Kuschel   作:小日向

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079 ボーダーライン

「お邪魔しまーす」

「呼び出しちゃってごめんね」

「いいよ、全然」

 

 夕食後、ベテラン区画に足を運んでユウの自室を訪ねた。

 

 新人区画からベテラン区画へ移ったユウは前リーダーであるリンドウの部屋を使用しており、ユウの趣味ではないようなものも目立つ。いわく、なかなか片付けられないそうなのだ。

 

 そんな、どことなくリンドウの面影を感じる部屋にはコウタの姿もあった。フェンリルマークが描かれた黒いジャージを身に纏ったコウタはソファに座りながら、頬杖をついて何やら頭を悩ませていた。

 

 ミツハは隣に腰掛け、「どうしたの?」とコウタに声をかける。

 

「ソーマのこと、ユウから聞いてさ」

「……そっか」

 

 話したのか、と少し意外に思ったが、コウタにソーマのことを誤解させたままでいるのも良くないだろう。

 

 ソーマの生まれのこと。事故のこと。偏食因子のこと。

 

 それらを聞いて、コウタはどう思ったのだろうか。

 

「そんなもん、ずっとひとりで背負って、かっこつけてんじゃねえ! ……って、正直思った」

 

 そんなミツハの心情が伝わったのか、コウタは苦笑しながらミツハの無言の問いに答える。コウタらしい答えだと思ったと同時に、言いようのない安心感が生まれた。

 

「……そうだよね、そのとおりだよね」

 

 ひとりで背負う必要なんて無いのだ。

 しかし、なかなかどうしてソーマ・シックザールという男は不器用なのだ。

 

――もっと、頼ってくれればいいのになぁ……。

 

 そう寂しく思ってしまう。それでも、どこか縋るように薄く開いた口は、頼ろうとした証だろう。以前のソーマならば、きっと一瞥すらもせずに立ち去ったはずだ。そういう男だったと、ミツハはよく知っていた。

 

「……それで、ソーマさんは今、何をひとりで背負っているのかな。……予想はちょっと、つくけど」

「……シオのことでね」

「やっぱり」

 

 L字のソファに腰掛け、ユウが話をし始める。その内容はミツハ自身、身を抉られるものがあった。

 

 愚者の空母にて、倒し終えたアラガミを捕喰するシオが、『一緒に食べよう』と無邪気にソーマを誘ったのだ。シオいわく、『ソーマのアラガミは食べたがっている』と言って。

 

 その言葉が、ソーマの琴線に触れたのだろう。化け物と一緒にするなとソーマは声を荒げ、背を向けてしまった。帰りのヘリの機内がさぞ重い空気になったことは想像に容易い。

 

「ソーマさんのアラガミ、か」

 

 話を聞き、ミツハは溜息を吐き出すように呟いた。

 

 ソーマの持つP73偏食因子は、一般的な神機使いに投与されているP53偏食因子よりもずっとオラクル細胞に近い偏食因子だ。そしてその生まれも、アラガミ化した母親から産み落とされたという異質なものだ。

 

 だからこそ、ソーマはどの神機使いよりもアラガミに近い位置に立っているのだ。

 

 そしてその『アラガミに近い人間』という曖昧なボーダーラインに立つ恐怖を、ミツハもよく知っていた。

 

「……ソーマさんがシオを否定したい気持ちも、凄くわかるんだよね」

「ミツハも、やっぱシオはただのアラガミだって思うのか?」

 

 コウタが少し寂しそうな顔をした。シオをもう一人の妹のように可愛がっているコウタは、シオをただのアラガミだと見なすのは悲しいのだろう。

 

 その言葉に、ミツハは首を振った。

 

「思ってない。……ただのアラガミじゃないから、怖いんだよ」

「怖い?」

「私もソーマさんも、『普通』の人間じゃないでしょ? ……アラガミに近い人間、だから」

「……なんで、ミツハもそんなこと思うんだよ」

「前に言ったでしょ。私の身体の中にあるオラクル細胞と偏食因子は投与されたんじゃなくて……突然変異で発生したの」

「あ……」

 

