Kuschel   作:小日向

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064 ひとりからふたり

 震える小さなその身体に、何を背負うというのだろうか。

 

 堰を切ったようように泣き喚く井上ミツハという少女は、あまりにも弱々しく、少し触れれば壊れてしまうのではと思うほどに不安定だった。

 

 そんな少女に、ソーマはずっと救われていた。

 

 本当はずっと怖かったくせに。本当はずっと、自分自身がひとりで背負い込んでいたくせに。

拒絶すらもした他人に寄り添うこの少女に――ただ、返してやりたいと思った。

 

 小さなその手を握ってやりたい。震えるその身体を抱き締めてやりたい。守ってやりたい――そんな、わけのわからない感情が込み上がった。

 

 その込み上げる熱い感情の名前を、ソーマはまだ知らなかった。

 

 

 

   ◇

 

 

 

「……落ち着いたか」

 

 泣き腫らした目が痛い。屋上を赤く染め上げていた空はすっかり夜に呑まれていた。冷たい空気と優しげなソーマの声色に、ミツハはようやく頭が冷静になる。

 

 そして、みっともなく曝け出した自分の醜態を思い出し、奇怪な叫び声を上げた。

 

「っ、あ、わあぁぁああ!? すみません! ごめんなさい! お見苦しいところをお見せしました!!」

「うるせぇ、耳元で騒ぐな」

 

 ソーマの腕の中から抜け出し、真っ赤に染まる顔を両手で覆う。穴があったら入りたい気分だった。あんな、ただの八つ当たりでしかない汚い感傷をソーマにぶつけてしまった。思い出すだけでミツハは顔から火が出そうだ。

 

 うう、と丸まった背中を羞恥で震わせる。そんなミツハにソーマはなんて言葉を掛けるか悩むように頭を掻いた。

 

「……あー、なんだ。その、……死ぬ気が失せたんなら、それでいい。二度と馬鹿なこと考えるなよ」

「……ゼンショシマス」

「おい」

「だって~……」

 

 ミツハの目が逃げるように泳ぐ。考えるな、と言われてもそれは難しい話だった。2071年の西暦を見るたびに、旧市街地を見るたびに、本来ならミツハは死んでいるのだと思うことは当然だった。避けようのない事実から目を逸らすことはできなかった。

 

 言葉に詰まったミツハに、ソーマは小さく息を吐いた。

 

「……どうしても考えちまうなら、一人で居るな。お前が言ったんだぞ」

「……じゃあ、遠慮なくソーマさんのところに突撃しちゃいますね!」

「ああ」

「……………」

「なんだよ」

「いえ……ありがとうございます……」

 

 素直に了承されて驚いた。話題を変えたくてわざと軽い調子で言ったのに、想定外だった。

 

 ソーマは呆れたようにひとつ溜息を漏らし、腰を上げてすっかり暗くなった空を見上げる。

 一番星の隣にも星は瞬いており、冷たい風が頬を撫ぜた。その冷たさに、火照った頬が冷めていく。

 

「…………あの、ソーマさん」

「なんだ」

「その……言わなくちゃいけないことが、あって」

 

 俯いていた顔をあげ、立ち上がってソーマと目を合わせる。

 

 こんな優しい人に、これ以上隠し続けたくなかった。このままだと騙しているような気がしてしまって、全部曝け出してしまいたかった。

 

「前に……夕食を一緒に食べた時に、急に近づいてきて何を企んでるのかって、ソーマさん聞きましたよね。あの時、私はただ仲良くなりたいだけって、言いましたけど……打算もあったんです」

「…………」

「ソーマさんに色々噂があって、普通じゃないって聞いて……何か人とは違う秘密があるんだろうなってことに、安心したんです。普通じゃないのは自分だけじゃないんだって思えて……だから、仲良くなりたかったところも、あります」

「……そうか」

「そっ、それに……! ……ソーマさんの偏食因子がP73って聞いたときに、私と一緒なのかもって、期待しちゃったんです。でも……そうじゃ、ないんですよね。……いくらその時は事故のことを知らなかったとはいえ……自然発生じゃなくて投与だったことに、がっかりしちゃったんです。……ごめんなさい。本当に……ごめんなさい」

 

