3月17日
世界を滅ぼす特異点であるアラガミの少女をアナグラに匿ってから一晩経った。
エントランスは今日も神機使いや居住区の人間が忙しなく行き来している。まったくもっていつもどおりの風景だ。アナグラにアラガミが居る、という知らせは耳に入ってこない。ひとまずそのことにミツハはほっとした。
本日は午後からユウ、コウタ、ミツハの同期三人組で任務だった。地下鉄の遺構に潜入し、ヴァジュラ一体、マグマ適応型グボロ・グボロ一体の討伐――という任務内容だ。
大型と中型の堕天種討伐に対して、まだ入隊して3ヶ月の神機使いだけでやらせるのか、とミツハは気が重かった。しかし討伐班にとっては日常茶飯事らしく、ユウとコウタはケロリとしていた。恐るべき討伐班である。
午前中は定期検査でサカキの研究室へ行く。昨日匿ったアラガミの少女は奥の部屋でアラガミの素材を食べており、食事に夢中のようだった。サカキの研究室は他の区画とは通信インフラやセキュリティ関係を独立させているだけでなく、偏食場を遮断する素材で部屋も作っているらしい。
「ミツハくんたちが喋らなければ、ヨハンにもバレないはずだ。灯台下暗しって言うだろ。特異点がアナグラに居るなんて、流石のヨハンも思いつかないはずさ」
そう言ってサカキは得意げな顔をする。大胆不敵なサカキの行動に、ソファに座るミツハは苦笑を浮かべた。
「確かに思いもよらないと思いますけどー……。ていうか特異点見つからなかったら、また私狙われません? 大丈夫です?」
「1週間くらいは欧州に居ると思うけど、戻ってきたら特異点の捜索を今まで以上に躍起になって行うだろうしねぇ。教えた情報が空振りだったわけだし」
「何を教えたんですか?」
「民間からのタレコミで、これまでにない強力なオラクル結合を持ったコアが旧イングランド地域で見つかった――ってね。情報の信憑性を増すために、ミツハ君から手を引くなら良い知らせがあると交換条件で教えて欧州にお暇願ったわけだけど」
「空振りだったら手を引かないんじゃないですかー!?」
「かもねぇ。投与されるような状況を作らないように気をつけるんだよ」
「はーい……」
弱々しく返事をする。また恐ろしい目に遭うかもしれない――と恐ろしくなるが、死んでしまおうと思った時ほどの恐怖心は無かった。ソーマが味方で居てくれるおかげかもしれない。
そもそもミツハは神機使いであり、ヨハネスは普通の人間だ。睡眠薬のせいで抵抗できなかったが、万全の状態なら神機使いの身体能力でヨハネスに負けるはずがない。ならば飲み物に安易に手をつけなければきっと大丈夫だろう。そう思うと少しだけ気がラクになった。
午後の任務まで研究室でサカキと喋りながらゴロゴロしていようかと思っていると、ミツハの携帯に着信音が鳴る。珍しい人物からの電話だった。
「ヒバリちゃん? どしたの?」
『突然すみません。ミツハさんをお呼びの方がいらっしゃいまして。エントランスまでご足労いただけますか?』
「わかった、今から行くね。ありがとう~」
呼び出しとは珍しい。エントランスで待っているということは、基地の中に入れる人ではないのだろう。そうなると、外部居住区に住むカズヤだろうか。そう予想を立てながらミツハはサカキの研究室を出た。
エントランスへ向かうと、そこには赤毛の少年ではなく、白いベレー帽を被った緑髪の少女がベンチに座っていた。
「あ、エリナちゃん」
以前一度だけ話したことがある、エリナ・デア=フォーゲルヴァイデ。2ヶ月前に鉄塔の森で殉職したエリックの妹であり、兄の死を受け入れられずにいた少女だ。幼い少女は小学校でいえば4、5年生ほどの見た目をしており、上等そうなブレザーの上にケープを羽織っている。貴族学校の初等部の制服のように見える。フェンリルの傘下企業である『フォーゲルヴァイデ財閥』の娘であり、とどのつまりお嬢様だ。
ミツハを呼んでいたというのはエリナなのだろうか。受付に居るヒバリに尋ねると、彼女はニコリと笑って肯定した。
エリナはミツハに気づくとベンチから立ち上がる。可愛らしいベレー帽のピンクのリボンを揺らしながら、ミツハのもとまでやって来た。その表情は以前見た時よりも明るく、元気そうだったことにミツハは安堵した。
「久しぶり、エリナちゃん。どうしたの?」
「えっと……前にココアもらったのに、お礼も言ってなかったから……。それに、エリックのことで困らせちゃって、ごめんなさい」