 コウタは言葉が詰まったように唇をきゅっと結んだ。

 

 普通の神機使いは、投与によって偏食因子とオラクル細胞を持つ。潜在的に神機使いの素質があるゴッドイーターチルドレンは、神機使いの親から偏食因子という遺伝子を受け継いでいるのだ。

 

 間違っても、自然と身体の中に存在するものではない。そんなものは、アラガミくらいでしかあり得ないのだ。

 

「……人間に近いアラガミが、怖い。だって、人間とアラガミの境目がわからなくなるの」

 

 震えそうになる声を抑えながら、ミツハは言葉を続ける。部屋は静まり返っていた。

 

「シオはアラガミだけど人を食べないし、意思疎通だってできる。心だってある。……じゃあ、オラクル細胞が自然発生して、偏食因子が自己生成もしてる私は、……何をもって人間だって言い切れるんだろう。何をもって……アラガミじゃないって、否定できるんだろう?」

 

 人間か、アラガミか。

 

 その定義が、天秤が揺れ動く。

 

 きっとこの恐怖は、ユウやコウタにはわからない。だって彼らは『普通』だ。だから、彼らはただ黙ってミツハの言葉を聞いていた。否定も同調も何もせず、それでも『普通』ではない者の気持ちを少しでも知ろうと、真剣に耳を傾けている。

 

 そのことがひどく嬉しかった。

 

「そうやって、ぐるぐる考え込んで怖くなるんだけど……でも、シオと話してると、シオに感じていた怖さが吹き飛んじゃうの。不思議だよね。写真撮ってっておねだりしてくるの、可愛かったな〜」

 

 重い空気を変えるように、努めて明るい声でユウ達に問いかける。ずっと静かに聞いていたユウはミツハの問いに深く頷いた。

 

「……うん。シオと一緒に居ると気持ちが和むよね」

「そうだな、妹が一人増えた感じするよ。楽しいよなー」

「わかる~。妹居たらあんな感じなのかな~」

 

 手のかかる妹のような、それともじゃれつく仔犬のような。溌剌とした可愛らしい少女のことを思い浮かべる。

 

「名前を呼んだら笑って返事をして、子供みたいにどんどん言葉を覚えて、写真を撮ってはしゃいだりして。……そんな姿を見てたら、人間とかアラガミとか、関係無いのかなって思ったりもする」

 

 思い出だと言って、写真を撮るシオの姿が脳裏によぎる。シオの心は人間より人間らしく、温かかった。

 

――そう感じてるのは、きっとソーマさんも同じだ。

 

 そうでなければ、名前などつけてやらないだろう。わざわざ部屋に訪れたりしないだろう。写真に写るソーマの顔は、決して嫌悪感に塗り潰された表情をしていなかった。

 

 だが、認めたくないのだ。人間に近いアラガミを。そうしなければ、自分が何者なのかわからなくなってしまうから。

 

「ソーマさんも悩んでるんだよ、きっと。化け物だって拒絶ようとしても、シオがあまりにも……温かいから、切り捨てられなくて。……だから、ひとりでぐるぐる悩んじゃうんだよ」

「……やっぱり、ミツハってソーマのことをよく見てるよね」

 

 柔らかくユウが笑みを零す。カレルからソーマのことで何を言われようとからかわれているだけなので恥ずかしさもないのだが、真面目なユウから言われると照れが出てしまう。

 

「えっ、そ、そうかな」

「うん。ソーマのことを話してる時のミツハ見てたら、こっちが照れてくるくらい」

「なにそれ~……」

 

 そんなにわかりやすい顔をしていたのだろうかと、ミツハは己の両頬を手で押さえた。むにむにと頬肉を揉んでいるとコウタは可笑しそうに笑った。

 

