3月9日
「あ、ソーマ。ちょっと話があるんだけど、いい?」
アナグラに帰投するなりユウに呼び出された。
人気の無い少し離れた場所で、ユウは神妙な顔をしてソーマを見やる。そして申し訳なさそうに頭を下げた。
「ソーマ、ごめん。……サカキ博士が落としたディスクの中身を、見た。……マーナガルム計画のことを、知った」
ごめん、ともう一度ユウは謝罪した。
ユウが言っている、サカキが落としたというディスクは、19年前の会議の様子が記録されているものだった。
それは父ヨハネスと母アイーシャ、そしてサカキの間で交わされた、マーナガルム計画に関する会議だ。ソーマの誕生がどのようにして決められたかを知ることができる記録映像を見るよう以前からサカキから勧められていたが、一度もソーマはそのディスクを受け取ったことはなかった。
なんとかしてサカキはソーマにそのディスクを見せたいようだったが、ソーマが断り続けるためユウを介して搦め手で攻めようとでもしたのだろう。そんなディスクを普段から持ち歩き、わざわざユウの前で落とすわけがない。ソーマは腹が立ち、舌打ちを落とした。
「チッ……あのオッサン、余計なことばかりしやがって……」
「ご、ごめん。勝手に見ちゃって……」
「……どこまで知っているのかは知らんが、過ぎたことに興味は無い。そもそもあのオッサンが見るように仕向けたんだろうが、お前が詫びる筋合いはねぇ。だが、余計な詮索はやめろ。いいな?」
ソーマの言葉にユウは顔を上げた。その青い目はもちろんだと言うように真っ直ぐソーマに向けられていた。
「詮索はしない。けど、聞きたいことはある」
「なんだ」
「ミツハはこのこと、どこまで知ってるの?」
そうきたか、とソーマはわずかに眉を顰めた。お前には関係無いと突き放そうかと思ったが、ソーマは少し逡巡して口を開いた。
「……P73偏食因子のことだけは聞いたらしい。事故のことは知らねぇはずだ。……そういうお前は、どうなんだ」
「どう……って?」
「何か知ってんだろ、ミツハのこと。……どこまで知ってんだ」
行方不明だったミツハを発見したあの日、誰にも聞かれぬようにと小さく耳打ちをする二人の会話を聞いていた。ソーマたちよりも早くミツハのもとへ駆け付けたユウは、何かしらミツハの秘密を知ったのだろう。
ソーマの問いにユウは少し思いあぐねるように黙り込んだが、やがて慎重に言葉を紡いだ。
「……どこまで、の基準がなにか分からないけど、ミツハがずっと隠してる、ソーマたちに言えないことがなんなのかは、知ってるよ。でも、僕からそれは言えない。……ごめん」
「……そうかよ」
「ミツハだって、ずっと言うつもりはなかったんだと思う。僕は感応現象で、勝手にミツハの秘密を知ったんだ。……僕がミツハの記憶を見た時、ミツハはこの世の終わりみたいな顔をしてた。それぐらい知られたくなかったんだろうね」
「…………」
そう言われてしまえば、ソーマはそれ以上追求することはできなかった。ミツハだって事故のことは聞いていないとサカキは言っていた。だからこそ、サカキはミツハの『秘密』を言おうとはしなかったのだろう。
黙りこくったソーマに、ユウはエレベーターがある方向を見ながら口を開く。視線を追うと、エレベーターを待つミツハとアリサが話をしていたが、先にミツハが上層用のエレベーターの中に消えていった。
「……最近、ミツハはアリサのことを避けてるよね。多分、同じ新型のアリサと感応現象を起こしたくないんだと思う。事情を知ってる僕にも、ミツハは何も言わない。聞こうとしても、話を逸らされちゃうし……いつの間にか話が終わっちゃうんだよね。ミツハとこんなに会話が続かないことあったかなって驚いたよ」
「……そうだな」
「隊長なのに、不甲斐ないや」
ユウは力無く、困ったように笑った。
「……今のミツハって、ソーマみたいだよね」
「はぁ?」
「リンドウさんが居なくなった後の、ソーマみたい」
そう言われ、ソーマは言葉を失った。あの時の自分はただ、逃げていた。どうすればいいのかわからず、考え込まぬようミツハを避けていた。
今のミツハもただ、逃げているだけなのだろうか。
「あの時、ミツハがソーマに何をしてあげたのかは知らないし、聞こうとも思わない。けど、今度はソーマの番なんじゃないかな」
にこりと、ユウは優しく微笑む。その笑みはただ優しいだけではない、大地に根を張る大樹のような、力強さを兼ね揃えていた。
「何をしていいのかわからないなら、してもらったことを返してあげればいい。大事なのは、知ってるとか知らないとかじゃない。……手を伸ばすか、伸ばさないかだよ」
ガコン、と自販機でミルクティーを買う。
ミツハがよく飲んでいる、ミツハが好きな飲み物だ。
あの日、あの訓練場でミツハは重く頑丈な扉を開けた。リンドウから聞いたソーマの好きな葡萄味の缶ジュースを持って、ソーマに笑いかけた。星空の下で、ソーマに寄り添った。あの時のミツハはソーマの偏食因子も過去のことも知らなかった。拒絶すらもした。逃げ出した。
――それでもミツハは、ソーマに歩み寄った。
エレベーターは数百メートルを上昇する。任務終わりに空を見上げていたミツハをソーマは見ていた。つられてソーマも空を見上げれば、確かに夕日が綺麗だった。ミツハが写真好きで綺麗な景色に目がないことをソーマは知っている。上層用のエレベーターに乗ったミツハが向かった先は、きっと屋上だろうと確信があった。
鉄の箱の中で、ソーマは柄にも無く緊張していた。訓練場の扉を開けたミツハもこのような気持ちだったのだろうか。そんなことを思いながら、エレベーターは屋上へ到着した。
扉が開く。オレンジ色が目に飛び込む。ひとつ、深呼吸をしてソーマは一歩、踏み出した。
「――――」
そしてソーマが目にしたものは、世界から消え入るように涙を零すミツハだった。
声も出さずにただ静かに泣き続けるミツハは、夕日に染まって目が眩みそうになる。輪郭が上手く掴めないまま、黄昏は夜に呑まれてしまう。
見てはいけないものを見てしまった――何故か、そんな感情に駆られた。
手にしていたペットボトルはするりと手からすり抜けた。ガコン、と大袈裟な音を立てたそれは静かな屋上に響き渡り、ミツハはびくりと肩を揺らした。
ソーマは息をすることも忘れ、咄嗟に踵を返して閉じたばかりのエレベーターに乗り込んだ。小さな鉄の箱の中に逃げ込んでようやく呼吸ができた。は、と浅い息を吐き出し、ソーマはずるずるとその場に崩れ落ちた。
「馬鹿かよ……」
逃げ出した自分自身も、ひとりで隠れて泣くミツハも。
明日になれば何事も無かったかのように、ミツハは笑うのだろう。なんでもないと笑って、大丈夫だと笑って、泣いたことなど無かったことにするのだろう。
そしてソーマも、ミツハに目の下の隈や腫れの理由を尋ねることもなく、いつもどおり無愛想な態度で彼女の前に立つのだろう。
逃げているだけだ。ソーマも、ミツハも。そう自覚しながら、ソーマはミツハの静かな泣き顔を思い出す。誰にも見られるはずの無かったその涙を、ただ瞼の裏に焼き付けた。