3月18日
任務から帰投すると、ヒバリから声をかけられた。どうやらサカキが第一部隊のみんなを呼んでいるらしい。
ソーマは何やら苦虫を噛み潰したような顔をしている。「お前らだけで行ってこい」と返事も聞かずに先に部屋に戻ってしまった。サカキの用件は想像に容易い。あのアラガミの少女に関してのことだろう。
研究室を訪ねると、アラガミの少女は個室から出ていた。ぺたりと床に座り込んで、入室してきたミツハたちを見ている。
モニターに囲まれた椅子から立ち上がったサカキは第一部隊を出迎え、少女の傍に立った。
「今日君たちを呼んだのは、この子の名前についてのことでね」
「名前、ですか?」
「ああ、いつまでもこの子扱いでは色々と不便だからね。どうもこの手の名付けは得意じゃなくてね、代わりに素敵な名前を考えてほしいんだが……どうかな?」
「どうかなー」
サカキの言葉を真似するように、アラガミの少女は舌足らずに首を傾げる。そんな様子にユウはくすくすと笑いながら頷いた。
「いいですね、それ。でも僕もあんまりネーミングセンスに自信無いんですよね……」
「ふっ……安心しな、ユウ。俺、ネーミングセンスには自信があるんだよね」
「嫌な予感しかしないんですけど……」
「そうだな~、例えば……」
「例えば〜?」
思いあぐねるコウタにミツハが聞き返す。するとコウタは何か良い名前が思いついたのか、表情をキリッとさせて自信満々に口を開いた。
「――ノラミとか!」
一瞬、部屋の中が静まり返りコンピューターの起動音だけが響いた。
「……ドン引きです」
「ノラミか~……」
「ドラミちゃんみたい……」
「なんだよみんなして! じゃあ他に良いのがあるのかよー!」
「うーん……アリサ、どう? ロシアの言葉とかで何か良いのないかしら?」
「え、ええ!? 私ですか!?」
「なんだよ、自分のセンスを晒すのが怖いのか~?」
「そ、そんなわけないでしょ! え、えーと……」
矛先を向けられ、アリサは顎に手を当てて必死に考える。しかし、どうにも思いつかないようだ。うんうんと唸るアリサに助け船でも出すかのように、アラガミの少女は元気良く言葉を発した。
「シオ!」
「そ、それ! ちょうど同じ名前を考えてたんです!」
「嘘つけ! ……えー、でもやっぱノラミでしょ」
「シオ!」
「……それ、あなたの名前?」
「そうだよー!」
サクヤの問いかけに、アラガミの少女――シオは嬉しそうに頷いた。
「どうやら、ここに居ない誰かが先に名付け親になってしまったみたいだね」
「え、それって……」
サカキの言葉に、ミツハたちはフードを被った男の姿を思い浮かべた。
もしかすると、サカキは既にアラガミの少女に『シオ』という名前がつけられていたことを知っていたのかもしれない。だとしたら、ソーマが呼び出しを無視して一人で部屋に戻ってしまったのも頷ける。きっと茶化されると思ったのだろう。
コウタは納得いっていない様子で、ノラミにしないかとシオに粘っていたが「やだ」と一刀両断されてしまっていた。名付け親の座をソーマに取られてしまったことが悔しいらしい。「ちくしょう」と嘆くコウタの姿が可笑しかった。
「シオ、か。ソーマも良い名前をつけるね」
「でもなんでシオなんだろう……お塩? 塩みたいに白いから?」
「多分、フランス語だと思いますよ」
首を傾げるミツハにアリサが言葉の説明をしてくれる。「フランス語?」ミツハがそう聞き返すと、アリサは頷いた。
「シオって言葉、確かフランス語で『仔犬』っていう意味ですから」
「仔犬、か。そうねぇ、確かにこの子、仔犬っぽいものね」
「でもあの人がこんな名前をつけるなんて、正直意外です……って、ミツハ? なに笑ってるんですか?」
