第一訓練場の扉の前。分厚い鉄の扉は閉ざされているが、鍵はかかっていない。
そっと扉を小さく開けてみる。扉の隙間から覗けるのは、八つ当たりのようにただ一心不乱に仮想アラガミを斬り落としていくソーマの姿だった。
ソーマは今、何を思って神機を振るっているのだろうか。自嘲したソーマの顔が、言葉が、頭から離れずにいる。
一度だけ大きく深呼吸をし、心を落ち着かせてから重く頑丈な扉を開けた。
「ソーマさ――」
声をかけようとしたが、バスターブレードが仮想アラガミを叩き斬った衝撃音で遮られてしまった。
アラガミは力無く沈んで霧散し、黒い霧の中でソーマがミツハを睨みつける。鋭い蒼い瞳は強い拒絶の色を示しており、ぞっとするほど冷たかった。
思わず後退ってしまいそうになるほど、今のソーマは全身で人を拒んでいた。
「あの、……少し休憩、しませんか?」
それでもミツハは一歩、踏み出した。小さく笑いかけながら、未だ殺気立てているソーマのもとへ歩み寄った。
「……なんなんだよ、テメェは」
鬱陶しげにソーマは吐き出し、ミツハを睨む。その目の下には隈ができており、彼は随分と酷い顔をしていた。
フードに隠れがちな顔を覗き込みながら、ミツハは右手に持っていたアルミ缶をソーマに差し出す。
「これ、差し入れです。どうぞっ!」
ラベルを見たソーマはわずかに目を見張った。リンドウから教えてもらった、ソーマの好きな葡萄味の缶ジュースだ。
なかなか受け取ろうとしないソーマにミツハは強引にジュースを押し付ける。じろりと睨まれたが、今更そんなことで怯むほどでもなかった。
「……あのお節介野郎」
ソーマは観念したように缶ジュースを受け取り、そう独り言ちた。リンドウのことを思い浮かべているのだろう。先ほどまで放っていた殺気は鳴りを潜め、じっとラベルを見つめている。
べこ、と缶が凹む音がして、ソーマの目はラベルからミツハに移った。
「おい」
「はい」
「テメェはリンドウから……どこまで聞いた?」
「どこ……どこまで?」
ソーマの質問の意図がわからず、ミツハは首を傾げた。『どこまで』とは何を指しているのだろうか。
「ソーマさんが自分を責めてるとか、そういう話を聞きましたけど……どこまで……? んん? あっ、葡萄味の飲み物がお好きなんですよね!」
「……いや、いい。変なことを聞いたな、忘れろ」
その口ぶりからミツハは察する。ソーマには何か『秘密』があるのだと。その秘密をミツハはまだ知らない。
――それは私も同じだけど。
ミツハにも誰にも言えない『秘密』はある。自分が60年前からタイムスリップしてきたなど、そう簡単に口にできるものではない。
サカキなどの一部の人間は事情を知っているが、一緒に戦線を共にする防衛班の面々や同期には話せない。もちろんソーマにだって話せやしない。
――ていうか、言いたくないし。
きっとソーマにも『そういう事情』があるのだろう。知りたいとは思う。それと同時に、彼自身から話してくれるまで踏み込んではいけないとも思った。
「……わかりました。忘れます。なので、ちょっと屋上行きませんか?」
「……はぁ?」
「気分転換ですよ、気分転換! ソーマさん、最近ずっと訓練場に籠ってるって聞いたので、ちょっと外の空気を吸ってジュース飲みながら一休みしませんか?」
「断る」
「じゃあ忘れません。ソーマさんについて根掘り葉掘り聞いちゃいます。えっと、うーん……なんだろ。あ、犬派ですか猫派ですか?」
「……お前、随分と図々しくなったな」
「防衛班なので」
「ああ……」
「ええ……それで納得するんですか……」
ソーマの反応が可笑しくて、ミツハはくすくすと笑う。毒気が抜かれた様子のソーマを見て、ミツハは彼の左手を取った。
「図々しいらしいので、図々しく連行しまーす」
「おい、引っ張るんじゃねぇ」
「えー、じゃないと来てくれないじゃないですか」
「……チッ。付き合ってやるから離せ」
