3月5日
駅前のスーパーで買い物をし、家に帰る途中で駅から出てきた千夏とばったり会った。「おかえり」と白い息を吐きながら笑い、並んで坂道を上る。
「んじゃね」
「またね〜」
千夏の家の前で手を振って別れて――
――目が覚めた。
窓の無い部屋では外の明るさを確認することはできず、お気に入りの柴犬の抱き枕は見当たらない。ミツハに与えられた新人区画の部屋の天井が目に入り、視界がぼやけた。
「う……ううぅぅううー…………」
夢じゃない。夢じゃないんだ。
ミツハはこの世界に再び来てしまった。悪い夢なんかではなかった。
夢じゃないなら、夢からずっと覚めなければいいのに。
夢から覚めた現実が受け入れられずに、ミツハはベッドの上で涙を流した。
しばらく泣いて泣き疲れ、顔を洗うため洗面所に立った。鏡に映る自分は酷い顔をしていた。泣き腫らして赤くなってしまった目元を冷やさないといけない。冷水で顔を洗い、時間を確認したら食堂が開く時間をとっくに過ぎていた。この時間はもうソーマ食べ終わってしまっているだろう。会えなくても仕方がない思えた。
ソファに腰掛け、氷嚢で目元を冷やす。手持ち無沙汰で宙ぶらりんの思考は、徐々に輪郭を帯びて頭の中を埋め尽くしていく。
頭に浮かぶのは、ソーマのことだった。
シュンたちからソーマの噂を聞いた時、何も思わなかったわけじゃない。ソーマのせいではないと思ったことは嘘ではない。だが、ソーマのためだけを思った純粋な気持ちばかりではなかった。
あの話を聞いた時。周囲から孤立するソーマを見た時。『普通じゃない』ことに、ミツハは親近感を抱いたのだ。何か人には言えないような秘密がソーマにもあることに、安堵した。
ソーマのことを想っているのは本心だ。あの優しい人が、自分を呪わないでほしいと思う。その呪いをひとりで背負い込まないでほしいと思う。それは嘘ではないと断言できる。
けれど、それが全てじゃなかった。
普通じゃないのは自分だけではないと思いたかった。自分と同じ、普通じゃない人と一緒に居たかった。人と違うことは嫌だ。今までずっと、自分と同じ属性の誰かが居た。それが当たり前だった。――だって私は、どこにでも居るような普通の女子高生だったのだから。
だから、ソーマの人とは違う偏食因子が、投与ではなく自然に生まれたものだと期待した。自分と同じであってほしいと思った。
でも、違った。
「最低だ……」
合わせる顔が無い。昨日から、自分の醜さを突きつけられてばかりだ。
そもそもミツハは帰りたかった。元の世界に戻りたかった。だというのに、『傍に居させてほしい』なんて、矛盾している。ソーマと親しくなればなるほど、ミツハの『帰りたい』という願いはソーマから親しくなった人を奪わせることになる。
ならば最初から、ソーマと関わらなければよかったのだろうか。自分のせいだと呪う背中を見て見ぬふりすればよかったのだろうか。
きっとツバキは気づいていた。だからブリーフィングルームで二人で話した時、ツバキは『これからも』の先の言葉を変えたのだ。不自然な間に、ミツハは気づかなかった。気づこうとしなかった。ずっと、この矛盾から目を逸らしていたから――
深い海のように沈んでいく思考を、電子音が現実に引き上げる。昨日新しく支給され直されたばかりの携帯端末にメールが届いており、その着信音だった。
『おはよう。話したいことがあるから勝手に食堂で待ってたんだけど、体調大丈夫?』
差出人はユウだった。メールの文面を読んで時間を確認すると、朝の食堂が閉まる30分前になってしまっていた。目元に当てていた氷はすっかり溶けてしまっている。昨日の夜は食欲が無くて食べていなかったため、思い出したように空腹になる。
『ごめーん! 今起きた! 今から食堂に行きます!』
そう返信し、慌てて身なりを整えて部屋を出る。長時間冷やしていたおかげで目元はマシになっていた。
8時半を過ぎた食堂は人も少なかった。待ちぼうけのユウがミツハに気づくと手を振ってくれる。売れ残った食事を適当にプレートに取り、ユウの正面の席に座る。
「ユウ、おはよ〜。メール本当ありがとう、食べそびれるところだった」
「おはよう、ミツハ。寝坊なんて珍しいね」
「あはは……」
2時間近くグダグダ思い悩んでいたなんて到底言えず、ミツハは苦笑を漏らした。
「それで、話って?」
「えっと……実は昨日の夜、ツバキ教官からある程度事情を教えてもらったから、その報告を」
ユウが声を潜めて言った。苦笑がぎこちなく固まり、困ったような笑顔に切り替えた。
「……そっか。……なんか、ごめんね〜。リーダーになって忙しいのに、面倒なことに巻き込んじゃって」
「面倒だなんて、そんな」
「あの、大丈夫。あんまり気にしなくていいから! 今までどおり普通にしてくれたほうが、こっちも助かるから」
「……わかった。でも、一つだけ聞いていい?」
「うん、なあに?」
「ソーマにも、言うつもりはないの?」
「ないよ〜」
軽い調子で笑って言った。ユウはしばらく黙り込んだ後に、「わかった」と頷いた。
