There's nothing without One Sin 作:鼠日十二
「うへ……」
その建物を見上げて、小鳥遊ホシノは覇気のない苦笑いを浮かべた。ここに来るまでの足取りも、それはそれは重いものだった。本当は……本当は、こんなところに来るつもりなんか無かったのだ。しかしやけに押しの強い『黒服』が提示した時給は、ちまちま指名手配犯を捕まえるよりずっと好条件であった。それこそ……ホシノが卒業するまでに、アビドス高校が抱える借金が半分は返せるんじゃないかと思えるくらいには、破格の条件。だからこそ、気が乗らない。信用できない大人が持ってきた、割りの良すぎる仕事──。
「まあ、美味しい話には裏があるよねえ」
アビドス砂漠の廃墟群の中に突然現れた、正体不明の建造物での業務。さて、鬼が出るか蛇が出るか。自動ドアを抜けてエントランスに入る。砂埃がほとんど入ってこないことにホシノは驚いた。まるで掃除したばかりのようにきれいなフロアを見回すと、自分がなんだか大人の社会に組み込まれてしまったかのような錯覚を覚える。それから何か案内が無いかとエントランスをうろちょろしてみたが、受付らしきカウンターには誰もいない――というよりも、全く人気がない。間違えて休日に来てしまったのかと不安になったが、奥から聞こえてくるやや速い足音がそれを払拭した。
「すみません、待たせてしまいましたわね」
「いやいや、おじさん今来たばっかりだよ〜」
小走りでホシノを出迎えたのは、シスター服に身を包んだ生徒であった。トリニティ総合学園にもシスターフッドという組織があるが、そことは少し意匠が異なるようだ。血のような赤黒い髪色と、荊の冠のようなヘイローがどことなく荘厳な雰囲気を醸し出している。
バイトの先輩かな? ホシノはそう思った。
「小鳥遊ホシノ様ですわね。黒服様から話は聞いております」
「うへ、様づけなんだ」
「我が社の運営にお力添えをしていただける方ともなれば、相応の敬意と待遇で迎えさせていただきますわ」
「……
ホシノはなんだか思い違いをしているような気がした。
「申し遅れましたわね。私、ここロボトミーコーポレーションで管理人業を務めております、罪善ミクリと申します」
「……わ〜お」
トップが何食わぬ顔で下っ端の前に出てくるんじゃないよ。よりにもよって雇い主候補にタメ口を使ってしまったホシノは、思わず額に冷や汗を滲ませた。が、
「あ、でも出資者は黒服様なので、気を使わずとも結構ですわ。私とホシノ様に、今のところ直接の雇用関係はございません」
「そうなの?」
「ええ。ですから、どうかそう緊張しないでくださいな。もし黒服様以外の出資者がつけば、こちらからも給料を上乗せするくらいは致しますけど……今のところは、私とホシノ様で金銭のやり取りをすることはありません」
まるで派遣社員のようなものだ。ただ、そう言われてもねえ、とホシノは内心で呟く。『信用ならない大人』のひとりである黒服と繋がっているこの生徒が、いったいどんな仕事を振ってくるのか、ホシノにはまるで読めなかった。そして読めないながらも、きっと汚れ仕事の類なんだろうな、と見当をつけていた。故に、ホシノはこう切り出した。
「まずさ、ここは何の会社なの?」
「あら……黒服様からは何も?」
「聞いてない。アイツ、私なら大丈夫としか言わなかったんだよね……」
それで受けちゃった私も私だけどさ、とホシノは嘆息する。しかしホシノには、どうしてもお金が必要だった。金策は多い方が良く、後輩を巻き込まないなら尚のこと良かった。自分一人でどうにかなるんだったら、それで学校を守れるんだったら……。
「そう心配なさらずとも、ホシノ様なら十分に仕事をこなしていただけると思いますわ」
ミクリは壁に刻まれたL社のロゴを手で示す。どの学校の校章とも似つかないデザインと、『Face the fear, Build the future』の文字。Lの長い辺が脳髄に突き刺さったような悪趣味なそれに、ホシノはそこはかとない不気味さを覚える。そんなホシノを見透かすように、ミクリは人を安心させるような笑みを浮かべる。
「ロボトミーコーポレーションはエネルギー供給会社です。ホシノ様には、私の業務を補佐する管理人代理として、モニタールームで監視をしていただくつもりですわ」
「えー、私、そういう知識ないよ?」
「問題ございません。ホシノ様はただ、エネルギーが規定量に貯まったか、異常は発生していないかを確認していただくだけなのです」
肩透かしを食らったような気分である。てっきり神秘を抽出するような非人道的実験の被験体にでもされるのかと思っていたホシノは、告げられたあっけない業務内容にむしろ警戒を強めた。絶対に裏がある、と内心で敵意を育てつつ、気の緩んだ笑顔を張り付ける。
「それだけならおじさんにもできそう〜」
