Kuschel   作:小日向

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046 井上ミツハ

3月4日

 

 ソーマ・シックザールから見た井上ミツハという人間は、まったくもって普通で、それでいて不思議な少女だった。

 

 午後から第一部隊での任務が入っていたが、それまでの時間を潰すためにソーマは再び訓練場で神機を握っていた。ただ目の前のアラガミをひたすらに滅ぼしていけば余計なことは考えずに済み、ほんの少しは気が紛れる。

 

 そのはずだったが、出現させたヴァジュラの仮想アラガミを見て、ソーマの脳裏にはミツハの顔が浮かんだ。

 

 2ヶ月近く前、リンドウ、サクヤと共に三人で出撃していた任務の途中で、ソーマは『ヴァジュラに襲われた民間人』を救出した。奇しくも行方不明になった場所と同じH地点で、まだ髪の長かった井上ミツハを助けた。

 

 それが始まりだったのだ。

 

 その時のミツハはアラガミの姿すら見たことのない、世間知らずな少女だった。綺麗な学生服を身に纏い、荒廃とした世界を初めて見たかのように、興味深そうに面白くもない景色を眺めていた。

 

 そんな少女にソーマは苛立ち覚えていた。のうのうと内部居住区で守られた苦労を知らない人間が、ただ疎ましかった。

 

 保護されたミツハは神機使いとなり、赤い腕輪を飾りのように右手首に嵌めた。死と隣合わせの戦場に立っているというのに、ミツハはそれを理解していないようだった。神機を玩具のように握り、アラガミをゲームのように倒していく。その自覚すら無いミツハはあまりにも場違いで、いっそ気味が悪くすらあった。

 

 そのくせ、鉄塔の森での任務でグボロ・グボロに殺されかけた時は、みっともなく泣きじゃくりながら「帰りたい」と吐露していた。

 

 ――ふざけるなと思った。その言葉にソーマは怒りが込み上がった。

 

 何故こんな世間知らずな人間が遊びで神機を握り、己と同じ戦場に立っているのかと。場違いな戦場に軽い気持ちで立ち、己の前で死にかけているのかと。血塗れで泣く女は一人で立つことすらできない、ただのガキに見えた。

 

 印象は最悪だった。今回は助かっても、どうせすぐに死んでしまうだろう。せめてその死に目を俺に見せてくれるなと思うくらいだった。どんなに気に食わないヤツだろうと、人が死ぬ姿などソーマは見たくはなかった。

 

 しかしその日の夜、ソーマの部屋に訪ねたミツハは、別人かと思うほどしっかりと地に足をつけていた。

 

 グボロ・グボロに噛みつかれた右足の痛みに鞭を打ち、短くなった黒髪を垂らしたミツハは、ただの『世間知らずな少女』ではなくなっていた。飾りでしかなかった赤い腕輪が、妙に馴染んで見えた。

 

 『死神』と呼ばれ、周囲から疎まれていたソーマにわざわざミツハが近づいてきたのはそれからだった。

 

 エリックが死んでから埋まることのなかった正面の空席に、ミツハが座った。「おはようございます」と当たり前のように笑って挨拶し、翌日からもその席に座るようになったのだ。

 

 何が目的なのか意味がわからなかった。突き放そうにも、挨拶をしただけでそれ以上絡んではこなかったため、ソーマは何も言えなかった。

 

 そのまま次第にミツハがソーマの正面の席で朝食を取ることが当たり前のようになっていた。気の抜ける笑顔で「おはようございます」と声をかけられることが日常になっていたが、その声色が弱々しい日があった。

 

――思えば、踏み込まれないようにしていたな。

 

 酷い顔色に思わず声をかけると、何が嬉しいのか途端に笑顔になっていた。それからは珍しく会話を交わし、しばらくしてリンドウが加わって騒がしくなった会話を聞いていたのだが、その内容に耳を疑った。適合率とオラクル活性の低下したのだと、ミツハが笑いながら言っていたのだ。

 

 なんでもないように大丈夫だと笑っていたミツハは、確かに踏み込まれることを拒んでいた。これ以上話を広げたくない様子だった。

 

 おそらく、それがミツハの『秘密』に関わることなのだろう。その秘密すらミツハは笑って誤魔化していた。

 

 ミツハはよく笑う少女だった。感情が顔に出やすいのだろう。コロコロと変わるその表情に年上だというのに子供っぽさを覚え、隣に居ると気が抜ける。こんなクソッタレな職場などミツハには場違いだと、皮肉ではなく心配として思ってすらいた。

 

 図々しく踏み込んでくるくせに、不思議と嫌ではなく話もしやすかった。ソーマが本当に嫌だと思う領域には踏み込んでこない聡さがミツハにはあった。

 

 こんな自分に当たり前のように話しかけ、笑いかけて、隣にやってくる。

 

 そんなミツハが、ソーマの前で泣いた日があった。

 接触禁忌種と遭遇し、リンドウが取り残された日の屋上だ。

 

 『なんですか、それ……っ』

 

 その涙に、昂っていた感情が一気に冷める感覚がした。

 死んだ仲間の残された人間が流す涙は浴びるほどに見ていたが、ソーマ自身のために零される大粒の涙は経験が無く、狼狽えてしまったのだ。

 

――なんで。

――なんで、コイツが泣いてんだ。

 

 ソーマのために肩を震わせて涙を流すミツハに、ソーマは何を言えばいいのか言葉が見つからなかった。ただ、呆然と立ち尽くしていた。

 

 お前には関係無いと拒絶すればいいのか、とんだお人好しだと呆れればいいのか、わからなかった。わかるはずもない。今までソーマに向けられた涙は、そのほとんどが恨みや悲しみの感情を伴ったものだった。死んだ仲間を、恋人を、家族を返せ。そう悲痛な声で訴えながら流される涙に、ソーマは背を向けることしかできなかった。

