Kuschel   作:小日向

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051 感応現象

「――ヒバリ、ちゃんっ!? こちらミツハです! 救助をお願い――きゃあっ!?」

 

 いつもの癖でポケットに入れていた、フェンリルから支給された無骨な携帯端末がミツハの命綱だった。極東支部に連絡を取ったが、詳細を言う前にオウガテイルの遠距離攻撃によって転倒してしまう。命綱の携帯端末が瓦礫の間に滑り落ちてしまった。

 

 足を捻ったのか鈍い痛みが走る。だがそんなことはお構いなしに、オウガテイルはミツハ目掛けて飛びかかってきた。痛みに堪えつつ転がりながら避け、立ち上がって再び走り出す。

 

 倒壊した建物。廃墟と化した町並み。大きな風穴が空いた団地群。崩れたホームが剥き出しになった希望ヶ丘駅。

 

 荒廃とした町の残骸は、確かにミツハの生まれ育った町の面影を残していた。その面影が、余計にミツハを苦しくさせる。昨日歩いたばかりの駅前の通りは無残にも荒れ果て、ありふれた日常を壊していた。

 

 そんな壊れた町の中をミツハは駆け抜ける。オウガテイルとの鬼ごっこは追いつかれてしまえば簡単に死んでしまう。神機無しでは、ヒトはアラガミに対抗できないのだ。

 

 フェンリルの携帯端末を落としてしまったため、極東支部と連絡を取ることもできない。携帯会社の基地局が廃墟になったこの世界で、ミツハのスマホはカメラと音楽プレーヤーでしかなく、この状況ではなんの役にも立たない。

 

 どうにかオウガテイルを撒いて任務中の神機使いを探すぐらいしか手はないが、はたしてオウガテイルを撒けるのだろうか。腹を空かせたアラガミは執拗に獲物を追い、徐々に距離が縮まっている。

 

「――痛っ!」

 

 痛む足のせいで上手く走れず、瓦礫の段差に躓いてしまった。瓦礫に身体を打ち付け、頭を打って視界がぐらつく。オウガテイルの鳴き声がすぐ近くに聞こえた。

 

――マズい。

 

 鬼ごっこは終焉を告げる。雄叫びを上げて喰いかかろうと飛びつくオウガテイルを前に、ミツハはデジャヴを感じながら腹の底から声を絞り上げた。

 

「――助けて!」

 

 

 

 痛みはこなかった。

 

 あの日のように、痛みの代わりにオウガテイルの叫び声が空気を震わせた。血飛沫が飛び、肉を断つ音が聞こえる。

 

 あの日と違うのは、アラガミを狩るその武器が巨大な鋸のようなバスターブレードではなく、ロングブレードという点だ。蒼い刀身がオウガテイルのその身を抉り、斬り裂いていく。

 

 いとも簡単に倒されたオウガテイルは黒い靄となって空気に霧散した。1分どころか30秒足らずの出来事だった。神を喰らう者は簡単な戦闘だったのにもかかわらず息を荒げ、血相を変えてミツハのもとへと駆け寄る。

 

 蒼い神機を握るのは、第一部隊隊長であり同期の神薙ユウだった。

 

「ミツハ、無事!?」

「ユウ……! 大丈夫、ちょっと捻挫したぐらいだから……」

「良かった……本当に、生きてて良かったよ……」

 

 目に涙の膜を張りながら、ユウは大きく胸を撫で下ろして柔らかく微笑んだ。その心からの表情を目にして、ミツハは不思議と息が詰まった。

 

「えっと……ユウ、よく私がここに居るって分かったね。近くで任務してたの?」

「ヒバリさんに救助申請してくれたんでしょ? 逆探知で位置を割り出して連絡をくれたんだ。でも特定できる範囲が広いし、襲われてるなら移動してるだろうから、第一部隊のみんなで手分けして探してたんだよ」

 

 ヒバリに繋がってすぐ連絡は途切れてしまい、オウガテイルとの鬼ごっこも数分の出来事だ。すぐに位置を割り出してくれたヒバリも、連絡を受け取って急行してくれた第一部隊も、みんなミツハのために必死になってくれたらしい。「間に合って良かった」とユウは上がった息を整えながら笑った。

 

 散開していたメンバーに向けて連絡を入れたユウは、無線のスイッチを切りながら不思議そうな顔をミツハに向ける。

 

「それにしてもあの時、何があったの?」

 

 ユウの言葉にミツハの顔が引き攣る。任務中に突然行方を晦ました言い訳など咄嗟に思いつく筈もなく、話を強引に逸らすことしかできなかった。

 

「その……ごめん。先に聞かせてほしいんだけど、私の扱いってどうなってた……?」

「……昨日、KIA認定にされたよ」

「えっ……」

 

 行方不明扱いだろうと思っていたミツハは、戦死を意味する言葉に青褪めた。

 

 近いうち防衛班から二階級特進が出るな――そう皮肉を放ったカレルの言葉が、ミツハの脳裏によぎった。60年前の世界へタイムスリップしていたとは夢にも思わないだろうカレルたちの目にはきっと、こう映るのだろう。

