メールで言われていたとおり、昼過ぎにミツハはサカキの研究室へ足を運んだ。
昨日と同じようにメディカルチェックを受ける。数値は今朝メールされたとおり、昨日よりも上がっていた。徐々に回復しているとみて間違いないだろう。
モニターを見ながらサカキは検査結果を話す。
「それと、おそらく変異している可能性が高いね」
「ええっ、なんで!?」
サカキの言葉にミツハは大きな声で驚いてしまった。ソファに座りながら、モニターに囲まれた赤い椅子に座るサカキを見る。
「ただ変異と言っても、ヴァリアントサイズに適応するよう変異した時のような大きな変異ではない。そうだね……情報の更新、という言葉のほうが適切かな」
「更新……? ていうか偏食因子に情報ってあるんですか……?」
首を傾げて疑問を口にする。サカキは講義をするような口調でツラツラと話し始めた。
「オラクル細胞というのは、考えて喰らう細胞だ。その捕喰の傾向を誘導するのが偏食因子であり、誘導するための情報を偏食因子は持っている。そしてミツハ君の体内にあるP15偏食因子は、一般的な神機使いに投与されているP53偏食因子と違って人工的に調整されておらず、オラクル細胞に近しくて変異しやすい。……つまり、どういうことかわかるかい?」
「え? えーと……、考えたことで情報が変異した……とか?」
「そのとおり! オラクル細胞は捕喰したものの情報を取り込んで賢くなり、その結果アラガミという多種多様な形態を得るようになったんだ。そしてミツハ君の中にあるオラクル細胞と偏食因子もまた、学習して賢くなっている。わずかな変化だけれど、適合率が大きく下がる前よりグボロ・グボロが持つ偏食因子への抵抗が強くなっている。まぁ、戦闘が大きく変わるほどではないけれど……今後グボロ・グボロから受けた傷の治りは、以前より少し早いかもしれない。勉強熱心な偏食因子が、宿主であるミツハ君が死にかけたことで危険だと学習したんだろうね」
「なる、ほど……?」
「急激に適合率とオラクル活性が下がったのは、やはりアラガミの休眠状態と似たものだろう。形態が変化する際はアラガミも大人しくなるからね」
「ええと、つまり……アップデートした、みたいな?」
情報の雪崩をなんとか処理しようとミツハは噛み砕く。
『使用感をもとに、機能改善! 新機能実装! アプリのバージョンアップ!』
――なんてイメージが頭に浮かんだ。
「ああ、わかりやすくて良いかもね。その例えで言うなら、ミツハ君というハードウェアに入っているP15偏食因子というソフトウェアがアップデートされた。そして更新中はそのソフトを使えない、といった感じだね。アップデートが終われば適合率もオラクル活性も元に戻ると思うよ」
そう説明されると途端に理解がしやすくなった。
「……全部理解できた自信はないですけど、なんとなくわかりました。でもなんでこのタイミングで? 死にかけたのは1週間も前なのに」
「それに関しては謎だねぇ。この症状に再現性があるのかも不明だ。要観察、といったところかな」
はーい、とミツハは間延びした返事をする。
「ちなみにまだ任務には出られそうにないですか?」
「上昇値は一定に近いから、元の状態に戻る予測はつけられる。2日後には元の数値に戻りそうだけど、数値が安定するか様子を見たいから任務への復帰は3日後かな」
「わかりました、タツミさんたちに知らせておきます。凄く心配かけていたので……」
「それと、この後ユウ君たちと一緒に講義があるからここで待っておいてくれ。今日配属された新型の子も一緒だよ」
その言葉にミツハは顔を明るくさせた。先日シュンからも聞いていた、アナグラで噂のロシアから来る新型神機使いのことだろう。
「え〜、配属今日からだったんだ! どんな子ですかね〜」
「……まぁ、色々と訳ありだろうけどね」
サカキがそう呟く。どういうことかと尋ねようとする前に、インターホンが鳴った。
「噂をすればなんとやらだ」
◇
扉を開けると、見知らぬ美少女が立っていた。
ゆるいウェーブのかかった白銀の髪に赤チェックの帽子を被り、ミニスカートも帽子と揃いの柄をしている。アクアマリンのような大きな瞳を縁取る睫毛は長く、きめ細かな肌は洗い立ての陶器の如く白かった。大人っぽい雰囲気を纏っているが顔立ちは幼く、その絶妙なバランスが一種の芸術品のように思えた。
そしてなんといっても目に付くのは、横隔膜ほどまでの長さしかない短いベストから覗く豊満な丸い下乳。滑らかな曲線を描く腹部を大胆に晒している。ミツハは同性であるにもかかわらず目のやり場に困り、お人形のような可愛らしい顔を見て挨拶をした。
「初めまして! ロシアから配属された新型さんですか?」
「はい。ロシア支部からこちらの支部に配属になりました、アリサ・イリーニチナ・アミエーラと申します。所属は第一部隊です」
「私は第二部隊所属の井上ミツハです、よろしくね!」
アリサを研究室の中に招き入れてソファに座る。1ヶ月違いだがほぼ同期の女の子だ。同性の同期にミツハは喜び、ユウとコウタを待ちながらアリサに話しかけた。
「第一部隊にいるユウとコウタとは同期なんだけど、もう会った?」
「ああ……あの自覚の足りない人たちですか。特にコウタって人はなんなんですか? あんな浮ついた考えで、よくここまで生き長らえてきましたね」
――こういうタイプか〜!
