3月3日
翌日、ソーマは鎮魂の廃寺に出向いていた。ミツハが撮った写真に写り込んでいた人影らしきものが特異点だとにらみ捜索に当たるが、成果は無かった。いたずらに時間が過ぎ、日が暮れて星が瞬き始めた。
新月の翌日のため月はほとんど見えず、オーロラは月の光に邪魔されることなく夜空を彩っていた。異常気象のせいですっかり見慣れた景色だが、この夜空に子供のようにはしゃいでいたミツハを思い出す。
鼻先を赤くしてカメラを構え、真剣な表情をして写真を撮ったかと思えば、心底嬉しそうな笑顔を見せていた。撮影に夢中になって雪の積もった地面に大きく転んだ姿には呆れて怒りすら湧かなかった。ソーマのコートを嫌悪もせず受け取り、代わりに赤いマフラーをソーマに巻いた。ミツハは楽しそうにこの夜空の下で笑っていた。
ソーマはオーロラから目を背け、アナグラへ帰投した。
帰投してエントランスへ足を運ぶと、2階で防衛班とツバキが話をしていた。穏やかな雰囲気ではなく、何やら言い争っている様子だ。受付で帰投報告をしながら、その内容を化け物のように出来の良い耳は拾ってしまう。
「――教官! どうしてミツハの捜索が出されないんですか!?」
「遺体どころか血痕すら見つかってねぇのに――KIA認定なんて早すぎんだろ!!」
タツミとシュンの怒りの込められた言葉があまりにも重く響き、ソーマは思わず階上に居る防衛班を見やる。
KIA。それは戦死を意味する。遺体も血痕も見つかっていない中、たった一日でKIA認定というのは前例が無かった。
ツバキは重い溜息を吐いた後、突き放すような口調で防衛班を一喝した。
「腕輪を無くした神機使いが生存していると思うのか? 神機使いにとってこの腕輪が命綱なのはお前たちもよく知っているだろう。神機は既に回収している。捜索に人員を回す必要は無いと支部長の判断だ」
「ハッ……、そうだな。上は神機使いより神機が回収できればそれでいいからな」
カレルが嘲笑すると、ツバキは何か言いたげな顔をしつつも防衛班から背を向ける。ヒールの音を鳴らしながらエントランスから去っていった。
重苦しい空気がエントランスに蔓延する。防衛班の背中は随分と痛々しく見え、カノンはすっかり憔悴した様子でずっと俯いていた。肩は震えている。泣いているのだろう。
とてもじゃないが、見ていられない。報告を済ませたソーマは足早に階段を上ってエレベーターに向かったが、その途中で名前を呼ばれる。
――死神、と。
「またお前のチームから殉職者が出たな」
なじるようなカレルの言葉が、いやに耳に残る。
「エリック、リンドウさんに続いてミツハもかよ。お前に近づいた人間全員死んでんだな」
「カレル、八つ当たりはやめろ」
「タツミは黙ってろ」
咎めるタツミの制止を切り捨て、カレルはソーマに詰め寄った。何も答えずにフードの奥からカレルを見据えるソーマに対し、カレルは苛立たしげに舌打ちを落とす。
「お高く纏ってんじゃねぇよ。死神にうちの班員を関わらせるんじゃなかったぜ」
「……勝手に付き纏ってきただけだ。俺には関係無い」
弱いヤツから死ぬ。ただそれだけの話だ――
――エリックが殉職した後、ユウにも良い放った言葉を淡々となぞる。自分に言い聞かせるように言った言葉は、ぞっとするほど冷たい声色をしていた。
「ッ、テメェッ!!」
ソーマの言葉にカレルは激昂し、胸倉を掴まれる。そして右手を固く握り締め、ソーマに向かって振りかぶった。感情に任せて振るうだけの拳は簡単に避けられるが、避けようとは思わなかった。
「――カレルさん、もうやめてください!!」
しかしその拳は、カノンの涙ぐんだ声によって止められた。
ずっと俯いていたカノンが顔を上げていた。その顔が、ソーマの目にこびり付く。カノンはボロボロと大粒の涙を零し、しゃくりを上げながら非難するようにカレルを強く見やった。
「そんな、こと……ミツハちゃんが望んでると思うんですかっ……!?」
「…………」
カノンの言葉にカレルは押し黙る。ソーマに向けていた拳を下げ、突き飛ばすようにして胸倉から手を離す。
その細い身の内からはやり場の無い悔しさを叫んでいたが、カレルは舌打ちを一つ落としてソーマから背を向けた。シュンを連れてエレベーターの中に消えていく二人から目を逸らし、ソーマもその場から立ち去ろうと鉛のように重い足を動かす。
「……悪い、ソーマ」
タツミが苦い顔をして力無く謝罪を告げる。隊長職であり気丈に振る舞っているタツミだが、その顔には深い悲しみが滲んでいる。
――息苦しい。
その重さにソーマは窒息してしまいそうだった。
脳裏にはエリックの妹やサクヤなど、今まで戦死してきた仲間たちの家族や恋人が見せた顔が浮かび、こびり付く。先ほどのカノンの涙もそうだ。その表情が、涙が目に焼き付き、実感させられる。
「……別に、あながち間違いじゃねぇだろ」
やはり己は死神なのだと。出来損ないの化け物なのだと。
――何が福音だ。
――あなたはこの世界に福音をもたらすの――
――みんなをアラガミから守ってあげて――
初陣の旧ロシア連邦領での核融合炉で聞いた光の声とは反対に、自分の周りに付き纏うのはいつも不幸と死だけではないか。
