Kuschel   作:小日向

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002 1月11日

 装甲車で30分ほど走ると、円形にそびえ立つ縦100メートルはあろう巨大な壁が見えた。壁の一部分は大きく開いており、そこから中に入れるようだ。装甲車が壁の中に入ると、そこは町が広がっていた。

 

 町といっても三葉が知る町とは程遠い、バラック小屋が無造作に立ち並ぶ町並みだった。テレビで見たことのあるスラム街に近しいが、廃墟と荒野を見た後では人が生活しているだけでも安心感がある。

 

 そして装甲車は町の中心にある、壁よりも三倍ほど高い建物に入る。ここが『アナグラ』らしい。エントランスの受付に立つ女性にアタッシュケースを預けたサクヤは、三葉を連れてエレベーターに乗る。ランプが恐ろしいほど下に移動していった。

 

「どこに行くんですか?」

「病室よ。……というかあなた、内部居住区の人じゃないの?」

「内部居住区……?」

「うーん、記憶が混乱しているのかしら。まぁ普通の人がヴァジュラの電撃を受けたら仕方ないか……。しっかり検査してもらいなさいね」

「はーい……?」

 

 サクヤの『普通の人』という言い方が気になったが、とりあえず頷いておく。混乱しているのはそのとおりだ。

 

 そうして病室に案内されたのだが、やはり地下なのだろう。窓が無かった。清潔な室内といくつか並んだベッドを見るとちゃんとした病室なのだが、光源が窓からではなく人工的な光だけというのが妙な圧迫感がある。病室が地下にあるというのは珍しいのではないだろうか。病院の地下というと霊安室などのイメージがあるので、なんとなく忌避感を抱いてしまう。

 

「それじゃあ、後はよろしくね。私はツバキさんに報告してくるわ」

「わかりました。お疲れさまです、サクヤさん」

 

 「お大事にね」とサクヤは微笑んで病室を後にした。

 

――背中、大胆に開いてるな〜。

 

 去っていく後ろ姿を見ながら、三葉はそんなどうでもいいことをぼんやりと思った。

 

「それでは、メディカルチェックを行います。3時間ほどで目が覚めますので、ゆっくりお休みなさってください」

 

 看護師はベッドで横になるよう三葉に促す。マフラーと通学鞄をベッドの脚元に置き、それに従うと看護師はCTスキャンのような機器をベッドに取り付けた。三葉の右手首に血圧を測るような装置が付けられると、途端に瞼が重くなった。

 ピッ、ピッ、と電子音を子守唄にしながら、三葉は睡魔に抗わず目を閉じる。きっと次に目を開けた時には、夢から覚めているのだろう。

 

 

 

   ◇

 

 

 

「やぁ、お目覚めかい?」

 

 目を開けると、夢から覚めていたわけではなかった。三葉は変わらず窓の無い病室で寝かされており、周辺にあった機器は無くなっていた。

 

 聞き覚えのない中年男性の声が聞こえて三葉は起き上がる。ベッドの傍らには狐のような細目の男性が座っており、その隣には橘サクヤとはまた違った雰囲気の黒髪の美女が立っていた。

 

「お、おはようございます……?」

「うん、おはよう。気分はどうだい?」

「大丈夫です」

「そうかい、それは良かった」

 

 糸目の男性は着物とインバネスコートを掛け合わせた出で立ちをしており、金縁眼鏡を掛けているのに形の違う眼鏡を二つもチェーンで胸元にぶら下げていた。張り付けたような笑みも合わさって、胡乱な印象を受ける。

 

 黒髪の女性はスラリとした長身の美女であり、どことなく贖罪の街で出会った黒髪の男性――雨宮リンドウと似ている。薄い桜色の口元の左側にホクロがあり、美しい顔の造形と豊満な胸元を大きく開いた白い服が艶やかだ。彼女の右手首には、サクヤたちがしていたものと似たような腕輪が嵌められていた。

 

