Kuschel   作:小日向

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106 信念

 最下層への扉が開いた。

 

 薄暗い地下プラント内を走り、ミツハたちは巨大な輸送路の扉をついに見つけた。先導していたコウタが扉脇にあるパネルを調べてみるも、すぐに苦々しい表情を浮かべる。

 

「駄目だ、キーを解除出来ない……」

「――結局、全員集合したようだな」

 

 ヒールの音と、凛としたハスキーなアルトの声が響く。振り返ると、そこには少し苦笑を浮かべるツバキが立っていた。

 

「ツバキさん……!」

「心配するな。誰もお前たちを捕らえたりはしない。フェンリル本部から、後任が決まるまでは支部長権限を委譲されてな。お尋ね者はお前たちではなく、シックザール前支部長というわけだ」

 

 前支部長――それはつまり、フェンリル本部からしてもアーク計画はヨハネスの独断であり、彼は反逆者の烙印を押された証だ。

 

 そして、ツバキは未だこのアナグラに留まっている。第一部隊と同じ意志である証だった。

 

 ツバキはいつもの悠然とした態度でコウタを見やる。

 

「それにしてもコウタ、どうしてここがエイジスへの道だと気づいた?」

「……扉を見つけたのは、地下の旧居住区予定地を見たくて忍び込んだ時です。博士が、アナグラのプラントのリソースがエイジス建設に使われてるって講義で言ってたから……きっとその輸送路が地下にあるはずだって思って」

「講義では寝てばかりいると聞いていたが、意外とそうでもなかったようだな。……解除キーなら私が持っている。覚悟は、できているんだな?」

 

 怜悧な眼差しが一同に向けられる。「もちろんです」即答したのはリーダーのユウだった。次いでソーマも、愚問だと言うように力強く頷く。コウタも、アリサもサクヤも、己が信念を胸に頷いた。

 

 ミツハもまた同じように頷く。髪が揺れる。短い黒髪の毛先が踊る。

 

「私も、覚悟はできています」

「……ならば、第一部隊へ支部長代行として命令する。――ヨハネス・フォン・シックザールを連れ戻し、アーク計画を阻止してくれ。頼んだぞ……ゴッドイーター」

 

 

 

   ◇

 

 

 

 輸送路の先には海底を貫くリニア列車があった。

 

 ツバキのバックアップにより列車は動き、それに乗り込んで第一部隊はエイジスへ侵入した。神機を構え、サクヤの案内に従って最上部へ走る。

 

 しばらく走ると、円形の広く開けた場所に到達した。

 

 そこで誰もが足を止め、目を疑った。

 

 『それ』は巨大な女の顔だった。

 

 エイジスの天井から逆さまに女の顔が浮いていた。美しい女の顔だ。それが余計に、禍々しさを放っていた。

 

 綺麗な曲線を描く輪郭。穏やかに伏せられた瞳を縁取る睫毛。頭部から伸びる長い髪――のような、巨大な触手。触手はエイジス全体を取り囲むようにうねくりながら広がっている。

 

 造作だけを見れば、女神像のような神々しさがある。だが、あまりにも異様なその風貌に得体の知れない恐怖や嫌悪感が湧き上がる。ミツハはぞくりと身体が震えた。

 

 なんだ、あれは――一同誰もが思い、そしてソーマが震えた声で言葉を落とした。

 

「お袋……?」

 

 ソーマの言葉に耳を疑い、ミツハは禍々しい女神の顔に目を凝らす。

 

 その輪郭。その面差し。その雰囲気。

 その女神は、確かに――ソーマの面影を重ねることができた。

 

 そして女神の額に開いた裂け目に、囚われた雪の妖精を見つける。

 

「シオ……!」

 

 ソーマが叫ぶ。琥珀色の瞳はぴくりとも動かなかった。

 

「涙の手向けは、我が渇望する全てなり……か」

 

 シオのすぐ脇まで伸びたクレーンに乗ったヨハネスが、女神と特異点を見つめていた。ヨハネスの視線の先に居るシオは、小さな身体を透明感のある薄絹に包まれ、身に纏っているワンピースも相まってさながら花嫁のようであった。どう見てもいたいけで可憐な少女だ。

 

 その少女を、ヨハネスは無機物でも見るかのように一瞥した後、呆れた視線をソーマへ目を向けた。

 