3日ぶりのアナグラの食事は、それはもう酷い味だった。
母の料理が食べたかった。
◇
食堂を出たその足でミツハは神機整備場へ向かった。新型神機の接続とパーツの接合をしなければならず、整備場の扉を開けると既にリッカが準備を始めていた。
「おはよう、リッカちゃん」
「おはよう、ミツハ。ほんと、無事みたいで良かったよ……」
「あはは……ご心配をおかけしました」
苦笑を漏らしながらリッカの傍に寄る。適合試験の際にもあった赤い装置の上に神機が置かれており、その神機は普段見慣れたヴァリアントサイズとは少し違っていた。
「これが新型の神機?」
「そう。ミツハが使ってた旧型と近いヴァリアントサイズとシールドのタイプがあったから、それを接合しておいたよ。銃はとりあえずアサルトにしてるけど、どうする?」
「うーん……ブラスト使いたいなぁって思ってる」
「ブラストね、わかった。とりあえず接続してみて、それからブラストを接合してみよっか」
リッカの言葉に頷き、ミツハは恐る恐る神機の柄に手を伸ばす。適合試験の時のような痛みをまた経験するのかと多少の恐怖があったが、柄を握ってもあの時のような激しい痛みはこなかった。
「痛っ、」
ピリッとした痛みを伴った違和感が右手から全身に駆け抜けたが、痛みという痛みはそれだけのものだった。違和感はすぐに治まり、神機が手に馴染んだ。
呆気無さを感じながら、ミツハは新しい神機を一度振り回す。銃パーツが搭載されているため今までの神機より重さを感じたが、大鎌は切っ先で軽々と円を描いた。
「……え、これってちゃんと接続されてるの? 全然痛くなかったんだけど……」
「されてるよ。適合率が高いと痛みは少ないって言ったでしょ?」
「そっかぁ……もっと激痛がくると思ってたから、なんか拍子抜けしちゃった」
適合試験の時と今では、ミツハの体内にある偏食因子はだいぶ性質が変化してしまっている。接続の際の痛みの無さが、自分が変わってしまった何より証拠に感じてしまい、ミツハは苦笑した。
接続した神機の銃パーツをブラストに変え、リッカと共に整備場から出て訓練場へ向かった。その道中で神機の変形の仕方や試験的に運用されてるオラクルリザーブというオラクルを備蓄する機能の説明を受け、扉を開けた訓練場でそれらを実際に扱ってみる。
近接武器から銃形態への変形と、アラガミから奪ったオラクルを備蓄するオラクルリザーブ。そして貯めたオラクルをバレットとしてアラガミに撃ち込む――。
「わっ、」
思いのほか射撃の反動が大きく、思わず後退ってしまった。撃ち込んだオラクルバレットは軌道がぶれ、仮想アラガミから大きく外れてしまう。これが実戦だったら誤射をしてるな、とタツミを思い浮かべた。彼はショートブレード使いのせいか、よくカノンから誤射をされているのだ。
「結構反動が大きいでしょ? 撃った反動で銃口がぶれて誤射するー、ってことがブラストは多いから気をつけてね」
「誤射は身に染みてるんで気をつけまーす……」
「それもそっか。これ以上タツミさんの苦労を増やさないようにね」
いたずらっぽく笑ったリッカに苦笑した。
もう一度ブラストを構え、足腰に力を込めて仮想アラガミに向かってバレットを撃ち込む。元より咬刃展開状態で大鎌を振りかざすことが多いため、足腰はそれなりに鍛えられていた。今度は反動に押されず狙って撃つことができ、仮想アラガミは火力の高いバレットを浴びて吹き飛んだ。
「ブレストだぁ……! 凄い、カノンちゃんみたい!」
「ミツハがブラスト選んだ理由ってやっぱりカノンの影響?」
「うん、カノンちゃんがブラストでガンガン撃ち込んでるのが、なんかかっこよくて……」
戦闘中に豹変したカノンが敵を煽りながらブラストを撃ち込んでいく姿は見ていて圧倒されるものがある。もちろん誤射は抑えたいが、カノンのように迷いなくアラガミを討伐できるようになりたいものだと思いながら、ミツハはブラストを構える。悲鳴を上げて痛みにのたうち回る仮想アラガミにとどめを刺した。
2時間ほど新型神機で仮想アラガミの戦闘をして神機を手放した。近接形態は旧型と変わりなく扱えるが、やはり銃形態はいまいち慣れず、的から外れることもあった。
反動でジンジンと痺れる腕を摩りながら、神機をケースに収納してリッカに渡した。
「まぁ射撃の精度はこれから上げていけばいいし、問題ないよ。というかカノンの誤射で慣れてる第二部隊なら、ミツハの誤射は全然気にならないと思うから」
「あはは……確かに……」
「それにしても、ミツハの偏食因子って凄いなぁ。海外では旧型から新型への神機の更新っていう例はあるんだけど、それは新型神機の開発によって別の適正神機が見つかったってことなんだ。ミツハみたいに、適性の無かった神機に適合できるようになるって事例は初めてだよ」
「凄い……ことなのかな」
リッカの言葉にミツハは目を伏せる。凄い、と言われたって喜べやしない。
「どんどん変わっていっちゃうから、ちょっと怖いや」
冗談でも言うように笑いながら、本音を織り交ぜた。
本当は、ちょっとどころの話ではなかったけれど。