そう言ってエリナはペコリと頭を下げた。年端も行かぬ少女だというのに、なんて立派なのだろうか。ミツハは微笑んでエリナの顔を上げさせた。
「気にしてないよ〜。それより、エリナちゃんが元気そうで本当に良かった」
「うん……。なんだかエリックが居なくなっちゃってから、パパもずっと元気がないって気づいて……。私までずっと落ち込んでたら、いつまで経ってもパパも元気ないままだし!」
「エリナちゃんが元気だとお父さんも嬉しいだろうしね」
「でしょ?」
ミツハの言葉にエリナは笑顔を見せた。快活な明るいその笑顔からは、以前のような暗さを感じられない。エリックの死を認められずに悲痛に訴えていたエリナを知っているぶん、少女の可愛らしい笑顔に嬉しくなった。
「立ち話もなんだし、ジュースでも飲む? ココア買おっか?」
「あ、いいの! 前買ってもらったったから、お礼に今度は私が買ってあげる!」
「いやいや、流石に年下の女の子に買ってもらうのは面目ないというか……」
「お小遣いならいっぱいもらってるから!」
えへん、と胸を張りながらエリナが取り出した財布は、とても上等そうな革の財布だった。そして中身もたんまり入っており、ミツハは慄いた。しがない神機使いより、富裕層の少女のほうが経済的な余裕はありそうだった。
エリナも奢りたそうにしていたので、少々迷ったがミツハは安い自販機のミルクティーを買ってもらうことにした。背伸びをしたいお年頃なのだろう。受け取って礼を言うと、エリナは嬉しそうにしていた。
自販機のミルクティーとココアを手に、エントランスのベンチで簡素なお茶会を開く。エリナはてっきり極東支部の内部居住区に住んでいるものと思っていたが、内部居住区にも種類があるらしい。極東支部周辺に建ち並んでいるフェンリル関連企業ビルの一つにフォーゲルヴァイデ財閥が所有する企業ビルがあり、そこの地下居住区に住んでいるそうだ。
「パパからは職員さんたちの邪魔になるからアナグラにはあんまり来ちゃダメって言われてるけど、つまんないんだもん。外部居住区に行くのも危ないからダメって言われてるから、アナグラに来るくらい良いと思わない?」
「外部居住区は奥に行くと治安が悪いからね〜……それならアナグラのほうが安心かもね」
「でしょ! ここっていろんな人が来るし、お店もあるから楽しいの。前はエリックが遊んでくれてたんだけど、居なくなっちゃったから……。次のお休みにエリナのお洋服を買ってくれるって、約束したばっかりだったのに」
甘いココアを飲みながら、エリナは声色に苦さを滲ませる。明るく振る舞っているが、実の兄の死はそう簡単に乗り越えられるものではない。ましてやこんな幼い少女だ。
それでもエリナは以前とは違い、やりきれない思いをぶつけることはしなかった。
――この世界の人って強いなぁ……。
平和な世界で生まれ育ったミツハは、そう痛感するばかりだ。
「……エリックさんの代わりにはならないだろうけど、アナグラに来た日に私の任務が無かったらさ、一緒に遊ばない? 商業区画でお洋服見ようよ。新人だからお給料的に買ってはあげられないけど……」
「ホント? じゃあ一緒にエリナのお洋服選んで! 次のお休みっていつ?」
「ええと……3日後だったかな。20日が今のところ休みだよ」
「じゃあ3日後にまた来るね。……あーあ、アラガミが居なかったら毎日遊べたのかなぁ」
「アラガミが居なかったらかぁ……」
それはミツハが生きていた世界だ。残念ながらアラガミが居ない世界でも毎日遊ぶことはそうそう叶わないが、エリナのような兄想いの少女がミツハの世界に生きていたら、兄と一緒に仲睦まじく平和な生きていたのだろう。
秘密を打ち明けてから、もしもミツハの世界にみんなが生きていたら――なんて妄想を、よくするようになった。
「エリックが居なくなったのも、パパの元気がないのも全部アラガミのせい……。うん……決めたわ! 私、大きくなったらアラガミのいない世界を作る!」
エリナは名案だと言わんばかりの顔をして、純粋で真っ直ぐな青い瞳をミツハに向ける。そして明るい笑みを浮かべながら、小指をミツハに差し出す。
「その時はあなたも手伝ってね? ……約束よ?」
――やっぱり、この世界の人って……凄いなぁ……。
こんなに幼い少女でも、悲観に暮れることなく、自分の足で立って前を向いている。そして自分の手で未来を切り拓こうとしている。
ミツハは自分より年下のエリナに尊敬の念を抱きながら、少女の細い指と小指を絡ませた。