「はーい」
――押しに弱いな、この人。
まさにリンドウの言葉どおりだ。真正面から踏み込まれてしまうと、ソーマは拒みきれない。孤独を望んでいるが、きっとそれは本心ではないはずだ。その証拠に、ミツハの伸ばした手は振り払われることはなかった。
ソーマの神機を保管庫へ預け、二人はエレベーターに乗り込んだ。鉄の箱は300メートルを上昇し、扉が開く。冬の冷たい空気が頬を撫でた。エレベーターを降り、ミツハは空を見上げる。息を吐き出すと形になった。
「すご……」
すっかり日は落ちており、満天の星と満月が夜空に浮かんでいた。今日は快晴であったため、星と月を遮るものは何もない。思えばこの時代に来てから、こうまじまじと夜空を見上げるのは初めてかもしれない。施設のほとんどが地下にあるせいで窓から空を見ることは叶わず、夜間の外出も受付で外出申請を出さなければならないので夜空を見る機会は少ないのだ。
「星、よく見えますね。しかも今日満月ですよ! 凄い、当たりの日を引いちゃいましたね。カメラ持ってくれば良かった〜」
「星はいつもこんなモンだろ」
「そうなんですか!?」
「お前、どんだけ箱入りだったんだよ」
呆れた目でソーマに見られる。夜空はミツハにとって惚けるほどに美しかったのだが、この世界ではそう珍しいものでもないらしい。
ミツハの生きた世界とは違い、この世界は高い建物といえばミツハたちが今居る極東支部ぐらいしかない。外部居住区の明かりも小さなものだ。60年前の明かりが絶えない横浜の夜空と比べれば、当然星がよく見えるのだろう。
ソーマは柵に背凭れて座り、缶ジュースのプルタブを開ける。ミツハもその隣に座り、腰のポーチからスマホを取り出した。ロック画面に表示される日付に目が止まった後、カメラアプリを起動して夜空を撮る。しかしやはりと言うべきか、スマホのカメラでは星は映らず、満月の小さな光しか撮れなかった。
「うーん、やっぱりスマホのカメラで星は撮れないなぁ……今度一眼で撮ろう……」
「……その端末も十分高性能だろ」
「支給品の端末と比べたらそうですけど……。あの端末、電話とメールくらいしかできないですよね」
「十分だろ」
「写真撮ったり音楽聴いたり、したくないです?」
「プレーヤーで聴けばいいだろ。そう嵩張るもんでもねぇし」
「……ソーマさんって、音楽聴くの趣味だったりします?」
ポータブルプレーヤーを実際に持ち歩いているような口ぶりだった。ポータブルプレーヤーは支給品には無い。つまり欲しいと思って購入したのだろう。それに以前、ソーマの部屋を訪ねた際に彼は音楽を聴いていた。あまり自己の開示をしないソーマの素が珍しく垣間見えた瞬間だった。
「……どうでもいいだろ」
けれどすぐに引っ込もうとしてしまう。ミツハにとってはまったくどうでもよくなかった。会話を終わらそうとするソーマに対し、ミツハはお構いなしに話を広げる。
「私も音楽聴くの趣味なんですよ。あっ、曲流していいですか? 今みたいな満天の空にピッタリな曲があるんですよ〜」
ソーマの返事は聞かずにスマホを操作し、音楽アプリを開いて好きなバンドの曲を流す。風の音だけがしていた静かな屋上に、男性ボーカルの歌声が響く。
「……聴いたことねぇな。いつの時代の曲だ」
イントロからAメロの間奏でソーマが口を開く。どうやら興味を持ってくれたようだ。
「2007……いや6だったかな? それくらいです」
「……お前、よくそんな昔の曲なんか持ってるな」
ミツハからしたらたった5年前の曲だけど――とはとても言えはしないので、「えへへ」とだけ笑って口を閉じる。ミツハの好きな曲をソーマにも聴いてもらおうと、静かに夜空を見上げた。
満天の星の下に歌声が響く。
「……お前は、」
ふいにソーマが言葉を零す。隣に目を向けると、Cメロの穏やかなテンポの中でソーマも空を見上げていた。
「リンドウやエリックと同じかそれ以上の、とんだ物好きだな」
