九つの塔。救世の勇者。おまけに悪役面おじさん。   作:嶋野夕陽

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「もしかして、その……ジークさんが私のパパだったんですか?」

 

 凍り付いた場を動かしたのは、それよりも訳の分からないテルマの爆弾発言だった。たくさん名前を呼ばれたおかげで、楽しげに尻尾を振っているのは犬のジークだけである。

 

「違う」

「何言ってるの、テルマ」

「ジークさんは人と付き合ったことないですよね?」

「そうだよ。ジークさんの初めての相手は僕になる予定だから」

「兄さんは黙っててください」

「ニコラが黙ってて」

「全員黙れ」

「ジーク?」

 

 複雑化した状況に耐えられなくなったジークがいつもの調子で言葉を吐き捨てる。

 すると咎めるようなセリフが後ろから飛んできて、ジークは思わず背筋を伸ばした。

 ハンナもつい昔よく聞いたようなセリフに、昔の様に返事をしてしまい、しまったと目を泳がせる。そして同時に、これが自分の知っているジークであることを確信した。

 最後に見た時は、まだハンナとそれほど背も変わらず、目つきばかりが鋭くて、その癖仲間たちの行動をじっと観察して真似をしようとするかわいらしい少年だったのだ。

 あまりの変わりっぷりに受け入れるまで少しばかり時間がかかりそうである。

 しかしそんなことよりも、テルマの言葉が理解できない。

 

「テルマ、あなたのお父さんはダンジョンで亡くなったって昔お話ししたわよね?」

 

 テルマはさっと目を逸らしながらもごもごと答える。

 

「でも、その、みんなあまりパパのこと教えてくれないし、もしかしてママが相手に逃げられちゃって、それで」

「逃げられた……?」

 

 低い声の問いに、テルマは掴んでいたジークの腕を放して両手をこすり合わせ始める。

 

「違くて、何かうまくいかなくて、ママのことが好きなのに離れて行っちゃったのかなって。それでお金が送られてくるけど、ママも実はその人のことがまだ好きで、とか、そういう、その、だから、お金を送ってきてくれてる人がパパで、見つけたらママが喜ぶかと思って、私はその……」

 

 しどろもどろが過ぎた。

 ところどころ正解だが、途中からは全て妄想である。

 そしてどうでもいいから、あとはハンナさえ手を放してくれれば姿をくらませられるのにと思っているジークである。

 

 衝撃のあまりに自分を見失っていたが、この辺りで事情をすべて察したのは美形兄妹の二人である。互いに目配せをして、静観を決める。

 場合によってはジークが逃げ出して、この街に戻ってこなくなることすら考えられるのだから、下手に刺激するわけにもいかない。

 ヴァンツァーはさりげなくジークの正面にまわり、あり得るであろう逃走経路を塞ぐような位置まで移動した。

 背後を守るのはニコラである。

 ジークが本気で逃げれば簡単に跳ね飛ばされてしまうだろうが、それをしないくらいの関係は築いてこれたと信じたい。

 

 ハンナは深いため息をついた。

 テルマはとてもいい子に育ってくれたが、時折まっすぐすぎて周囲が見えなくなることがある。それは、ハンナと仲間たちが育てた(とハンナが思っている)ジークと同じ特徴であった。

 自分の育て方のせいなのかと思いながらも、気持ちを落ち着けたハンナは、再びテルマにお願いをする。

 

「ジークを捕まえて」

 

 手を放していたことに気づいたテルマがハッとして、再びジークの腕を固定する。

 これだってジークが本気で逃げようとすれば簡単に振りほどけるくらいの拘束だ。

 それでも逃げ出さないのは、ジークがテルマを守るという約束を、その父から与えられたからである。

 

 ハンナはジークのベルトから手を放し、正面にまわる。

 ジークは足を動かしてみたが、いつの間にやら逃走経路はヴァンツァーとニコラに塞がれていた。テルマのことを無理やり振り払うこともできない。

 顔を合わせないように横を向き、掴まれていない方の手で覆い、俯く。

 

『あなたの顔を見るのが辛いの。お願い、一人にして』

 

