アナグラに着き、第一部隊の面々はサカキの研究室へ足を運んだ。
すぐに連れてきた少女について説明されるかと思ったが、定位置の赤い椅子に座ったサカキは頻りにキーボードを叩いている。「解析が終わるまで少し待っていてくれ!」と興奮気味にモニターを見ていた。
しばらくソファに座りながらぺたんと床に座る白い少女の様子を見ていた。キョロキョロと不思議そうに部屋を見回したり、自分の手足で遊んでいるようだった。
10分ほど経つとサカキが椅子から立ち上がり、モニターを回り込んで少女の傍へやって来た。どうやら解析が終わったようだ。ミツハたちもソファから腰を上げ、少女を囲むようにしてサカキの前に立つ。
「いやぁ、長らく待たせてしまって悪かったね」
「それで、この子はいったい何なんですか?」
「アラガミだよ?」
「…………」
サクヤの問いに、なんでもないようにサカキが平然とそう返した。
けろりと吐かれた『アラガミ』という単語に一瞬静まり返り、そしてソーマを除いた全員が驚愕の声を揃わせた。
「あ、あの……今、なんて……!?」
「ふむ、何度でも言おう。これはアラガミだよ」
「ちょっ!? まっ、あ、
「えっ、あ……」
「まぁ落ち着きなよ。これは君たちを捕喰したりはしない」
危険を感じて身を引こうとするコウタとアリサに対し、可笑しそうにサカキは笑いかけた。
「知ってのとおり全てのアラガミはね、『偏食』という特性を有しているんだ」
「……アラガミが個体独自に持っている捕喰の傾向……私たちの神機にも応用されている性質ですね」
アリサが答えるとサカキは目を細めて頷く。
「そのとおり。まあ君たち神機使いにとっては常識だね」
「……知ってた?」
「当たり前だ」
「勉強したよね」
少し焦ったようにコウタはちらりとソーマとユウに問えば、呆れたような声が返ってくる。その様子にミツハは小さく苦笑しながら、サカキの話の続きを聞く。
「このアラガミの偏食はより高次のアラガミに対して向けられているようだね。つまり、我々は既に食物の範疇に入っていないんだよ。……誤解されがちだが、アラガミは他の生物の特徴をもって誕生するのではない。あれは捕喰を通して、凄まじいスピードで進化しているようなものなのだ。結果として、ごく短い期間に多種多様な進化の可能性が凝縮される……それがアラガミという存在だ」
講義のような説明を咀嚼して、理解する。サカキの言葉に、一同は呆気に取られたように白い少女を見やった。
多種多様な進化の可能性。例えば、虎を捕喰したオラクル細胞はその特徴を取り入れ、結果としてヴァジュラという虎に姿を模したアラガミが誕生した。クアドリガは見た目通り、人工物である兵器を捕喰してその通りに進化した。
ならば、このアラガミは。ヒトの姿を模したこのアラガミは、きっと――。
辿り着いた可能性に、サクヤは『信じられない』といった声色でサカキに問う。
「つまり、この子は……」
「うん。これは我々と同じ、『とりあえずの進化の袋小路』に迷い込んだもの。――ヒトに近しい進化を辿ったアラガミだよ」
「……人間に近い、アラガミだと?」
そう聞き返したソーマの声は、わずかに震えていた。
「そう。先ほど少し調べてみたのだが……頭部神経節に相当する部分が、まるで人間の脳のように機能しているみたいでね。学習能力もすこぶる高いと見える。実に興味深いね」
「――――」
サカキの言葉に、ソーマだけでなくミツハも言葉を失った。
――特異点だ。
そう、理解した。
琥珀色の瞳を見て湧き上がった不思議な感覚の正体がわかった。きっと、共鳴していたのだ。特異点になり得る存在としての、――『世界から爪弾きされたもの』同士の、ある種の同族意識だったのかもしれない。
サカキが話を続けるが、生憎とミツハの耳には入ってこなかった。ただ、自身の早鐘を打つ心臓の音だけが聞こえる。
ミツハは呆然と、人の姿をしたアラガミを見つめた。少女はミツハと目が合うと、にこっと朗らかに笑った。
その笑顔に、冷たい生唾を飲み込んだ。
「――最後に、この件は私と君たち第一部隊だけの秘密にしておいてほしい……いいね?」
呆然としている間に、いつの間にやら話が終わっていたようだった。ハッとして顔を上げたミツハは、狐のように底の知れない表情をしたサカキを見た。
そんなサカキに対し、サクヤが訝しげに反論する。
「ですが、教官と支部長には報告しなければ……」
「サクヤ君。君は天下に名立たる人類の守護者、ゴッドイーターが……その前線拠点であるアナグラに秘密裏にアラガミを連れ込んだと、そう報告するつもりなんだね?」
「それは……しかし、いったい何のために?」
「言っただろう? これは貴重なケースのサンプルなんだ。あくまで観察者としての、私個人の調査研究対象さ」
言い負かすようにサカキがサクヤを問い詰める。たじろぐサクヤを他所に、サカキはにっこりと笑顔を浮かべていけしゃあしゃあと言葉を連ねた。