 女性がクリップボードに何やら書き込んでいる横で、男性は話を始める。

 

「まずは自己紹介をしよう。私はペイラー・榊。アラガミ技術開発の統括責任者だ。隣の彼女は雨宮ツバキ君。部隊の指揮統括や教練担当をしている女性だ」

「えっと、私は井上三葉といいます」

「井上ミツハ君だね。メディカルチェックの結果を見せてもらったけど、実に興味深い結果になっていてね。まずはその報告をしよう。――ミツハ君の身体から、オラクル細胞とP15偏食因子が確認された。実用化も研究も進んでいないP15偏食因子が何故検出されたのか、非常に謎なところだ。秘密裏の実験で投与された可能性もあるけど、見たところ学生だろう? 学校に通えるような子がそんな実験をさせられるとは考えにくいし、何より君の生体データはフェンリルのデータバンクに一致するものがない。そうなるとミツハ君はフェンリルの管轄外。つまり壁の外に住んでいるという話になるが、壁の外に制服が支給されるような学校あるとは考えられな――」

「サカキ博士。矢継ぎ早に説明しすぎです」

 

 ツバキの制止によって、サカキは饒舌多弁な言葉を止めた。「すまない、つい悪い癖が出てしまったよ」と肩を竦めて笑い、「何かわからないことはあるかい?」と三葉に問う。

 

 明け透けに言ってしまえば、サカキの饒舌な口から語られた言葉の全てが三葉には理解できなかった。『オラクル細胞』だの『P15偏食因子』だの、三葉が18年生きた人生の中で一度も耳にも目にもしたことが無い単語すら出てくる始末だ。前後の文脈から言葉の意味を読み取ろうとしても、何もわからなかった。

 

 三葉は何もわからなかったが、わからなかったことがわかりやすく顔に出ていたようで、サカキは苦笑していた。「何か質問はあるかい?」と再度柔らかく三葉に問いかける。

 

「……あります。……というか、仰っていることが何一つわかりませんでした……」

「ふむ、そうかい。メディカルチェックの結果、脳に異常があるわけではないから衝撃による記憶障害は無いとして、精神的なショックによる記憶障害はあるかもしれない。ミツハ君は名前以外に、何か自分のことは覚えているかい?」

「覚えてます」

「それじゃあ、生年月日と年齢と住所。それとどうしてあの場所に居たのか。わかる範囲でいいから教えてくれるかい?」

「はい。えっと、1992年の――」

「――1992年?」

 

 書類を書くツバキの手が止まり、怪訝そうな声が三葉の声を遮った。言葉には鋭さが含まれており、三葉は思わず身を縮めてしまう。言葉を続けようとしたツバキを今度はサカキが手だけで制止し、「続けていいよ」と三葉に続きを促した。

 

――何かマズいこと言った……?

 

 思い当たる節は何も無いが、居心地の悪さを感じながら三葉は説明を続ける。

 

「……1992年の11月16日生まれで、18歳です。神奈川県横浜市旭区の東希望ヶ丘に住んでいます。どうしてあの場所に居たのかは、私もわからないんです。家に帰ろうと横浜駅に向かって歩いてたんですけど、途中で眩暈が起きて……そして気づいたら、目の前にヴァジュラっていう化け物が居て……。すみません、意味わからないですよね……」

「神奈川県、ね。そうだ、今日の日付はわかるかい? 西暦から言ってごらん」

「2011年の1月11日、ですよね?」

「ふむ」

「……それを証明できる物はあるのか?」

「あっ、あります! えっと、鞄の中に……!」

 

 相変わらずツバキの言葉と視線は鋭いものだった。三葉は慌ててベッドの脚元に置いていた通学鞄を引っ掴み、身分を証明できる物を探し始める。出てきた物は、高校の学生証と財布に入れてあった保険証だ。

 

 それらを渡すと、二人は複雑な表情を浮かべた。困惑、驚愕、懐疑――『信じられない』とでも言いたげな、様々な感情をごちゃ混ぜにした形容し難い表情だった。

 

