Kuschel   作:小日向

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052 ただいまなんて言えやしない

 ヘリから見下ろす大地は映画のように荒れ果てていた。昨日千夏たちと遊んだ横浜の繁華街の姿はどこにも見当たらず、今にも崩れそうな廃墟が立ち並ぶだけだ。

 

 アナグラへ着くまでの数分間、ミツハはずっとヘリの窓に額を当てて、かつての自分の生まれ育った町だけを眺めていた。

 

 アナグラへ帰投するとヘリポートにはツバキと第二部隊の姿があった。

 

 ヘリが着陸するなり、第二部隊はローターの停止も待たずに駆け寄ってくる。ミツハは片松葉をついてヘリから降り、タツミたち三人に無事の顔を見せる。するとカノンがボロリと大粒の涙を零した。

 

「えっ、カノンちゃん!?」

「ミツハちゃん……ミツハちゃん~……っ! 無事で、良かった、です……、わたしっ、もうミツハちゃんに会えないかと、おもっ、て……」

 

 あまりの安堵からか腰が抜けた様子でカノンはその場にへたり込んで、泣いた。しゃくりを上げながら、良かった、無事で良かった、と震えた声で繰り返す。カノンが大泣きするためか隣の二人は冷静になったようで、安堵の表情を浮かべて優しく笑った。

 

「ミツハ、おかえり」

「無事に帰って来てくれて何よりだ。……本当に、良かった」

 

 くしゃりとタツミの掌がミツハの頭を撫でる。ボサボサになった髪のアプリコットの香りを強風が吹き飛ばし、一瞬で消えた。

 

 カノンは涙を拭って立ち上がり、ミツハの顔をしっかりと見て、笑った。

 

「ミツハちゃん――おかえりなさい!」

 

 言葉が出なかった。ごくりと生唾を飲んで、松葉杖を握る手に力が入る。ギチッと軋んだ音にハッとして、ミツハはようやく口元を緩めた。

 

「あ――、ありがとうございます。あの、ご心配をおかけしてすみませんでした!」

「捻挫以外に怪我はないか?」

「大丈夫です!」

「そうか……なら安心だ」

「しかし何があったんだ?」

「えっと、それは……」

「――お前たち。話の途中で悪いが、ミツハのメディカルチェックを優先したい。腕輪が無い状態だ、一刻を争うのはわかるだろう」

 

 返答に困るミツハに助け船を出すようにツバキが会話を遮ると、それもそうだとタツミたちは身を引いた。腕輪が無いというのはそこまで大変なことらしい。タイムスリップして間もない頃、サカキに説明された気もする。しかしあの時はこの世界を夢だと思っていたため、重要そうな説明も話半分で聞いていたせいでよく覚えていなかった。

 

 ミツハはタツミたちにぺこりと頭を下げてツバキの背を追った。後ろめたさを覚えながらエレベーターに乗り込む。ツバキと二人きりの箱の中でようやくまともな呼吸ができた。

 

 ツバキの様子からして、ミツハが失踪した理由を察しているようだった。それもそうだ。何せツバキは、数少ないミツハの事情を知る人間なのだから。

 

「ツバキさん。私が早々にKIA扱いになったのって、私がどうなっていたかわかっていたからですか?」

「……確証があるわけではなかったが、サカキ博士から聞いた状況から予想はついていた。過去に戻っていたのなら捜索隊を出しても見つかりようがないからな。接触禁忌種が増えている状況で、見つかるはずのない人間に人員を割くわけにはいかないとの判断だった」

 

 事情を知っているのなら妥当な判断だろう。まさか再びこの世界にタイムスリップするとはミツハ自身思いもしなかったため、もう戻ってこないと判断しても可笑しくない。意味も無く捜索隊を出すよりも、KIAと認定して捜索を打ち切らせるのが合理的だ。

 

 そう理解しているが、そのせいでソーマはまた自分を呪ったのだと思うとやるせなかった。

 

――でも、そもそも私は戻りたくなんてなかった。

 

 それなのに、やるせないと思ってしまうのは都合が良すぎないだろうか。この世界から居なくなってしまうことをミツハは望んでいた。それがソーマの目にどう映るかなんて、少し考えればわかることだというのに。

 

 ぐちゃぐちゃした思考を中断させたのは、エレベーターの到着音だった。エレベーターは研究区画に着き、サカキの研究室へ足を運ぶ。

 

 サカキはいつものように四台のモニターに囲まれた赤い椅子に腰掛けており、ミツハの姿を見るなり狐目を細めた。

 

「やぁ、おかえり――なんて言うのは、君にとっては酷かな」

「……そんなこと、ないですよ」

「そうかい? ではそういうことにしておこう。それより、メディカルチェックの前に詳しく話を聞かせてもらえるかな? あのとき、何があったのかを」

 

 ソファに腰掛け、サカキの言うとおり2日前の出来事を思い出しながら、ミツハはぽつりぽつりと話していく。

 