「ソーマ……随分とこのアラガミと仲が良かったようだな。それは愚かな選択というものだぞ、……息子よ」

「黙れ……! テメェを親父と思ったことはない! シオを解放しろ!」

「……よかろう。特異点が手に入った今、『器』などに用はない」

 

 囚われたシオの身体がびくりと痙攣する。額の裂け目が金色に輝き、シオを中心に波紋が広がるように光は触手全体に行き渡る。コアと同じ色をした鈍いオレンジの光が灯籠のようにエイジスを照らしていた。

 

 そして、役目を終えたと言わんばかりにシオが解放される。地上20メートルほどの高さから、羽を捥がれた妖精が地面に落下した。

 

 ソーマが地面を蹴る。手を伸ばす。無骨な褐色の指先が反る。

 

 ――だがその手は、あと一歩届かなかった。

 

 少女の身体が無機質な硬い鉄の床に叩き落とされた。

 

「シオ……」

 

 怒りが込み上がった。ヨハネスの思いは知っている。何故ヨハネスがアーク計画を強行しようとしているのか。そこに愛があることもミツハは知っている。

 

 それでも、許せなかった。あんな無垢で無邪気な少女を、どうして物のように扱えるのか、ミツハには理解でいなかった。科学者の氷の瞳が脳裏に過ぎり、神機の柄を強く握りしめてヨハネスを睨む。

 

「長い……実に長い道のりだった。年月をかけた捕喰管理によりノヴァの母体を育成しながら世界中を駆けずり回り、使用に耐えうる宇宙船を掻き集め……選ばれし千人を運ぶ計画が、今! この時を持って成就する!」

 

 感極まった声色でヨハネスが語る。その後ろで、夜空には轟音を上げて幾筋もの光の柱が伸びていく。目を凝らす。それは宇宙船だった。

 

「今回こそ私の勝ちだよ、博士。そこに居るんだろう? ペイラー」

「……やはり遅かったみたいだね」

「博士……」

 

 いつからこの場に居たのか、背後の物陰からサカキが現れた。いつも腹の底が読めない狐の顔には悲しげな表情が浮かんでいる。

 

 そんなサカキを糾弾するようにヨハネスが叫ぶ。

 

「我々はこの一瞬ですら、存亡の危機に立たされ続けているのだ。星を喰らうアラガミ、ノヴァが出現し破裂すれば、その時点でこの世界が消え去るのだ! ……そのタイミングはいつだ? 数百年後か? ……数時間後か!?」

 

 ヨハネスは語る。何かの演劇を見ている錯覚を覚えるほど、ヨハネスの言葉には感情を捲し立てる熱があった。

 

「やがては朽ちる運命のエイジスに身を隠して終末を待つなど、私はごめんだ。避けられない運命だからこそ、それを制御し、選ばれた人類を、次世代に向けて残すのだ! 君が特異点を利用して行おうとしていたことも、結局は終末を遅らせることでしかない。違うかね? 博士」

 

 ヨハネスの言葉に、一同の視線がサカキに集まる。彼は眼鏡を一度押し上げ、観念したようにヨハネスを見上げて口を開いた。

 

「私は……限りなく人間化したアラガミを生み出すことで、『世界を維持』しようと考えた。完全に自律し、捕喰本能をもコントロールできる存在として育成していくことで、終末捕喰の臨界手前で留保し続けようと試みたのさ」

 

 そこまで言葉を続けて、サカキはミツハたちを少しだけ振り返って目を伏せた。

 

「そしてそのために、シオと君たちを利用してしまった。許してくれ……」

「……アラガミとの共生、ですか? 博士が、やろうとしていたことって……」

 

 ミツハが問う。サカキは頷いた。

 

 いつかの講義でサカキが問うていた。ミツハはそれに、できると答えていた。そう答えたミツハに、サカキは笑っていた。

 

 対するヨハネスは、サカキたちを見下ろしながら憐れむような眼差しを向ける。

 

「昔からそうだ。君は科学者としては、随分とロマンチストすぎる」

「そういう君も、人間に対して悲観主義者(ペシミスト)すぎたんじゃないのかい」

 

 再びサカキがヨハネスを見上げる。ヨハネスはふっと嗤った。

 

「少し違うな、博士。確かに私は人間という存在自体にはとうに絶望している。だが、私は知っているのだ。それでも人は賢しく行き続けようとすることを! アラガミやノヴァと何ら変わらないその本能、飽くなき欲望の先にこそ、人の未来も拓かれてきたことを!」

