Kuschel   作:小日向

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第1章
001 ヴァジュラに襲われた民間人


 金色の瞳と目が合った。

 

 『それ』はなんとも形容し難い化け物だった。一見すると虎に近しいが、大きさでいえば虎よりも象ほどの巨躯をしている。頭や肩には縄文土器のような質感の鎧を纏い、全身を覆う黒い毛並みは随分と硬そうだ。マントのように広がる赤い(たてがみ)は毛というよりも平たい骨でできており、ひどく禍々しい。

 

 とてもじゃないが、見たことがない。あったとしても近しいものが、人間を喰べるCG映画に登場する架空の生き物だ。

 

 そう、()()()()()()

 

「――ひっ」

 

 本能が逃げろと叫んでいる。喰われる寸前、赤いマフラーを巻いた女子高生――井上三葉(みつは)は、全速力で逃げ出した。

 

 夢だ。悪夢だ。しかし夢から覚める方法が思い浮かばず、獲物を捕喰せんとする恐ろしい化け物から逃げることしかできない。

 肩に掛けた通学鞄は重たいカメラが入っているが、夢だからか、はたまた生存本能か、重さはさほど感じずに瓦礫だらけの街を駆け抜ける。辺りは荒廃した街並みが広がり、夕焼けに染まる建物にはあちこち穴が開いて廃墟となっていた。

 

 そんな寂寥感に溢れる街の残骸の中で、三葉は一際大きい穴が開いた建物を目にした。

 高層ビルの真ん中に、隕石が貫いたのかと思うような風穴。他のビルと比べても突出しているそのビルは、100メートル以上はあるだろうか。

 妙な既視感に、三葉は思わず足が止まってしまう。

 

 あんな風穴の開いたビルなど、三葉には見覚えが無い。

 

 しかし――横浜駅へ向かう際に必ず目に入る高層ホテルは、あれくらいの高さではなかっただろうか。等間隔に貼られた窓ガラスに夕陽が反射してオレンジに染まるビルは、あのような色をしていなかっただろうか。

 

 パズルのピースが一つ埋まると、連鎖するように周囲の廃墟群を見る目が変わる。

 

――なに、これ。

 

 呆然と立ち尽くす。肩に掛けた鞄がずり落ちた。

 

 この廃墟群は、まるで――()()()()()()()()()()()()ような、そんな様相をしていた。

 

 廃墟に釘付けになっていた三葉を我に返らせたのは、化け物の咆哮だった。ハッとして振り向くと、化け物は広げたマントに青白い火花を纏わせていた。化け物が吼えると、それが合図なのか火花が放たれる――電撃だった。

 バチバチッと空気を震わせながら、電撃が鋭い刃の如く三葉の身体に突き刺さる。

 

「――――ッ」

 

 全身に強い衝撃が走り、強烈な痛みに襲われた。出血している様子はないが、身体中が震え、筋肉が痙攣する。痺れる身体が崩れ落ち、地面に縫い付けられる。

 

――逃げなきゃ。

 

 そう思うものの、麻痺した身体は震えるばかりで力が入らない。化け物が三葉目掛けて飛びかかって来る。大きな牙と鋭い爪が三葉を捉え、引き裂こうとしている。このままでは喰い殺されてしまう。恐怖が形になって零れ落ちた。

 

 死んだら夢から覚めるかもしれない。そうは思うが、こんなにも意識がはっきりとしている中で死ぬのは怖かった。神に祈る思いで、三葉は腹の底から声を絞り上げる。

 

「――助けて!」

 

 

 

 痛みはこなかった。

 

 代わりに、化け物の大きな鳴き声が乾いた空気を震わせた。威圧する咆哮とは違う、叫ぶような鳴き声だった。

 

 よろめいた化け物の背後には人が居た。目深に被られたフードのせいで顔はよく見えないが、浅黒い褐色の肌と白っぽい銀の髪をしたエキゾチックな青年だった。

 