アリサの言葉に、ミツハは思わず口元が緩んでしまう。
フランス語で、仔犬という意味。
先日の深夜、研究室でソーマと話した内容を思い出した。
――好きだなぁ、そういうところ。
きっとミツハが研究室から出た後、ソーマが名付けてやったのだろう。その様子を想像するだけで微笑ましくなる。
ふふふ、と零れる笑みを噛み殺しながら、ミツハはシオの名前を呼んだ。
◇
その日の夜、もしかして、と思いながらミツハはカメラを持って研究室へ足を運んだ。
先日と比べて早い時間だったためか、サカキは定位置に座ってモニターを眺めていた。サカキはミツハの姿を見るなりニッコリと笑い、入口から見て右手の扉を指差した。
「彼ならシオの部屋に居るよ」
右奥にある赤い扉を開ければ、シオとソーマの姿があった。
――やっぱり、気になるんだな。
ああは言ったものの、こうして様子を見に来ているのだ。突き放しきれないソーマの優しさにミツハはふふっと笑った。
この部屋はどうもシオのために作られた部屋らしく、防音設備が整っており壁も特殊な素材で作られているのだと言う。
そんな真っ白な部屋の中は、先日訪れた時よりもかなり散らかっていた。壁にはクレヨンで落書きまでされてカラフルだ。
「賑やかな部屋になりましたね」
「足の踏み場が無いくらいにな」
ベッドに腰掛けるソーマはシオを見下ろす。床にぺたんと座るシオはアラガミの素材がたっぷりと入ったバケツを両手で抱え、美味しそうにその中身を食べていた。相変わらず、仔犬のように元気良く頬張っている。
「シオって、フランス語で仔犬って意味らしいですね」
「……そうらしいな」
「良い名前ですね、ソーマさん」
「……知らん。コイツが勝手に自分でつけたんじゃねぇのか」
「誰が名付けたのかなんて話はしてないですよ〜、墓穴でしたねソーマさん」
「帰れ」
「あはは、ごめんなさい」
そっぽ向くソーマにくすくすと笑いながら、ミツハはソーマの隣に腰掛ける。拗ねたような仏頂面をフードの下から覗かせていた。
「何しに来たんだよ……」
「シオに色んな写真を見せてあげようと思って。猫が集会してる超可愛い写真がカメラにあるんですよ〜」
「ねこ? しゃしん?」
会話の内容が気になったのか、ご飯を食べていたシオの手が止まる。ミツハはカメラを取り出し、写真を表示させてシオにカメラを渡して見せた。
「昨日言ってた猫っていう動物だよ」
「ねこー? ちいさくて、カタイ……」
「えっ? ……あっ、それ自体はカメラって言って……あー!? 食べないで! それはご飯じゃない! だめー!!」
大口開けてデジカメを食べようとするシオを慌てて止める。60年前の思い出が詰め込まれている、ミツハがタイプスリップした証明のようなカメラが食べられてしまっては立ち直れそうにはない。
ミツハはシオの手からカメラを没収する。動作を確認し、どこも壊れた様子がないことに胸を撫で下ろした。
「あ、あのね? これはカメラって言って、写真を撮るための道具であって、食べ物じゃないんだよ」
「しゃしん、を、とるー?」
「うん。えっとね」
首を傾げるシオにカメラを向けた。シャッターボタンを押し、パシャッと音を立ててシオの写真を撮る。そうして撮ったばかりの写真を画面に映し、シオに見せてやった。
すると、シオは琥珀色の瞳をきらきらと輝かせた。
「オオオー!? シオだー! これが、『しゃしん』かー?」
「そうだよ〜。レンズが光を集めて……って言ってもよくわかんないよね。んーと、時間を切り取って形に残せる、みたいな?」
「んー? ……ムズカシイ! でもおもしろい!」
「あ、興味ある〜?」
興味を持たれ、ミツハは嬉しくなって過去に撮った写真をシオに見せた。