その声色と横顔に驚く。あまりにも穏やかで、あまりにも寂しげだった。
「……ね、ソーマさん」
「……なんだ」
「自分を責めるなとは言いません。あの時こうしていたらって、そういう後悔はどうしたってしちゃうと思いますし、それがソーマさんの優しさだと思います。……でも、ソーマさんのせいじゃないですし、全部ひとりで背負いこむ必要だって、ないですよ」
ミツハの言葉をソーマは空を見上げたまま、ただ黙って聞いていた。
曲はアウトロを迎え、スマホから音が鳴らなくなる。再び風の音と、ミツハの声だけが静かな屋上に響いた。
「私はソーマさんのおかげで生きているんです。取り零してしまった後悔だけじゃなくて……ちゃんと手を掴めたことも思い出してください。そして少しでも頼ってくれたら、嬉しいです。助けてもらったぶん、ソーマさんを助けたいですから」
「……お前に何ができるってんだ」
「ソーマさんが出来損ないの化け物じゃないっていう、証明になります」
「…………」
仲間も守れない出来損ないの化け物だと、彼は自分を罵った。
だが、本当にそうならミツハは今ここには居ない。
「だから、ひとりで背負い込まないでください。別に、悩みや想いを無理に打ち明けて欲しいとか思ってないです。ただ、せめて……傍に居させてください」
願うように、祈るようにミツハは言葉を紡いだ。ソーマはミツハの言葉を静かに聞き、葡萄味のジュースを飲み干す。空になった缶を持ってソーマは立ち上がった。
「……いつか死んでも知らねぇぞ」
「ソーマさんが居なかったら、とっくに死んでますから!」
「はっ……言ってろ」
噛み殺したように小さく笑い、「戻るぞ」とエレベーターに向かって歩き出す。ミツハもその後を追い、隣に並んだ。
「ね、ソーマさん。また一緒にご飯食べましょうよ。なんなら部屋まで迎えに行っちゃっていいですか?」
「来たら殴る」
「やだ、こわーい」
くすくす笑いながらエレベーターは下降する。新人区画に着き、部屋の階層が違うソーマとはここで別れることになるが、ミツハはふと今日の日付を思い出した。
「あ、そうだ! ちょっとここで待っててください!」
「は? おい引っ張るな」
「すぐ戻ってきますから〜!」
ソーマをエレベーターから無理やり連れ出した。すぐそこにある休憩スペースでソーマに待っていてくれるよう頼み、ミツハは走って部屋に戻る。棚から目当ての物を引っ掴み、急いでエレベーター前まで戻った。ソーマは待ってくれていて笑顔になった。
「日付見たら、今日バレンタインだったの思い出したので、これ」
「バレンタイン?」
「……疲れたときの糖分補給って大事ですから、どうぞ! 大袋に入ってたビター味なんですけど、たくさん余ってるので貰ってくれると助かります。ミルク味食べ尽くしちゃったので!」
「ガキかよ」
個包装の一口チョコをソーマに渡す。後半の言葉が効いたのか、素直に受け取ってくれた。
用がそれだけだとわかるとソーマは背を向け、エレベーターに乗り込む。
「ソーマさん、おやすみなさい。また明日!」
どうかよく眠れますように。そう願いながらお休みの挨拶をすると、一瞥だけされて顔を逸らされた。
扉が閉まり、ベテラン区画へ向かうエレベーターのランプを見ながら、ミツハはずるずると力なくその場に崩れ落ちる。
「緊っ張したぁ……」
思わずそう吐露してしまうぐらいには心臓がうるさい。だが、胸がいっぱいになる。
――ソーマさん、笑ったな。
夕焼けに染まる屋上で見た自嘲で歪んだものではない、噛み殺したようなソーマの笑みを思い出す。あの時のソーマは年相応な顔をしていた。
「ていうかバレンタイン文化って廃れてるのかな……いやでも糖分補給は実際大事だからセーフセーフ……」
空回った恥ずかしさでブツブツと呟きながら自室へ戻る。屋上で流した曲をもう一度流しながらベッドに横になると、心地良く眠れそうだった。