 青年は身長ほどある巨大な鋸状の武器を構え、化け物に斬りかかる。重そうな見た目に反し、軽々と鈍色の武器を扱っていた。

 肉を断つ音と耳を劈く獣の叫びが聞こえ、血飛沫が舞う。映画のような光景を前にして、三葉は瞬きも口を閉じることも忘れていた。あまりの衝撃に涙も止まり、ただ呆然と目の前で上映されるアクション映画を鑑賞する。3D映画顔負けの大迫力だ。血飛沫はカメラのレンズではなく三葉の顔に飛んでくる。血が頬を伝う感覚に、映画ではなく体験型アトラクションのようにも感じた。

 

 アクション映画は終わりを告げる。ズシン、と重い音を立てて化け物は地面へ沈み、動かなくなった。そして青年は鋸の形をしていたはずの武器を、まるで大口を開けた黒い生き物のように変形させ、化け物を喰らう。

 

 比喩でもなんでもなく、文字どおり――()()()()いたのだ。

 

 武器は生きているかのように黒い大口で化け物に噛みつく。ぐちゃぐちゃと肉を咀嚼する音が聞こえる。それが終わると、化け物は霧散した。

 

 青年が三葉へ顔を向ける。武器は元の鋸の形状に戻っており、赤い腕輪を嵌めた右手だけで軽々と肩に担いでいた。そして三葉へ歩み寄って来る。呆然としていた三葉は、弾かれるように慌てて言葉を紡いだ。

 

「たっ、助けてくれてありがとうございま……えっと、日本語わかりますか?」

「……怪我はないか」

「あっ、はい! 大丈夫……ですけど、電撃? のせいで立てな――あ! 立てました!」

「…………」

 

 先ほどまで動かなかったはずの手足は、いつの間にか自由が利くようになっていた。痛みに反して大したことは無かったようで安心した。

 通学鞄を肩に掛け直し、三葉は改めて青年に頭を下げた。

 

「すみません、助けてくれてありがとうございます」

「礼はいいから質問に答えろ。なんで民間人がこんなところに居やがる?」

 

 青年の声は低く、鋭い。威圧的な態度に内心怯えつつも、三葉は答えに迷った。

 何故こんなところに居るのか?

 

「なんで……でしょうね?」

「ふざけてんのか。学校に通うような富裕層が理由もなくこんな場所に居て堪るか」

「……富裕層?」

「チッ……話にならねぇな。――こちらソーマ。H地点でヴァジュラに襲われた民間人を救出した」

 

 青年の名はソーマというらしい。ソーマは襟元のインカムで誰かと連絡を取り始めた。文脈から察するに、先ほどの虎のような化け物は『ヴァジュラ』と呼ぶそうだ。

 

 ヴァジュラという化け物の脅威が去り、三葉は改めて周囲を見渡してみる。やはり、どこか既視感を覚える荒廃した街並みが広がるばかりだ。立ち並ぶビル群はどこもかしこも穴が開いていたり崩落しており、まともな建物は一つも無いように見える。

 

――そろそろこの夢覚めないかな〜。

 

 帰宅しようと駅に向かって歩いていたはずがどうしてこうなっているのか、三葉には理解できなかった。眠ってしまった覚えはないが、眩暈がしたので倒れたりしたのだろうか。

 セオリーどおりに三葉は血の付いていない左頬を抓ってみる。しかし痛いだけで夢から覚める気配は無い。そもそも痛みで目が覚めないのは先ほどの電撃で経験済みだった。

 

「おい」

「ひゃいっ」

 

 声をかけられ、頬を抓ったまま返事をしてしまい変な声が出た。三葉は羞恥心に駆られるが、ソーマは特に気にした様子もなく――というよりは興味が無さげに言葉を続ける。

 

「ついて来い」

「あ、はい。……あの、質問いいですか?」

「…………」

「えーと、さっきの……ヴァジュラ? っていう化け物、一体なんなんですか?」

「あ?」

「あっ、なんでもないです〜」

 

 『何言ってんだコイツ』とでも言いたげな険しい目で睨まれ、三葉は思わず身が竦む。愛想笑いを浮かべて質問を流した。

 

