九つの塔。救世の勇者。おまけに悪役面おじさん。   作:嶋野夕陽

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 ベッドの上で目を覚ましたニコラは、過去にないくらいに動揺していた。

 割と強めの頭痛に、見慣れない天井。

 ベッドには自分しかいないけれど、なぜか部屋には人の気配がある。

 衣服は乱れていない。酒臭さがまだ抜けていない。

 

 昨晩はジークと食事をして、少しばかり深酒をした。

 そっと体を横にずらして人の気配のある方をのぞくと、ジークが床に寝転がって眠っていた。

 警戒心の強いジークが眠っている姿なんて非常に珍しい。

 ニコラはその場でぴたりと動きを止めて、体が辛くなるまでじっと静かに眠っているジークの横顔を眺めていた。

 

 

 時は少し遡って、ニコラが仕事を終えた頃のこと。

 ニコラはまっすぐにジークの下へは向かわず、近くに借りている家へ立ち寄って、服を今日この日のために用意していたものの一つに着替える。ドレスとまではいかないけれど、いわゆる機能的ではないお洒落な服だ。

 足元はひらついているし、首元は開けていて無防備な、探索者時代ならば絶対に着ることのなかった服である。

 

 ギルドの正面口から戻ると注目が集まる。

 ニコラは人気の受付であるし、彼女を食事に誘う探索者は後を絶たない。

 そんなニコラが仕事の後にギルドを訪れることなど滅多になく、ましてあからさまにお洒落をした姿でやってくるなど前代未聞のことだった。

 ニコラに見とれた男たちがその後姿を追いかけ、やがてその到着した場所へ目をやってみんなそろって顔をしかめた。ギルド内に唾を吐いているものすらいる。そのうちウームにしばかれるだろうが、今この時だけは誰も文句を言わなかった。

 

 一人でナッツをかじっていたジークは、ニコラに「お待たせ」と言われると、座ったまま上から下までさっと見て立ち上がる。

 動き難そうな服を着ているなと思ったけれど、昔パーティ唯一の女性であったテルマの母親に、女性が新しい服を着てきたらあんたは感想を言うな、と怒られたことを思い出した。

 この間までだったら忘れていたような日常の些細な言葉だったが、最近はテルマとの付き合いが増えたせいか、記憶が鮮明によみがえってきている。

 時折辛くなることもあるが、今回は忠告を思い出せてよかったなと思うジークである。

 どうやら自分が思ったままのことを言うと、女性を怒らせるらしいことだけはわかっている。ジークだって、いつも世話になっているニコラをわざわざ怒らせたいとは思わない。

 

「どうかしら?」

 

 立ち上がったジークに、ニコラは笑いながら感想を求める。

 どうせろくなことを言わないのをわかったうえで聞いているから、変なことを言ってきても怒ったりするつもりはなかった。ただのじゃれあいみたいなものだ。

 ジークはしばらく黙り込む。

 じっと薄いブルーのひらひらとした服を見つめて、それからぼそっと一言呟いた。

 

「似合うな」

 

 自分がテルマの母親を怒らせたときに、テルマの父親が何と言っていたか、何とか記憶の底から引きずり出したのだ。その時の言葉はこんな単調なものではなかったけれど、細かな部分までは覚えていなかった。

 だからジークは、それを短く要約して、一応相手を喜ばせようと思って言葉を選んだのである。人付き合いが壊滅的な男にしてみれば、とてつもない成長であると言える。

 あるいはパーティを組んでいた頃のジークの面影が少しだけ戻ってきたのか。

 パーティから離れてから丸二年塔にこもり、それから十五年もたった一人で活動し続けた男が、最近ようやく人とコミュニケーションをとるということを思い出していた。

 最近テルマとよく話していたおかげで、いちいち怒られることが増えた。

 怒られるのはちょっと面倒くさいので、怒らせないようにしよう、からの変化である。

 

 僅かに間をおいてから、ニコラの頬がかーっと赤く染まった。

 予想だにしない不意打ちで、思わず固まってしまう。

 この男にそんな気の利いたことが言えたのかという驚きが先に来て、嬉しさと照れくささが後から一挙に襲ってきたのだ。

 怒らせたのか、としばし様子を見ていたジークだったが、だからって機嫌の取り方がわかるわけではない。再起動しないニコラに対して「どこへ行くんだ」と声をかけるのが精いっぱいであった。

 ジークの言葉を聞いてはっとしたニコラは、まだ熱い頬を一撫でしてから、咳ばらいをして目を泳がせる。それから回れ右して深呼吸すると、振り返って笑う。

 

「付いてきて、店なら決めてるから」

 

 周りの様子を見ることもなく、ジークの言葉を脳内で繰り返しながらギルドから出たニコラは、少し歩いてから本当にジークが後ろについて歩いていることに気づく。

 塔の中ならばともかく、普通こういう時は横並びで歩くものだ。

 

「ジーク」

「なんだ」

「こっちにきて」

 

 自分の横を指さすと、怪訝な表情のジークが寄ってくる。

 警戒心の強い動物が自分だけに懐いているようで、ニコラはそれだけでご満悦だった。

 

