渡された資料に個人情報を書き込む。
「ミツハ君が過去の世界からタイムスリップしたということは、私とツバキ君、それと支部長だけが知る機密事項となる。下手にタイムスリップしたなんて公に言えば、面倒なことになるからね」
生年月日に1992年11月16日と記し、隣の欄に満18歳と記入する。この出生年と年齢はこの世界には合わない。ミツハと同じ年に生まれた人は、この世界では今年79歳になる。
「だからミツハ君の過去を捏造しなければならない。フェンリルのデータバンクに登録するためにね」
モニターに囲まれた赤い椅子に座るサカキから、もう一枚同じ書類を渡される。こちらの書類は既に記入済みだ。
「ミツハ君は2052年11月16日に生まれ、学校に通えるほど裕福な家柄だった。内部居住区に住んでいたが、外部居住区に家族と出かけた際にアラガミを崇拝し反フェンリルを掲げるカルト組織に誘拐され、壁の外に連れて行かれてしまう。しかし旧市街地でアラガミに襲われ、誘拐犯と家族は死亡。唯一生き残ったミツハ君は、当該地域で任務に当たっていた第一部隊に救出される――という経歴にしようか」
「内部居住区に突然住人が増えるんですけどいいんですか……?」
「住民登録データを改竄すればいいんだよ。ヨハンならお手のものさ……ああ、噂をすればなんとやらだ」
インターホンが鳴り、サカキがキーボードを操作すると扉が開いた。サカキと同年代の金髪の男性が研究室に入って来る。
「やぁ、ペイラー」
「忙しいところに悪いね、ヨハン」
「すまないが、この後会議が入っている。手短に頼むよ」
サカキと挨拶を交わすヨハンと呼ばれた長身の男性は、ミツハを視界に入れると微笑みを浮かべた。端正な顔立ちをしており、緩くウェーブした金髪の髪を後ろに流している。黒いスカーフをネクタイのように巻き、白いロングコートの背にはフェンリルのマークが掲げられていた。
男性は入り口に近いソファに腰掛け、自己紹介を始めた。
「私はヨハネス・フォン・シックザール。この地域のフェンリル支部を統括している」
「井上ミツハです。えっと、これからお世話になります」
この男性が支部長のようだ。優しげな印象だが、立ち振る舞いや声色から威厳を感じてミツハは少し緊張した。
「事情はサカキ博士から聞いている。いささか信じ難い話だが、いかに博士がロマンチストといえど私にこんな冗談はしないだろう。P15偏食因子の件もある以上、情報が漏洩しないよう私やサカキ博士の直轄で情報を管理させてもらう」
「そこでヨハン、君に頼みたいことがある。この書類のとおりのデータバンクへの登録が、最初から
「ふむ……いいだろう、そのようにしておこう。……今年19歳か。適合に問題は無いのだな?」
「ミツハ君の体内で既に安定しているから、拒絶反応の心配は無さそうだよ。アポトーシスも正常に機能している」
「ならば安心だ。あのP15偏食因子が、まさか安定するとはね」
「突然変異による自然発生のようだから、宿主への偏食が働いているのかもしれないね」
ミツハ自身の話をしていることは間違いないのだが、会話の内容にまったくついていけない。昨日からこのようなことばかりだ。年齢が何かに関係するのだろうか。何に対する拒絶反応なのだろうか。アポトーシスとはなんだ。そもそも偏食因子の『偏食』とはなんなのだ。まさか食べ物の好き嫌いそのままの意味なのだろうか。専門用語ばかり使われて物語についていけない漫画を読んでいる気分だ。
書類を受け取ったヨハネスは内側に折り畳み、コートのポケットに入れた。
「ペイラー、P15偏食因子については逐一報告してほしい」
「構わないけれど、データで送るかい?」
「いいや、口頭か書類で報告してほしい。彼女のデータに関しては、ネットワークから完全に独立した場所でのみ保管してくれ。貰った書類も目を通したらすぐに処分しよう」
「なるほど、わかったよ。慎重だねぇ」
