Kuschel   作:小日向

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048 日常

 母親に説明した作り話を千夏にも話すと、不用心すぎると怒られた。まったくもってそのとおりである。言い訳が苦しすぎると自分でもわかっているが、それしか三葉の拙い頭では言い訳が思い浮かばなかったため甘んじてお叱りを受ける。

 

 千夏と話をしながら北口から駅を出る。北口を出てすぐの焼き鳥屋は惣菜も多く取り揃えており、メンチカツの買い食いをよくしていた。食欲をそそる匂いを通り過ぎ、こじんまりとした希望ヶ丘商店街を歩く。昔ながらのタバコ屋、ブティックと花屋。薬局の周りには小さな医院やクリニックが集まっている。ドラッグストアを通り過ぎ、だんだんと店が少なくなると交差点に出た。

 

 17時半の空は夜が目前だ。既に日は落ち、空の終わりを彩るピンク色もすぐに夜空に染まるのだろう。店の明かりや車のライト、道路照明灯が町を照らしている。何年間も歩いた地元の通学路だ。

 

「髪短い三葉を見ると、バスケやってた頃思い出すね」

 

 隣を歩く千夏が三葉のはねた毛先を指先で遊ぶ。この通学路を、千夏と一緒に何年間も歩いてきた。当たり前に地元の道を歩き、当たり前に幼馴染が隣で歩いている。三葉は思い出に浸りながら笑みを零した。

 

「でしょー。久々にボール触りたいかも」

「じゃあ久々にうちで1on1やんない?」

「やる〜!」

 

 千夏の誘いに三葉は大きく頷いた。

 厚木街道を通り、ガソリンスタンドがある交差点を右に曲がって坂を上ると住宅地に入る。数分歩くと、庭にバスケットゴールが設置された一軒家が見えた。

 

「ただいまー」

「お邪魔しま〜す」

 

 千夏に続いて三葉が家の中へ入る。小学生の頃からよく遊びにきていた家で、他人の家という感じがあまりしない。リビングへ行くと、千夏の二番目の兄がソファに座って雑誌を読んでいた。

 

「よう、三葉……って髪切ってんじゃん」

「お邪魔してまーす。千景(ちかげ)くん帰ってきてたんだね」

「聞いてよ三葉。カゲ兄のヤツ、同棲中の彼女と喧嘩して追い出されたんだって」

「ええ、また? 前もそんなことなかったっけ」

「三回目なのヤバくない? 今度ヒロ兄に報告しよ」

「全然喧嘩しないで結婚した千尋(ちひろ)くんとは大違いだね〜」

「おうおう、JKどもが刺してくるじゃねぇか……」

 

 女子高生の容赦ない攻撃にあった千景はリビングから出ていき、2階へ消えていった。自室に戻ったのだろう。遊びに来た三葉に気を遣ってくれたのかもしれない。

 

 リビングに荷物を置いて庭に出た。千夏にバスケットボールを渡され、三葉はその場でドリブルをしてみる。久しぶりの感覚に思わず笑いが漏れ出た。

 

「ヤバい、超懐い〜! 全然できないかも!」

「じゃあサクッと勝たせてもらいますわ〜。三点マッチでいい?」

「オッケー。せめて一点は取りたい〜……先攻いくねー」

 

 バスケは千夏に誘われて始めた。お互い高校からバスケ部には入らなかったが、学校帰りに今のように千夏の家の庭で1on1をすることもあった。

 

――オラクル細胞、無くなってるのかな。

 

 身体を動かし、三葉は人間離れした身体能力が無くなっていることに気づいた。身体の動きは鈍く、すぐに息が上がる。シュートもまったく伸びない。三葉が投げたボールは一本だけネットを揺らしたが、先に千夏が三回ネットを揺らした。

 

「負けたー! でも一本決まったから全然オッケー!」

「ポジティブすぎる、嫌いじゃない」

「そりゃあもう身長のデバフあるからね」

「三葉はその小ささが良いからむしろバフ」

「なにそれ。ちょっとくらいわけてほしいんだけどなー」

 

 150センチの三葉に対して千夏は168センチだ。どうしたって不利になってしまうが、それでも一緒にバスケをするのは楽しかった。

 

 笑い合いながらリビングに戻ると、白い犬が別の部屋から飛び出してきた。ふわふわの尻尾を扇風機のように振り回しながら三葉の足元に駆け寄ってくる。

 

「ブラ〜ン! 今日もわたあめだね〜!」

 

 上原家の飼い犬であるポメラニアンのブランは、上原家にしょっちゅう出入りしている三葉にもよく懐いている。三葉はブランを抱き上げてふわふわの毛並みに顔を埋める。幸せの匂いがした。

 

「カメラなくしたってことはさー、ブランの写真も結構無くなっちゃった?」

「だね〜。スマホは無事だから良かったけど」

「いつか三葉が撮ったブランの写真で写真集作ろうと思ってたのになー……」

「自由登校中にバイトして新しいカメラ買うから、それでいっぱい撮ろ〜」

 