内心悲鳴を上げながらもミツハは笑顔を崩さなかった。
「あはは……アリサちゃんから見たら子供っぽいと思うかもしれないけど、あの明るさがコウタの良いところだから。ムードメーカーって感じで。そうだ、アリサちゃんっておいくつ?」
「15になります」
「じゃあコウタと同い年なんだね〜」
「だったらなんですか? というかあの人、私と同じ歳であんな自覚の無い言動をしているんですか……?」
――ごめんよコウタ、フォローするつもりが悪化しちゃったよ……。
同い年や同級生というのはミツハの感覚では親近感を抱き、交流のアドバンテージだと思うのだが、この世界の人はそうでもないのかもしれない。
そもそも話しかけられること自体が嫌いなタイプなのだろうか。アリサはどことなく迷惑そうな顔してるようにミツハは思えた。会話の矛先をサカキへ移動させ、アリサとの会話を自然に終わらせようか――などと考えていると、再びインターホンが鳴った。
扉を開けると、ユウとコウタが立っていた。出迎えたミツハを見て、二人は心配そうな顔を見せる。
「あ、ミツハ! お前、体調大丈夫なのかよ?」
「任務中に神機が扱えなくなったって聞いたけど、平気なの?」
「心配かけてごめーん! 体調はなんともないけど、ちょっと適合率とかで色々あってね……3日後には復帰できるっぽい!」
「そっか。ビックリしたけど、大丈夫そうで良かったよ」
「やっぱポール型神機って扱いにくいのか?」
「そうなのかも〜。極東の人工コアと相性悪いらしいからね」
実際相性が悪いことは事実なので嘘ではない。だが適合率が下がって神機が扱えない理由でもない。
適合率が下がった原因を誤魔化していると、オホン、とサカキがわざとらしく咳払いをした。「そろそろ講義を始めようか」と、話をしているミツハたちをソファに座らせる。
――助かった〜! ありがとう博士〜!
無言で感謝の念をサカキに送ると、彼は狐のように笑った。そしてその笑顔のまま講義を始める。
「前にも言ったとおり、アラガミを構成しているオラクル細胞は何でも食べる。動物や植物のような生物に限らず、鉱物やプラスチックのような合成樹脂……挙句には通常の生物には危険な核廃棄物だって食べてしまう。建造物や大地だって……ほら、このとおりだ」
そう言ってサカキは大きなディスプレイに画像を映し出す。表示されたは、穴だらけの街並みだ。
見覚えがあるが、贖罪の街ではない。どこだろう――と思案すると、ある街並みが思い浮かんだ。ミツハは思わず声が漏れる。
「あ」
「どうかしたかい?」
「いえ……なんでもないです。すみません」
――都心じゃん。新宿っぽかったこの写真!