 ジークはかつて言われた言葉を思い出す。

 隠していても、ハンナの目は、どうしてあなた一人しかいないの、と物語っていた。

 普段察しが悪いジークが受け取らなくてもいいような僅かな感情を受け取ってしまったのは、自分自身がそう思っていたからだ。

 ガジュが、あの口が上手く気遣いの細かい斥候が生きていれば、ゼノスが、あの知識豊富で経験豊かな魔法使いが生きていれば、きっともっとうまくハンナを慰めたことだろう。

 ノックスが、明るく、いるだけで人を笑顔にするようなテルマの父が生きていれば、きっとハンナは悲しみながらも仲間たちの死を受け入れられただろう。

 そう思うからこそジークは、なぜ自分が生きて帰ってきたのだと思ってしまう。

 

 そしてハンナの言葉がジークにそれを確信させた。

 ハンナに、どうしてあなた一人しか、と思うなというのは酷な話だ。

 当時の十八であったハンナは、大事なものの殆んどを失ったのだ。

 最愛の夫、十三の頃から一緒に歩んできた仲間二人。

 ジークが生きていてよかったと思うのと同時に、どうしてノックスが、仲間たちが、と思わないわけがなかった。

 腹に子を宿しているハンナは、当時精神的に安定していなかったのもある。

 しかしだからこそ、それでいてなお、ジークに当たり散らしたくないという気持ちが、ジークに告げたあの言葉であった。

 冷静に考えれば、ジークの生まれ育ちを考えれば、言葉足らずであることは明白であった。

 今まさにハンナと同じく大切なものを失ったことを考えれば、ジークだけが生き残ってしまったという状況を考えれば、逃げ出したくなるような状況でも、ぼろぼろの体のまま、他に何をするでもなく真っ先に報告しに来てくれたことを考えれば、言ってはいけないことだった。

 繰り返すようだが、当時のハンナにそれをこなすよう求めることは酷である。

 どんなに人生を重ねた人でも、どんなに穏やかな人でも、これを完ぺきにこなすことは難しいだろう。

 ただ、たった一つボタンを掛け違ってしまった、それだけのことだった。

 

 少し時間を空けて、ハンナがごめんね、と言えば解決する問題だった。

 

 問題をややこしくしたのは、ジークである。

 思い込みが強く、行動力の塊のような男は、すぐさま動いた。時には良い方向に働くことだってあるそれは、この件に限っていえば完全に裏目に出てしまったようであった。

 できることは何かと考え、遺品を取り戻すまで二年間も一度も帰らずに塔にこもり、周囲には死んだと思われていたのに、目的を達して戻って来たかと思えば、ハンナと絶対に顔を合わせないようにと、そのままどこかへふらりと消えようとしたのだ。

 ギレントの努力さえなければ、今頃塔の中で徘徊する魔物として扱われていてもおかしくない。

 

「ジーク」

 

 ハンナはジークが顔を隠している手を掴み、それをはがそうとする。

 

「ジーク」

 

 ジークはしばらくそれに抵抗していたが、今度は咎めるように名前を呼ばれて、仕方なく手の力を抜いた。

 ジークの顔にはハンナが知らない傷が刻まれている。

 その手にも、腕にも、深い傷跡と歪に治った跡がある。

 随分と精悍になった。

 苦労したのか眉が薄くなり、目つきは昔よりもさらに鋭く、生意気に髭なんかまで生えている。

 それでもその顔には、当時ハンナがかわいがっていたジーク少年の面影があった。

 

 ジークの手が、ハンナの両手に包まれ、傷が指先で撫でられる。

 ぽたりと温かいしずくがハンナの手に落ち、流れてジークの手を伝っていく。

 

「ジーク、ごめんね……。あなただって辛かったのに、私が、弱かったから」

「……俺が悪い」

 

 一度こぼれだすと涙は止まらず、次々に二人の手を濡らす。

 

「違うの。ずっとずっと謝りたかったの。ごめんね、ジーク。それから、生きててくれてありがとう。私はずっと、それがいいたかったの」

「そうか」

 

 抱き着いて泣き始めるハンナ。

 ジークがずっと見ないようにしていた、心の中にあった何かが、ジワリと溶けて消えていく。

 

「そうか……」

 

 天を見上げてもう一度呟かれた言葉は、やがて訪れる夜の空へと吸い込まれて消えていった。

 

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