 任務中、1ヶ月前のように神機が重くなったこと。けれど突然、持ち上げられないほど重くなってしまったこと。ミツハに向かって神機が牙を向いたこと。眩暈がしたと思ったら、元の世界へ戻っていたこと。戻っていた間、身体能力が落ちていたこと。2日経ち、再び目眩がしたと思ったら、この世界へ投げ出されていたこと。

 

 ふむ、とサカキはミツハの話に相槌を打つ。「ソーマから聞いていた話と一致するね」とツバキと顔を合わせながら眼鏡のブリッジを押し上げた。

 

「前に私はミツハ君がタイムスリップをした原因を、『矛盾の修正』のためだと推測したね。おそらくタイムスリップの原因はそれで間違いない」

 

 サカキは椅子から立ち上がり、ミツハの座るソファの傍へやって来た。感情の見えない狐の目がミツハを見下ろし、口は饒舌な程に回る。

 

「腕輪の観測結果を確認したところ、ミツハ君の適合率とオラクル活性は1ヶ月前のように低下していたんだ。これだけなら、1ヶ月前と同じだが……ミツハ君が居なくなる直前に数値は更に低下し、最終的には観測不能に……つまりゼロとなった。神機が持ち上げられないほど重くなった、捕喰されかけた原因はこれだろう。ミツハ君の体内から偏食因子やオラクル細胞が消失したんだ。だから、君は元の世界に戻ることができた」

 

 ここまではミツハも推測していたことだった。だが、どうしてもわからないことがある。

 

「しかし、どうして今回はミツハ君の体内からオラクル細胞が消えたんだろうね」

 

 何故オラクル細胞や偏食因子が体内から消失したのか。この一点が不明だった。1ヶ月前も偏食因子の生成量が減少していたが、完全に無くなるわけではなかった。

 

「途中までは以前と同じ数値の範囲だったのに、突然それが消失するに至った原因がきっとあるはずだ。どんな些細なことでもいいから、何か変わったことはなかったかい?」

「変わったこと……接触禁忌種と遭遇していたとか? それと腕輪が壊れかけていたとか……」

「プリティヴィ・マータとの交戦中は特に変化は無かったんだ。腕輪に関しては、普通の神機使いだったら壊れかけていたのは大問題だけど、ミツハ君の場合は関係無い。P15偏食因子の神機への適応力によって直接制御しているから、腕輪はビーコンとバイタルチェック用だ」

「ということは、数値が低下したのはマータと戦った後ですか。ヴァジュラが来て、ソーマさんに助けられて――……」

 

 記憶を遡る。接触禁忌種であるプリティヴィ・マータと遭遇し、次いで大型種のヴァジュラにも襲われた。上だ、とソーマの声で頭上を見上げれば、電撃を放つヴァジュラを目にして死を覚悟した。

 

 しかし実際には電撃に直撃することもなく、ソーマがヴァジュラからも瓦礫からもミツハを守っていた。ミツハに覆い被さって瓦礫からミツハを守り、頭からは血を流していた。

 

 雨のようにポタポタとミツハの頬に滴り落ちた感触をよく覚えている。生唾を呑むと、血の味がした。そして喉が焼けるように熱くなった――

 

「あ……」

 

 神機が重くなったのは、その直後だった。瓦礫を押しのけ、ヴァジュラに応戦しようと神機を握ったが大鎌は持ち上がらず、それどころかミツハを捕喰しようと牙を向けた。思い当たる節があるならばこれぐらいしかない。

 

「……血を、少しですけど飲みました。神機が重くなったのもその直後です」

「血?」

「はい。ソーマさんが私を庇ってくれた時に、顔に血がかかって、そのときに――」

「――ソーマの血を飲んだんだね?」

 

 サカキの口調が鋭いものになり、眼鏡の奥で細い目がギラリと光って見えた。その変化に戸惑いながらミツハは頷く。

 

 サカキはツバキと顔を見合わせ、少し考え込むような仕草を見せた。やがていつもどおりの張り付けたような笑みを浮かべた。

 

「――うん、ありがとう。もしかしたら血液中に含まれる微量の偏食因子と捕喰し合った結果かもしれない。ミツハ君とソーマの偏食因子は違うものだからね、拒絶反応が起きた可能性がある」

「あ……確かにそうですね。普通はP15じゃなくて、P53偏食因子ですもんね……」

「……そうだね。普通はそうだ」

 

 小さく頷いたサカキに違和感を覚える。その表情には何か陰りがあったが、ミツハが追及する前にサカキはパンと手を叩いてそれを許さなかった。

 

「よし、それじゃあメディカルチェックを始めようか。もう準備はできているから、ゆっくりお休み」

「あ、はい。お願いします」

 

 ソファから立ち上がり、向かって左手にある赤い扉を開けて小部屋に入る。話している間に捻挫の痛みはすっかり引いていた。常人では考えられない治癒力に、本当に体内のオラクル細胞が復活したのだなとミツハは実感した。

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