目を覚まして見慣れない天井に戸惑い、置かれた状況を思い出す。ミツハは小部屋で寝かされており、右手首には赤い腕輪が装着されてあった。メディカルチェックの間に腕輪を嵌め直されたようだ。
小部屋を出ると、研究室にはツバキが居なくなっていた代わりに違う人物がいた。ソファに腰掛けているのは、ヨハネス・フォン・シックザール。極東支部の支部長だ。
ミツハの事情を知る一人であり、データバンクへの登録など色々と手を回してもらっていた。支部長とあって多忙なのか、適合試験でガラス越しにその顔を見てからは一度も顔を合わせていなかった。
書類を読んでいたヨハネスはミツハの姿を見ると目を細め、手にしていた書類をテーブルの上に置いた。おそらくメディカルチェックの結果が書かれてある書類だろう。ミツハにはよくわからないグラフや数値が書かれた書類を一瞥し、ミツハはヨハネスに向けて頭を下げた。
「お久しぶりです、支部長」
「ああ、こうして顔を合わせるのは久しぶりだね。話は博士からよく聞いているよ。君の偏食因子は実に興味深いとね」
ヨハネスはそう言ってうっすら笑った。端正な顔立ちをした金髪の紳士は威風堂々という言葉がよく似合い、言葉のひとつひとつに威厳を感じさせる渋い声をしている。「座りたまえ」と促され、一礼してソファに腰掛けた。
「前にも言ったけど、ヨハンも元技術屋なんだよ。ミツハ君の偏食因子に興味津々らしい」
「新型に適合するとなれば、戦力の増加が期待できる。支部をまとめる身としてなるべく把握しておきたいだけさ」
「……新型、ですか?」
「メディカルチェックの結果、P15偏食因子が変異していてね。新型神機との適合が期待できそうなんだ」
サカキから告げられた内容は,ある程度予想していたものだった。偏食因子が変異したことが原因で、ユウとの感応現象が起きたのだろう。
「……でもなんで、変異したんでしょうか?」
「それはきっと、ソーマの偏食因子と反応したからだろう」
「あれの偏食因子は君と同じように、通常とは違う偏食因子を持っているからな」
「……えっ、そうなんですか!?」
ヨハネスの言葉にミツハの心臓が跳ねた。何か秘密があるのだろうとは思っていたが、まさかミツハと同じように、偏食因子が通常のP53とは違うものだとは思いもしなかった。
その事実をソーマの口からではなく他人の口から聞いていいものなのかと戸惑うが、そんなミツハをお構いなしにヨハネスの言葉は止まらなかった。
「あれの持つ偏食因子はP73偏食因子というものだ。知っているかね?」
「……P73って、人体への投与は禁止されているんじゃ……」
以前サカキから教えてもらったため、よく覚えていた。P15偏食因子と同じように、P73偏食因子は人体への投与が禁止されている。
しかしソーマの体内に有している偏食因子は、投与が禁止されているはずのP73偏食因子だとヨハネスは言う。
もしかして、とミツハの脳裏に期待が芽生える。
――もしかして、ソーマさんも偏食因子が自然発生したのかな。
しかしその予想は、ヨハネスによってすぐに否定された。
「後天的な投与では成功例が無いが、あれの場合は胎児段階で母体を通じて投与したものだ」
「……胎児段階で、ですか」
「ヨハン、話が逸れているよ」
「ああ、すまない」
サカキの介入によってその話は終わったが、ミツハはヨハネスの言葉に落胆し、そして後悔した。
――私、何を期待したんだろう。
ソーマも自分と同じように、偏食因子が自然発生したかもしれない――なんて淡い期待は、あまりにも愚かだった。自分に嫌気が差し、ソファの表面をぎゅっと握る。
そんなミツハを一瞥だけして、サカキは話を続けた。
「普通は血液中に含まれる微量の偏食因子を経口摂取しても影響は出ないんだが、その時のミツハ君は適合率とオラクル活性が低下する休眠状態だった。わかりやすくいえば、脆弱な状態だったんだ。休眠中に脅かす外的因子を拒絶しようと捕喰したんだろう。だがP73偏食因子はオラクル細胞に近い強力なものでね。互いに捕食し合い、その結果――」
「一時的にオラクル細胞が体内から消えた、というわけか」
「そのとおり。そして時間が経って再び生成されたP15偏食因子は、性質が変化していたんだ。P73偏食因子の情報を学習し、まったく違う性質になっていたんだよ」
「……それで感応現象が起きたんですね」
「おや、感応現象を体験したのかい?」
「あ、はい。……ユウと感応現象が起こって、60年前から来たってことがバレちゃいました」
一応秘密にしておいてほしいとは頼んだものの、知られたくはなかった。だがサカキの反応は存外にも軽く、「後から軽く事情を話しておくよ」とさえ言った。
説明は終わり、参考までにとメディカルチェックの結果が書かれた書類を渡されたが、あまり読む気は起きなかった。自分の身体のことだというのに、知れば知るほど怖くなるのだ。
書類に印刷された『変異』の文字から目を背け、ミツハはソファから立ち上がった。自室へ戻ろうと扉へ足を向けると、声をかけられる。
「足を捻挫していたのだろう、部屋まで送ろう」
「えっ、いや、申し訳ないです……!」
「いや、道すがらに新型神機の説明もしておきたくてね。いいかね?」
支部長であるヨハネスにそう言われてしまえば断れるはずもない。「あまり変なことを言って困らせてはいけないよ」と狐のように目を細めたサカキにヨハネスは笑って返し、研究室を後にした。
支部のトップと並んで歩くことなどそうあるはずも無く、緊張で背筋を伸ばしながら廊下を歩く。ヨハネスは肩の上がったミツハに小さく笑みを浮かべながら、明日のことについて話し始めた。
「明日は新型神機の接続を行ってほしい。君の神機は欧州から輸入したものだったね? 新型用のパーツも輸入していたから数は少ないがあるはずだ」
「わかりました」
「それと遠距離型の神機なんだが――」
エレベーターに向いながら話をしていたヨハネスだが、エレベーター前のベンチに座る人影を見て言葉を止めた。不機嫌そうにこちらを見上げた人物は、フードの奥から鋭い眼光を光らせてヨハネスを睨んでいた。
「ああ、もう入っても構わん」
「…………」
ソーマは舌打ちを一つ落として腰を上げる。ちらりとその蒼い目がミツハに向けられたが、思わず読みもしない手元の書類に視線を落としてしまった。
ソーマの顔が、見れなかった。それはソーマが秘密にしていたものを勝手に知ってしまった後ろめたさもある。死神と呼ばせてしまった罪悪感もある。
そして何より――自然発生ではないと知って落胆してしまった自分への嫌悪感が強かった。
――私、最低だ。
ぐしゃりと書類が皺を作る。自分の愚かさに消えてしまいたくなった。
ソーマは無言でその場を去り、サカキの研究室に向かった。顔を上げてその背中をぼんやり見つめる。「あれが気になるのかね」と嗤ったヨハネスにどきりとして、ミツハは「なんでもないです」と笑い返した。