 そんな話をしながらブランと遊ぶ。小さいボールを投げるとブランは短い足をシャカシャカ動かして取りに行き、尻尾を振りながらボールを咥えて戻ってくる。良い子だと頭を撫でると、もっと撫でろと言わんばかりに手に擦り寄ってきた。

 

 可愛さに顔が緩んでいると、カシャリとシャッター音が鳴る。千夏がスマホのカメラを三葉に向けて笑っていた。

 

「無くしたぶんいっぱい撮ってやろーっと」

「……うん。私もまたいっぱい撮るよ」

 

 いたずらっぽく笑った千夏に対し、三葉は少しだけ声が震えた。

 

 学校帰りに友人の家に寄って、庭でボール遊びをして、飼い犬と戯れて、笑う。

 今まで何度もしてきた日常の一幕だ。珍しくもなんともない。

 それがひどく、幸せだと感じた。

 

「……ねぇ、三葉。なんかあったん?」

「え」

「今日ちょっと様子が変っていうか……なんか、感傷的? みたいな」

 

 膝の上でくつろぐ飼い犬を撫でながら、千夏が真面目な顔をして三葉を見る。その顔には、心配の色も滲んでいた。

 

 流石に誤魔化しきれなかったらしい。だが白昼夢のような話をしても仕方がなく、三葉はしどろもどろに答えた。

 

「いや……あの、ほら。始業式あったけどもう自由登校で、ほとんど学校行かないじゃん? だから、高校生活終わるなーって実感したっていうか……? 卒業したらみんなバラバラだし、住む場所も離れちゃうじゃん。それでちょっと、寂しくなっちゃって」

「ふーん? ……明日どっか遊び行く?」

「えっ! 行きた……いやいや、千夏センター直前じゃん!」

「余裕だし。てかそもそも明日サボるつもりだったし」

「さすが千夏~……」

 

 千夏は頭がすこぶる良く、点数を取るだけのほうがラクという三葉には微塵も理解できない理由で一般入試を選択している。ともあれ、千夏とは会えなかったぶんを取り戻す勢いで一緒に居たかったので願ってもない話だ。

 

 時刻も18時を過ぎたため、明日の予定はLINEで決めることになり三葉は千夏と別れた。上原家を出て角を一つ曲がると、すぐに見えるベージュ色をした二階建ての一軒家が井上家だ。

 

 三葉が生まれた時から住んでいる、ずっとずっと帰りたかった家だ。

 

「……ただいま!」

 

 玄関のドアを開け、大きな声で帰宅を知らせる。リビングへ行くと母親がキッチンで夕飯の支度をしていた。

 

「おかえり。遅かったね」

「千夏と1on1してた。今日のご飯なに〜?」

「サバ味噌と豚汁」

「わーい、ご飯が進むやつ〜」

「手洗ってきなさーい」

「は〜い」

 

 軽やかな足取りで廊下を歩く。脱衣所と一緒になった洗面所で手を洗い、風呂場を覗くと湯を入れている途中だった。見慣れた浴室に見慣れたシャンプーのラベル。脱衣所の棚には覚えのある場所にタオルや洗剤の詰め替えが収納されており、洗面所には三葉のお気に入りの洗顔フォームが置かれている。

 

――うん、凄くしっくりくる。

 

 アナグラで2ヶ月暮らし、与えられた個室にも共同区画での生活にも慣れていたが、やはり馴染んではいなかったのだと三葉は強く実感した。この世界に戻り、地元を歩いて千夏と遊び、懐かしさでいっぱいだったが、家に帰るとその懐かしさすら溶けて消え始めた。

 

――だって、これが普通なんだし。

 

 そこにあって当たり前の空気のように三葉に馴染み、なんの違和感も抱かなかった。

 リビングに戻り、夕飯の手伝いをする。とは言っても支度はほとんど終えており、箸と茶をダイニングテーブルに並べていると玄関のドアが開いた。廊下の奥から「ただいま」と父親の声がして、三葉は迎えに出た。

 

「お父さん、おかえり!」

「ああ、ただい……髪どうしたんだ!?」

「切った〜」

 

 驚く父に三葉はクスクスと笑う。短くなってはねる毛先は父親の髪とそっくりだった。

 

 父が仕事から帰宅する18時半がいつもの夕食の時間だ。ダイニングテーブルのいつもの位置に座り、家族三人で一緒に夕飯を食べる。

 

 ほかほかの白ご飯が進む甘辛いサバの味噌煮。生姜の効いた具沢山の豚汁は身体が温まり、ほうれん草のおひたしは箸休めにぴったりだ。

 レーションとは比べ物にならないほど温かな味が身体に染みる。それはもう、涙が出そうなくらいに美味しく、三葉は珍しくご飯をおかわりした。

 

――我が家、最高〜!