「そう! 我々は既に共犯なんだ。覚えておいてほしいね」
「うわぁ……」
「博士って本当……なんというか……」
食えない人だ。アリサと顔を見合わせながらそう思った。
そんな様子に気にかけることもなく、サカキは狐のようにニコニコと笑いながら床に座る少女を見やる。そして、ソーマに顔を向けた。
「彼女とも仲良くしてやってくれ。……ソーマ、君もよろしく頼むよ」
「――ふざけるな!」
叫ぶような声だった。
「人間の真似事をしていようと、化け物は化け物だ……!」
その言葉が、誰に向けられたものなのか。その言葉に、どんな意味が込められているのか。
――痛いぐらいに、ミツハにはわかってしまう。
ソーマは少女から逃げるように、研究室を後にする。小さく見えるその背を追おうとミツハも扉に足を向けたが、それをサカキに止められてしまう。
「すまない、ミツハ君。少し話したいことがある」
「……それは、今じゃなきゃ駄目ですか」
「じゃあ聞こう。今ソーマを追って、なんて言葉をかけるつもりだい?」
「…………」
「……博士、その質問は意地悪だと思いますよ」
咄嗟に言葉が出ず、唇を噛むミツハとサカキの間にユウが割って入った。「すまない」と肩を竦めるサカキだが、相変わらず狐のような目をミツハに向けている。
ミツハは辟易しながらも、サカキのほうへ向き直る。ニコリと笑ったサカキはユウたちに退室を促した。
「……それで、話ってなんですか?」
「この子のことでね」
ユウたちが研究室から出ていき、部屋にはサカキとミツハ、そしてアラガミの少女の三人だけとなった。ミツハは少々不満げな顔を浮かべながらサカキに問いかける。
「……博士、この子って、『特異点』……ですよね?」
「ああ、そうだよ。よくわかったね」
「そりゃあ……人間に近いアラガミって、似たようなことを最近聞いたばかりですし」
『ヨハンの目の付け所は流石だ』――そう言ったサカキの意味を理解した。
人間に近いアラガミが特異点になるのならば、限りなくアラガミに近い人間もまた、特異点に成り得るのかもしれない。ラットを見るヨハネスの目を思い出し、ミツハは振り払うように拳を握った。
「特異点って確か、終末捕喰を起こす鍵……なんですよね? 博士はなんで、支部長に秘密でこの子を……」
「言っただろう、個人的な研究だと。……すまないね、ミツハ君。深く追求しないでくれるとありがたい」
「……わかりました」
きっと聞いても無駄なのだろう。ミツハが素直に食い下がると、アラガミの少女は大きな声をあげた。
「……オナカスイタ!」
「わっ!?」
しばらく大人しく座っていたアラガミの少女は、突然立ち上がってそう叫んだ。びくりと驚くミツハとは反対に、サカキはまるで子供でもあやすように笑いながら、オラクル規格の小さな保管庫からどこか見覚えのあるヒレを取り出し、少女に手渡した。すると少女は嬉しそうにむしゃぶりつく。
「ゴハン! イタダキマス!」
「グボロの尾ビレだぁ……美味しいの?」
「……オイシイ? ンー? ウマイ! イタダキマス、……マス? スル? イタダキマス、スルカ?」
「えっ、わ、私はいいよ」
ずい、とヒレの一部をミツハに差し出すが、丁重に断る。「ソウカ?」こてんと首を傾げた少女は、再びヒレを美味しそうに食べ始めた。
この少女に尻尾が生えていたのなら、仔犬のように大きく振っていたことだろう。夢中で食事をするその様子が、友人が飼っていた白いポメラニアンのように見えた。
アラガミだとか特異点ということで身構えていたのだが、そんな毒気が抜かれるほどの無邪気な姿だった。
「ミツハ君は、この子をどう思うかい?」
「……どう、って、言われても」
口いっぱいに頬張る少女を見ながら、サカキがミツハに意地悪をするかのように問う。
「難しく考えなくていい。ソーマと同意見か、そうじゃないかってことだよ」
「…………」
化け物は化け物だと言い切り、出ていったソーマを思い浮かべる。彼がこの少女を認めない気持ちは、ミツハにもよくわかる。
認めたくないのだ。
だって、そうだろう。
姿形はどう見ても人間の少女そのもので、脳まであると言う。言葉を発し、人間の言葉も理解している。
そんな人間のような化け物が、目の前に居る。
――じゃあ、私たちは、なんなんだろう。
片や、アラガミ化した母親から生まれ落ち、生まれながらにしてオラクル細胞を持った人間。
片や、突然変異でオラクル細胞が体内で自然発生し、時代を飛び越えた人間。
そんな化け物のような人間とこのアラガミの少女との境は、なんだというのだろう。何をもって人間といえるのだろうか。アラガミではないといえるのだろうか。
姿形。意思疎通。人間を、喰らわない。それが境だというのならば――。
――私たちは、アラガミと同じなんじゃなの?
