4月30日
井上ミツハの体内に突然変異で発生したP15偏食因子は、オラクル細胞の『変異・進化』という作用を強く持っている。そして『考えて喰らう細胞』であるオラクル細胞が捕喰したものの情報を取り込んで進化するように、P15偏食因子も一定期間学習した情報を偏食因子に反映している。
その情報の更新中、アラガミが休眠状態になるようにミツハと偏食因子の適合率とオラクル活性も著しく低下するのだが――
「更新の周期は30日じゃなくて新月の日と重なるみたいだねぇ」
「不思議ですね〜。わかりやすくていいですけど」
前回適合率が低下した日から1ヶ月が経ち、ミツハはサカキ博士の研究室に足を運んで数値を測定していた。今回の低下を合わせると今まで四度適合率が低下したが、そのどれもが新月の日からだった。
よくわからない偶然にミツハが首を傾げると、サカキは「これは推論だけど」と思案するように目を細めた。
「新月の日は古来より新しい始まりや変化の象徴とされてきたからね。アラガミが人間のイメージする神々の意匠を取り込んで神のような姿になったように、P15偏食因子は変異のタイミングもそれをイメージしているのかもしれないね」
「へぇ〜。確かに人がイメージしてる神様と近い姿してるアラガミ結構いますよね。コンゴウとかそんな感じですし」
「それにオラクル細胞は地球の再生システムによるものだ。地球と月は密接な関係にあるから、月の引力なんかも関係しているのかもしれないね」
「ああ〜……なんでしたっけ、生命の再分配システムでしたっけ?」
アーク計画の全容をサクヤから知らされたとき、終末捕喰に関しても説明されていた。それまで星を喰らうまでに成長した巨大なアラガミによる終末論だと思っていたが、その実態は全ての種が一度完全に滅び生命の歴史が再構築されるシステムだと言うのだ。
「そう、生命の再分配システムだ。終末捕喰が起きると全ての生命は一度滅び、そして新たな生命が生まれていく。……実際に終末捕喰が起きて緑化した月では、あの状態から色んな生命が生まれ、進化していくだろう。途方もない長い年月をかけてね」
そう語りながら、サカキはここからは見えない月を見上げた。ミツハも青々とした美しい月を思い浮かべ、寂しさと愛おしさが込み上げてくる。
「……早く生き物が生まれて、シオがひとりぼっちじゃなくなるといいんですけどね」
「……そうだね。ただシオもあんなに緑豊かな植物は初めて見るだろうし、月を一周して探検してるかもしれないね」
「あはは、そうかも。シオは好奇心旺盛ですからね〜」
ジャングルのような大自然で蔓をブランコにして遊ぶシオの姿を想像する。そうであればいいなと願うばかりだ。
会えなくなってしまったのは悲しいが、もう会えないミツハの家族や友人とは違う感覚だ。面影のある街の残骸によって家族や友人の死を実感するが、夜空に浮かぶ青い月を見上げればそこにシオが居るのだと実感する。離れてても一緒なのだと、シオの言葉を思い出しては温かい気持ちになるのだ。
「地球のシステムだと考えると、ミツハくんの身体に突然変異でオラクル細胞が発生したのはシステムの『バグ』であり、タイムスリップはバグの修正なのかもしれないね」
「そのバグ修正、荒業すぎません?」
「バグ取り作業は大変だからねぇ……」
技術屋の妙に実感の籠った言葉にミツハは苦笑した。ソファに腰掛けた足をブラブラとさせながら愚痴を零す。
「新月から3日間は暇になっちゃうなー」
「なら私の仕事を手伝ってくれないかい? ツバキ君からとんでもない量の書類仕事を渡されてね。ヨハンは今まで水面化でアーク計画を進めながら膨大な書類も処理していたのかと慄いているんだよ……」
「支部長代理は大変ですね~! 書類整理くらいなら手伝いますよ!」
ヨハネスが居なくなり、空中分解しかかっていた極東支部をサカキが支部長代理の座に就いて秩序を維持している。最近のサカキは研究室ではなく支部長室に居ることも多い。
サカキはデータを整理すると定位置の椅子から立ち上がり、ミツハと共に新たな仕事場である支部長室へ向かった。
◇
「本部からの連絡事項……技術班からの予算と資材の要求、居住区の住民からの苦情、装甲壁の更新状況……あ、博士。この装甲壁の更新、申請書もあるので支部長代理のサインが無いと更新できませんよ」
「それは急務だ。すぐサインするから技術班に渡してくれないかい? そしたら今日の仕事は終わりでいいよ」
「バイト代期待してまーす!」
「ははは、じゃあ明日もよろしく頼むよ」
サカキからサインした書類を受け取り、ミツハは支部長室を出た。少し前までこの廊下を歩くのはひどく緊張したというのに、サカキが支部長代理になってからは気軽に歩けるものだ。
地下の区画で仕事している技術班に書類を渡し、食堂へ行くためエレベーターで地上へ出る。共同区画の廊下を歩いていると、任務から帰ってきたであろう第二部隊を見かけた。タツミとカノン、ブレンダンだ。
「お疲れさまでーす!」
「お、ミツハ。第一部隊ももう帰ってきてたのか?」
「私は出撃禁止期間なんですよー」
「ああ、例の」
「そう、例のやつです。前回はご迷惑をおかけしました……」
「防衛班としちゃ良い心意気だったけどな」
「ミツハちゃんの避難誘導のおかげで負傷者は少なかったですよ!」
「うぅ、心に沁みる……」
前回の適合率が低下した時、タイミング悪く防壁が突破され外部居住区にアラガミが侵入したのだ。戦えなくてもできることをしようとミツハは避難誘導をさせてもらったのだが、結局アラガミに襲われたところをソーマに助けられてしまった。
1ヶ月前の醜態を思い出し、苦い顔をするミツハにタツミが笑った。
「第一部隊はまだ帰ってきてないんだろ? この後一緒に飯でもどうだ?」
「もちろん! ていうか誘うつもりで声かけましたし!」
「今日の夕飯はなんでしょうね〜」
賑やかに話をしながら食堂へ向かう。だが後ろからついてきていたブレンダンが足を止めて一歩引いた。
「すまない、俺は食事の前にトレーニングをしておきたいから先に食べておいてくれ」
「そうか? ……任務の後なんだし、程々にしておけよ」
「ああ」
そう言って離れていくブレンダンは、少しぎこちない。見送ったタツミとカノンも心配そうに彼の背中を見ていた。
「……あれから、どうです?」
ブレンダンは第二部隊で唯一アーク計画のチケットを受け取った側だった。ミツハの問いに、二人は困ったような曖昧な表情を浮かべた。
「アーク計画が潰れて、戻ってきたブレンダンには謝られた。気にしてねぇよって言ったんだがなぁ……」
「思い悩んでしまうのも、真面目なブレンダンさんらしいんですけどね……」
「……やっばり、全部丸く収まるってわけでもないですよね……」
突如出現したアラガミ『アルダノーヴァ』の急襲により、旧日本近海に建設中だったエイジス島は半壊。
同日、エイジス計画を強力に推進していた当時の極東支部支部長、ヨハネス・フォン・シックザールがエイジスの崩落事故によって死亡。
フェンリルによるそんな『公式見解』と共にアーク計画は粛々と闇に葬られた。
多くの犠牲が生み出した痛みと孤独は癒やされることのないまま、再び始まる日常に塗り重ねられようしていた。
そうして元通りの日常に戻りつつあるが、前とまったく同じというわけでもない。良い変化もあれば、悪い変化もある。
搭乗者と非搭乗者の溝が、しこりのように今も残り続けていた。