「腕、少し曲げて」

 

 言われるがままに曲げられた腕の間に、自分の腕を通す。

 ジークは戸惑っている風であったが、振り払うこともせず、何を言うでもなかった。

 

「後ろにいたら話しにくいでしょ」

「そうか」

 

 横に並んでみると、ニコラはジークより頭一つ以上小さい。

 探索者をしていた時のように体は鍛えていないようで、触れる腕は少しだけ柔らかかった。頼りないと思ったけれど、同時に、これで立派に生きているのだから大したものだとも思う。

 僅かにふられた香水の匂いが漂ってきて、これじゃあ塔には入れないな、とも思う。魔物の中にはにおいに敏感で集まってくるものだっているからだ。

 ジークは人と触れ合うことが少ない。

 誰かを助けたり、誰かと喧嘩をしたりするたび、動けない人間を運ぶことはあるが、それは全員探索者である。皆それなりに鍛えていて、血と汗と泥の、あるいはアルコールの匂いはしても、ニコラのような良い匂いをさせる者はいなかった。

 ニコラは元々探索者であったが、引退してから随分と時間が経っている。もはや一般人と言って差し支えないだろう。

 ジークにとってニコラは、初めて触れる一般人の女性であった。

 

 二人が入ったのは、個室で食事ができる少々値の張る店である。

 案内をした従業員は、美女と野獣、とは言わないまでも、明らかに堅気でない男が入ってきたことに動揺したが、それを表に出さずにスマートに部屋まで案内することに成功した。

 店中が二人の噂でもちきりになったけれど、好奇心旺盛な従業員が何かを運ぶために部屋を訪れる度、ジークが恐ろしい形相を見せつけたため、様子を探ろうとするものは早々にいなくなった。 

 

 二人はしばらくいつも通りの会話をして食事を楽しんでいたが、少しお酒が入ってきたところでニコラが口を滑らす。ペースを守っていたつもりが、テンションが上がっていつの間にか飲み過ぎていたのだった。

 

「ジーク、テルマさんのお母さんのこと好きだった?」

「知らん」

「だからテルマさんのこと気にしてるんじゃないの?」

「違う」

「じゃあ何?」

 

 ジークはニコラの頬が、今度はアルコールですっかり紅色に染まっているのを見てため息をついた。おいて帰ってやろうかとも思ったが、よみがえってきた昔の記憶が、ジークに僅かな常識を取り戻させており、その体を辛うじて席に縫い留めていた。

 

「……妹か、姪」

「なにそれ」

「……あいつの父親に言われた。俺はあいつの弟か息子みたいなものだから、あいつの子供は俺の家族だと。なんかあったら守ってやれと言われた。……本当は、テルマの母親のことだって俺が守ってやらなきゃいけなかった。俺はあいつらとの約束を何も守れていない」

 

 男を守って欲しい。それがテルマの母親の願いだった。

 生まれてくる子供と、テルマの母親のことを守って欲しい。それが男の最後の願いだった。

 だが、帰ってきたジークはテルマの母親に拒絶された。

 だから自分にできることだけをやっている。

 お金を送ることだけがジークにできることだった。

 テルマが二人の子供だとわかった時、ジークはほっとしたのだ。

 生きているのだと。どうやら、テルマの母親も元気にしているようだと。

 そしてジークは、今度こそ守ってやらなければならないという使命を覚える。

 これはテルマの意志を無視した自分勝手な使命であるが、今のジークにとっての一番優先すべき事柄でもあった。

 ニコラは酔っぱらって判断力の鈍った頭で、重たくなってしまった空気をかえようとジークに尋ねる。ずっと抑えてきた感情。最近の変化と焦り。二人きりの空間。とどめに若干の混乱とアルコールが吐き出させた質問だった。

 

「じゃあ、ジークは私のことは好き?」

 

 言葉を紡いでいる途中で、すでにまずいと気づいていたニコラは、全て言い終えたところで顔をさっと青くした。赤くしたり青くしたり忙しいことである。

 そして慌てて質問を取り下げる前にジークの言葉が開く。

 

「多分な」

 

 ニコラは目を丸くして、現実を疑い、片手に握っていた酒を一気に飲み干した。

 カッと喉が熱くなり、ふわふわと視界が揺れる。

 

「あいつら以来、初めてできた友人だ」

 

 ニコラは揺れる視界のまま手を伸ばし、ジークの前に置いてあったコップを奪いとった。この野郎、期待させやがって、と汚い言葉は口にしないが、やたらと腹が立ったからだ。

 もう一度グイッと酒を喉に流し込んだ。

 

 

 

 そこからのことはあまり覚えていない。

 しかし改めて、こうして同じ部屋でジークの寝顔を見ながらニコラは思う。

 

『友人』

 

 悪くないじゃないかと。

 何物でもなかったものが形を変えたのだ。

 それがさらに形を変えることは、それほど難しいことではないんじゃないかと、そう考えたのだ。

 身動ぎをして急にぱちりと目を開けたジークにニコラは言う。

 

「おはよう」

 

 ずきりと頭はいたんだが、とても気分のいい朝であった。

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