純に、森近さんと一緒にお花見を楽しみたいだけだと思いますよ。なんなら俺も、森近さんに来て欲しいです」
こころがぶんぶんと首を振り何度も頷く。
霖之助はまた窓の外へ視線を向け、「そうか」と何か納得した様子で呟いた。
「久々に顔を出すとするかな」
その答えを聞き、分かりやすく表情を明るくしたカンザトを見て、霖之助は苦笑した。
「僕は宴会芸の一つもお見せできないよ」
「俺もですよ」と返しながら、カンザトは小首を傾げる。
「え、お花見にそんなの求められるんですか?」
「博麗神社で行われるのは花見とは名ばかりの、飲めや歌えやの大騒ぎさ。酒に呑まれた少女たちの無茶ぶりは怖いよ」
「うわー……マジか。マジックとか練習した方がいいのかな」
「大丈夫、そういうのは私に任せて」
ふんすと胸を張るこころがとても頼もしい。彼女に任せっきりというのも少し情けないが。
「念のため日時を聞いてもいいかい? そのうち霊夢か魔理沙が言いに来るとは思うが」
霖之助に霊夢から聞いた内容を伝える。
「というかまだ早いですよね。桜もまだ咲いてないのに」
「早く飲みたいだけだろう。きっと花が眠っていても開催するよ、彼女らは」
「あの」
「ん?」
「霊夢たちって、未成年ですよね?」
「そうだね」
「大丈夫なんですか? 色々と……」
「……答えは」
霖之助は眼鏡のブリッジを押さえ、堂々と言い切った。
「ここが幻想郷だから、だ」
新章に入ったのでアンケートを新しくしてみました。内容は、これで小説の中身が何か変わるわけもない100%ただの興味本位です。教えてやってもいいという寛大な方は是非…
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