エレベーターで地上に着き、エントランスへ向かうと騒々しくなってくる。単に人の多さによる騒々しさではなく、何やら言い争いをしている声が聞こえた。
「――クソッ! どいつもこいつもバカにしやがって!」
2階から受付のある1階を見下ろすと、シュンがコウタの胸倉を掴み上げて握り拳を振り上げていた。緊迫した空気にミツハはギョッと目を剥いた。
「ヤバッ、止めなきゃ」
「荒事だし、僕が行くよ」
慌てて階段を降りようとするミツハをユウが止め、飛び降りるようにしてユウは階段を駆け降りた。
振り下ろされる拳をコウタは避けるつもりはないのか、目を閉じて受け入れている。乾いた音がエントランスに響いた。
しかしその音はコウタが殴りつけられた音ではなく――
「あいたたた……流石にゴッドイーターのパンチは効くなぁ」
ユウが横合いから伸ばした手で、シュンの拳を受け止めた。緊迫した空気には場違いな穏やかな笑みをユウが浮かべると、周囲の野次馬たちがほっと息をついたような気がした。
「はっ、来やがったな。一番の『英雄』が!」
「おっと」
シュンは掴んでいたコウタの胸倉を乱雑に突き放すと、今度はユウに対して拳を構えた。挑むような目をしながら、シュンはユウに食ってかかる。
「お前はコウタとは違うよな? 俺たちに言いたいことの一つや二つはあるだろ。なんせ、アーク計画をぶっ潰した張本人だ」
シュンの言葉を聞き、どういう流れで諍いになったのか察しがついた。
――搭乗者と非搭乗者の溝が、しこりのように今も残り続けているのだ。
これはアーク計画が残した傷跡の一つだ。多くの人間を見捨てて生き残る選択をしたものの、アーク計画が阻止され元の生活に戻らざるを得なくなった。一度は見捨てた人たちと再び顔を合わせ、以前と同じ日常を送る。当然、負い目を感じる者が多かった。そしてシュンもそのうちの一人なのだろう。
アーク計画を阻止した第一部隊を『英雄』扱いする者が多い。だがそれは賛同者から見れば、まるで自分の選択が『悪』だったのだと責め立てられているように感じるのではないだろうか。
――もちろん『英雄』と呼ぶ多くの者にはそんな意図など無いのだろうが、シュンは自分自身で己を責めているようだった。
そんなシュンに対し、ユウは穏やかな目をしながらまっすぐにシュンを見た。
「……そうだね。確かに僕たちは、シックザール支部長のアーク計画を阻止した。でも、今でもやっぱり、僕はあの人が間違っていたとは思えない」
「なっ……!? どういうことだよ、そりゃ! お前らはアーク計画に反対だったからぶっ潰したんだろ!?」
「理由はどうあれ、あの人がこの
ヨハネスのやり方が正しかったとは、ミツハには思えない。
だが、アーク計画自体が間違っているとは、ミツハにも思えなかった。
――実際この世界、詰んでるし。
それはサカキの講義でアラガミの生態を聞いた時にも思ったことだった。
目の前のアラガミを討伐しても、オラクル細胞の結合を断ち切っただけでありオラクル細胞は霧散してしまう。霧散したオラクル細胞は消えていないから、再びアラガミとなってしまう。賽の河原状態であり、打開する術はない。進化していくアラガミに人間が追いつけなくなってしまえば、現状維持すら叶わなくなってしまう。だからこそ、アーク計画が間違いだったとは思えない。
元々違う世界に住んでいたミツハにとってこの世界や人類などどうでもよく、ヨハネスへの反抗心や方舟に乗らない近しい人を優先した結果反対側に回っただけだった。賛同した者たちにとやかく言える立場ではなく、そもそも誰であっても自分の意思で選択したものを他者が責め立てる道理などないだろう。
あの満月の日、エイジスに居た誰もがそれぞれの意思や信念を持っていた。
そして自分自身すら利用したヨハネスの確固たる信念に負けないほどの強い想いを、ユウはその胸に抱いていた。
「確実に助かる千人を捨てて、まだ手がかりすら見えない他のみんな全てを救う道を僕たちは選んだんだ。だから、そんな僕がシュンたちに言えることなんて何も無いんだよ。むしろ僕は、シュンたちだって尊敬しているんだ」
「尊敬って……なんで俺たちを? 俺たちはただ、自分が生き残る道を選んだだけだ!」
