3月6日
食堂での食事を食べる気になれず、戻ってきてからはユウと一緒に食べた朝食しか食堂では食べていなかった。
配給以外の食事は嗜好品扱いとなり、報酬などで貰える配給チケットでの交換か、お金を払って購入するしかない。一兵卒のミツハは嗜好品配給チケットに余裕は無いので、お金を払ってシリアルを買った。なかなか良い値段をしている。ちなみに牛乳もあまり美味しくないため、ヨーグルトで食べている。このヨーグルトも強気の値段設定だ。
食堂の食事よりもかなり美味しいが、毎日これを食べていたら栄養が偏りそうだ。何より報酬のほとんどが食費に吸われそうだ。戻れないのだから食堂の食事に慣れないといけないとは思いつつも、母親の料理の味を上塗りされると思うと、どうも食べる気が起きなかった。
だが、その母の味も忘れたほうがいいのだろう。そうしないと、ミツハはいつまで経ってもこの世界に馴染めない。
もう元の世界には帰れないのだから、諦めて忘れたほうがきっと良い。
そう思うたびに、心が張り裂けそうになった。
朝食のシリアルヨーグルトを食べながら、携帯端末を操作して本日の予定を確認する。タツミからメールが届いていた。今日から任務に復帰だ。アラガミと戦っている間は余計なことを考える余裕が無いため、ミツハは少しだけほっとした。
◇
確かな緊張を腹の底に感じながら、エントランス2階のロビーラウンジまで足を運ぶ。防衛班の面々とは屋上で第二部隊と顔を合わせただけで、それから一度も会っていない。昨日は研究室を出てから自室に篭っていたので会う機会が無かった。
気持ちを落ち着かせながら、ミツハは既にラウンジに集まっている防衛班に笑顔を向ける。いつもどおりでいよう、と心掛けた。
「お久しぶりです!」
「うわっ、ほんとに生きてた!」
幽霊でも見るかのようなシュンの大袈裟な反応に苦笑する。「その言い方は酷くない?」と冗談めいてなじれば、シュンはいたずらっぽく笑った。
「ミツハちゃん、身体はもう大丈夫なんですか?」
「うん、心配かけてごめんね。全然大丈夫だから!」
「そもそも何があったんだよ」
「私もよくわかんない。新型に適合できるようになったんだけど、そのせいで意識不明になってたらしく? アラガミか何かに連れ去られて? 気づいたら2日経ってた? みたいな。サカキ博士の説明が専門用語多すぎて全然わかんなかった」
「バカかよ」
「お前よく喰われなかったな!」
「悪運、強いのね……」
突っ込まれて困る部分は、博士の説明が難しすぎてよくわからない、ということにして勢いで乗り越える。誤魔化すことしかできない話題から離れるべく、ミツハはブラストを構える仕草をして見せた。
「まぁ、よくわかんないけど新型に適合できたので、これでカレルさんもバーストできますよ! リンクバースト撃ちまくります!」
「……ミツハ、お前銃は何にしたんだよ」
「ふっふ〜ん、カノンちゃんとお揃いのブラスト〜」
「えっ! 本当ですか!? 嬉しいです〜!」
「げぇっ! よりによってブラストかよ……!」
「あら。スナイパーも楽しいのに、残念ね」
「タツミ、背中には気をつけろよ」
「ちょっと、なんで誤射する前提なの」
喜ぶカノンとは裏腹に、シュンとカレルは同情するようにタツミの肩を叩いた。苦笑するタツミとブレンダンに「誤射しませんから!」とミツハは念を押す。するとジーナが可笑しそうにくすくす笑い、「元気そうで良かったわ」と微笑んだ。
「タツミ、そろそろ行きましょ? ミツハの射撃の腕が早く見たいわ」
「そうだな、よっし行くか」
ラウンジのソファから立ち上がり、防衛班はぞろぞろと出撃ゲートに向かった。自然に会話できたことにホッとしつつミツハも歩き出すと、カレルがミツハの隣に来た。ミツハを見下ろすカレルに「どうしたんですか?」と首を傾げると、彼は鼻を鳴らす。
「ついに二階級特進になったのかと思ったぜ」
「ついにってなに、ついにって」
「死神に関わるのはやめとけっつったろ」
「……ソーマさんは関係無いです」
「じゃあなんで避けてんだよ。何かあったんだろ、死神のせいで」
食堂に行っていないということは、ソーマと共に食事をしなくなったということだ。昨日も今朝もソーマの正面の席は空席だっただろう。そのことが周囲の目にどう映るのか、わからないミツハではなかったが、足は遠のいている。