 

――ああ、そうだ。俺は逃げたんだ。

 

 結局ソーマは何も言えずに、泣き続けるミツハから尻尾を巻いて逃げ出した。逃げ込んだ自室でスピーカーを絶叫させ、涙で掠れた声を塗り潰そうとした。

 

 しかし、消えなかった。

 どうしたってその泣き顔が、涙声が焼き付いてしまっては離れなかった。

 

 だから距離を置いた。顔を見ると思い出してしまい、どうすればいいのかわからなくなってしまうのだ。リンドウやミツハのことを考え込まぬよう、今のようにこの訓練場に閉じこもり、今と同じように仮想アラガミをひたすらに叩いていた。

 

 そうしていると、ミツハが重く頑丈な扉を開けた。

 ソーマが拒絶しても、ミツハは小さく笑いかけながら、葡萄味の缶ジュースを持ってソーマに歩み寄ったのだ。

 

「…………」

 

 ふと、神機を振るう手を止めて訓練場の扉を見やる。

 

 当然、扉は開かない。

 

――馬鹿らしいな。

 

 何を期待したのかと自嘲した。馬鹿馬鹿しい考えを振り払うように、ソーマは仮想アラガミにバスターブレードを突き刺した。

 

 仮想アラガミが霧散する黒い靄の中、ソーマは長く重い溜息を吐いて神機をケースに収納して扉に向かう。そろそろ出撃の時間になる。

 

 扉を開け、廊下に立っていた人物に眉を寄せた。いつからそこに居たのか、ジーナが腕を組んで壁に背を置いて佇んでいた。

 

「随分酷い顔をしているのね」

「…………」

 

 別にソーマを責め立てるような声色はしていなかったが、それが余計に居心地が悪かった。

 

 防衛班は班員同士の仲が良い。ミツハは入隊して間もないが、すぐに溶け込み彼らに受け入れられていた。エントランス2階のロビーラウンジに集まって談笑している姿をよく目にしていた。だからこそ、カレルのように責められたほうがいっそマシだった。

 

 ソーマは逃げるようにジーナの前を通り過ぎる。ジーナはそっぽ向くソーマに構わず、そのまま言葉を続けた。

 

「悔やむのは結構だけど、そうやってひとりで抱え込んで自分を追い詰めては駄目よ。……ミツハだって、あなたがそんなふうになるのは望んでいないはずよ」

 

 星空の下の屋上で、ミツハに言われた言葉と重なった。

 

「……だろうな」

「あら、わかってしてるのね」

 

――傍に居ると言ったヤツが居なくなってんだから、しょうがねぇだろうが。

 

 背を向けたソーマはそのまま歩き出し、ジーナから遠ざかる。本日の作戦区域は贖罪の街だ。重い身体を引きずるように出撃ゲートへ向かった。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 贖罪の街での任務は特に問題も無く討伐し終えた。

 帰投要請を入れるユウを横目に、ソーマは当てもなく歩き出す。単独行動を始めるソーマに対して、アリサが咎めるように引き留めた。

 

「ソーマ、どこに行くんですか」

「……ヘリが来るまで適当に索敵してくる」

「なんだよ、素直にミツハの手掛かりを探すって言えばいいのに」

「そうなんですか?」

「…………」

 

 そのとおりだったが、ソーマは頷きはしなかった。余計なことを言いやがって、とコウタを睨みつけたが、少年は以前のように突っかかってはこなかった。

 

「ヘリが来るまで、みんなで探そうぜ。……何も見つかってないままKIA認定なんて、俺も納得いかないし」

 

 コウタの言葉にアリサとサクヤも賛成し、全員で散開してミツハの痕跡を探し始める。

 

 たった一晩で捜索が打ち切られたのだ。見落としているものがあるのかもしれないと、第一部隊は贖罪の街の至る所を探した。

 

 だが、手掛かりは何も見つからずにヘリが来てしまう。

 

 捜索をやめ、ピックアップポイントへ向かう途中でH地点を通り、ソーマは足を止めた。

 崩れた瓦礫は撤去されており、あの場に落ちていた神機と壊れた腕輪も既に回収されている。血痕も何も無い。本当にあの日、この場所にミツハが居たのかと疑ってしまうほど、煙のように消えていた。

 

 空っ風がビルの大穴に虚しく吹き抜ける。乾いた音を確かにソーマは聞いた。

 

「……ソーマ」

「…………」

 

 痛ましそうな顔をしてユウがソーマに近寄る。隊長だったリンドウに続いて、同期のミツハが行方不明になってもユウは努めて気丈に振る舞っていた。リーダーという立場がユウをそうさせているのだろう。

 

 いつまでのこの場に居るわけにもいかず、ソーマは踵を返してヘリに向かった。ヘリの機体が見えた辺りで、無線が入る。オペレーターのヒバリからだった。

 

『第一部隊のみなさん! 直ちに西へ9キロ移動してください!』

 

 その声は、随分と焦りと興奮が滲んだような色をしていた。

 

 オープンチャンネルに入った通信に第一部隊全員が何事かと耳を疑ったが、その後に続いたヒバリの言葉によって、ソーマたちはすぐさまヘリに乗り込んだ。

 

『――つい先ほど、ミツハさんから通信が入りました!』

 

『アラガミに襲われたようで、今は通信が途切れています! 逆探知で割り出したポイントを送りますので、急いでください!』

 

 ――その言葉に心臓は速まり、周りに聞こえるのではないかと思うほど心拍数が大きく体内で響く。

 

 逸る気持ちを押さえつけながら神機を強く握り締める。祈るような眼差しでソーマは荒れ果てた大地をキャビンから見下ろした。

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