Kuschel   作:小日向

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101 三つ葉のクローバー

4月9日

 

 出頭命令から一晩が経ち、アナグラは昨日以上にざわついていた。

 

 早々にチケットを手にする者。乗船を拒む者。大勢の犠牲の上に生き延びることに悩む者。呼び出されなかったことに憤る者――アナグラは混迷を極めていた。

 

――防衛班のみんなは、なんて答えただろう。

 

 エントランスの喧騒から逃れるようにエレベーターに乗り、地下へ進みながらミツハはぼんやりとそんなことを思った。

 

 良い意味でも悪い意味でも利己的なカレルは乗るだろう。タツミは外部居住区を見捨てるはずがない。ならば他のみんなはどうだろうか。聞いてみようかとメールボックスを開いたが、こんなことをメールで聞いてしまうのは憚られてやめた。

 

 新規作成の画面を消し、代わりに受信箱を開く。一番上にある今朝届いたばかりのメールを開き、短い文章を見つめた。

 

 コウタはしばらく、休暇を取るそうだ。アーク計画に賛同した者は特異点の捜索に駆り出される。賢明な判断だと思う。

 

 しかしアリサとサクヤ、そしてコウタが居なくなった第一部隊には、ユウとソーマ、ミツハの三人しかアナグラには残っていない。

 

――これ、任務とか大丈夫なのかな。

 

 第一部隊に下される任務は大型種や堕天種の討伐が主だ。腕のあるユウとソーマの足を引っ張らないようにせねばと意気込むが、ひとまず今日はまだ任務が出されておらずほっとした。

 

 シオの様子を見に行こうと、ミツハは研究区画へ向かう。地下800メートルほどで止まったエレベーターを降り、サカキの研究室の前に立つ。腕輪認証でロックを解除し、周りに誰も居ないことを確認して扉を開ける。もしもシオが部屋から出ていたら扉の隙間から見られる可能性があるのだ。用心に越したことはない。

 

 研究室に入るとサカキしか居なかった。扉のロックをかけ直して中に入る。カタカタと軽快なタイピング音がするだけで、少女の元気な声は聞こえない。どうやらシオは個室にいるようだった。

 

「おや、ミツハ君。ちょうど第一部隊を呼び出そうと思っていたんだけど、テレパシーが通じたかい?」

「博士からのテレパシー、受信しましたよ〜。で、何かあるんですか?」

「任務の依頼をしようと思ってね。まぁその話はソーマたちが来てからにしよう」

「はーい」

 

 茶番をしながらミツハは勝手知ったる顔でお茶を注ぎ、ソファに座った。熱い茶に息を吹きかけて冷ますミツハに、サカキが少々真面目な声のトーンで話す。

 

「それより、昨日ヨハンから呼び出されたんだろう? 大丈夫だったかい」

「あー……何かあったりとかは、全然。ただ、うーん……前に博士が、ソーマさんに対して支部長のことを誤解してるって言ってた意味が、ちょっとわかったかなぁって……」

「おや」

 

 ミツハの言葉に、サカキはキーを打つ手がぴたりと止まった。狐のような細目が更に細められるが、どこか優しい表情を浮かべていた。

 

「何を話したのか、よければ聞かせてもらえるかい?」

 

 その言葉にミツハは頷き、ぽつりぽつりとヨハネスと話した内容を語る。

 

 話の主軸は、主にソーマのことだった。改めてヨハネスとソーマのことを思うと、二人は血の繋がった親子なのだと心から思う。噛み殺したような笑い方も、どうしようもないほどに不器用なところもそっくりだ。

 

 ――こんなこと、ソーマ本人に言ったら怒られてしまうだろうが。

 

「博士はずっと知ってたんですよね。だから、ソーマさんと支部長が和解できるようにディスクを見せようとしてたんですね」

「……ああ、そうだよ。私は今でもヨハンやアイーシャのことが好きだからね。あの親子が争うようなことは、避けたかったんだがね……」

 

 溜息を吐き、サカキは困ったように力無く笑った。サカキの願いは虚しく、親子の間には埋まることのない絶対の溝ができてしまっている。

 

