Kuschel   作:小日向

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080 一人と独り

3月21日

 

 決して大きいほうではないという自覚はある。

 

 重さで肩凝りに悩まされるという経験が無ければ、体育の授業で揺れて邪魔になるといった経験も無い。豊満な丸みに憧れないといえば嘘になるが、大して気にしてはいないはずだった。そもそも身長が低いのだ。低身長に見合ったサイズだろうと思っていた。

 

 の、だが。

 

 あからさまに比較をされると面白くないのは仕方がないだろう、女子として。

 

「ありさ、ぷにぷにー……みつはは、んんー……?」

「ぷにぷに! 嘘でもぷにぷにって言うところ!」

「ぷにぷに!」

「そこお腹……! ちょ、やめ、く、くすぐったい!」

 

 小さな手でミツハの腹をくすぐるように揉みながら、シオは無邪気に笑った。

 

 どうやらシオはヒトの個体差が気になり始めたようで、研究室に訪ねたミツハたちの身体をぺたぺたと興味深そうに触っている。

 

 下心も何も無い純粋な興味でアリサの豊満な胸の柔らかさを堪能した後、明らかに膨らみの小さいミツハの胸にも手が伸びたのだが、首を傾げられる始末だ。無邪気な反応だからこそ、余計に心が抉られた。

 

「うう……時代? 時代の差なの? 60年経つと発育が良くなるんですか博士!?」

「まあ、確かに60年前と比べると平均身長なんかは高くなっている傾向にあるよ」

「ほらー! 時代が悪い!」

「時代関係無くミツハは小さいほうだと思うけどな」

「……それは身長の話で合ってる?」

「し、身長!」

 

 据わった眼差しでコウタを見やれば、彼は蛇に睨まれた蛙のように慌てて頷いた。

 

 控えめな胸を見下ろすと、遮るものもないので足元がしっかりと見えた。うう、とミツハが小さく嘆くと、励ますようにアリサが明るくフォローを入れる。

 

「ほら、女の子は小さいほうが可愛いって言うじゃないですか!」

「でも胸は無いよりあるほうがいいじゃん……」

「ぼ、僕たちが居る前でそういう話はちょっとやめない……? 反応に困るから……」

「……ユウってソーマさんと同い年なんだよね」

「え、そ、そうだけど……?」

 

 今時の男子高校生でもしないような初々しい反応を見せるユウに、ミツハは神妙な面持ちで問い詰める。ユウが引き攣ったように笑った。

 

「男子同士でそういう話ってしないの? 例えば、ほら。ど、どれくらいが好みだとか、なんだとか」

「ソーマとそういう話しないって……!」

「……ちなみにユウの好みを聞いても?」

「アリサも乗らないで!」

 

 女子二人に詰め寄られ、すっかりたじたじとなったしまったユウは顔を赤くして後退る。コウタの腕を掴み、逃げるように研究室の扉へ向かった。

 

「そ、そろそろ夕食の時間だし、僕たち先に行くね!」

「あ、逃げた」

「私たちも行きますか?」

 

 扉の向こうへ消えていった男二人の背を見送り、アリサが首を傾げる。時刻は午後6時過ぎ。もう少しで夕食を配給する食堂が開く時間だ。夕食といっても朝食とそう変わり映えしないレーションの食事だが。

 

 ミツハは少し考え、首を横に振った。

 

「私はもう少しここに居るよ。……ちょっと、シオと話したいことがあって」

「……わかりました。じゃあ、先に行ってますね!」

 

 「お先に失礼します」とアリサはユウたちを追うように研究室から出ていった。何があるのかと首を傾げるシオに笑いかけ、手を引いて研究室の右奥にある個室へ向かった。

 

「女の子同士で恋バナかい?」

 

 ハザードマークが描かれた赤い扉に手を伸ばすと、モニターに囲まれた椅子に座るサカキから冗談めかして声をかけられる。

 

 にっこりと細められた狐のような目では、どこまで察しているのかわからない。意地の悪いサカキを跳ね返すようにミツハも笑った。

 

「……そうですね、だから博士は邪魔しないでくださいね!」

「さいねー!」

「おや残念」

 

 ミツハの言葉を真似するシオに、肩を竦めてサカキが笑う。相変わらず散らかったままのシオの個室に入り、二人並んでベッドに腰掛けた。

 

「こいばなってなんだー? うまいのか?」

「恋バナは食べ物ではないよー。……その、ソーマさんのことでちょっと、話がしたくて」

「……そーま」

 