 

 熱く。力強く。第一部隊がそうであるように、ヨハネスもまた確固たる信念を胸に抱き、大衆を震わす演説の如く男は語る。

 

 サカキは諦めたように目を伏せた。

 

「……これ以上は平行線だね。……ともあれ、シオのコア――終末捕喰の特異点が摘出されてしまっては……もう私に打つ手は無い」

「そう悲しむことはない。この特異点は次なる世界の道標として、この星の新たな摂理を指し示すだろう。それは定められた星のサイクル。言わば、神の定めたもうた摂理だ。そしてその摂理の頂点に居る者は、来るべき新たな世界にあっても『人間』であるべきなのだ!」

 

 遠くに轟音が聞こえる中、その轟音をも掻き消すほど、高々にヨハネスは宣言する。

 

「――そう! 人間は……いや、我々こそが! 『神を喰らう者』なのだ!」

 

 その言葉が合図であったかのように、ヨハネスの真下の鉄の床が割れる。そして、そこからコアのように光り輝く巨大な繭が迫り上がってきた。

 

 繭はゆっくりと綻ぶ。クイックモーションで再生される開花のようだった。花開いた中心にあったのは、花柱や花糸ではない。

 

 ――アラガミが居た。

 

 女神のアラガミだ。ノヴァと同じ顔をしたアラガミは、ノヴァのような穏やかな表情はしていない。冷酷な瞳が、神に仇なす人間を鋭く射抜いている。

 

 粛清を下す裁きの女神の背後には、銀の魔狼。ゴッドイーターたちには馴染み深いエンブレムの顔だ。

 

 銀狼は男が女を守るように、愛おしむように、巨大な二本の爪で女神を抱いていた。

 

「『アルダノーヴァ』――」

 

 ヨハネスが裁きの女神の名を呼ぶ。愛おしい者へ呼びかける声と眼差しであった。

 

「ノヴァの育成過程において誕生した、ノヴァの剣であり、盾。女神ユニットと男神ユニットによる二神一体の――神」

 

 そして何を思ったのか、ヨハネスは――アルダノーヴァに身を投じた。

 

 男神ユニットから伸びた触手がヨハネスを絡み取り、体内へ飲み込んだ。二神一体の神はヨハネスを捕喰したことで最後のピースがはまったかのように、銀狼の双眸がギラリと光る。

 

 気でも狂ったのかと思う行動だ。だが、ヨハネスは至って正気なのであろう。それが余計に、恐ろしい。

 

――あなたが、その身を捧げてしまうんだ。

 

 人類の未来のために、ヨハネスはその身を捧げている。ミツハに向けて放った言葉を、ヨハネス自身が実行しているのだ。

 

 そうまでする執念に、ミツハは恐ろしさを覚える。それと同時に、穏やかな顔を思い浮かべると悲しくもなった。

 

「人が神となるか、神が人となるか……。この勝負、とっても興味深かったけど、負けを認めるよ。……今や君はアラガミと変わらない。でも君は、それも承知の上なのだろうね」

 

 変わり果てた旧友の姿を一瞥し、サカキは背を向けた。絞り出すような声で、祈る。

 

「科学者が信仰に頼るとは皮肉なことだが……今は、君たちを信じよう。――ゴッドイーターたちよ」

 

 そう祈り、サカキはその場を去る。

 

 決別だ。この二人の間にある溝は、ついぞ埋まることはなかった。

 

『――それでは諸君、始めようか。終わりを、ね』

 

 どこからともなくヨハネスの声が響く。それはアルダノーヴァの中から反響するようだった。

 

『この手で君たちを討ち、私は未来を切り拓く。明日を生きる――人間たちのために!』

「……言いたいことは、それだけか?」

 

 咆哮のような叫びを、地を這う低い声が切り捨てる。

 

「俺にとっちゃ、未来なんてもんはクソッタレだ。……ああ、そんなもの、今まで考えたこともなかった」

 

 ソーマがシオを抱き寄せたまま語る。口調はひどく静かだ。だが、沸々と煮え滾るような熱を帯びた声で語っている。

 

「――だがな」

 

 アルダノーヴァを――異形の姿をした父と母を見上げる。

 