今の東京はあのような廃墟になっているのだろうか。東京タワーはどうなっているのだろう。来年完成予定だったスカイツリーも壊されているのだろうか。
などと思っていると、ディスプレイには四季折々の写真が映る。その場所もミツハにはなんとなくわかる。先ほど映った桜の写真は、隅田川の桜だっただろうか。
ミツハは極東支部周辺――藤沢市周辺しか知らなかった。写真を見てしまうと、今この世界で他の地域はどうなっているのかと気になりだす。サカキが話す講義の内容は右から左にすり抜けていき、別のことに思考を巡らせていた。
「ほんっと、自覚の足りない人ですね……」
そんなアリサの言葉にハッとして過去の世界への思案をやめる。どうやら寝ているコウタに向けて呟いた言葉らしいが、ミツハにもグサリと刺さった。
真面目に話を聞こうと改めると、講義そっちのけで別のことを考えていたミツハを見透かしてかサカキがニコリと細い糸目をさらに細めた。
「君たち、『ノヴァの終末捕喰』って言葉、聞いたことあるかい?」
初耳の言葉だ。疑問符を浮かべるが、どうやらミツハが知らないだけだったらしい。アリサが「ええ」と頷いた。
「アラガミ同士が喰い合いを続けた先に……地球全体を飲み込むほどに成長した存在、ノヴァが引き起こすとされる人類の終末……ですか」
「そのとおり。誰が言い始めたのかも知らない……単なる風説に過ぎないとも言われているけどね」
「エイジス計画が完成すれば、それからも守れるんだろ」
人類の終末などというスケールの大きい言葉に驚いていたら、先ほどまで居眠りをしていたはずのコウタが顔を上げた。その声は寝起きとは思えないほど真剣な声だった。
エイジス計画とは、偏食因子を材料工学的、建築学的に応用する統合プロジェクトのことだ。最終目標はアラガミ装甲によって守られた超巨大アーコロジーを建築して人類安息の地を作ることであり、現在フェンリル極都市部から約50キロほど離れた海上に建設中の人工島がエイジス島だ。第三部隊が主に防衛している場所でもある。
完成の暁には、現在確認されている全ての人類と生き残った生物が生活できるとされているそうだ。
コウタがこのエイジス計画の完成を待ち遠しく思っているのは見ていて明らかだった。外部居住区は装甲壁に守られているとはいえ、つい先日も壁が突破されたばかりだ。外部居住区に家族を残しているコウタは、早く安全な場所を家族に与えてほしいのだろう。
「犬という動物を知っているかな?」
「へ?」
しかしサカキは間を開けて、別の話題に方向転換した。
「もうだいぶ数は少なくなってしまったが、今も稀に外部居住区などで見かけることがあるはずだ。犬は賢く……言葉こそ話せないが、我々人間とコミュニケーションを取ることができる。犬のような性質を引き継いだアラガミが居れば、あるいは共生できるのかもしれないね」
「共生?」
アリサが怪訝な声で聞き返す。突拍子もないサカキの話だが、犬好きのミツハとしては面白い話だった。
――えー、確かに犬みたいに可愛くて賢いアラガミが居たらいいのにな〜。
そんなことを思っていると、サカキと目が合った。思わず背筋を伸ばすミツハにサカキは問いかける。
「コミュニケーションという観点で見れば、もちろん犬に限った話じゃない。ミツハ君、例えばどういったものが思い浮かぶかい? 言葉の通じない、危険な生き物とのコミュニケーションは」
「え? えーっと……サーカスのライオンとか? 芸を覚えさせて輪に潜らせたり……。あと赤ちゃんの頃から虎を育ててペットにしてる動画とか見たことあります」
「マジ? そんなんあるの?」
「……あったような無かったような……!?」
サカキの質問に何も考えずに答えてしまった。犬すら珍しいのなら、ライオンはもっと珍しいだろう。サーカスなんてこの世界にあるわけがない。
焦るミツハをサカキは面白がるように笑う。絶対にわざとだった。
「今もノルンに残っているかは定かではないけれど、ミツハ君が見たものは実際過去にあった映像の記録だろうね。さて、そんな貴重な映像を見たことのあるミツハ君は、アラガミと共生できると思うかい?」
「……人が教えたことを覚えられるくらいの知性があって、生まれた時から育てて人間の味を知らないアラガミが居れば、できるんじゃないですか?」
「……アラガミと仲良くなんて、できるわけないじゃない……」
どうしてもライオンや熊などの猛獣と同じように考えてしまう。
ミツハがそう答えると、冷たい視線をアリサから向けられてしまった。きっと、アラガミによって生存圏を奪われ、大事な人を殺され、日々脅かされている当事者にとってはあり得ない発想なのだろう。
ミツハはアラガミが闊歩するこの世界に来て、まだ1ヶ月も経っていない。アラガミによって生活を脅かされたこともなければ、アラガミによって知人を殺されたこともない。
もちろん危険な目には遭った。死にかけたこともある。
しかし心の底からアラガミを恨んでいるかと聞かれれば、首を横に振るだろう。
廃墟となった街の残骸を見ると寂しくなるが、それだけだ。アラガミに奪われたのだと憎しみを抱きはしない。アラガミによって壊されていく過程をスキップしてしまったから、憎しみという結果に結びつかない。アラガミに強い感情を抱けるほど、ミツハはこの世界に生きていないのだ。
「……じゃあ、今日の講義はここまでにしよう。お疲れさま」
サカキが講義の終了を告げると、アリサは足早に帰っていく。コウタは夕食の時間までバガラリーを見ようぜとユウを誘っていた。
タツミを見かけていないかユウたちに聞こうとソファを立つと、いつの間にかサカキがすぐ傍に立っていた。思わず驚くミツハにサカキは口角を上げる。
「今日の講義はどうだったかい?」
「……あの話題の流れから不意打ちで質問するのはやめてほしいでーす。ボロが出そうなので……」
「ははは、ごめんごめん。それと、最後にした質問なんだけど……」
ちっとも悪びれる様子の無い糸目は、感情が読みづらい。いつものような飄々とした軽い調子で、けれどどこか祈るように、サカキは言葉を続ける。
「どうか、その気持ちを忘れないでほしい」