 ぎゅっと目を瞑り、頭を下げた。醜い感情を知られることをずっと恐れて、逃げ続けていた。軽蔑されても仕方がない、嫌われて当然のことを、ソーマに思ってしまった。

 

 判決が下されるのを待つ罪人のように、強く唇を噛み締めてソーマの言葉を待った。

 

「――そうか」

 

 下された判決は、その一言だけだった。

 

「なんだよ」

「わ、私っ、凄く最低なこと思ってたんですよ!? 自分勝手すぎるし、利用してるようなものだし、ソーマさんに失礼すぎて……ていうか帰りたがってるくせに傍に居たいって意味不明すぎますよね!? なんかもう、合わせる顔がなくて……!」

「……お前、ずっと避けていたのはそれが理由か」

「そう……ですね……すみません……」

「……そんなことでか」

「そんなことでもないと思いますけど!?」

 

 仏頂面でソーマが眉を寄せる。不貞腐れているようにも見えるその表情を隠すようにフードを被り、俯くミツハの額を軽く小突いた。

 

「言っただろう、周りと違うのは俺も同じだ。お前がそう期待するのもわからなくない。それに……俺も大概、お前を利用していた」

「……………………いや、された覚えが無いんですけど……!?」

 

 長考して記憶を遡ってみたが、本気で覚えが無い。首を傾げると、ソーマはばつが悪そうな顔をした。

 

「……お前のことを、何の事情も無い普通の人間だと思っていた。そんなお前が当たり前のように俺に関わってくるだろう。……お前と話している時は、俺も普通の人間のように思えて悪くない心地だった。……大概だろ、俺も」

「……そんなことですか?」

「お前もそんなことだっただろうが」

「えええ……全然違うと思うんですけど……」

「くどい。この話は終いだ」

 

 なかなか引き下がらないミツハにソーマが一喝する。軽蔑されたり嫌悪されたりするものかと覚悟していたが、現実は拍子抜けするくらいあっさりだった。

 

 むしろ、とんでもないカウンターを喰らってしまった。

 

「……居心地良いって、思ってくれてたんですね」

「…………戻るぞ」

「あ、待って待って〜!」

 

 ソーマがそっぽを向いてエレベーターに向かって歩き出す。ミツハもその背を追い、隣に並んで歩いた。

 

「あのクソ野郎を査問会に突き出すのは難しいか」

「私の存在って支部長ありきで成り立ってるので、難しいと思うんですよね。出生とか経歴の裏合わせは支部長がデータ改竄してくれてるので」

「チッ、やっぱりそうか」

「あと博士には本部に知られたらラットになるって言われました」

「だろうな……」

「あ、ラットって別に大袈裟に言ってたわけじゃなかったんだ……怖……」

 

 深刻な顔でソーマに頷かれてしまい、急激に現実味を帯びてミツハは背筋が震えた。サカキのよくあるタチの悪い冗談ではなかったようだ。

 

「……とりあえず、あのオッサンがどこまで噛んでるのか問い詰めに行くぞ。お前はメディカルチェックもしたほうがいいしな」

「ああ……何か投与されてましたね……」

「……本当に身体に異常は無いのか」

「投与されたときは意識飛んじゃうくらいの激痛だったんですけど、今は何とも……」

「そうか。……クソ親父のせいで、すまない」

「もう、なんでソーマさんが謝るんですか~。ほら、エレベーター来ましたよ!」

 

 血の繋がった父親がしたことに責任を感じているのかソーマの表情は暗かったが、ソーマが気にする必要など無い。ミツハは明るい声で不必要な謝罪を吹き飛ばし、エレベーターに乗り込んだ。

 

 エレベーター内の電灯に照らされ、暗がりだった視界は明るくなる。ソーマはミツハの顔を見下ろすと、「ひでぇ顔」と小さく笑った。

 

「そ、そんなの酷い顔してますか。え、腫れてます?」

「かなりな」

「やだー! うぅぅ……みっともないところばかりソーマさんに見せてる気がします……」

「今更だろ。……まぁ、無理に笑った顔よりずっと良い」

「…………ず、ずるい」

「はぁ?」

 

 なんて柔らかな顔で、なんて破壊力のある言葉を言うのだろうか、この人は!