「エイジス計画が大詰めになっている今、本部からの余計な詮索に時間を取られたくはないからね。不安の種はあらかじめ潰しておくのが得策だ。そうだろう?」
「ああ、違いないね」
どうやらミツハの情報は厳重に秘匿されるようだ。本部と支部の間で軋轢などがあるのだろうか。二人の会話を聞きながらなんとなく理解し、またも出てきた知らない単語に疑問符が浮かんだ。エイジス計画とはなんだろうか。
ひととおり話し終えたのか、ヨハネスがサカキからミツハへと視線を移す。授業中に突然教師と目が合った気分だ。背筋が伸びた。
「明日、適合試験を受けるのだろう? 平和な世界から来た君にアラガミとの戦いを課すのは心苦しいが、是非神機使いとして我々に力を貸してほしい」
「が、頑張ります」
「期待しているよ」
ヨハネスはニコリと微笑み、ソファから立ち上がった。
「それでは私は失礼する。エイジス計画の進捗報告会があるのでね」
「仕事を増やして悪いね。それじゃ、よろしく頼んだよ」
去っていくヨハネスに会釈をする。扉が閉まり、サカキと二人になった研究室でミツハは緊張の糸を解くように息を吐いた。
「一番偉い人って緊張する……! なんか難しい話してましたよね? よくわからなかったんですけど」
「ははは。ヨハンは元技術屋だからね、P15偏食因子のことも興味津々なんだろう」
「仲が良い感じでしたけど、付き合いが長いんですか?」
「そうだね。古くからの友人だよ」
そう語るサカキの声色は、どこか回顧するような錆びれた色を滲ませていた。
ミツハは書類を書き上げ、サカキに手渡す。今まで操作していたスーパーコンピューターに繋がっているキーボードではなく、ノートパソコンを取り出して薄いキーボードを打ち始めた。書類の内容を打ち込んでいるようだ。
タイピング音を聞きながらソファに深く腰掛ける。手持ち無沙汰になったので、研究室を見渡してみる。
――変わった雰囲気の部屋だな〜。
サカキが腰掛ける赤い椅子には机が無く、二台の大型モニターが床から伸びているポールで固定されていた。その大型モニターの背面からは小型のサブモニターがアームで連結され、椅子は四台のモニターに囲まれている。椅子の背後には、うず高く積まれたスーパーコンピューターやハードディスクが壁に埋め込まれており、床には至るところからコードが繋がれていて躓きそうだ。
そんな研究室らしい機材とは場違いに、スーパーコンピューターやハードディスクに挟まるように掛け軸が掛けられている。他にも、部屋の両脇の棚には金屏風や漆塗りの重箱、日本刀や額装された水墨画などが飾られていた。
サカキ自身も着物を身に着けていることから、かつてこの地にあった日本の文化を大事にしているのかもしれない。
タイピング音が止み、ノートパソコンを閉じる音がしたのでミツハは部屋を見渡すのをやめてサカキに視線を向けた。
「博士〜。P15偏食因子って、そんなに珍しいものなんですか?」
支部長であるヨハネスが興味を持ち、面倒な方法を採用してまで報告を求めた自身の身体にあるP15偏食因子が気になった。
「発見自体はだいぶ前にされていたけれど、変異しやすいせいで非常に扱いにくいんだ。研究中に変異して捕喰事故が起きたりしたせいで、ろくに研究が進んでいない。ラットへの投与ですら成功例が無いから、P15偏食因子が人体に作用する影響が未知数なんだ」
「えー……めちゃくちゃ危険じゃないですか。私の身体の中にあるP15偏食因子は変異してないんですか?」
「今のところはしていないね。ただ、神機と接続したときにどんな反応をするのかわからないから、明日の適合試験で異変を感じたらすぐに知らせるんだよ」
「はーい」
話をしながら、サカキはいつの間にかコピーしていた書類の束をミツハに渡す。P15偏食因子に関する資料だそうだ。
情報量の多い資料に、ミツハは目が滑りそうになりながら読み進める。