「だから、関係無いってば。ソーマさんは何も悪くないです」
「含みのある言い方だな。他に原因があるってか?」
「……めちゃくちゃ心配してくれるじゃないですか。カレルさんが仲間想いでなんか感動するんですけど」
「…………チッ」
わざと茶化して笑ってしまえば、カレルは舌打ちをして話を切り上げた。これ以上聞いても無駄だと諦めたのだろう。悪い舵の切り方だったという自覚はあるが、あのままではもっと感じの悪いことしか言えない気がした。ミツハはカレルから逃げるように、前を歩くカノンを追いかけた。
◇
ブラスト使いが増えたことにより、心成しか前衛の面々は普段より背中に気をつけて戦闘をしていた。懸念していた誤射をすることなく、新型神機での初めての任務は滞りなく完了した。ジーナとカレルに射撃のアドバイスを教えてもらいながら防壁まで戻り、防壁維持施設で車を停めて歩いてアナグラまで帰る。
バラック小屋が立ち並ぶ外部居住区はミツハの馴染んだ住宅地とは程遠い。整備が行き届いておらず、道はアスファルトではなく地面が剥き出した。そんな歩きにくい道を進んでいると、神機使いに気づいた子供たちがはしゃぎながらバラック小屋から出てきた。その中には、よく知る赤髪の少年も居る。
「あ、防衛班のにーちゃんねーちゃんだ!」
「アラガミぶっ倒してきたの?」
「おい、お前らあんまり騒ぐなよー」
「カズヤ君、お兄さんしてるね」
小さな子供たちの面倒を見るカズヤは、ミツハの言葉に照れたように小さく笑った。
「任務帰りなの?」
「うん、そうだよ」
「そっか。おかえり、今日もお疲れさま」
「……うん、ありがと」
ただいま、とは言えずにミツハはただ笑った。小さな子供たちは「今日はどんなアラガミを倒したの?」とわくわくしながら防衛班に聞いていた。
その眼差しは憧れのヒーローへ向けるそれだ。本日の任務内容を誇大して語るシュンに笑いながら、ミツハは防衛班と子供たちのやり取りを見つめる。
――私、この人たちのことも忘れようとしたんだよね。
ただの女子高生には関係の無い、未来の出来事だと割り切って。アラガミとは無縁な平和な世界で生きたいと願った。この世界を、見捨てようとした。この世界の人たちのことも。
昨日ヨハネスから言われた言葉は真実だった。この世界が苦痛だ。だって、当たり前だろう。ミツハが本来生きるはずだった世界ではないのだから。
家族や友人はみんな死んでいる。ミツハの知る世界は『旧世界』とされ、何もかもが壊されている。本当なら、ミツハが生きているはずのない世界だ。
そんな世界で、防衛班の仲間や神機使いに憧れる子供たちが戯れている。少し前までミツハもその輪の中に居た。
だが今は、輪から外れてどこか他人事のように思えてしまう。諦めたほうがいいと言われても帰りたいと願ってしまう。良かった、おかえり、なんて言われてしまうたびに、心の底に汚い煤が積もっていく。
何も良くない。私の帰る場所はこんな世界じゃない――!
――そう叫びたい本音を、きっとヨハネスに見透かされていた。
「ミツハちゃん? どうしたんですか?」
ぼうっとするミツハをカノンが不安げに覗き込む。「もしかしてやっぱり体調治ってないんですか!?」と心配し始めるカノンにミツハは笑いかけた。
「ううん、なんでもないよ」
嫌いなわけじゃない。みんなを否定したいわけではない。それだけは確かだった。
だからミツハは醜い感情に蓋をして、ただ笑った。
◇
3月7日
翌日の目覚めも最悪だった。夢を名残惜しむようにベッドの上で丸まっていたが、目が覚める瞬間が苦手で二度寝はしなかった。しばらくベッドの上で何をするわけでもなく過ごしていたが、出撃の時間が近づいてきたためベッドから出る。ヨーグルトにシリアルを混ぜたものを食べ、冷水で顔を洗う。腫れぼったい目がヒリヒリと痛み、ニッ、と人差し指で口元を押し上げて笑った。大丈夫だと女子高生に言い聞かせて部屋を出た。
本日も問題無く防衛任務をこなし、創痕の防壁からアナグラへ帰投した。報告ついでにデートの誘いを持ちかけるタツミに苦笑しながら足早に自室へ戻ろうとエレベーターへ向かうが、ヒバリの声によって階段を上がる足が止まった。
「あ、ミツハさんとタツミさんは支部長がお呼びでしたよ」
「えっ、支部長が?」