 

 

 

   ◇

 

 

 

 一度エントランスで下層移動用のエレベーターに乗り換えて、ようやく地下の研究区画に着いてソーマと並んで廊下を歩いた。研究室のインターホンを押すと、サカキが驚いた顔でミツハたちを出迎えた。連絡も無しに突然二人揃って訪れたことが予想外だったようだ。

 

「……その様子だと、何かあったようだね」

 

 泣き腫らしたミツハの目元を見て、サカキは眼鏡の奥で表情を曇らせる。中に招かれたミツハたちはソファに並んで座り、単刀直入という言葉どおりソーマがサカキを睨むようにして見上げた。

 

「あんた、親父がミツハのP15偏食因子で企んでいたこと、知ってんのかよ」

「その企みが何か、聞いていいかい?」

「……こいつに多種多様な偏食因子を投与して人工的に特異点を作る、クソみてぇな企みだ」

「――そうか、人工特異点か……!」

 

 「盲点だった」そう言ってサカキは頭を抱えた。この様子を見るに、サカキはヨハネスの企みを知っていたわけではないのだろう。親身になってくれていたサカキがヨハネスと共謀していたわけではないと知り、ミツハは胸を撫で下ろした。

 

「ヨハンがP15偏食因子を何かに利用しようとしていたのは、なんとなく察していたよ。だけどまさか、特異点を人工的に作るなんて考えてもいなかったよ。……随分、特異点探しに焦っているようだね」

「……あの、そもそも特異点ってなんなんですか?」

 

 自分の身に起こったことだというのに、随分と置いてけぼりにされてしまっている。ヨハネスはミツハに対し、『特異点になり得る』などと言っていたが、そもそも特異点とは一体何なのだ。

 

 初めて耳にする言葉についていけないミツハに、サカキは講義でもするように答えてくれる。

 

「前に講義で話したことがあるだろう。『ノヴァの終末捕喰』。覚えているかな?」

「えっと……地球全体を飲み込むほど成長したノヴァというアラガミが引き起こすとされる人類の終末……でしたっけ」

「よく覚えているね。ヨハンはその終末捕喰を信じているんだ。そしてその終末捕喰を引き起こす鍵となるのが、特異点なんだ」

「……その特異点を、私の偏食因子を使って作ろうとしたんですか?」

「特異点というのはアラガミのコアであり、超高密度の情報集積体なんだ。……さて、ミツハ君に問題だ。そもそも偏食因子とは何かな?」

「アラガミ……というか、なんでも捕喰しちゃうオラクル細胞の、捕喰の傾向を誘導する物質、ですよね?」

「そのとおり。つまり偏食因子には、偏食を誘導するための情報を持っているわけだ。そして多種多様な偏食因子に適応するということは、多種多様な情報を保有することだ。ミツハ君に多種多様な偏食因子を投与し、それに適応できたとき……超高密度の情報集積体を持った、限りなくアラガミに近い人間になれるだろう。特異点として成り立つ可能性は十分ある。……ヨハンの目の付け所は流石だ」

 

 饒舌に回る舌は研究者らしく、一人の科学者としてヨハネスに賛美を送っている。そんなサカキに一抹の不安を覚え、ソーマが低い声を出した。

 

「……テメェは、親父につくのか」

「いいや。私とヨハンでは、価値観が違いすぎる。19年前の会議で、彼とは道を違えてしまったよ」

 

 ミツハの感じた不安は杞憂だったようだが、どこか悲しそうにサカキは語っている。しかしその悲しげな表情は眼鏡のブリッジを押し上げると一変し、「さて」といつもどおりの狐のような笑みを張り付けた。

 

「ヨハンがそのつもりなら、こちらも手を打たないといけないね。ヨハンには私からミツハ君から手を引くように言っておくよ」

「あの野郎が素直に引くと思うか」

「いやぁ、実はそろそろヨハンに切ろうと思っていたカードがあるんだけど、ミツハ君から手を引かせる代わりにってことで出せばカードの価値と信憑性が高まって、上手く事を運べそうだよ」

「えええ……利用されてます……?」

「チッ、食えねぇ野郎だ」

「情報は上手く使わないとね。それと、ソーマ。彼女を助けてくれてありがとう。取り返しのつかない事態になるところだったよ」

「……間に合ってはない」

「んん?」

「よくわからない偏食因子、投与されちゃいました……」

「……なんだって!? それを早く言っておくれ! 今すぐメディカルチェックをしよう! 身体に異常は!?」

「無いです!」

 