「尊敬するよ。新しい世界で生きていこうとする意思も、終末捕喰を迎えた先で一から全てを築き上げていこうとする意思も、それはとても凄いことだと思うんだ」
そう告げるユウの言葉に、躊躇いも揺らぎもない。嘘偽りないまっすぐな言葉がシュンを呆気に取らせ、次第にシュンはその表情を目まぐるしく変化させた。怒っているのか、ほっとしたのか、己を顧みているのか。罵倒なりなんなり言い返そうとしたのだろうが、言葉は出てこないようでシュンは歯噛みをする。
「クソッ……バカバカしい! やってられっかよ!」
ユウを押し除けるようにして歩き出す。受付横の階段をシュンが荒々しく上がると、2階から様子を見ていたミツハと目が合った。
ばつが悪そうな顔をするシュンに対し、ミツハは何も気づいていないふりをしてあっけらかんと彼に笑いかけた。
「ね、シュン。瓦礫から掘り出した物って闇市に流れたりしてるんだよね? そこってカメラ機材のジャンク品もあったりするの?」
唐突にそんなことを言い出したミツハに対し、シュンは豆鉄砲を食ったような顔をした。
「……あんじゃねーの? 前に見たことあるわ」
「あるんだ。じゃあ今度案内してくれない?」
「はぁ? なんで俺が」
「だって闇市に一人で行くの怖いじゃん。シュン詳しいんでしょ?」
「…………あーもう!! タダで案内してやると思うなよ!? 礼は弾んでもらうからな!」
「オッケ〜」
「言質取ったからな。んじゃ、掘り出しモン見つけたらお前奢れよな!」
「お礼の内容はちょっと相談させてくれない!? 高価な物は無理だからね!?」
「その日の品揃えに期待だな〜」
シシッと小憎たらしい顔をしたシュンが手を振って背を向けた。ミツハの貯金の危機かもしれないが、シュンがいつもの調子を取り戻せたようでほっとする。去っていくシュンの背中はユウのおかげもあってか、何か吹っ切れたようなものを感じた。
そう安心するミツハを見ながらソーマが呟く。
「……相変わらず、ユウもお前もお人好しだな」
「お人好しっていうか、普通に心配じゃないですか。ブレンダンさんも気に病んでて……私としてもいつもの防衛班に戻ってほしいですし。うーん、今度防衛班のみんなでお茶会しようかなぁ。ガス抜きって大事ですし……どう思いますソーマさん」
「相談する相手間違ってんだろ。……あの男は騒いで気が紛れるタイプとも思えんがな」
無愛想なことを言いながらも相談に乗ってくれる。人のことをお人好しと言うが、ソーマもなんだかんだお人好しだとミツハは思っている。ソーマはきっと自分の優しさに気づいていないのだ。
「ですね。ブレンダンさんなら一度しっかり話したほうがいいかな~……」
「あいつはクソがつくほど真面目だからな」
話をしているミツハとソーマの間に、長身痩躯の男が割って入る。ブランドもののシャツに身を包んだ目つきの悪い金髪の男、カレル・シュナイダーだ。
「あ、お金を稼ぐことに関しては真面目な人だ」
「おうミツハ、金の話だ。ちょっと付き合え」
「えええ……やだぁ……」
「アーク計画を潰した詫びぐらいしろよ」
「ブレンダンさんと大違いのふてぶてしさだぁ……」
カレルもアーク計画の賛同者だが、ブレンダンやシュンと違ってあっさりしていた。『ダメになったもんはしょうがねぇ』と次の日には日常に戻り金を稼ぐ算段を考えていたくらいだ。どう行動するのが一番無駄がないのか、己に利があるのか。それを一番理解しているからこそ、悩んでいても仕方がないのだと思っているのかもしれない。そんな時間があるなら金を稼げとカレルは言いそうだ。
カレルのそういうところを、ミツハは密かに尊敬していたりする。――癪なので絶対に言ってやらないが。
そんなミツハの言葉を吹き飛ばすようにカレルはフンと鼻を鳴らした。
「悪いな死神、コイツ借りるぜ」
「ねぇちょっと、いい加減ソーマさんのこと死神って呼ぶのやめてくれない?」
「はいはい」
「……勝手にしろ」
ほんの少し以前の彼を彷彿とするような声色で言い放ち、ソーマはエントランスから去ってしまった。「あいつ意外とわかりやすいな」などと言うカレルをなじるように睨んだが、カレルは気にする素振りもなくロビーラウンジのソファに腰掛けた。
