Kuschel   作:小日向

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017 夢からの目覚め

「おはよ」

 

 目を覚ますと、友人が三葉を見下ろしていた。寝ぼける三葉に「なんか夢でも見てた?」と友人が笑いかける。

 

 三葉は高校の制服に身を包み、教室の自分の席で居眠りをしていた。窓の外からは野球部が金属バットでボールを打つ音と、吹奏楽部のパート練の音が聞こえる。

 

 夕陽が差し込む放課後の教室。チャイムが鳴る。キーンコーン……とスピーカーから聞こえる鐘の音に、友人は「帰ろっか」とドアへ向かった。

 

 三葉も机に引っ掛けた通学鞄を取り、友人と一緒に教室を出て――

 

 ――目が覚めた。

 

 

 

 見慣れない天井。薬品の匂いがする。

 

「ここは……」

 

 どこだろう。

 そう続けようとした言葉は、涙ぐんだ声で引っ込んだ。

 

「ミツハちゃん……! 目が覚めて良かった……本当に良かったです……!」

「台場さん……」

 

 目が覚めたミツハにカノンが泣きつき、強く手を握る。上半身を起き上がらせると、病室のベッドの傍にはユウとコウタも居た。

 カノンは目尻の涙を拭い、「目を覚ましたって、タツミさんたちに知らせてきますね!」と笑って病室を飛び出した。

 

「ミツハ」

「はい」

「……良かったぁ」

 

 コウタが力無く項垂れる。ずず、と鼻を啜る音がした。

 

「ミツハが大怪我したって聞いて、マジ焦ったんだからな! そりゃあ、戦場に立つ以上そうなる可能性があるのはわかってるけど……この前、同じ場所で殉職者が出たばっかりじゃん。ミツハも、って思ったら……スゲー、怖くなった。本当、無事で良かったよ……」

「ご、ご心配をおかけしました……」

「右足の傷が深いみたいで、治るまで4、5日かかるって」

「逆にこの傷、1週間もかからずに治るの!?」

 

 ユウから説明を受けてミツハは衝撃を受けた。あらぬ方向に曲がり骨すら見えた傷だが、神機使いの治癒力には驚かされるばかりだ。

 

 しばらくすると、カノンがタツミとブレンダンを連れて病室に戻ってきた。まずは無事であったことに安堵の表情を浮かべる彼らであったが、タツミは少々厳しい口調で今日の反省点を述べていく。

 

「ミツハ、今回の件は吹っ飛ばされた先が水辺だったり、水中に二体目が居たりと全体的に運が悪かったとはいえ、周囲の注意を怠ったミスだ。ヒバリちゃんも言ってただろ、近くに小型アラガミも居るから周囲に警戒しろって」

「……はい。すみません、大森隊長」

「だから硬ぇよ」

 

 苦笑したタツミはくしゃりとミツハの髪を撫で、「早く怪我治せよ」と笑う。はい、と頷いてそのまま俯くと、ボサボサになった長い髪がミツハの顔を隠した。

 

 タツミがもう一度苦笑する。

 

「んじゃ、安静にしとけよ」

「またお見舞いに来ますね!」

「何か必要なものがあったらメールしてくれ、持ってくる」

 

 第二部隊がミツハに声をかけて病室から出ていき、室内には再びミツハとユウ、コウタの同期三人だけの空間になる。

 

 鎮痛剤が効いているのか、身体の痛みはさほど感じなかった。毛布が掛けられて右足は見えないが、布が盛り上がっているためギブスがされているのだろう。頭には包帯が巻かれており、身体の至るところにガーゼや絆創膏が貼られていた。

 

 文字どおり、満身創痍の状態だ。

 

 しかし、生きていた。

 

――生きてるんだよね……。

 

 今でも鮮明に思い出せる、死への実感。あの瞬間、ミツハは確かに死に直面していた。

 

 それと同時に、自分の生も実感していた。

 

「大丈夫?」

 

 ミツハの顔を心配そうに覗き込むのはユウだ。大丈夫だと告げるが、存外に声は震えていた。

 

「目、腫れてるから冷やしたほうがいいね。氷嚢貰ってくるよ」

「……ユウこそ大丈夫?」

「え?」

「いや、結構酷い顔してるから……」

 

 泣き腫らして酷い顔をしているミツハが言えたことではないが、ユウの表情に普段の温和さは無かった。綺麗な碧眼も今はくすんで見え、元気の無さをありありと示していた。

 

 ユウは誤魔化すように苦笑していたが、コウタが優しく背中を叩くと素直に言葉を形にした。

 

「自分の力の無さを実感して、ちょっと凹んでる……かな」

「……今日の私の怪我は、私のミスが原因なんだからユウのせいじゃ、」

「すぐに動けなかったんだ。また誰かが死ぬ姿を見るかもしれないって思ったら、怖くなって。……結局、動きが悪くなった僕をタツミさんがサポートしてくれて、ソーマがミツハを助けに行ったんだけど……かっこ悪いなぁって。強くなりたいって思ったばっかりなのに」

 

 ユウはエリックが喰われる姿を目の前で見ていたのだ。場所は、同じく鉄塔の森。彷彿とさせるには十分すぎるだろう。ましてやミツハはユウの同期だ。まだ実戦経験の浅い新兵は動揺して当然の出来事だが、ユウはそれすら恥じた。