撮影日が新しい順から見返していくと、月初めにソーマと鎮魂の廃寺で撮ったオーロラの写真が液晶画面に映し出される。「シオ、ここしってるー!」と馴染みのある景色にはしゃぐシオだが、ミツハはその写真を見て「あ」と間抜けな音が口から零れた。
夜空がメインである写真の隅、建物がある部分に、白い人影のようなものが写っているのだ。
「そういえば、心霊写真だと思ってたこの人影って、もしかして……」
「コイツだろうな」
「実はめちゃくちゃ惜しいところ撮ってたんですね」
思わぬ偶然にミツハは小さく笑った。突然索敵に行ったソーマの理由もようやくわかったが、よもやこんな愛らしい少女が特異点の正体だとは思いもしなかっただろう。『世界を滅ぼすアラガミ』という言葉からは、とても連想できない見た目だ。特異点の捜索も難航するはずだと頷けた。
しばらくシオと一緒に写真を見返していたのだが、ある一枚の写真を見てシオは興奮気味に目を見開かせた。琥珀色の瞳がきらきらとしている。その瞳に映るのは、みなとみらいの観覧車のゴンドラと満月を一緒に撮ったものなのだが、ゴンドラ以上に大きな満月がダイナミックに映った写真だった。
「なんだこれ! おもちみたーい!」
「……合成か?」
「ちーがーいーまーすー。望遠レンズで圧縮して撮ったので、遠景の月と手前にある観覧車の距離が縮まったように写るんです。600mmのレンズで撮ると、月の模様も見えるくらい大きく撮れるんですよ〜」
「おもち、いっぱーい!」
「どんだけ似たような写真撮ってんだ」
「レンタルしたレンズなので、期間中にいっぱい撮りまくろうと……」
カメラのレンズは最低でも10万円以上はする。とてもじゃないが学生には手が出せない。そのため満月の日に合わせてレンタルサービスで1泊2日でレンズを借り、なかなか撮る機会のない望遠レンズで月の写真を大量に撮ったのが2年前の冬のことだった。
「写真部のみんなで夜に集まって、一緒に撮影会をしたんですよね。部の備品もレンズがそんなにあるわけじゃないので、みんなでお金を出し合って色々レンズをレンタルして交代で撮ったりして……」
高校1年生だったミツハは部の先輩たちに色々教わりながら写真を撮っていた。学校の知り合いと夜に外で集まるのも非日常的で楽しくて、思い出すだけで口元が綻んでしまう。
「みつは、タノシソウー」
「ふふ、ごめん。写真見てたら思い出しちゃって」
「? おもいのかー?」
「思い出、だね。この写真を撮った時、何をしてたのかなーって記憶を思い出すの。ほら、さっき撮ったシオの写真。この写真を撮った時のことを思い出したら、シオがカメラ食べようとして慌てたなぁとか、撮ったらシオは楽しそうにしてたなぁとか、色々思い出せるでしょ?」
カメラに映る写真を眺めながら、ミツハは柔らかい声で語りかけた。
「楽しかった時間だったり、感動した景色だったり、大切な記念だったり……。そういう、忘れたくないなって瞬間を切り取って、形に残せるの。そしたら今みたいに、時間を飛び越えて思い出したり……こうしてシオに話しているように、他の人にその思い出を伝えることができるでしょ?」
ミツハが写真を好きな理由はそれだった。
始まりは小学校低学年の時だ。両親が作ったミツハのアルバムを見て、不思議な感覚が湧き上がった。赤ん坊の時の記憶はもちろん無い。幼稚園の記憶も薄ぼんやりとしている。
しかし、形には残っていた。写真に写る記憶に無い自分の姿を見ながら、両親はこの時はこんなことがあった、などと思い出話を広げていた。その話を聞くのが好きだった。写真の面白さにハマったのは、おそらくその時だった。
ミツハの言葉を、シオは目を真ん丸にして聞いていた。そして、少し惚けたようにまじまじとカメラを見つめる。
