メディカルチェックの時間になり、ミツハはサカキの研究室に向かった。昨日も訪れた研究室に入ると、昨日と同じ位置にサカキが座っていた。
「適合試験、お疲れさま。無事に終わったようで何よりだよ」
「めちゃくちゃ痛かったんですけど、そういうものなんですか?」
「おや。神機との適合率が低いと痛みが激しいんだよ。逆に高いと痛みは少ないんだが……いやぁ、P15偏食因子と神機の適合率は如何程だろうねぇ!」
サカキはウキウキとした口調でキーボードを打ち、モニターを見る。P15偏食因子は研究が進んでいないとあったため、貴重なケースにさぞ興味深いようだ。
「どうだい、ゴッドイーターになった感想は?」
「うーん、正直実感はまだ無いです。あ、でもあんなに重そうな神機を片手で軽々持てるなんて凄いですよね! 神機使いになると漫画みたいなことできるんですね〜」
「接続によって神機の重さは5分の1まで軽減しているけど、ミツハ君の場合はこの世界に来た時から身体能力が向上しているよ。気づいていなかったのかい?」
「え?」
キョトンと首を傾げるミツハにサカキは苦笑する。
「いいかい、ミツハ君は適合試験を受ける前から体内にP15偏食因子がある。通常の適合試験は腕輪を嵌める際にP53偏食因子を静脈注射して投与するんだけど、ミツハ君はその必要が無いからね。単に腕輪を嵌めて神機と接続しただけだよ」
「腕輪を嵌めただけであんなに痛いんですか……?」
「ミツハ君が感じた痛みは神機との接続によるものだよ。忘れられがちだが、神機は人工アラガミだ。神機の中にある『アーティフィシャルCNS』……通称『人工コア』との神経接続の役割を腕輪が担っているんだけど、いくら人為的に制御されている物とはいえアラガミだ。捕喰しようとするアラガミを抑え込んで自分の身体の一部にしようとしているんだから、そりゃあすんなりいくわけがないよね」
またも始まった小難しい説明を、ミツハはなんとか噛み砕く。
「…………ええと……つまり、神機が私を捕喰しようとしたから痛くて、神機が食べるのを諦めたから接続できた……ってことですか?」
「その理解で大丈夫だよ。まぁ話を戻そう。偏食因子を投与すると体細胞が強化されることは昨日の資料で説明したね? 身体能力や治癒力が向上するんだけど、ミツハ君は既にその恩恵を受けているはずだよ」
サカキの言葉に記憶を巡らせてみる。生まれてこのかた超人的な身体能力も治癒力も発揮したことは一度もないはずだったが、ふと思いつく場面があった。
この世界に来た直後のことだ。
「……もしかして、ヴァジュラから逃げてた時ですか?」
立ち止まったせいで追いつかれてしまったが、大型の四足歩行のヴァジュラから走って逃げることができていたのは、今思うと不思議でならない。
そしてヴァジュラの電撃を受けても生きていることに、サクヤは『運が良かった』と言っていた。冬場の静電気以外で電気を浴びる経験などしたことがないので感電した人間がどうなるのか詳しくないが、火傷もしなかったのは普通ではない気がする。
ミツハの言葉に、サカキは正解だと言うようにニコリとした。
「そのとおり。ヴァジュラはアラガミの中でも俊敏なほうでね。普通の人間ならすぐに追いつかれてしまう。それにミツハ君はヴァジュラの電撃が直撃したはずだ。普通なら感電死するか、生きていても後遺症が残るぐらいヴァジュラの電撃は強烈だ。だがミツハ君は少し身体が麻痺した程度ですぐに立てたんだろう? 紛れもない、オラクル細胞による身体能力と治癒力の向上のおかげだね」
「え〜、全然気づかなかった……」
「まぁそれどころじゃなかっただろうしねぇ」
己の鈍感さを恥ずかしがるミツハにサカキはクスクスと笑う。
「じゃあ神機使いになって変わったことは、神機が扱えるようになったことと、腕輪がついたことくらいですかね」
「大きな変化だと思うけどね」
「この腕輪って、神機と接続するための物なんですよね? 神機を使わない時は外しちゃ駄目なんですか?」
神機使いの証だとは聞いているが、つけてみると意外に大きくて邪魔だ。ミツハの質問にサカキは苦笑した。その表情を見るに、どうやらミツハはこの世界の人にとっては当たり前のことを質問してしまったようだ。
「腕輪の何より重要な役割は、P53偏食因子の定期的な静脈注射だ。体内の偏食因子はオラクル細胞を制御するために消費され、無くなってしまうと体細胞のオラクル化が抑えられなくなりアラガミ化してしまう。そのため神機使いは生涯この腕輪を外せないんだ。あと物理的に内側で腕と癒着しているしね」
「えっ、外せないんですか……!?」
癒着という言葉が怖すぎる。思わず右手首の赤い腕輪を凝視した。腕輪というより手枷ではないだろうか。
「……けれどミツハ君の偏食因子はP53ではなく、自己生成が可能なP15偏食因子だ。偏食因子の投与の必要が無いから、腕輪もよく似た別物なんだよ。腕と癒着はしていないし、神機と接続する時以外腕輪は必要ない」
「良かった〜……!」
「ただ、外せはするけど普通の神機使いと違うことの証明になってしまうからね。基本的にずっと着けておくのが無難だろうね」