――そういえばこの人、あの化け物倒しちゃうような人なんだよね。

――ヤバそうな武器も持ってるし、怒らせないようにしよ。

 

 とてもじゃないが友好的な人とも思えないので、三葉は黙ってその背中について行くことにした。ソーマは舌打ちを一つ落とし、三葉を先導する。

 

 しばらく歩くと車が見えたが、見慣れない車だった。だがテレビなどで見たことはある、軍隊が使っているような装甲車だった。

 

 その車の傍らには二人の男女が居た。長い前髪で左目を隠した男性はチェーンソーのような形状の剣を、ショートボブの女性は大きな銃を構えている。どうやら物騒で巨大な武器を持つことが当たり前の世界観をしているようだ。

 どちらも黒髪の美男美女で、右手首にソーマがしていたものと同じ腕輪を嵌めている。特に女性は大胆な露出が目立ち、抜群のプロポーションを惜しげもなく晒していた。

 

 そんな黒髪美女は三葉を見つけると、柔らかい笑みを浮かべて近づいて来る。物騒な武器とはミスマッチだが、ソーマとは打って変わって友好的な態度の人間に三葉は安心した。

 

「もう大丈夫よ、これからアナグラであなたを保護するから安心してね」

「ありがとうございます……? ……その、ここって一体どこなんですか?」

「旧市街地……この辺りのエリアは贖罪の街と呼ばれているわね。あなたこそ、どうしてこんな危険な場所に居たの?」

「私もよくわからなくて……。家に帰ろうと歩いてたら、突然眩暈がして……気づいたらこんなところに」

「そう……拉致かしらね? カルト教団の富裕層を狙った誘拐事件がたまにあるのよね」

「まぁ詳しい話はアナグラで聞こうや。いつまでもこんな場所に居ちゃあ、嬢ちゃんも安心できねぇだろ」

「それもそうね。さ、行きましょ」

 

 『アナグラ』という場所が三葉にはわからないが、文脈から読み取るに保護施設のようなものだと推測し、ありがとうございますと頭を下げておいた。

 

 男性二人は武器と一緒に後ろの兵員室に乗り、三葉は助手席に乗るよう女性に言われて装甲車に乗り込んだ。ちなみに、武器は組み立て式なのか何かわからないが、コンパクトにできるようでアタッシュケースに収納されていた。

 

 助手席の窓から流れる景色は、ビル群を抜けるとずっと荒野が続いていた。その景色を見てもう一度頬を抓る。景色は変わらずで、抓った指先に血が付着した。ソーマによって倒された、あのヴァジュラという化け物もいったいなんだったのだろうか。

 

「すみません、えっと……自己紹介、してませんでしたね。私は井上三葉といいます」

 

 ポケットティッシュで血を拭いながら、三葉は隣で運転する女性に話しかけた。

 

「私は橘サクヤ。よろしくね、ミツハ」

「橘さん。綺麗な名前ですね。……ええと、質問があるんですけど、いいですか?」

「ふふ、ありがとう。なぁに?」

「化け物に襲われていたところを、ソーマさん? に助けてもらったんですけど……あの化け物って、一体なんなんですか?」

「あれはヴァジュラという大型種のアラガミだけど、あなたアラガミを見るのは初めて?」

「あらがみ……? そういう動物なんですか?」

「……襲われた時、頭を強く打ったりした?」

「頭は打ってないですけど、電撃? を浴びました……」

「そう……。アナグラに着いたら、メディカルチェックをしましょうか。ヴァジュラの電撃を浴びて生きてるなんて、運が良かったのね」

 

 頭を打ったのではないかと憂慮しているサクヤを見るに、この世界では『アラガミ』という化け物を知らないことは非常識なことなのだと三葉は悟った。

 

 荒廃した地に、人を喰らう化け物が闊歩する世界。とんだ世紀末な夢だと思いながら、ガタガタと揺れて乗り心地の悪い装甲車に揺られた。

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