 

 夕食を食べ終え、風呂に入りながら思う。新人区画の部屋には浴室が無い。シャワールームで汗を流していたため、足を伸ばしてゆっくり湯に浸かるのも久しぶりだ。

 

 ぐっと湯の中で身体を伸ばす。この2ヶ月嵌めていた腕輪はボロボロに壊れて外れてしまったようだが、ずっと装着していたため右手首には赤い痕が残っていた。短くなった髪も、右手首の痕も、タイムスリップが夢ではない証だ。

 

「…………」

 

 右足の傷も、しっかりと残っていた。

 

 三葉はちゃぷちゃぷと足を動かして湯を鳴らしながら、あの世界のことを思い浮かべる。

 

――ソーマさん、大丈夫だったかな。

 

 ヴァジュラの電撃から三葉を庇ったソーマは、頭から血を流して三葉を瓦礫から守っていた。また助けられてしまったと自分の不甲斐なさに呆れつつ、呼ばれた名前を頭に反響させる。

 

――思えば、初めて名前を呼ばれたなぁ。

 

 普段ソーマからは『お前』だとか『テメェ』などと雑に呼ばれていたが、あの時ソーマは三葉を名前で呼んでいた。逼迫した状況だったため、そう呼ばざるを得なかっただけかもしれないが、嬉しかった。

 

 けれどソーマは、今この世界に居ない。

 三葉がずっと帰りたいと焦がれていた世界に、ソーマは居ないのだ。

 

 湯の中で右足の傷痕をなぞる。この傷痕は教訓だった。短い髪は、三葉があの殺伐とした世界で生きていこうと覚悟を持った証だった。

 

 あの断髪の夜のことを思い出す。あの日から三葉は、ソーマを悲しませたくないと思った。『死神』なんて呼ばせたくなかった。同行者の死を人知れず悔やみ、ひとりで背負い込んで悲しんでほしくなかった。そう強く思った気持ちに、嘘は無い。

 

 だが、三葉はこの世界に戻ってきた。ソーマの前から姿を消してしまったのだ。

 

 行方不明という扱いになっているかもしれない。そう思うと、三葉は不安が募る。

 

 ――自分のせいで、ソーマが『死神』と呼ばれていないか、と。

 

 ただでさえリンドウが行方不明になったばかりだ。それなのに再びソーマのチームから新たな行方不明者が出てしまえば、きっと周囲は彼に後ろ指を刺す。

 

 それは嫌だな、と思う。

 

 だけど、

 

――あの世界に戻りたくない。

 

 浴室から出て自室の扉を開ける。2ヶ月ぶりに入る、六畳半の自分の部屋だ。

 

 ピンク色のカーテンに少し散らかった勉強机。壁には額装されたコンクールの賞状や写真が飾られ、本棚には漫画や写真集が並んでいる。クローゼットを開けるとたくさんの服がハンガーに掛かっており、しまわれているケースには集めたレンズたちも収納されていた。ベッドの上にはお気に入りの芝犬の抱き枕がある。

 

 その抱き枕を抱えて、三葉は柔らかなベッドに横になった。見慣れた自室の天井が目に入る。タイムスリップしたのだと実感した日から毎日、元の世界の夢を見ていた。そして夢から覚めて見る天井がこの見慣れた天井ではないことに、毎日小さな絶望が降り積もっていた。

 

――本当に、帰ってきたんだなぁ……。

 

 いつも見ている夢ではないのだ。三葉はぎゅっと強く抱き枕を抱きしめた。

 

 枕元のすぐ近くにあるコンセントに繋がれている充電器のケーブルをスマホに挿し、ベッドの上で友人と連絡と取る。LINEのグループトークにメッセージが届いており、高校の友人二人が加わり千夏と一緒に明日の予定を立てていた。

 

 場所や時間を決めながら、だらだらとくだらない話も続けた。そうしていると次第に眠気がやってきて瞼が重くなる。スマホを枕元に置き、抱き枕を抱えて目を閉じた。通知の音がだんだん遠くなっていき、意識が微睡む。

 

 これが失われていた日常だった。

 久しぶりの日常は、やはりあって当たり前の空気のようにすぐに馴染み、三葉は当たり前のことを思う。

 

――やっぱり私、この世界が良いなぁ。

 

 だってここは、三葉が居るべき本来の世界なのだ。

 

 三葉の生まれ育った町がある。三葉が帰る家がある。三葉を心配する親が居て、長年の友人も居る。三葉がこれまで歩んできた過去も、これから三葉が歩む未来もある。

 

 元の世界に帰ってこれて、三葉は心の底から嬉しかった。

 

 だが――ソーマのことを思い浮かべると、自分だけこんなにも平和な世界でのうのう生きていいのかと、後ろめたい気持ちにもなる。

 

「……ごめんなさい」

 

 柴犬に頭を押し付け、布団に潜り込んで呟いた。2011年から2071年に向けて告げられた小さな謝罪は、誰に届くわけでもなく消えていった。

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