「着替えとかに邪魔そうなんですけど……」
「基本的にオラクル技術が使われているから、伸縮性は抜群だよ」
試しにミツハは着ている服の袖を伸ばしてみると、腕輪を覆い隠せるくらいには布が伸びた。「おお……」とミツハが驚きの声を漏らすと、サカキがコホンと咳払いをした。
だいぶ話が脱線してしまったのでミツハは襟を正す。雑談をしに来たのではなく、メディカルチェックを受けに来たのだった。
「ミツハ君の偏食因子は前例が無いから、定期的にメディカルチェックをしようか。また来週……毎週火曜日はメディカルチェックを受けにおいで」
「毎週火曜日ですね、わかりました」
「それと……明日から研修が始まると思うけど、ミツハ君は神機のことで話があるんだ。9時から開始だと聞かされるだろうけど、ミツハ君は8時に神機整備場に来ておくれ」
「はーい。神機にも何か影響あるんですか? この偏食因子」
「悪い影響ではないから安心するといい。技術屋としてお願いしたいことがあるんだ」
眼鏡の奥でサカキが楽しそうに目を細める。何を頼まれるのかミツハには見当もつかないが頷いた。
「……よし、伝えることは以上かな。それじゃあメディカルチェックを始めようか」
「お願いしまーす」
向かって左側の赤い鉄扉の部屋に入るよう指示され、六畳ほどの部屋のベッドに横たわる。すると部屋を囲むように設置されている様々な機器が起動し始めた。どこからか漂い始めた甘いバニラの匂いに眠気が襲ってくる。
『少しの間眠くなると思うが、心配しなくていいよ。次に目が覚める時は自分の部屋だ。戦士の束の間の休息というやつだね。予定では1万800秒だ。ゆっくりお休み』
部屋の角にあるスピーカーからサカキの声が響く。ミツハは襲ってくる眠気に抗わず、瞼を閉じて意識を手放した。
◇
目が覚めると、見覚えのない部屋で寝ていた。ミツハはこれまで来賓用の部屋を借りていたのだが、神機使いになったことで専用の部屋に移されたのだろう。
適合試験を受ける前に荷物をまとめていたことを思い出し、探してみると部屋の真ん中にダンボールが置かれてあった。荷物は一箱で収まったはずだが、ダンボールは何故か三箱ある。開けてみると、残りの二箱は配給の物資だった。消耗品などが入っている。
荷物の整理は後にして部屋を見て回る。来賓用の部屋と造り自体は大きく変わらないが、質素なものとなっていた。備え付けのソファとベッドは今までより硬く、正面の壁に埋め込まれているディスプレイは一面ではなく一部になっている。そして何よりも大きな違いは、浴室が無い。共同区画にシャワー室があったため、一般の神機使いはそちらで汗を流すのだろう。
――お風呂に入れないのショックすぎる……!
アナグラの施設に温泉はないのだろうか。有料でもいいから利用したかった。
ミツハが想定外のショックを受けているとインターホンが鳴る。扉を開けてみると、ユウとコウタが部屋の前に立っていた。
「おはよう、起きてた?」
「うん、ついさっき。どしたの?」
「ツバキ教官からの連絡事項。明日は9時に第三訓練場に集合だって」
「……9時に第三訓練場ね、オッケー」
しかしミツハは8時に神機整備場である。1時間早く起きなくてはいけない。
「今日はもう解散らしいからさ、一緒に夕飯食おうぜ」
「いいよ〜、食堂行こっか」
コウタに誘われ、三人はエレベーターに向かった。廊下を歩くと赤い腕輪を嵌めた神機使いとすれ違う。この区画は新人区画と呼ばれ、名前のとおり新人や階級の低い神機使いたちが住む区画らしい。外部居住区出身のコウタが何故か詳しかった。
「ゴッドイーターになるの、夢だったんだよな〜! 食堂も三食無料で食べ放題じゃん?」
「高待遇だよね、ホント」
「な! 配給品の残量気にせず食えるの、マジ最高だよな。おかわりしちゃおっかなー」
「味は配給品と変わらないけどね……」
「お腹いっぱい食べられるだけ十分だよ」
外部居住区出身の二人は食堂に胸を躍らせている。食堂の味に慣れないミツハは二人に共感することができず、苦笑を浮かべるしかなかった。
昨日外部居住区の案内をされた際にツバキから説明されたのだが、外部居住区の人々は定期的に配給される物資をやりくりして生活しているという。当然配給の食糧も数に限りがあり、食べすぎたりしたら次の配給日まで食べるものがない、なんてこともあるそうだ。
そして神機使い用の食堂は、工場で大量生産された配給用の食糧が缶やパックに詰められずに並べられている。つまり物自体は配給品と変わらないのだ。
しかし有力情報も教えてもらった。たまにだが、有料レストランの余り物が並ぶことがあるらしい。
それを説明するとコウタは目を輝かせた。
「マジ!? あるかなー、レストランの余り物!」
「でも大人気ですぐ無くなっちゃうんだって」
「食堂が開いて1時間経ってるし、あったとしても全部食べられちゃってそうだね」
「行ってみないとわかんないじゃん? 急ごうぜ!」
「あ、待ってよ〜」
コウタは笑って廊下を走り出し、ミツハはその背を追いかける。一番後ろからついてくるユウも楽しそうにしていた。
ちなみに、レストランの余り物は最初から並んでいなかった。