 サカキが慌てふためいてメディカルチェックの準備を始める。カタカタとキーボードを弾く音を聞きながら、ソファの上でミツハは苦笑した。

 

「昨日定期検査したばっかりなのに〜……」

「……研究室に頻繁に出入りしていたのは検査のためか」

「そうなんです。週一で検査してて……。あ、そういえば博士。適合率の低下って、結局定期的になるって思っておいていいんですか?」

「再現性のある症状だってわかったからね。一回目は1月31日で、二回目は3月2日。間隔は30日だ。定期的なものか不定期なものかはまだ不明だけど、仮に定期的なものなら次に症状が出るのは4月1日だね。面白いことに全て新月の日だ」

 

 定期的な症状ならば任務の予定が立てやすい。アラガミの戦闘中に突然神機が扱えない、なんてことがあったら致命的だ。

 

 サカキの説明を聞いて「はーい」と気の抜けた返事をすると、隣のソーマが眉をひそめた。

 

「……結局なんで適合率は下がってんだよ」

「博士いわく、偏食因子の更新らしいです……」

「はぁ? 更新だと?」

「P15偏食因子は学習した情報を変異という形で反映しているみたいなんだ。アラガミが捕喰したものを取り込んで多種多様な姿になるようにね。そしてその変異の際に、アラガミが休眠状態になるように適合率とオラクル活性が低下するんだ。……再現性があるということは、一定期間学習したものを更新していく特性なのかもしれないね」

「……情報が定期更新される偏食因子か」

「嬉しくない自動アップデートすぎる……」

 

 『後で更新する』のボタンが欲しい――なんて思うミツハにサカキは苦笑した。

 

「まぁ、この勉強熱心な偏食因子に付き合っていくしかないね。さて、ミツハ君。準備ができたよ」

「はーい」

「時間がかかるから、ソーマは戻っておくかい?」

「いや、待たせたもらう。あんたに聞きたいこともあるしな」

「おやおや、なんだろう。怖いなぁ」

 

 ソーマの言葉にサカキは冗談めかして肩を竦めた。そのやりとりを聞きながらミツハはソファから立ち上がる。検査を行う奥の小部屋へ向かう途中、ミツハは何かを思い出したように足を止めた。

 

 振り返ると、「どうしたのかい?」とサカキは首を傾げた。諦めたほうがいいと告げられて逃げ出したあの日とは違い、しっかりとサカキの顔を見れた。

 

「……タイムスリップとか偏食因子の事情って、あんまり人に知られないほうが良いのはわかってるんですけど……でも、第一部隊と防衛班のみんなには、話してもいいですか? このまま嘘を吐いて隠し続けるのは辛くて……」

「おや。てっきりバレたくないのかと思っていたけれど」

 

 どうやら見透かされていたらしい。それもそうだ。この世界でミツハのことをよく知っているのは、色んな意味でサカキなのだから。

 

「……違う世界の人間だって、浮き彫りになるのが嫌だったんです。知らないままだったら、少なくともみんなからしたら私は同じ世界の人間に見えるじゃないですか」

「それなのに、話してしまっていいのかい? 自他共にミツハ君だけが違う世界の人間だと認識してしまうけれど」

「……だとしても、独りじゃないって、思えたので」

 

 言えるわけがないと思っていた。ひとりで背負いこむしかないと思っていた。みんな、違う世界の人間なのだから。

 

 だけど、頼ってもいいのだと思えた。ひとりで抱え込む必要は無くなった。

 だからきっと、大丈夫だ。

 

 そう打ち明けたミツハに、サカキは眼鏡の奥で目を細めて笑った。

 

「――ああ、ぜひ話すと良い。……安心したよ、本当に」

 

 サカキはミツハの言葉に優しく頷いた。強がりでも虚勢でもなんでもない、ミツハの言葉を後押しするように笑うのだ。

 

 その様子をソーマは黙って見ていた。安心しきって気の抜けた顔をしたミツハと目が合う。

 

 少し恥ずかしそう、けれど嬉しそうにソーマに笑いかけた。朝の食堂で見ていたミツハを思い出し、ソーマは返事をする代わりに小さく頷いた。

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