本と、一瞬と、美しさと。   作:高山典子

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第7話

「当時のマスターが、知り合いに写真家がいて、その人がアシスタントを探しているって話を親父に持ちかけてきてさ。それで高校中退して、この店でアルバイトしながら、スタジオでせっせと下積みして、独立したんだ」

 高級感のあるコーヒーカップに口を寄せて、土屋は一度(ひとたび)ゆっくりとすすった。

「オレは、どっちかていうと、昔から本が好きなタイプでさ。写真なんて全然興味が無かったんだけど、高校に入ってからは、周りの友達がバンドを()んだり、バスケ部で全国大会に出場したり――。何ていうか、目立ちたいって(わけ)じゃないけど、何かしなきゃって(あせ)り始めて。まぁ、それで親父の事もあって、写真家になろうって決めたんだ」

 唯子が(くち)にしたオールドファッションのドーナツは、出されたカプチーノとよく合い、今まで食べた事のあるそれとは違って、意外な(ほど)美味(おい)しかった。

「……小説や詩を書こうとか、思わなかったんですか?」

「ん〜、正直言って、オレは国語の成績は良くなかったから。夏休みの宿題でよくあった読書感想文なんかも、大嫌いだったしね。――写真の方が簡単じゃん?『確かな知識と豊かな感性あれば、誰だって()れる』って、親父はよく言ってたし。まぁ、血筋(ちすじ)とかあるのかもしれない。何にせよ、オレには写真の方が(しょう)に合ってるかな」

 そう言って、土屋はドーナツをペロッと一気に(たい)らげると、

「ねぇ、ピカソの本名、知ってる?」

と、唯子に尋ねてきた。

「……?」

 唯子は、怪訝(けげん)そうな顔をすると、

「いや、今週の日曜日が(ひま)でさ。今、□□美術館でピカソの特別展やってるの、知ってる?その美術館のテラス、海も(なが)められて、写真を撮るには良い場所だって聞いたんだ」

 □□美術館と言えば、唯子が住んでいる市から少し遠い、海沿いの所に()り、有名な建築家が設計したと言われており、いつかは行ってみたいと思っていた場所だった。

「親父の知り合いが、そこの館長やっててさ。無料招待券2枚もらったんだ。親父は仕事で忙しいし、母さんや友達も興味無いって言うし――」

 土屋は、少し気を落として、コーヒーカップに口を付けた。

「でさ、せっかく行くなら、美術について知識がある人と一緒に行きたいと思って。それでさっきの質問――ピカソの本名を知っているかどう……」

「パブロ=ディエゴ=ホセ=フランシスコ=デ=パウラ=ファン=ネポムセノ=マリア=デ=ロス=レメディオス=クリスピン=クリスピアノ=デ=ラ=サンテシマ=トリニダード=ルイス=イ=ピカソ」

 流行のヒップホップのラップか、はたまた古典(こてん)魔術を唱える魔女のように、真剣な表情と口調(くちょう)で、スラスラと唯子はその質問に答えてみせた。

                    (つづく)     





★次回更新予定日︙2025年2月2日(日曜日)
[訂正とお詫び︙
 元々、2月8日(日曜日)を更新予定にしておりましたが、下書きの作業が思いの外(ほか)進んでいたので、誠に勝手ながら変更しました。読者の皆様に混乱を招いてしまい、大変申し訳ありませんでした。]
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