本と、一瞬と、美しさと。   作:高山典子

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第16話

 だが、連絡先の欄(らん)に書いた唯子の携帯電話に、見慣(な)れない番号からかかってきたのは、一件(いっけん)だけで、しかもその電話は、おおよそファッション雑誌とは無縁(むえん)な会社からの間違い電話だった。

 そして、この日は肌身離さず携帯電話を持っていたのだが、メールの一通も届く事なく、時間だけが過ぎていった。

 翌日(よくじつ)になり、彼女は「現実」というものに取り憑(つ)かれたような、重苦しい気分になっていた。

 あの日、「モデルになって欲しい」と言われたのは、未来への扉を開く為のきっかけではなく、単に彼の作品になるために体(てい)良く協力(きょうりょく)しただけの事だったのだ。

 結局、自分と土屋は住む世界が違うのだ。

 それを思うと、目が覚めたばかりなのに、再び夢の中へ戻りたくなり、ベッドの上で横になってしまった。

 ミンミンミンミン、ミーン。

 自宅の外では、蝉(せみ)が忙(せわ)しく鳴いている。

 いつもなら、うっとうしいだの、うるさいだのと口(くち)に出さずとも思っていたのたが、ふと、蝉(せみ)は何年も土の中で過ごし、地上で生きていられるのは、1ヶ月にも満たないと昨日のテレビ番組で見たのを思い出し、儚(はかな)い生き物なんだと想像して、彼女はその存在に同情したくなった。

 もし、あの日、あの時、土屋と出会わなければ、自分は読書しか知らない、本と関(かか)わる事しか知らない、誰からも傷付けらることの無い世界で生きる事が出来たのだ。

 それが、今――。

 唯子は堪(た)まらなくなって、ベッドの中で静かに泣き始めた。

 拭(ぬぐ)っても拭(ぬぐ)っても、止まらない涙が、さらに唯子の胸を痛めた。

 ミンミンミンミン、ミーン。

 真夏の訪れを訪れを告げる蝉(せみ)の鳴き声が、その日はいつまでも唯子の憂(うれ)いと冷たい涙を促(うなが)していた。

 

     ――――――

 

 それから数日後。

 彼女は8月に行われる写真展へ行くのかどうか、悩(なや)んでいた。

 唯子が好(この)む世界は、脆(もろ)い人間の限界の中で美徳(びとく)を見い出し、それを慈(いつく)しむ姿を見事に演出するという淡(あわ)いものだったが、土屋と出会ってからは、現実を物語った、その上で本物以上の価値を「一瞬(いっしゅん)」という形で引き出す写真の世界の力強さに引き込まれていったのである。

 時が経(た)つにつれ、読者モデルの選考に落ちた事は、肩に鉛(なまり)が乗りかかったような、嫌な感覚は落ち始めていた。

 そして、、美術館で「モデルになってくれないか」と撮られた写真が、もしかすると展示(てんじ)されているのかもしれない、と思うと、気になって仕方が無かった。――その姿が、今、ベッドの上で膝(ひざ)を抱(かか)えている自分の思いとは違うように、と密(ひそ)かに願いつつ。

 それに、喫茶店で話された父親の経歴(けいれき)の食い違いも確かめたかった。

 

                    (つづく)     

 

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