「あんたは何か企んでねぇだろうな」
ミツハが検査のために奥の小部屋で眠り、忙しなくタイピングしていたサカキの手が一段落ついた頃にソーマは口を開いた。
問いかけに対し、サカキはあっけらかんと答える。
「ミツハ君の偏食因子は実に興味深いけれど、偏食因子を利用して何かしようとは考えていないよ。私はあくまで観察者だからね」
「だがあんたも特異点を探してるんだろう」
「自然に生まれた特異点と人工的に生み出した特異点。観察者がどちらに興味を惹かれるかは明白だろう?」
「チッ……」
企み自体が無いわけではないのだろう。しかしミツハへの接し方を見ても、ひとまずは安心していいだろうか。ソーマはそう判断し、警戒を解いた。
「……親父はP73にも適応したと言っていた。本当か?」
「ああ。血液に含有されたものを経口接種した場合は問題無かった。むしろP73に影響されて、短時間ではあるけどオラクル活性がP53偏食因子の上昇率と同じくらいに上がっていたよ」
「P15はオラクル活性が低いのか」
「自己生成もできるからP73のようにオラクル細胞そのものに近いけれど、捕喰能力ではなく変異や進化の特徴が色濃く出ているからね。適合率がいくら高くても、身体能力や治癒能力の上昇率は平均的な適合率の神機使いとそう変わらないんだ」
ポール型神機が扱えるほど適合率が高い割に、能力が平均的で傷の治りも遅かったのはそれが理由だったらしい。P15偏食因子に関しては研究もろくに進んでいないため、情報が少ない。ソーマも知っていることは少なかった。
研究内容を共有するかのようにサカキは話を続ける。
「P15偏食因子の拒絶反応を調べる際にP53偏食因子は直接投与したけど、P15に取り込まれて影響はほとんど出ていないからオラクル活性率も変わりなかったよ。P53がP15を取って代わったり、複数の偏食因子が同時に体内に存在することはないみたいだ。一つの偏食因子に結合してしまうのかな……」
「……投与したのか」
つらつらと研究者らしく考えを語るサカキを咎める。声が鋭くなるが、サカキは気にする様子もなく話を続けた。
「私は反対したんだけど、本人たっての希望でね。拒絶反応で相互捕喰が起きてオラクル細胞が消滅すれば、元の世界に戻れる推測だったんだ。……ああでも、P53偏食因子の投与を提案したのはヨハンだった。その時点で人工特異点を考えていたんだろう」
「…………」
裏でそんなことが起きていたらしい。帰りたがっているミツハにとって、可能性があるならば試したくなるだろう。ミツハがみずから投与を希望することを読んで、わざと提案したに違いない。ヨハネスらしいやり方にソーマは舌打ちを落とした。
「……体内のオラクル細胞を消す方法はないのか」
言葉にして、ソーマは己の内心に孕んでいる感情に気づいた。それを見透かすように、サカキは目を細めて答える。
「そんな方法があるなら引退した神機使いからは腕輪が外れているし、不可能だということは誰よりもソーマがわかっているだろう? ……P73偏食因子の直接投与は試してはいないから、拒絶反応が起きることに賭けてみるかい?」
「ふざけるな!」
「もちろん、するつもりはないよ。まぁでも、適応できてしまう可能性が高いだろうけどね」
「チッ……」
どうもこの男と話すのは苦手だった。あまり関わりたくない相手だが、父の企みを探るためにも関わらざるを得ない。それに今はミツハも居る。検査の結果が気になるのもそうだが、ヨハネスやサカキの思惑にミツハを巻き込みたくはなかった。
普段ならばとっとと帰っているところだが、ソファに腰掛けてミツハを待つ。去ろうとしないソーマを見て、サカキは何故か嬉しそうに目を細めた。
「けど、二人が手を取り合ってくれたようで私も喜ばしいよ」
「……テメェにゃ関係ねぇだろうが」
「いや、私としても……ミツハ君には申し訳ないことをしたと思っていたからね」
からかわれているのかと思ったが、サカキの声色はそのようなものではなかった。ギィ、とサカキが背凭れを軋ませ、遠い日を見つめる。
「タイムスリップして身寄りのないミツハ君を保護するには、フェンリルの庇護下になる必要がある。そして適合者なら、神機使いになることを義務付けられる。これは仕方がないことだけど……性急すぎたと反省していてね。この世界のことを知り、現実だと理解してから適合試験を受けさせるべきだったかもしれない。少なくとも、タイムスリップしたことを夢だと思っていた彼女を戦場に出すべきではなかった」
「……あんたにしては殊勝だな」
「アラガミが出現して20年以上経つ。たったの20数年で世界の様相は様変わりしてしまった。……私は平和だった頃の世界を知っているけれど、人の記憶というものは上書きされていくものだ。私もすっかりアラガミ発生後の世界に慣れてしまい、平和な世界しか生きていない人間がどのように感じるのか……想像はついても、理解が足りていなかったよ」
ミツハを慮るサカキの言葉に、嘘は微塵も感じられなかった。
「ミツハ君と話していると、昔を思い出すよ。平和だった頃の世界を……そして、そんな平和な世界で自分が何をしていて、何を感じていたかもね」
「…………」
それは、ソーマには理解どころか想像すらできないことだ。ソーマはアラガミが蔓延る世界でしか生きていないのだから。
ミツハは元の世界で、本当ならどう生きるはずだったのだろうか。卒業が近いと言っていた。大学に行く予定だったのだろうが、何を学ぼうとしていたのだろうか。千夏とは誰で、何の約束をしていたのだろうか。カメラマンになって、何を撮りたかったのだろうか。
ソーマには『平和に生きるのだろう』という、漠然としたことしかわからない。具体的なことは何も想像がつかないのだ。
「……あんたですらそうなら、俺はミツハのことを一生理解できねぇんだろうな」
「そうだね、きっと君たち二人が心から理解し合えることはないだろう。わかり合えないせいで傷ついてしまうことがあるかもしれない」
「何が言いたい?」
「ソーマはそれでも、ミツハ君の手を取るのかい?」
ソーマはミツハの世界を知らない。これからこの世界を生きて知っていくミツハとは違い、ソーマにとってミツハの世界は絶対に経験することのできない、隔たりのある世界だ。
理解し合える日は、きっと来ない。
「余計なお世話だ」
ソーマはサカキにそう吐き捨てた。
それがなんだと言うのだ。大事なのはきっと、そんなことではないはずだ。手を伸ばすか、伸ばさないか。そしてソーマは、手を伸ばすことを選んだ。
サカキが椅子から立ち上がる。話をしているうちに随分と時間が経っていた。検査が終わり、睡眠薬が切れる頃合いだろう。
サカキはミツハの眠る部屋へ行く前に、ソファに座るソーマを見下ろす。眼鏡の奥の目は、穏やかに笑っていた。
「ならきっと、それだけで十分なはずだ」