Kuschel   作:小日向

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第5章
109 愛されたかった子供


 深い暗闇の底で、子供がひとり泣き喚いている。

 

 実戦部隊に配属される前、ソーマは研究所の(ケージ)の中で飼われる実験動物だった。

 身体中をいじくりまわされ、やれと言われたことをやり、学べと言われた膨大な知識を頭に詰め込んだ。檻の外から研究員たちが嬉々として己を見るその目は、人に向けられるものではなくラットに向けるそれだった。

 

 P73偏食因子とアラガミの相互作用の研究のため、オウガテイルが捕獲された檻に目と耳を塞がれたまま繰り返し近づけさせられ、悪寒と耳鳴りに泣き喚いていたのは5歳の時だ。

 情操教育のため他の子供たちと接するように命じられ、出産に立ち会った看護師の息子に背後から鉄パイプで殴られたのは7歳の時だ。

 

 この身は生まれた時から『被検体』であり『観察対象』だった。物心ついたときから檻の中で白衣を着た研究員に囲まれ、人類の未来とやらのために様々な実験に付き合わされた。アラガミを滅ぼすために、戦う術を叩き込まれた。かと思えば、カウンセラーが社会規範を説いてくる。己の言動は全て記録され、評価される。まるで躾をされている猛獣のようだ。

 

 それでも自分は実験動物なんかではないと信じていたかった。無性生殖のアラガミと違い、人間は有性生殖だ。オスとメスの交配によって子を成す。人間はそれを家族と呼び、愛の形であるそうだ。

 読まされた本でその知識を得てから、自分もきっとそうなのだと信じていた。

 

 父と母の愛の結果、自分が生まれたのだと。

 

 『事故』のせいで全てが狂ってしまっただけで、本当は家族として愛されるはずだったのだ。己は父と母の愛の結晶であり、本に描かれているような両親に愛される子供になるはずだったのだと信じていた。そう思い巡らせることで、痛みと恐怖の実験も耐えてきた。実験動物でも獣でもアラガミなんかでもない、自分はいつか愛を享受できる人間なのだと、信じていた。

 

 だが――

 

 『お前は全てのアラガミを滅ぼすために生まれてきた』

 

 12歳の時だ。初陣から帰還し、食事の席で言われた父の言葉に、胸の奥で何かがひび割れた。

 

 この男にとって、母も子も道具でしかなかったのだ。必要だったから生まれただけであり、そこに愛などなかったのだ。

 期待するだけ無駄だった。むしろ手酷く打ち砕かれ、現実に傷つけられるだけだ。

 

 だから泣き喚く子供を深い暗闇の底に押し込めた。

 愛されたいと泣き喚くどうしようもない子供を殺した。

 

 ソーマ・シックザールにとって、愛とは無縁のものなのだ。

 

 

 

 ――――本当に?

 

 

 

「………………」

 

 目覚めが悪かった。

 

 全身にじっとりと嫌な汗が滲み、身体が億劫だ。おそらく夢見が良くなかったのだろう。悪夢を見るのはよくあることだが、ぽっかりと胸に穴が開いたような言いようのない虚無感はなんだろうか。

 

 ソーマは一度息を吐き出し、時計を見る。時刻を確認して足早に部屋を出た。

 別に急ぐ必要は無い。そう思いつつも朝の食堂へ足を運ぶと、いつもの席に黒髪の女が座っていた。

 

「あ、おはようございます! 珍しいですね、寝坊ですか?」

 

 女――井上ミツハはソーマに気づくと綻ぶように笑った。

 

 井上ミツハ。60年前の平和な世界からタイムスリップしてこの世界に来てしまった少女。何にも脅かされることなく、家族や友人に愛されて生まれ育った少女。情操教育のために読まされた本に描かれていた幸福を体現したかのような少女。

 

 そんな少女が、ソーマに笑いかける。

 

「聞いてくださいソーマさん。今朝のメニュー、レストランの余り物があったんですよ! このハンバーグめちゃくちゃ美味しいです」

「そりゃ良かったな」

「瞬殺されるなって思ったのでソーマさんのぶんも取っておきました」

「別に要らん」

「二個も食べれないので貰ってくださーい」

 

 そう言って笑うミツハにソーマは呆れ、つられて小さく笑った。食えれば味などどうでもいいが、ソーマのプレートに移されたひき肉の塊はなるほど確かに美味かった。

 

 60年前の世界で生まれ育ったミツハにとってこの世界の一般的な食事は舌に合わず、普段は苦労しながら食べているが今日ばかりは味わって食べていた。「セブンのプレミアムハンバーグの味がしますよコレ」などとソーマにはよくわからないことを言っているが、そんなミツハを見ていると不思議と和んだ。目が覚めてから纏わりついていた虚無感が薄れていく。

 

 井上ミツハ。平和な世界からたったひとりでタイムスリップし、突然変異によってオラクル細胞が自然発生した少女。

 

 ソーマとは大違いの存在であり、ソーマと同じように普通とは違う孤独を抱えている。

 だからこそ、ソーマにとって井上ミツハは特別な存在だった。

 そして井上ミツハにとってのソーマもそうであると、ソーマは少なからず自覚している。

 

 それはきっと、孤独同士の馴れ合いだ。安心感を得るために互いを利用している。他とは違う繋がりをソーマとミツハは有していた。

 

 

 

 ――特別である理由に、それ以外の意味があることをソーマは気づけずにいた。

 

 深い暗闇の底で、子供がひとり待ち続けている。

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