「それでも、テメェが自分勝手に作る未来よりも……コイツらと作る未来のほうが、俺はいい」

 

 ソーマはその手に抱いていたシオを優しく床に横たえ、立ち上がる。神機を握る。シオに背を向ける。仲間たちを見回し、一言告げた。

 

「お前ら……背中は預けたぜ」

 

 その蒼い瞳は、ごうごうと燃えていた。

 

 それはこの場に居る誰もがそうであった。

 

「……リンドウ、見てる? やっとここまで辿り着けたわ。ここに居る、みんなのおかげよ」

 

 サクヤは真の仇敵へ神機の銃口を向けながら、この場に居ない恋人の名を呼ぶ。落ち着いた声色で、けれど感極まったように長い睫毛を震わせていた。

 

「俺、これまでずっと、家族やみんなが安心できる居場所を誰かが作ってくれるのを待ってたんだ。……でも、気づいたら簡単なことだった。自分がその居場所になればいいんだって……! それを作るために……俺、戦うよ!」

 

 コウタが強い決意を胸にして猛る。まだ幼さの残る少年だが、その目は臆することなく、勇猛にアルダノーヴァを見据えていた。

 

「私も……みんなが居たから気づけたんです。こんな自分でも、誰かを守れるんだ……って」

 

 アリサが少しだけ震えた声で、それでも芯のある声で胸の内を語る。心を閉ざしていた頃からすれば信じられないほど、優しい声をしていた。

 

 ここに居る誰もが、揺るぎない決意を、確固たる信念を、強い覚悟を決めて立っている。神機を握っている。明日を懸けて、戦おうとしている。

 

 井上ミツハという少女も、同じように。

 

「……私は今でもずっと、元の世界に帰りたいって思ってる。でも、この世界で生きようって思わせてくれたみんなを、私は……失いたくない。それが、私の……戦う理由」

 

 第一部隊、防衛班、外部居住区の、みんな。

 そのみんなが、好きなのだ。大切なのだ。失いたくない。

 

――だから、守りたい。

――大切な人を守れるヒーローに、私はなりたい。

 

 こんな世界の明日になんて、ミツハは興味無い。ヨハネスが切り拓く新世界の未来などは、どうでもいいのだ。

 

 ――けれど。

 

 みんなが居る明日ならば、こんな世界の明日を迎えてみようと思えるのだ。

 

 第一部隊のみんな。

 防衛班のみんな。

 外部居住区のカズヤたち。

 そして、ソーマ。

 そして――シオ。

 

 みんなが居る明日でなければ――意味などは無い。

 

 だからミツハは、この場に居る。神機を握っている。なんの覚悟も無く神機を握っていたあの頃とは違う。

 

――私は、この世界に生きている。

――大切な人が生きる明日に、私も生きていたい。

 

 それがミツハの、神機使いとしての覚悟であった。

 

 仲間たちそれぞれの覚悟を聞き届け、それらを胸に――第一部隊のリーダーが一歩前に出る。

 

「シックザール支部長……僕は、あなたが間違っているとは思わない。あなたにも譲れないものがある……それだけの話だ」

 

 ユウの言葉は、こんな状況にあってもひどく穏やかだ。ミツハたちの思いを、そしてヨハネスの思いをもしっかりと受け止め、根を張った大樹のように立ち続ける。

 

「でも、同時に僕にだって譲れないものはある。僕は、この世界に生きるみんなを守りたくて戦ってきた。僕は……僕は、ここに居るみんなと一緒に、これからもこの世界で人々を守るために戦っていく。それが、僕というゴッドイーターの誇りだ!」

 

 強い意志の宿った瞳が、アルダノーヴァを見据える。ユウの言葉が、ミツハたちを鼓舞するように心を震わせてくれた。

 

 その熱に震えたのは、きっと第一部隊だけではなかった。

 

『――神への懺悔は、それでいいのだな』

 

 宙を浮かぶアルダノーヴァが牙を向ける。両者の心の隔たりを、それぞれの信念の違いを感じ取り――神はついに、粛清を下す。

 

『降り注ぐ雨を……溢れ出した贖罪の泉を止めることなどできない……! その嵐の中、ただ一つの舟板を手にし、私は送り出してみせる。人が生きる未来のために!』

「それでも僕たちは……人間は、この世界で生きていくっ! みんな、行こう! 命令は――」

 

 

「――絶対に、死ぬな!」

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