 この場に居ない男の名を口にすると、シオは明るい表情に陰りを見せた。叱られた子供のように膝を抱える。

 

「シオ、そーまのこと、おこらせちゃった……」

 

 しょんぼりした顔でシオは指先をもじもじと捏ね合わせる。泣き出してしまいそうな少女の声は辿々しく、精一杯に自分の気持ちを伝えようと覚えたばかりの言葉を探していた。

 

「……シオ、そーまをみつけてうれしかった。ずっと、ひとりだったから。だから、みんなをみつけて、うれしかった」

 

 ずっと独り。

 

 その言葉に、ミツハは心臓が掴まれたかのように胸が軋んだ。

 

「でも、そーまはうれしくなかったみたいだ。だから、うーんと……さびしいな」

 

 ぎゅっと膝を抱え、シオは小さく背を丸める。その姿は孤独に怯える弱い生き物そのもので、鏡を見ている気分になってしまう。

 

 独りは怖い。独りは寂しい。

 

 それは、ミツハも痛いくらいに知っていた。

 

――シオも、同じなんだ。

 

「……シオも独りだって、思うんだ?」

「だって、だれもいなかった。シオ、『フツウ』じゃないんだろ?」

 

 シオは小さな手を広げる。五本ある細い指。人間と変わらない手の形だが、血色が無く恐ろしいまでに白い肌の色は、人ならざる者の証だろう。

 

 人間に近いアラガミ。それは人間とも言ええず、アラガミとも言えない。二人と居ない孤独の存在だ。

 

「だから、みんなをみつけてうれしかった。みんな、おなじだったから。シオ、ひとりじゃなかったな」

「同じ?」

「うん。そーまも、みつはも、ゆうも、シオも! みんなおんなじ、『なかま』だった!」

 

 熱弁するようにシオが語る。琥珀色の瞳は嬉しそうに溶け、ふにゃりと細められた。

 

「うれしかった。ひとりじゃないって、うれしいな」

 

 飾りけのない、真っ白で純粋な言葉だった。柔らかく無邪気に笑ったシオに、ミツハは優しく頷いた。

 

「……そうだね。独りは、寂しいもんね」

「みつはも、さびしかったのか?」

「……うん。寂しかったし、怖かった」

 

 こてんをシオが首を傾げる。不思議と言葉はすらすらと喉から出てきた。

 

「私ね、この世界の人間じゃないんだ。違う世界から来たの」

「ちがう、セカイ?」

「うん。すごーく遠いところから来て、帰れなくなっちゃった。大好きな人も、お気に入りの場所も、歩むはずだった未来も……全部違う世界に置いてきちゃって……たった独りで、この世界に来ちゃったの」

 

 本当に、どうしてこんな世界に来てしまったのだろう。どうしてたった独りでタイムスリップなんかしてしまったのだろう。

 

――どうして、こんな世界で生きてるんだろう。

 

 本当の世界を想うたびに、そう思ってしまう。

 

「……みつは、いまもさびしい?」

 

 内に潜む仄暗い感情を感じ取ったのか、シオが不安げに問う。

 

「寂しいよ。でも……ソーマさんが居るから、独りじゃないから大丈夫って思えるようになれたかな」

 

 寂しさで眠れない夜がある。夢を見ては涙が出る。この世界で目覚めるたびに、小さな絶望が降り積もる。

 

 だが、ひとりで背負い込んで押し潰されることはもうなくなった。

 

 ミツハの言葉にシオが笑う。「そっか」と声を上擦らせた。

 

「じゃあ、シオとおんなじだ!」

「ね、同じだね」

 

 にぃーっとシオは嬉しそうに口元を緩めていたが、ふと何かに気づいたように目を丸くして首を傾げた。琥珀色の無垢な瞳に、じいっと見つめられる。

 

「みつは、ほんとうのセカイ、かえりたいか?」

 

 どきり、と心臓が鳴った。

 ミツハは一瞬言葉に詰まったが、素直に心の内を吐露する。

 

「……帰りたい。けど、……ソーマさんと一緒に居たいとも思う」

「かえったら、いっしょにいられないのか?」

「うん。世界が違うからね」

「そっかー。むずかしいな」

「ね、難しいね」

 

 例えば、タイムマシンができたり。

 例えば、体内のオラクル細胞を完全に消す方法が見つかったり。

 