 ツバキは目を閉じて長い溜息を吐く。何か、観念したかのような溜息だった。

 

「……鞄の中を見てもいいか?」

「あ、はい! どうぞ」

 

 そうしてツバキは通学鞄に入っている物を次々に取り出していく。

 

 カメラとレンズが入っている小型バッグ。スマートフォンとモバイルバッテリー。電車の通学定期と財布。身だしなみ用のポーチ。ペンケースと学校から配られたプリントが挟んであるクリアファイル。コンビニのビニール袋に入ったペットボトルのミルクティーと菓子パン。

 

「おおっ! こんなに綺麗な状態のCanonの一眼レフカメラなんてお宝じゃないか! コレクターが大喜びしそうだねぇ!」

「書類は……登校日と卒業式の日程? 自由登校期間中のアルバイト許可願……?」

「平成22年度! そうか、令和ですらないのか!」

「パンの賞味期限は2011年1月13日、か」

「カメラの写真も、撮影日は2008年の3月から2011年の1月だね。いやぁ、実に貴重な旧世界の記録だ。ノルンのアーカイブに移したいくらいだよ」

「これは……嘘ではないようですね、サカキ博士」

「そうだねぇ、実に興味深い! タイムトラベルなんてもの、本当にあったんだね! 理論上可能とは言われていたけれど、技術的に実現が到底不可能なものをお目にかかれるとは夢にも思わなかったよ。いや、この場合SF用語的には『タイムスリップ』が正しいのかな?」

「……え? えっ、あの……え?」

 

 タイムトラベル。タイムスリップ。

 

 言葉は三葉も知っている。未来から猫型ロボットがやって来るアニメや、タイムマシンで過去に飛ぶアメリカのSF映画も見たことがある。たまにテレビでUFOや未確認生物と一緒にタイムスリップをした人間の紹介をしている胡散臭いオカルト番組もあった。

 

 しかし知っているからといって、それが現実にあるものだとは一度も思ったことは無い。アニメや映画のフィクション。番組のための作り話。そういう認識でしかなかったのだが、目の前の中年男性はまるでタイムスリップが本当に起きたかのように話している。

 

 まるで、三葉がタイムスリップしてきたかのように。

 

「――ま、待ってください! タイムスリップって、あの、過去とか未来に行く……え!? 何かのテレビ番組ですか!? ドッキリか何かですか!?」

「落ち着いて、ミツハ君。いや、落ち着いていられないのもわかるけど……」

「あの、すみません、えっと、連絡を取らせてください!」

 

 机に置かれたスマホを手に取る。母親に電話を掛けようとするが、いつの間にか電源が落ちていた。スリープボタンを長押しして電源を入れる。真っ黒な画面には動揺する三葉の顔が反射して映っていた。そんな画面の中央に白いリンゴマークが浮かび上がる。しばらくすると、ロック画面が表示された。

 

 通信状況は圏外。充電は64パーセント。時刻は19時8分。日付は1月11日の日曜日――

 

――日曜日?

 

 画面に表示される曜日にミツハは強い違和感を抱いた。日曜日のはずがない。今日は学校が始まった、火曜日のはずだ。

 違和感と漠然とした不安を抱きながら、ミツハはスマホのロックを解除する。不安を払拭するために、そんなはずはないと確かめるために、カレンダーのアプリを開いた。

 

「……うそ…………」

 

 声が震える。スマホが力無く手からすり抜け、ベッドに落ちた。

 

 画面には、1月のカレンダーが表示されていた。

 しかし予定は何も記入されていない。今日の日付である1月11日が目立つように太枠で囲ってあるが、左から三番目ではなく一番左にズレていた。

 

 表示されていたのは、2011年のカレンダーではなかった。

 

 2071年 1月11日

 

「ここ、未来……なんですか」

 

 それは、60年後の日付だった。

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