 

 力の無さとは、実力のことを言っているわけではないのだろう。仲間が死の危機に瀕しても、動揺を戦いの動きに出さない精神的な強さだ。おそらく場数を踏んだベテランでも難しい心の持ちようにユウは手を伸ばしていた。

 

「……やっぱりユウは強いよ」

「全然強くないよ」

「じゃあ、一緒に強くなっていこうぜ。俺ら三人で、さ!」

「……そうだね。コウタ、ミツハ……みんなで、強くなろう」

 

 そう誓いを立てて、再び三人でコツンと拳を突き合わせた。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 ユウとコウタが出ていき、ミツハは病室に一人残される出ていく際に氷嚢を看護師にお願いしてくると言っていたので、少しすれば看護師が来るだろう。

 

 病室のベッドを利用するのは、ミツハが初めてこの世界にやって来た日以来だ。

 ヴァジュラに襲われていたところをソーマに助けられ、アナグラで保護された。メディカルチェックから目を覚ませばサカキとツバキが傍に立っており、ここが60年後の世界であると説明された。そして適合試験を受けると決めた。

 

 あの日から、2週間近くになる。

 

 この2週間を、ずっと夢だと思っていた。

 

――だって、現実だって思えなかった。

 

 タイムスリップも。崩壊した世界も。CG映画みたいな化け物も。

 全部夢だと思っていた。夢から覚めれば、元の生活に戻れると思っていた。

 

 だけど、そうじゃなかった。

 

――怖い。

――寂しい。

 

「帰りたい……」

「やっとその言葉が聞けたよ」

 

 涙と一緒に零した独り言に、返事があった。

 

 顔を上げると、サカキが氷嚢を持って病室に入って来る。ベッドの傍にある椅子に座り、サカキは泣き腫らしたミツハの目元に氷嚢を当てる。

 

 ミツハの秘密を知る数少ない人間を前にして、またボロボロと子供のように泣き出した。

 

「君は今まで一度たりとも『帰りたい』なんて言わなかった。たった一人で60年前の世界から来たというのに、どこか浮き足立っているように見えたよ」

「……夢だと、ずっと思ってました」

「うん」

「タイムスリップなんてあり得ないって……夢だって! 思って……いたんです。でも、死にそうになって実感したんです……この世界は現実だって。死んだら、そこで終わりなんだって。目が覚める、わけじゃないっ……夢じゃ、ないんだって……っ!」

 

 堰を切ったように泣き喚くミツハを、サカキはただ黙って聞いていた。怖い、寂しい、帰りたいと繰り返して震える背中を撫でてやり、ミツハは枯れるまで泣き続けた。

 

 60年前の平和な世界からたったひとりでやって来た少女は、これまで一度も『帰りたい』とは思わず、自然と全てを受け入れていた。

 

 取り乱したのも最初の一度きりで、それ以降はずっとこの世界を享受していた。こんな惨憺たる世界で、どこか楽しそうにすらしていた。

 

「私、本当にタイムスリップしたんですね」

 

 現実として、この世界を受け入れていなかったからだ。

 

 だからこそ、帰りたいとすら思わなかった。そのうち覚める夢だと思い、漫画やゲームの世界を体験するような感覚でいた。

 

「タイムスリップなんて突飛な事象、受け入れ難くて当然だ。だけど、理解してほしい。……ミツハ君は確かに、今この時代に生きているんだよ」

「……はい。やっと、実感しました。生きてるんですよね、私。この世界で……生きてるんですね」

 

 家族も友人も生まれ育った街も何も無い、この世界に。

 

 自嘲するように口元が歪み、頬を涙が伝った。

 

 帰りたい。

 もう一度呟き、手の甲で涙を拭う。泣き腫らした目には痛かったが、それでもミツハは乱雑に目元を擦って無理やり涙を止めた。

 

「帰りたいです。そのためにも、生きなきゃダメですね」

 

 強くならなきゃ、ダメですね。

 

 コツンと拳を突き合わせた、つい先ほどの会話を思い出す。

 家族も友人も何も無い世界だが、既にミツハの周りには多くの人が居た。ミツハの無事に泣いて喜ぶ同期や先輩。強くなろうと高め合え、笑い合える友人が居る。

 

――だいじょうぶ。

――大丈夫。

 

 言い聞かせるように何度も心の中で呟く。

 祈るように両手を握る。その手に、ソーマに握られた手の温度を思い出した。

 

 一心不乱にアラガミを倒し、手を強く握り、応急処置をするソーマは必死だった。

 嫌われていると思っていた。実際そうだとも思う。この世界を夢だと認識していたミツハは、ゲームのような感覚でアラガミと戦っていた。ソーマに言われた『ごっこ遊び』は、まさにそのとおりだったのだ。

 

 そんなミツハに対してすら、ソーマは死なせまいと必死だった。

 

 もしもあのままミツハが死んでいたら、ソーマは何を思ったのだろうか。エリックほどではないにしろ、悔やんだのだろうか。人知れず背負い込んで、悲しむのだろうか。

 

――それは、嫌だな。

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