恐ろしい真実を、否定したい。可愛らしいこの少女が、途端に怖くなる。
考え込むように、白い少女を見下ろす。すると琥珀色の瞳と目が合い、ごくんと喉を上下してミツハに飛びついてきた。
「イタダキマシタ!」
「わっ、え、ちょっ!?」
少女は突然、ミツハの腰に抱き着いてきた。ミツハはその勢いに圧倒されて尻もちをついてしまう。愛らしい少女の見た目をしているとはいえ、その実態はアラガミだ。抱き着かれる腕の強さに焦り、ミツハはサカキに助けを求めるように目で訴えかける。そんなミツハに、少女は首を傾げた。
「ンー……ミツハ?」
たどたどしく、確かめるように名前を呼ばれた。
「え」
「みつは! ……ンン? ハカセ?」
「あっ、えっと、……ミツハ! 私、ミツハだよ。博士はあっち」
そう言ってサカキに目を向ける。ニコリと笑ったサカキに、少女はクイズに正解した子供のようにパッと顔を綻ばせた。
「ミツハ! ハカセ! ゴハーン!」
それぞれを指差しながら、少女は楽しげに名前を呼んだ。『学習能力がすこぶる高い』と説明していたサカキの言葉を思い出す。これまでの会話から名前を聞き取り、もう個人を覚えたらしい。
「凄い、もう覚えたんだ」
「スゴイ? ウマイノカ?」
「美味くはないかな……? んー……偉い? 良い子?」
「エライ?」
「うん、偉い」
仔犬にしてやるかのように、少女の頭を優しく撫でてやる。すると少女はもっと撫でろと言わんばかりに手にすり寄り、「エライ!」と嬉しそうに笑った。
そんな無邪気な姿に、思わずミツハも笑いが零れてしまう。
――なんか、和むな。
純真無垢。その言葉どおりの少女だ。
ミツハは強張っていた身体が脱力する。無邪気で真っ白な姿を見ていると、少女を拒絶したい気持ちが薄れてくる。
「……さっきの質問、ちょっと保留にしていいですか」
「おや、決められないかい?」
「ソーマさんがああ言った気持ち、私もよくわかるんです。わかるんですけど……普通じゃないのは、私も同じじゃないですか。だから、その……ちゃんと考えたいなって」
『普通』ではないアラガミ。『普通』ではない人間。
普通の枠から外れてしまった、異質な存在だ。
ミツハの答えに、サカキは嬉しそうにくすくすと笑った。
「ミツハ君は向き合うんだね、この子と。ソーマと違って」
声を荒げて出ていったソーマの背中は、随分と小さく見えた。それはまるで、迷子の子供のようにも見えた。それが何故なのか、ミツハには理解できる。きっと、人間の定義が揺らいでいるのだ。
ミツハは柔らかな表情を浮かべ、未だ腰に抱き着いたままの少女を撫でた。
「……ソーマさんって不器用じゃないですか」
「そうだね」
「だから、割り切ってこの子を完全に否定する、なんて器用なこと、できないと思うんです。悩んで、考えて……迷うんだと思います。逃げたんなら、なりふり構わずとことん逃げ続けちゃえばいいのに……優しいから。それで結局、自分が辛くなるんだろうなぁって……」
それがソーマ・シックザールという男だ。ミツハはソーマの震える手を思い出した。温かな、優しい手を。
そうだね、とサカキはもう一度頷いた。
「きっと、岐路に立っているんだろう。人間か、アラガミか。……ソーマは子供の頃から自分が何者なのか、ひとりで悩んでいたようだしね」
思い馳せるように、サカキが目を細める。幼いソーマのことをミツハはよく知らないが、想像はつく。ひとりで背負い込んで、眠れぬ夜を何度も過ごしたに違いない。
だが、それは過去の話だ。
「でも、今のソーマはひとりじゃない。ミツハ君が居てくれるんだろう?」
「当たり前じゃないですか」
「言い切ったね。頼もしいことこの上ないよ」
ミツハの即答にサカキは肩を竦めて笑った。
ソーマを追おうとしたとき、言葉なんて思いつかなかった。今でもなんと言葉をかければいいのか、ミツハにはわからない。ミツハだって答えを持ち合わせていないのだから。
それでも、傍に居たいと思った。ひとりで抱え込んで、悩んでほしくなかった。
そして、わからないのならば一緒に答えを見つけたかった。
ずっと話を聞いていた少女は、内容をいまいち理解しきれていないようだった。きょとんとした顔をして「ヒトリッテ、ウマイノカ?」と首を傾げた。そんな様子に、ミツハは穏やかに笑った。
「――ひとりはね、美味しくないよ」