 

 またソーマのチームから殉職者が出た――と。

 

 『私はソーマさんのおかげで生きているんです』

 『ソーマさんが出来損ないの化け物じゃないっていう、証明になります』

 

 ――なんて言ったミツハ自身が、彼を死神だと呼ばせてしまっている。そうさせてしまっている。その事実がミツハに重くのしかかり、罪悪感で潰されそうだった。

 

「……とにかく、移動しようか。みんなと合流して、ちゃんと無事だって安心させないとね」

 

 「立てる?」とユウはミツハに向けて手を差し出す。合流する『みんな』の中にはソーマもきっと居るのだろう。

 

 どんな顔をして会えばいいのか分からないまま、ミツハはユウの手を取った。

 

「――――ッ、」

 

 途端、目の前がチカチカと閃光のように瞬いた。

 

 眩む視界には何も見えない真白の光ではなく、見覚えのある廃工場の景色が映る。

 

 ――鉄塔の森を背景に、赤い髪とサングラスが特徴的な神機使いの男――エリック・デア=フォーゲルヴァイデがユウに話しかけ、目の前でオウガテイルに喰われた。

 

 噴出する鮮血に断末魔。あまりにも呆気なく終わった命と、エントランスで泣く裕福そうな少女――エリナの姿。

 

 場面は変わる。贖罪の街の教会で取り残されたリンドウに向かって悲痛な声で訴えるサクヤの横顔に、プリティヴィ・マータの群れ。呆然とへたり込み、そんなつもりはなかったと呟くアリサ。生きて帰れ、と瓦礫の向こうで叫んだリンドウの声。

 

 強くならなきゃ、と使命感にも似たユウの気持ち――

 

 まるで古い映画を見ているかのような感覚だった。映写機はミツハで、フィルムは――神薙ユウ。頭に流れ込んできたミツハの知る由もない記憶は、確かにユウのものだった。

 

「……なに、いまの」

 

 長い映画を見ていたような感覚だったが、時間にしては数秒にも満たなかったようだ。辺りの景色は変わらない。変わったことといえば――目の前のユウの表情だ。

 

 ユウは力が抜けたように、重ねた手をするりと落とした。その顔には、困惑、驚愕、懐疑――『信じられない』とでも言いたげな、様々な感情をごちゃ混ぜにしたような、形容し難い表情を浮かべている。

 

 その表情には、ミツハには覚えがあった。それは初めてこの世界に来た日、学生証と保険証を渡したツバキとサカキのような、そんな眼差しをミツハに向けていたのだ。

 

「ミツハ、君は――60年前の世界から来たの?」

 

 そう告げられ、ミツハは息を呑んだ。え、と漏れた乾いた声は空っ風に吹き飛ばされた。

 

――なんで。

 

 どうしてそれを知っているのかと、ミツハは指先が震えた。だが先ほどミツハがユウの記憶を垣間見たように、ユウもミツハの記憶を見たのかもしれないと考えつく。

 

 そう思い至ると、正直――ぞっとした。

 

 ユウはミツハのどんな記憶を見たのだろうか。ありふれた日常の一幕ならば全然構わない。

 だが、どうしても知られたくない。悟られたくない思いがあった。

 

――戻りたくないなんて、思っちゃった。

 

 忘れようと思った。この世界を、目の前に居るユウを、みんなを。

 それを知られるのは、怖かった。

 

「……なにを、見たの?」

「えっ、……ミツハが初めてこの世界に来た日のこと、かな。建物と人がいっぱいの街を歩いていたら眩暈が起きて、気づいたら目の前の景色が荒れ果てた街に変わってて、ヴァジュラに襲われていたところをソーマに助けられた――合ってる?」

「……うん、合ってる」

「じゃあ、やっぱりミツハは……」

「……そうだよ。60年前から、タイムスリップしてきたの。この2日間、私は過去の世界に戻ってたんだ」

 

 信じられないよね、とミツハは笑った。どうやらユウの見た記憶はミツハがこの世界にやって来た日のことだけらしい。そのことに妙な安堵を覚えながら、今度はミツハが首を傾げた。

 

「それにしても、今のって何……?」

「多分、感応現象っていうものだと思う。新型同士に起こる共鳴みたいなもの……らしいんだけど、僕も詳しいことはよくわからないんだよね」

「……新型同士って、私新型じゃないのに?」

「そうなんだよね。もしかしたら新型同士じゃなくても起きるものなのかな……」

 

 そう言いながらユウは再び手を差し出した。少しの躊躇いを持ってミツハはその手を取る。今度は眩暈は起こらずに済み、ぐっと手を握って立ち上がった。足首にわずかな痛みを持ちながら、ミツハは考える。

 

 今まで新型であるユウやアリサに触れてもそんな現象が起きたことはなく、そんな現象があるとも聞いたことすらなかった。――もしや、とミツハの脳裏に嫌な考えが浮かぶ。

 