 ヨハネスの話を聞いたミツハとて、あの一件が無かったことにできるわけではない。今でもヨハネスを許すことなどできやしないが――愛など自分には無縁だと言うソーマの誤解を解きたいとは思った。

 

 ヨハネスはソーマを愛している。生きてほしいと、幸せを願っている。愛されていないわけではないのだ。

 

 複雑な胸中に、言い表せない靄が立ち込める。その靄を流すように、茶を半分ほど一気に飲んだ。一息吐き、ミツハはサカキに問いかける。

 

「ディスクの中身はマーナガルム計画の会議の記録って言ってましたよね。どんな内容なんですか?」

「ヨハンとアイーシャがソーマへの偏食因子の投与を決断した会議の記録と、それとヨハンがアイーシャの出産前に撮ったビデオだよ。元々胎児段階での投与が確実だというのはラットでの実験からわかっていたんだけど……人体での臨床実験、ソーマへの投与を最初に提案したのはヨハンではなく、実はアイーシャなんだ」

 

 遠い日を思い耽るように、サカキはしみじみと語る。

 

「滅び行く世界を子供たちに見せたくないと言ってね……ソーマに未来を託したんだ。世界に福音をもたらすように願って、インド神話に登場する、人々に活力を与える神の酒である名をつけた。それが『ソーマ』だよ」

「……名前の由来、ソーマさんは知ってるんですか?」

「さぁ……どうだろうね。ヨハンが直接教えるとは思えないけど、ソーマは賢いから知識としては知っているんじゃないかな。……ミツハ君は自分の名前の由来、知っているかい?」

「私のはそのまま、三つ葉のクローバーが由来ですよ。小さい頃は幸運の四つ葉じゃないのかーって思ってましたけど……今は、自分の名前が好きですよ」

 

 四つ葉が『思わぬ幸運』ならば、三つ葉は『ありふれた幸福』だろう。この世界に来てその意味を強く理解するようになった。

 

 ご飯が食べられる。安心して眠れる場所がある。在り来たりの日常がある。何も特別なことではない。だが、それらはどんなに幸せなことだろうか。

 

「……誰かを幸せにするのに、四つ葉みたいな特別なことは要らないから、三つ葉です。探せばどこにでもある三つ葉だからこそ、いつでも誰かを幸せにしてあげれる、そんな子に育ってほしい――って。小学校の作文の課題で、親に名前の由来を聞いてみたらそう言われました。元々三つ葉のクローバーが由来だろうなーって思ってはいたんですけど、まさかそんな意味が込められてるとは思いもしなくて。それから自分の名前が好きになりました。……名前のように育ったかは、自信無いですけど」

 

 あはは、と恥ずかしそうにはにかんだミツハに、「良い親御さんだね」とサカキは優しく目を細めた。

 

「名は体を表すと言うけど……ミツハ君によく似合った名前だと本当に思うよ。良い名前だ」

「あ、ありがとうございます。なんか照れますね」

「つまりミツハ君はソーマにとっての三つ葉のクローバーというわけだ!」

「そ、そうなれたらいいなー! ユウたち遅いなー! 迎えに行っちゃおっかなー!」

「もう少し雑談に付き合っておくれよ」

 

 真面目な顔から一転。からかい始めたサカキにミツハは居心地を悪くし、残りの茶をちびちびと舐めるように飲んで湯呑みで顔を隠す。そんなミツハをサカキは可笑しそうに笑った。

 

 部屋にキーの打つ音だけが響く。何も話さなければ、研究室は無機質なキーの音と機械の稼働音しかしない。

 

「……シオの様子はどうなんですか?」

 

 明るい少女の声は今日もしない。サカキはキーを打ちながら答える。

 

「今は少し落ち着いてはいるけど、だいぶ不安定なようでね。特異点としての覚醒が始まっている証拠だ」

「どうにかならないんですか?」

「シオの暴走を抑える可能性のある酵素を持ったアラガミ素材があることがわかってね。任務の依頼も、実はその素材収集のお願いなんだ。協力してくれるかい?」

「そうなんですか!? もちろん協力しますよ! ……って、通常任務のほうって大丈夫なんですか……? 第一部隊、今人手不足ですけど……」

 