「ミツハって、本気でソーマのこと好きなんだな」

「本気じゃないと思ってたんですかコウタ君」

「いや、んー……なんていうかさ。……なんでミツハはソーマのこと好きなんだろうって、不思議だったんだよな。感じ悪いじゃん、あいつ。敢えてそうしてたんだろうけど、突き放すような態度ばっか取るしさー。あんなヤツのどこが良いんだろうって、正直思ってた」

 

 「ごめんな」とコウタはばつが悪そうな顔をして謝る。だが、その疑問は大抵の人間が思っているはずだ。

 

 事実、『死神』と呼ばれているソーマに近づくミツハは『物好き』と呼ばれ、二人で食事をしていると奇妙なものでも見るような眼差しを向けられる。冗談交じりだが、カレルたちからは悪趣味だのなんだの言われる始末だ。それはきっと、みんながソーマの外側しか知らないからだろう。

 

「……私も最初はソーマさんのこと、怖い人だと思ってた。もっと血も涙も無いような人なのかなって。エレベーターで一緒になったときとかめちゃくちゃ気まずかったもん」

「うっそ、ミツハが?」

 

 コウタが驚く。この世界に来たばかりの頃、まだミツハの髪が長かった頃の話だ。

 

 命の恩人ではあるが、良い印象は無かった。表情は常に目深に被られたフードのせいでよく見えず、不愛想で突き放すような口調と圧倒的な強さ。それらが相まって、血も涙も無い非情な男なのだと思っていた。

 

 エリックが殉職した日――訓練場で人知れず悔やむ姿を見るまでは。

 

「その時のソーマさんの背中がずっと小さく見えて……なんか、泣きたくなった。この人のどこが死神なんだろうって、ソーマさんを死神だって言う周囲にモヤモヤした」

「……あいつ、何も思ってないみたいに淡々としてたのに」

「きっと、自分の弱さを見せたくないんだよ。……見せれる人が、居なかったんだと思う」

 

 その弱さを少しでも、曝け出してくれればいいなとミツハは思う。ひとりで背追い込まずに、受け止めてあげたかった。

 

「そんなソーマさんを見てたら、ひとりにさせたくないなって思って。……同情もあったし、利己的な感情もあった。でも、ずっとひとりで背負い込んでるものを私も一緒にわかち合いたくなって、もっと笑って欲しいなって、……思い、まして……ですね……」

 

 話しているうちに恥ずかしくなり、言葉が尻すぼみになってしまう。

 

 ソーマをどうして好きなのか、改めて言葉にすると難しいものがあった。終わりは明確だが始まりは曖昧なのが恋というものだろう。はっきりと恋に落ちた瞬間はなく、ソーマ・シックザールという男を知っていくうちに、愛おしさが込み上げてきたのだ。

 

 誰よりも不器用で、誰よりも優しい人を、ただ抱きしめたかった。

 

「愛だね」

「愛だなぁ」

「…………うぅ」

 

 感嘆に近い声色で二人が呟く。からかわれているわけではないのだが、だからこそその言葉にますます頬が紅潮し、気恥しさに耐え切れずミツハは逃げるようにソファから腰を上げた。

 

「か、帰る……恥ずかしくて死にそう……」

「顔がリンゴみたいになってるぞ〜」

「言わなくていい〜! お邪魔しました! また明日!」

 

 ニヤニヤと笑うコウタからそっぽ向き、ユウの部屋から出た。元はリンドウの部屋だったユウの隣には、ソーマの自室がある。

 

 流石に今日はシオの部屋には行っていないだろう。ミツハはインターホンを鳴らそうと手を伸ばしたが、かける言葉が思い浮かばずに手を下ろした。

 

 ミツハだって人間近いアラガミをどう見るか、まだ答えが出ていない。人間の定義が揺れる怖さだってある。

 

――明日、シオとちゃんと話そう。

 

 だが、ただ怖いからと言ってあの温かな少女を無下にもしたくなかった。それはきっとソーマも同じであるはずだ。ただ、向き合うのが怖いだけで。

 

 その怖さを、どうか少しでも和らげないだろうか。

 

 そんなことを思いながら、ミツハはベテラン区画を後にした。

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