「はい。お二人で支部長室まで来て欲しいそうです」
「呼び出しなんて久々だな……ミツハもってことは新型の報告かね」
呼び出された理由がいまいち分からずにタツミは首を傾げながら、名残惜しそうにヒバリに手を振って階段を上がった。ミツハと一緒に上層用のエレベーターに乗り込み、支部長室がある役員区画のボタンを押した。
――なんの用だろう。
呼び出しがミツハだけであったのなら偏食因子絡みのことだろうと予想はつくのだが、タツミも一緒となると予想がつかない。タツミの言うとおり新型神機の報告だろうかと思いながら、静かな役員区画の廊下を歩いた。
支部長室に入ると、先客が居た。第一部隊隊長の神薙ユウの姿があったのだ。
第一と第二の部隊長が揃い、ますますミツハが呼ばれた意味がわからなくなった。ミツハは部隊長でもなんでもない、ただの一等兵だというのに。
「急な呼び出しですまなかったね」
不思議そうな顔を浮かべる三人を他所に、ヨハネスは顎の下で手を組んでうっすらと笑った。「先ほどの会議で決まったことなのだがね」と前置きを置いてヨハネスはミツハに目を向ける。ニコ、と柔らかく目が細められた。そして開いた口から発せられたその言葉に、三人は目を丸くする。
「井上ミツハ一等兵の、第二部隊から第一部隊への異動が決定した」
「……え」
異動、という言葉に思わず間の抜けた声を漏らした。言葉の意味を理解しようとする前に、ヨハネスはつらつらと話を続ける。
「雨宮リンドウ大尉の除隊と最近のアラガミ活発により、討伐班である第一部隊の強化が必要との判断だ。それに伴い、一等兵から上等兵へ昇級させる。新型神機同士の連携も図って一層励んでほしい」
突然言い渡された辞令にミツハたち三人は唖然とした。第一部隊隊長であるユウも呼ばれていたのはこのためだったのかと納得するが、ヨハネスの言葉は『はいそうですか』と簡単に納得のできる内容ではなかった。一番に抗議をあげたのはミツハ本人ではなく、タツミだった。
「待ってください。そんな、急すぎます。確かに討伐班の戦力強化は重要だと思いますが、防衛班にミツハは欠かせません。戦力強化なら他の神機使いを――」
「君が言うその他の神機使いは、新型神機を扱えるのかね」
「…………」
「もちろん防衛班にも新型神機使いを置いたほうが良いというのは承知している。今後は新型の適合者発掘を優先していくため、防衛班へ新型の配属もいずれされるだろう。しかし接触禁忌種の遭遇事例が増えている以上、急を要するのはどちらなのか理解してほしい」
そう言われてしまえばタツミは押し黙るしかなく、「わかりました」と不承不承ながらに頷いた。そんなタツミの隣に立つ当のミツハはというと、狐につままれたような奇妙な気持ちが湧き上がっていた。
――なんか、どんどん変わっていっちゃうなぁ……。
目まぐるしく変化していく日々に、ミツハはただ呆然とするしかなかった。
元の世界に帰れたかと思えば再び荒れ果てた世界に投げ出され、自身の偏食因子は変異して神機も変わり、元の世界に帰ることは諦めたほうがいいと言われ、そして部隊の異動。
色んなことが起こりすぎて、色んな感情が押し寄せて、よくわからなくなってしまう。自身のことだというのにどこか他人事のように思いながら、ヨハネスの言葉に頷いた。
「あの……えっと、頑張ります」
「そう言ってくれて嬉しいよ。急な話ですまないね、どうか人類の未来のため……『この世界』のために、尽力してほしい」
「……はい」
どこか試すようなその言葉を受け入れるしかない。
どうせ、ミツハには他に道が無いのだから。
――だいじょうぶ。
「大丈夫?」
支部長室を出ると、ユウが不安げな顔をしてミツハに声をかけた。おそらく、事情を知っているからこその問いかけに、ミツハは笑った。
「大丈夫だよ〜、流石に急すぎてビックリしたけどね。それにしてもユウが上官になるのかぁ、なんかムズムズする。よろしくね、神薙隊長」
「ふはっ、ミツハのその堅苦しい言い方懐かしいな」
「今までお世話になりました、大森元隊長!」
「わざわざ元隊長なんて言わんでよろしい。……ま、ミツハを頼むわ、大将」
第二部隊隊長が第一部隊隊長の肩を叩いて笑えば、彼は力強く頷いた。「なんだかお父さんみたいですよと」冗談を言いながら、ミツハは『ヒーロー』に別れを告げた。