ソーマは防衛班から逃げるようにエントランスを足早に去り、エレベーターに乗り込んだ。自室に戻ろうと居住区へのボタンを押そうしたが、その指先は研究区画へ向けられた。
ツバキはミツハの捜索打ち切りはヨハネスが判断したと言っていた。そう告げたツバキ自身、何か訳を知っているような顔をしていた。あの二人は昨晩珍しく、揃ってサカキの研究室に出向いていた。
ソーマからミツハのことを聞いた、その直後にだ。
――あのオッサン、何か隠してやがるな。
昨夜のサカキの口ぶりにも気になるものがあった。何か、ミツハが突然消えた原因に目星がついているような、そんな様子だった。
サカキへの疑念が増し、研究室のインターホンを鳴らす。突然訪問したにもかかわらず、予想していたような顔でソーマを出迎えたサカキにますます苛立った。
「あんた、なんでミツハの捜索が出されねぇのか知ってんじゃねぇのかよ」
ソーマは研究室に入って早々、単刀直入に本題を告げた。
サカキは定位置であるモニターに囲まれた椅子ではなく、黒いソファに腰掛けて「どうしてそう思うんだい?」と狐のように目を細めた。
「あいつは……ミツハには、何かあるのか?」
サカキは目を細めたままで、感情が読めない。ソーマは舌打ちをして言葉を続ける。
「なんで普通の神機使いが、あんたの研究室に頻繁に出入りしていやがる?」
「極東初のポール型神機使いだからね。戦闘で不備が出ないように検査は念入りにしないと」
「ポール型神機が扱えるほど適合率が高いくせに、あいつの能力は平凡すぎる。本当に適合率がトップクラスなら、グボロにやられたときの傷程度なら3日で治るだろうが」
いけしゃあしゃあと答えるサカキに反論する。神機使いの身体能力や治癒力の強化は適合率によって左右されるが、ミツハの能力を考えると適合率が高いとは思えなかった。
「……そもそもあいつの偏食因子はどうなってやがる? 適合率とオラクル活性が下がるなんて聞いたことがねぇぞ。……何を企んでる?」
以前食堂で聞いた話にソーマは耳を疑ったものだ。己の体内にある、よりオラクル細胞に近いP73偏食因子とは違い、一般の神機使いに投与されるP53偏食因子は制御が容易で安全性に優れた代物だ。
だからこそ、適合率やオラクル活性が下がるなんてあり得ない、異常なことだった。
誤魔化すことは許さないと、ソーマは真剣な面持ちでサカキを見据える。その表情は睨んでいるというほうが近い。
サカキはしばらく言いあぐねるように口を閉ざしていたが、やがて眼鏡の奥から試すような眼差しをソーマに向けた。
「……君はミツハ君に、自分の生い立ちについては話したかい?」
ようやっと口に出した言葉がそれか! と思わずソーマの眉間には深い線が刻まれた。
忌々しい『事故』と共に生まれた己の出生など、誰が語るものか。
「……言うわけねぇだろうが」
「そうかい。なら私から君に教えられることは、残念ながら何も無いよ」
「それとこれになんの関係があるんだよ!」
「少し前にね、ソーマの生い立ちについて話そうかと思ったんだ。けれど彼女は断った。知りたいとは思うが、私の口から聞いていいようなものではないと言ってね」
「…………」
「ソーマ。今君が聞いているものは、そういう類のものだ」
サカキはそう言い切り、それきり口を閉ざしてしまった。ソファから腰を上げモニターに囲まれた定位置に戻る。どうやらこれ以上サカキは話すつもりは無いらしい。カタカタと無機質なキーボードの音が鳴り始め、ソーマは退室を急かされた。
「……チッ」
これ以上ここに居ても無駄だろう。
ソーマは無言で退室し、自室に戻ってソファに崩れるように身を投げた。身体が重く、このまま眠ってしまおうかと身を捩ると、カシャンと軽いものが落ちる音がした。
床を見やればCDケースが落ちていた。それは先日、ミツハが任務に同行してくれた礼だと言って持ってきたCDだった。
「…………」
ソーマはケースを拾い上げ、中のディスクを取り出した。何気なくプレーヤーに読み込ませ、スイッチを入れる。
一曲目に再生されたのは、あの屋上で聞いた曲だった。
あの夜に聞いた曲とまったく同じ音とリズムをスピーカーがなぞる。
あの夜、ミツハは訓練場からソーマを連れ出した。そして満月が浮かぶ満天の星の下、並んで屋上の柵に凭れ掛かって夜空を見上げた。
スピーカーから流れ出る音に耳を傾けていると、あの日見上げていた夜空とミツハの言葉が鮮明に思い出される。
「……テメェが居なくなってどうすんだよ」
そう独り言ちて、再びソファに横になる。
ソーマの出生に忌々しい秘密があるように、ミツハにも何か秘密があるのだろうか。
それをソーマは知らない。そんな秘密がミツハにあるなんて、思いもしなかったのだ。
ソーマの知るミツハは、あまりにも普通の人間だった。明るくて人に好かれ、いつも人の輪の中で楽しそうにしていた。世間知らず故の無垢さがあり、こんなご時世では珍しいほどのお人好しだった。
血で薄汚れ、嫌われ者の化け物なんかとは程遠い、眩しいくらいに普通の人間だったのだ。
――何を知った気でいたんだか。
言いようのない自己嫌悪が募り、腹の底を重くした。ぐるぐると余計なことを考え込む思考を投げ出すように、ソーマは重い瞼を閉じてソファに沈んだ。