「しゃしんって、すごいなー。よくわからないけど……スゴイ!」
そう言って、シオは琥珀色の瞳を輝かせて笑う。その表情は、幼い頃の自分を見ているかのようだった。
「なら、いっぱいしゃしん、とりたいぞ! シオ、ミツハたちとはなすの、スッゴクたのしいから!」
弾けるような笑顔を見せ、シオはカメラを掲げた。撮って撮ってとカメラをミツハに渡し、ヘンテコなポーズを取る。無邪気な様子をファインダー越しに見つめ、シャッターを切る。パシャッ、と軽快な音がまた楽しいようで、きゃっきゃと次の写真をとせがんできた。
「そーまもとろー!」
「や、やめろ、引っ付くな!」
ベッドに腰掛けるソーマの隣に座り、その腕をぐいぐい引っ張る。あどけない少女の行動に、流石のソーマもたじたじとなっている。
和むなぁ、と二人の姿にミツハは微笑みながらカメラを向けた。
「はい、チーズ」
「おい馬鹿、撮んな!」
「ちーず? ちーず!」
「ソーマさんも笑ってくださいよー」
「笑えるか!」
撮れた写真には満面の笑みを浮かべるシオと、どこか照れたようにミツハを睨むソーマの姿が写っている。「そーま、へんなかおしてるな」と画面を見ながらシオが可笑しそうに笑うが、当のソーマはじろりと鋭い目でミツハをなじっていた。
「消せ」
「やーでーすー」
「つぎ! そーまがシオとみつはとってー!」
「……おら、撮ってやるからカメラ寄越せ」
「嫌ですよ、渡したら絶対消しますよね!?」
渡せ嫌ですの押し問答を繰り返しながら、取られないようにとミツハはカメラを持つ手を背中に回す。
すると、いつの間にか隣に来ていたシオがミツハの手からカメラを奪い、一歩下がる。そして先ほどのミツハを真似るようにファインダーを覗いた。
シオの突然の行動にミツハとソーマは面食らうが、次の瞬間にパシャッ! と軽快な音が小さな部屋の中に響く。切られたシャッターに、ミツハはぱちくりと目を丸くした。
「……しゃしん、どーやってみるんだ?」
「えっ? あ、えっと、この左下のボタンを押して……」
首を傾げるシオの傍に寄り、再生ボタンを押す。液晶画面には、今しがたシオに撮られたソーマとミツハの写真が映し出されていた。
カメラを取ろうとソーマがミツハに詰め寄っていたが、シオの突飛な行動に目線はどちらもカメラに向けられている。フードに隠れてソーマの表情は見え難いが、二人とも随分間抜けな顔をしていた。
「これみたら、そーまとみつはがカメラとりあってたの、おもいだせるな」
二人が押し問答をしていた姿を思い出したのか、シオがくすぐったく笑う。そして、にぃーっと屈託のない表情を咲かせた。
「オモイデ、だな!」
「――――」
アラガミの少女。特異点。ヒトならざるもの。
それでも、こうして写真に写る美しいものを見て感動している。写真を見返して、撮った瞬間を思い出して笑っている。思い出を、残そうとしている。その姿はミツハとなんら変わりなかった。
――同じ、なのかな。
アラガミの少女。特異点。ヒトならざるもの。
――それが、気にならないくらいに。それがいったいなんだと思うくらい、シオには『心』があるように感じた。とても無垢で、そして温かな心だった。
その温かさに、思わず頬が緩む。ふふ、としまりが悪くなった口元から笑みを零し、ミツハはくつろいだ顔でシオを見つめる。
ぱちくりと月のようにまんまるな瞳を瞬かせた後、シオはもう一度カメラを構えた。
「ちーず!」
覚えたての言葉でファインダーを覗き、シャッターを切る。
ソーマは呆れたように溜息を漏らしたが、止めることはしなかった。無駄だと諦めたのか、絆されたのか。
後者であればいいなと、ミツハは漠然と思った。