 素材の収集をしながら討伐任務をこなす――というのは、ミツハにとってはかなりハードだ。体力が持つだろうかと不安になるミツハだが、サカキはあっけらかんと笑った。

 

「ぶっちゃけ、今上層部から下される任務はもっぱら特異点捜索のものだ。チケットを受け取った神機使いが我先にと受注しているだろうね」

「あー、なるほど……。うぅ、カレルの前でボロが出ないように気をつけよ……」

 

 チケットを受け取るであろうカレルは特異点捜索の任務を受けるはずだ。聡いカレルの前で下手なことを言わぬように気をつけなければいけない。

 

 ずっしりと気分が重くなり、残った茶を飲み干す。空になった湯呑みをテーブルに起き、手持ち無沙汰にユウたちが来るのを待っていると、不意にサカキが口を開いた。

 

「もしもの話なんだけど」

 

 カタカタとキーを打ちながら、視線は画面を見つめたまま――なんでもないただの雑談のネタでも振るかのような口調で、サカキは問う。

 

「シオとは別の存在が特異点として生まれた時、代替の存在ができたことでシオの特異点としての覚醒が治まるかもしれない――としたら、ミツハ君はどうするかい?」

 

 カタカタとキーの音が響く。機械の稼働音が響く。無機質な音が、部屋を埋めた。窒息しそうなほど張り詰めている。

 

 ミツハは短く息を吐き、吸った。

 

「……それって、つまり、私が――」

 

 ピンポーン。

 

 続けようとした言葉は、来客を知らせるインターホンの音によって遮られた。

 

「おや、ユウ君たちが来たようだ。出迎えてくれるかい?」

「…………」

 

 けろりとした顔でサカキは笑う。固まったミツハを見ながら。彼は眼鏡のブリッジを押し上げて椅子の背凭れに体を預けた。

 

「なんの確証も理論もない、ただの『もしも話』だよ」

「……博士のそういうところ、ほんと嫌いです……。支部長も博士も大概ですよ」

「類は友を呼ぶと言うしね。ヨハンは今でも私の親友だよ」

 

 サカキの言葉にミツハは苦い顔をしてソファから腰を上げた。

 研究室のロックを開けようと扉に向かうが、途中でサカキのほうへ振り返った。ツンと口を尖らせ、無愛想ぶりながら。

 

「……もしも本当に、私がシオの代わりに特異点になったら……博士が一番後悔するんじゃないんですか? 今の支部長に対する博士みたいに」

 

 ミツハの言葉にサカキはわずかに目を剥き、肯定も否定もせずに目を閉じた。

 

「私はただの観察者だからね。道標は出したとしても、介入はしないよ。ただ……君たちがどう選択するのか、気になるだけなんだ。アラガミであるシオへ、君たちがどう選択するのか」

「アラガミだとしても、シオはシオですよ」

 

 ミツハはそう即答する。

 

「シオに対する気持ちに、『アラガミだから』っていう判断材料はありません。私は、シオが好きです。……ひとりの存在として、シオのことを大切に想ってます」

「……それが、ミツハ君の答えなんだね」

 

 サカキはふっと笑い、再びキーボードに向き直った。再開されたいつもどおりのタイピング音を聞きながら、一度深呼吸をしてミツハはようやくロックを解除して扉を開けた。

 

「ごめん、お待たせ〜! ちょっと博士と恋バナで盛り上がっちゃってさ〜!」

「博士と? ……いや、ミツハならしてそうだな……」

「……オッサン相手になにやってんだよ」

「はっ、博士ー! 依頼があるんでしたよねー!?」

 

 冗談で軽く流そうとしたら、間に受けられてしまった。40代男性と恋バナをする疑いをかけられ、ミツハはサカキに助け舟を求める。先ほどの神妙な空気など無かったかのように、サカキは可笑しそうに笑っていた。

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