 そんな、元の世界に帰れるチケットが手に入ったとき、今のミツハは迷い無くそのチケットを受け取れるのだろうか。迷いも躊躇も後悔も無く、そのチケットを使えるだろうか。

 

 明確な答えが出せず、仰ぐように天井を見上げる。クレヨンの落書きは流石に天井までには描かれておらず、真っ白な天井に付けられた蛍光灯がミツハたちを照らす。

 

「……シオは、嫌じゃない? 周りと違う自分が、怖くならない?」

 

 世界を滅ぼす特異点であるシオと、そんな特異点になり得るミツハ。

 自分の存在が、自分がいったいなんなのか、怖くなるときがある。

 

 同じ『世界から爪弾きされた者』同士、シオが自分自身をどう思っているのか、ミツハは知りたかった。

 

 ミツハの問いかけに、シオはきょとんとした顔をする。

 

「……『ジブン』って、なんだ?」

「え」

 

 返ってきた答えは素っ頓狂なもので、ミツハは気が抜けて思わず笑いが零れた。

 

「そうだなぁ……シオがシオをどう思うか、みたいな?」

「うーん……? よくわからないけど、みんな、シオのことシオってよぶだろ? ――だから、シオはシオだ!」

 

 微塵の迷いもなく、清々しいまでにシオは自信満々にそう断言した。琥珀色の瞳が眩しいぐらいに、きらきらと輝いている。

 

 そんな宝石のような瞳がミツハを覗き込む。琥珀色に、呆気に取られた黒髪黒目の少女の姿が映り込む。

 

「シオとみつはは、おんなじだけど、ちがうところもあるな! みつはとありさも、ちがうだろ? ありさはぷにぷにだけど、みつははぷにぷにじゃないもんな」

「うっ……そうだね、私とアリサは全然違うね……」

「こうたはカチカチでー、そーまはおっきいよな! いろもちがう! ありさはしろだけど、そーまは、うーんと……ここあ? ちょこ? みたい。ふしぎだなー」

 

 ヒトの個体差についての話だろう。確かに同じヒトという種でも、同じ人間はひとりとして居ない。人種、性別、体格差、性格。違って当たり前のことだ。それが『個』というものを作るのだ。

 

「だからこわくないぞ。シオはシオで、みつははみつはだ。ちがうけどおんなじで、みんなのかたちがあって、おもしろいな!」

 

 『みんなちがって、みんないい』

 ――そんな、小学校の国語の教科書に載っている有名な詩を思い出した。

 

 シオのひたすらに真っ直ぐな言葉に、ミツハはじわりと目頭が熱くなる。

 

 人間でも、アラガミでも、二人と居ない化け物であろうと、自分は自分だ。

 井上ミツハは井上ミツハという一人の存在でしかなく、それ以上でも以下でもない。

 そしてそれは、シオやソーマも同じことだ。

 

――まさか、シオに諭されるとは思わなかった。

 

 ふふ、と口元から柔らかな笑みが零れ落ちる。血の気の無い真っ白で小さな手に、ミツハの手を重ねる。体温は無いが、じんわりとミツハの体温がシオに伝わった。

 

「ねぇ、シオ。私、シオに会えて嬉しいよ」

「みつはは、うれしい?」

「うん。……ソーマさんだって、嬉しくないわけじゃないと思うよ」

「……でも、そーま、おこってた。シオが、おこらせちゃった」

「じゃあ、仲直りすればいいんだよ」

 

 不安げな表情を浮かべるシオに、ミツハは元気づけるように力強く笑って手を握る。

 

「ソーマさんは、気づいてないんだよ。違うところばかり目に映っちゃうから、みんな同じだってわからないんだよ。……私も、シオが教えてくれるまでわからなかったから」

「……じゃあ、そーまにおしえなきゃだな! みんなおんなじだって!」

 

 屈託もなくシオがはにかむ。その真っ白な笑みに、「そうだね」とミツハは目を細めた。

 

――きっと、大丈夫。

――大丈夫だよ、ソーマさん。

 

 迷子の目をした蒼い瞳を思い出す。きっとシオなら、ソーマの深い心の傷を癒せるだろう。みんな同じ仲間だと、気付かせてくれるのだろう。

 

 ただ、向き合う一歩が踏み出せないのだ。

 

――なら、背中を押してあげればいい。

 

 くつろいだ笑みを浮かべたまま、そのままぼふんとベッドに寝転がる。手を繋いでいたシオもつられてベッドに転がり、きゃっきゃと楽しそうにミツハの腕にくっついた。

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