Kuschel   作:小日向

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066 君の隣

 他愛ない日常の夢を見た。いつもの、毎日見ている、元の世界の夢だ。

 

 夢から覚めた時、実家の天井ではないことに、小さな絶望が毎日降り積っていた。

 

 この世界にはそんな小さな絶望がたくさんある。食事の味。つまらないテレビ。少ない娯楽。質の悪いシャンプー。通じない話題。廃墟になった街の残骸。楽しく話をしていても、ふと、同じように楽しく話をしていた友達はもう死んでいるのだと思う。

 

 今もまた、そんな小さな絶望がひとつ降り積もる。

 

 だけどもう、ひとりで背負い込む必要はないのだ。

 

 

 

「やぁ、お目覚めかい」

「……おはよーございまーす……」

「もう午後7時を過ぎちゃったけどね」

 

 目が覚めると、検査用の小部屋の天井を背景にサカキがミツハを覗き込んでいた。サカキが起こしに来てくれたようだ。

 

 ミツハはベッドから起き上がり、ぐっと伸びをする。微睡みながら小部屋から出ると、眠気がいとも簡単に吹き飛んだ。ソーマがソファに座って待っていたのだ。

 

「え! ソーマさんまだ居てくれたんですか~!」

「……検査結果が気になるからな」

「それもそうですよね~。博士、どうなってました?」

 

 ソーマの隣に座り、サカキを見上げる。既にメイン機からデータを移したらしく、ノートパソコンの画面を見ていた。

 

「煩雑、だねぇ……」

「はんざつ?」

 

 要領を得ない言葉にミツハは首を傾げた。「そう」とサカキは頷き、真面目な口調で言葉を続ける。

 

「変異はしているけど、変化が煩雑すぎて何の偏食因子を投与したのか特定できない。そもそも既存の偏食因子ではなく、新種の偏食因子かもしれないね」

「チッ……あの野郎、何を投与してやがる……」

「変化って具体的にはなんなんです……?」

「偏食因子が持つ情報の変化であり、身体的に大きく変化があるようなものではないはずだよ。投与された量が少なかったのも幸いしていたね」

「チクッとした瞬間にソーマさんが来てくれたので、そのおかげですね……!」

 

 おそらく、注射器の中身全ては投与されていなかったのだろう。ソーマが助けに来てくれて本当に良かった。

 感謝するミツハの隣で、当のソーマは難しい顔をしていた。

 

「……身体的に変化が無いと何故言える? 偏食因子の情報に変化があるなら、身体もそれに影響されるはずだろう」

「偏食因子に含まれる全ての情報が常に活性化しているわけではないんだ。そもそもこのオラクル細胞とP15偏食因子はミツハ君の体内で自然発生したもので、共存している。外的因子を受け入れるよう変異したのも、宿主であるミツハ君に問題が生じないようにするための防衛機能だろう」

「つまり、アポトーシスに似た役割になってんのか」

「おそらくね。細胞死させない代わりに、取り込んで不活性化して抑制しているんだろう」

「……? …………? ええと、つまり問題無いってことで、いいんですよね……?」

 

 ソーマが加わったことにより、サカキの説明が普段よりも専門的になってミツハには到底ついていけなかった。ソーマはこういったことにも詳しいのだろうか。混乱するミツハをサカキは可笑しそうに笑う。

 

「当の本人より、ソーマのほうが不安みたいだね」

「……コイツが事の重大さを理解してねぇだけだろうが」

 

 ソーマの言葉がグサリとクリティカルヒットする。

 

「うっ……! これでも一応、この世界の一般常識は詰め込んだつもりなんですよ……!」

「うんうん、ミツハ君の座学の成績は優秀だからねぇ」

「博士……!」

「暗記はできていても、理解はあんまりみたいだけど」

「博士……!?」

 

 フォローされたかと思えば急に梯子を外された。だがサカキの言うとおりだ。座学で色々学んではいるが、ミツハにとって座学はテストで良い点数を取るために覚えるものだったので感覚が違う。学んだ内容が自分や生活に直結するものだという実感がなかなか起きないのだ。

 

 ミツハを撃沈させたサカキは「復習しておくようにね」と教師のように笑った。大学には早々に受かったため勉強も終わっていたミツハには懐かしい響きだった。

 

「わからないことや不安に思うことがあったら、なんでも聞くといい。それと、異変があったらすぐに知らせるように。来週の定期検査も忘れずにね」

「はーい、サカキ先生〜」

「ふふふ。ほらほら、もう下校の時間だよ」

 

 茶番に付き合うサカキがパソコンからチャイムの音声を鳴らす。キーンコーン……と帰宅を促すチャイムにミツハは笑ったが、ソーマは突然鳴ったチャイムの意味がわからないため二人の茶番についていけなかった。

 

「それじゃあ、帰りましょうか」

 

 ミツハがソーマに笑いかける。目が合い、ソーマは頷いて立ち上がった。

 

 チャイムが鳴り、そろそろ帰ろっか、と友達と一緒に教室を出る。60年前のミツハの日常をソーマとなぞっているようだった。なんだか温かい気持ちになり、笑みが溢れた。

 

 

 

「…………飯、どうするか」

 

 研究室を出てエレベーターに向かって廊下を歩いていると、ソーマがぎこちなく口を開いた。

 

 今の時刻は午後7時半に近く、食堂はあと1時間ほど開いている。

 食堂の料理の味は美味しくない。だけど、少し前のミツハはその味に慣れていた。いつからだったか、食べるのが苦ではなくなっていた。

 

 それはいつからだっただろうか。

 

「……ご飯、一緒に食べてもいいですか?」

「……勝手にしろ」

「やった〜! 勝手にしまーす!」

 

 大袈裟に喜んでみせると、ソーマはほんの少し口角を上げた。さっさと歩いていってしまうソーマについていき、話をしながら一緒に食堂へ向かった。

 

 食堂の料理の味は、やはり美味しくなかった。

 

 だがソーマの正面の席に座り、他愛ない話をしながら取る食事は、部屋で一人で食べたシリアルよりもずっと喉に通りやすかった。

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