「期待しておりますわ。ただし……」
「……ただし?」
「採用にあたって、一つだけ条件を設けておりますの」
そらきた。ホシノが無言で話の続きを促すと、ミクリは頷いて、こう告げた。
「脆い心で我が社の業務は行えません。故に、恐怖に向き合えない人間はお断りしておりますわ。ホシノ様、あなたに自らの罪や後悔と直面する覚悟はありまして?」
しん、と鋭い沈黙がロビーに張りつめる。
ミクリはただ、目を細め、うっすらと笑っているだけだ。そうしてただ、ホシノが返事を返すことだけを待っている。
なのに、何故か──まるで無数の目玉に見分され、凝視されているような、得体のしれない悪寒がホシノの背筋を駆け抜けた。
「……黒服から、何を聞いたの?」
「いいえ、いいえホシノ様。私はあなたのことを何も知りません。知らないままに、ただ、問うている。恐怖に直面する勇気はあるのかと」
「その質問に答えることと、ここで働くことに何の関係があるのかな?」
なおも食い下がるホシノに、ミクリもなんとなく察するものがある。彼女も、私同様に、特別深くて昏い穴が心に開いているのだ。そうして常に、自分自身を罪人だと糾弾する暗闇からの呼び声を耳にしている。ならばこそ、と。ミクリはあえて、ホシノに機密の一端を開示した。
「我が社は、人間の精神の具現化たる存在を管理することでエネルギーを収集しています。自分の心にすら目を背け、恐怖に直面する勇気もないような方に、どうして他人の精神を観察する業務が務まりましょうか……と、まあ。難しく言いましたが、端的にはこういうことです。
――こころの未熟なおこちゃまには、このお仕事はまだ早いですわよ?」
「うっわ」
これにはさすがのホシノも顔を引きつらせた。だがしかし、話としては一番分かり易い。ホシノの心の奥に、ちょっと昔の生真面目で反発心の強い自分が顔を出した。それと一緒に、いろんな記憶も。
小鳥遊ホシノには守りたいものがある。大切な思い出が息づく、彼女の学校。そう、そうだ。そのためになら、なんだって覚悟を決めてやる。
「
「あら、とんだ失礼をいたしましたわ。仮にも従業員候補にこのような態度をとってしまったこと、謹んでお詫びいたします」
「う~ん、お眼鏡には適ったかな? できれば『候補』は外してくれると嬉しいんだけど」
「まあ! それってとっても素敵なことですわね!」
ミクリはホシノの手を取ってぶんぶんと上下に振った。恐ろしく冷たい手だ、とホシノは思う。それに、変な言い方にはなるが……運動によって多少は動くはずの筋肉の筋の感じが無い、というか。力が入ると硬くなる部分があるはずなのに、まったくその様子が無い、というか。ホシノが奇妙な感触の正体を探る前に、ミクリがその手を引いて歩き出す。
「それでは、さっそく――あなたの恐怖と対面しましょう!」
「えっ?」
「おや、おやおやおやおや」
収容室の前で壁に寄りかかっていたミクリは、『たった一つの罪と何百もの善』が最高値に近いエネルギーを吐き出しているのを見て、にこりと微笑んだ。扉の向こうから、ホシノの嗚咽が聞こえる。
「素敵です、ホシノ様。やはり黒服様の人選は間違っていなかったということですわね」
ミクリは自分が善行を積んだと確信し、うんうんと頷いた。実は罪善ミクリという女、善悪の基準となる倫理観そのものが若干ズレている。そしてズレを修正できるほど精神の深いところに他人を招かないので、彼女は善意であってもどこかズレていた。
それからたっぷり数十分後。のろのろと収容室から這い出たホシノは、未だ赤みの残る目でミクリを認めると、疲れ切った中年のような、形にならない笑顔を作った。
「……ひどい目に遭ったよ」
「あら、そういうわりには憑き物が落ちたように見えますわよ」
「目、ついてる?」
「失礼ですわね、300個くらいついてますわ」
「それはもう化け物じゃない?」
「あら、見破られちゃいましたわね」
ミクリがくすくすと体を震わし、ホシノが深くため息を吐いた。
「それで……合格、かな?」
「ええ。貴女の勇気に敬意を。そして、ようこそロボトミーコーポレーションへ。管理人たる罪善ミクリが、貴女を歓迎いたしますわ」
作者はあまねく奇跡の始発点までしかやってないです。対策委員会3章をやらないままホシノを出すとか正気か? と思われても仕方ないんですが、情報出てないころの他の小説だって名作いっぱいあるんだしええやろ。知識量と面白さは必ずしもイコールではない……ということで、3章を参照(激ウマギャグ)した上でホシノエミュできとらんやんと思っても叩かないでください!
あとベアおばどうやって絡ませよう。さすがに対策委員会編から一個ずつやってくとキツいし、どっかで早めに対決させるつもりでいるんだけど……でもでも、敬虔なトリニティ生徒に邪教を崇拝してると勘違いされるミクリも書きたいし……。