『P15偏食因子』
複数発見されている偏食因子の一つである。
オラクル細胞の『変異・進化』という作用を強く持っており、偏食因子を自ら生産することもできるため構造的にはオラクル細胞に近い形となる。
同じく偏食因子を自己生成し、構造がオラクル細胞に近い『P73偏食因子』と比べ、オラクル活性化率は大きく劣っている。これはオラクル細胞が持つ作用のうち、捕喰作用よりも変異・進化の作用が強いためと推測される。
そのため、投与に成功した場合の体細胞の強化も『P73偏食因子』よりも大きく劣ると推測される。『P53偏食因子』と同程度かそれ以下の可能性が高い。
複数のラットへ投与した結果、体細胞がオラクル細胞に変異する作用に耐えきれずにアラガミ化、もしくは細胞崩壊を起こしていずれも死亡。
研究中の事故を受け、P15偏食因子の研究を凍結する。
――要約するとこのような内容だった。
「なるほど……?」
とにかく変異しやすく、オラクル細胞に近くて危険だということは理解できた。そんなものが体内に存在していることが不思議だ。
やはりいまいち頭に入ってこないが、気になる単語はいくつかある。
「博士、『P73偏食因子』とか『P53偏食因子』とは、どう違うんですか?」
P53偏食因子は神機使いに投与されている偏食因子だとは聞いたが、どんな違いがあるのだろうか。特にP73偏食因子というものは、P15偏食因子と同じくオラクル細胞に構造が近いらしく、ミツハは興味が惹かれた。
「P53偏食因子は昨日説明したとおり、神機使いに投与されている実用化された偏食因子だよ。人体の拒絶反応が少なくて調整しやすいんだ。とは言っても、過剰摂取をすれば細胞が侵喰されてアラガミ化してしまうし、P15やP73と違って自己生成ができないから、定期的な投与が必要だ」
「へ~……比較的安全なんですね。……P73は実用化されていないんですか?」
「されていないよ。その資料にもあるように、P73偏食因子はオラクル細胞に構造が近いんだ。P15偏食因子と同じかそれ以上に、体細胞をオラクル化させる作用が強い。人体に投与するとアラガミ化してしまうんだ」
「後天的な投与はダメでも、私みたいに突然変異の自然発生だったり、先天的に持ってる場合も無いんですか?」
P15もP73も実用化されていない偏食因子だが、ミツハの体内にはP15偏食因子が存在している。それに資料を読むと、P15偏食因子の体細胞の強化については推測だったが、P73偏食因子はどれほど強化されるのかわかっているような書き方だった。
ならば自分と同じように、自然発生した場合があるのではないかとミツハは思い、何気なくサカキに聞いてみた。
サカキは一拍間を空けて、ニコリと笑った。
「ミツハ君は父親似かな? それとも母親似?」
「えっ? うーん……見た目はお父さん似で性格はお母さん似だってよく言われます」
「そうかい。それらは遺伝によるものもあるだろう。ミツハ君の身体に突然発生したオラクル細胞や偏食因子も、もしかすると親御さんから譲り受けた遺伝子が時間をかけて変異して生まれたものかもね」
「……偏食因子にも遺伝とかってあるんですか?」
「あるよ。神機使いから生まれた子供はゴッドイーターチルドレンと呼ばれていてね。生まれながらに偏食因子を有して潜在的に神機使いの素質があるんだ。ただ神機使いの登用が開始されてから15年しか経っていないし、その子供であるゴッドイーターチルドレンも数が少ない。まだまだ整備されていないし、通常の神機使いと比べてどのような差異があるか未知数だね」
「…………なるほど」
色々な新規情報が出てきて頭がパンクしそうだった。そんなミツハをサカキは面白がるように笑い、椅子から立ち上がった。
「難しいお勉強は終わりにして、少し歩こうか。アナグラを案内してあげよう」
「あ、お願いします〜! 部屋に戻れるか不安だったんです!」