――変異、したのかもしれない。

 

 その線は十分にあり得た。ミツハの持つP15偏食因子は、ミツハの知らないうちにどんどん変わってしまう。自分のことだというのに、ミツハは自分のことが一番わからないのだ。

 

 以前サカキは、ミツハがタイムスリップした原因を『矛盾の修正』だと言った。2046年に発生するはずのオラクル細胞が2011年のミツハの体内に発生してしまったことにより矛盾が生じ、それを修正するためにタイムスリップが起こったのだ――と。

 

 サカキの推測どおり、元の世界に戻れた理由は体内のオラクル細胞が無くなったからだろう。何故体内のオラクル細胞が突然消失したかはわからないが、実際千夏とバスケをした時、身体能力は普通の人間になっていた。元の世界に戻る直前、神機が持ち上げられないほど重くなって捕喰されかけた理由も、体内のオラクル細胞や偏食因子が無くなったせいで制御ができなかったせいだと考えれば説明がつく。

 

 そして再びタイムスリップしたということは、おそらく矛盾が生じたからだろう。2011年の世界にオラクル細胞が存在するという矛盾だ。

 

 しかし、何故。何故一度は無くなったオラクル細胞がまた生まれたのだろう。そして何故、新型同士で起こる現象がミツハとユウの間に起こったのだろう――

 

 ぐるぐると考えてもわからない身体の内側に恐怖を覚えていると、ミツハの名前を呼ぶ声が聞こえる。顔を上げれば、第一部隊がすぐそこまで来ていた。ミツハの顔を見るなり、コウタとアリサは感極まったような顔をしてミツハのもとへ駆け寄る。

 

「ミツハ……本っ当にミツハだ! 生きてたんだな……!」

「もう! 心配したんですよ……! 今までどこに行ってたんですか……!」

 

 ミツハの無事を大袈裟なほどに喜ぶ二人を見て、チクリと胸の奥が痛んだ。アリサは目に涙を溜めながらミツハを抱きしめようと手を伸ばしたが、ミツハは咄嗟に後退ってしまった。

 

 アリサは新型神機使いだ。アリサに触れたら、感応現象が起こってしまうかもしれない。

 

 焦ったミツハは足を捻挫していることも忘れて後退り、そして鈍い痛みに顔を顰めてその場に座り込んだ。

 

「ミツハ!? 大丈夫ですか……!?」

「あ――ソーマ! ミツハ、足を捻挫してるみたいなんだ。ヘリまでおぶってあげてほしい。アリサは僕と一緒にヘリまでの道に居る小型アラガミの排除を手伝って。コウタとサクヤさんはソーマと一緒にミツハの護衛を」

「……了解した」

「ええ、わかったわ」

 

 ユウがテキパキと指示を出す。ミツハの様子から感応現象を起こしたくないのだと察したのだろう。その指示にアリサは素直に頷き、ミツハからは離れて「ほらほら早くおぶってあげてください」とソーマの背中を押していた。

 

「……誰にも言わないほうがいい?」

「うん……お願い」

「わかった。――よし! じゃあアリサ、行こうか」

「はい!」

 

 ユウは膝を折って座り込んだミツハの耳にこっそり耳打ちをし、強く頷いて立ち上がった。アリサと共に先陣を切った二人の背中は次第に小さくなる。しっかりしているな、と彼が隊長になった理由を見た気がした。ユウはよく周りを見ている。自分なんかとは大違いだと思った。

 

「……おい」

「あ……」

 

 ぼんやりユウの背を見ながら考えていたら、すぐ近くまで来ていたソーマに気づかなかった。ミツハを見下ろすソーマの顔を見て、ミツハは思わず目を逸らしてしまった。

 

 じくりじくりと右足の傷痕が痛む。目の下にできた隈が、ミツハが居なくなっていた2日間のソーマを表していた。リンドウが姿を消したソーマの顔と重なった。きっと眠れなかったのだろう。あの時と同じように、自分を出来損ないの化け物だと呪ったのだろう。

 

――私のせいで。

 

 罪悪感が降り積もる。しゃがんで背を向けたソーマに触れていいものかと躊躇いを持ったが、「早くしろ」と急かされてしまい慌ててその背中に身を委ねた。軽々とミツハをおぶって立ち上がるソーマの肩に顔を埋める。

 

「……すみません」

「……別にいい」

 

 ごめんなさい、とミツハは何度も心中で呟いた。

 

 戻りたくないなんて思ってしまった。

 忘れようと思ってしまった。

 

 そして今も――ミツハは元の世界へ帰りたいと思ってしまう。どうして再びこの世界に来てしまったのだろうと戸惑い、ソーマたちと再会できたことを素直に喜べずにいる。

 

――最低だ。

 

 この醜い感情をソーマに知られたくない。きっと今、自分は酷い顔をしている。ヘリに着くまでの間、ミツハはずっとソーマの肩に顔を埋めたまま一度もその顔を上げなかった。

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