「ミツハ、内部居住者向けにお前の写真で写真集売り出すぞ」
「え、あれ本気で言ってたの?」
意外な話にミツハは驚きながらカレルの向かいのソファに座った。
ミツハが秘密を打ち明けた際、カメラにある60年前の写真を見たカレルがそのようなことを言っていたのだ。てっきりその場だけの話かと思っていたが、カレルは密かに算段を進めていたらしい。
「ガラクタの中に修理すれば使えそうな印刷機があったもんでな。それ使って外部居住区の連中雇って製本させる。俺の知り合いにコレクターが居るから、そいつに出来の良い写真を額装して美術品として売り込むぞ。なるべく高値で買い取らせるから、その資金を元手にする」
「意外にしっかり考えてる……」
「俺を誰だと思ってんだ」
「お金を稼ぐことに関しては真面目なカレル・シュナイダーさんでしたね」
お見逸れしました、わざとらしくうやうやしく言ってやればカレルはニヤリと口元を吊り上げた。本当に、この男はいつもどおりだ。
ミツハとしても自分の撮った写真が写真集になるのは夢ではあるのだが、はたして上手くいくのか不安だ。写真の腕に自信はあるが、このご時世で写真集などという娯楽はどれだけの需要があるのだろうか。そう思うミツハに対し、カレルはターゲット層に目星はついているだの売り込みはこうするのだの、懸念点を解消させていく。その手腕にミツハは舌を巻いた。
「カレルって商売とか経営の才能あるんじゃない?」
「アラガミをぶっ倒す以外にも金を稼ぐ手段はあったほうがいいだろう。神機使いだっていつまで続けられるかわからないんだからな」
「将来設計しっかりしててビビるんだけど」
「それにシュンのヤツ、くだらねぇこと気にしてんだろ。一度見捨てたヤツらに感謝されて罪悪感抱くなんて、あのバカに似合わねぇ繊細さを持ち合わせやがって。外部居住区の連中にも還元してやりゃ、多少はマシになるだろ」
雇うということは給金を払うということだ。こんなご時世に仕事なんてろくに無く、たまにフェンリルの工場が求人をすれば凄まじい倍率となりすぐに埋まってしまう。外部居住区のほとんどの人は配給を待つだけの生活をしており、それが治安の悪さを加速させている。
カレルは拝金主義の利己的な人間であるが、悪人というわけではない。彼の思惑にミツハは小さく笑みを浮かべた。
「……そういうことなら、乗るよ。写真の整理しておくね」
「決まりだな。拾ってきた印刷機は今技術班の知り合いに修理させてるから、直ったら試し刷りするぞ」
それからしばらくカレルと打ち合わせを進めていると、ラウンジに近づく男の影があった。話をする二人に男は声をかけた。
「面白そうな話をしているな」
「あ、ブレンダンさん!」
「よう、クソ真面目。……辛気くさいツラはマシになったな」
「すまない、心配をかけたな」
カレルの言うとおり、ブレンダンの表情に以前のような気まずさは無かった。カレルの隣に腰掛けたブレンダンは穏やかな顔をしてミツハを見た。
「あいつ……ソーマは本当に変わったな」
「ソーマさんが?」
「ソーマと少し話をしてな。おかげで自分に折り合いをつけられそうだ。……まさかあのソーマがあんなに喋るなんて、以前なら考えられなかったな」
ミツハたちと別れた後、ソーマはブレンダンと話をしていたらしい。やはりソーマだってお人好しだ。ミツハは自分のことのように嬉しくなって目尻を下げた。
「第一部隊やミツハがあいつを変えたんだろう。……ソーマのことを『死神』なんて呼ぶヤツも減ってくるだろうな」
「だって、カレル」
「うるせぇな、わかったわかった気をつける」
つい先ほども死神と呼んだカレルを見やれば、カレルは面倒くさそうに肩を竦めた。カレルたちとソーマの間にあった以前のような険悪な空気も、最近はすっかり無くなったものだ。
アーク計画が残した傷跡は悪い変化もあれば、良い変化もある。そうして少しずつ変化を織り交ぜながら、新たに始まる日常に続いていく。
「んで、お前らまだ付き合ってねぇのかよ」
「……うるさいうるさーい!」
「相変わらずなのか、お前さんたちは」
「変わってはいますから! 少しずつ!」