3月22日
部隊間での人員の貸し借りはよくあることだ。人手不足を理由に他部隊から助っ人として借りることもあれば、緊急時に即席の部隊でも最低限の連携が取れるように他部隊の神機使いとアサインされることもある。
本日は後者の理由から、討伐班と防衛班が普段とは違う組み合わせで任務にアサインされていた。ミツハがアサインされた任務は、コウタと一緒に防衛班のタツミとジーナと組んで空母でのアラガミの掃討だった。
元々防衛班に所属していたミツハにとっては気楽な連携だった。タツミとは久々に同行できたこともあり、張り切って任務に臨む。リンクバーストを撃ちつつ、旧型の遠距離神機使いが二人居るためタツミと一緒に前衛に回る。タツミの神機との間合いやタイミングは慣れたものだった。
滞りなくアラガミを倒し終え、昼下がりにアナグラへ帰投した。報告を終えて解散すると、休憩スペースのベンチに座る桃色の髪を見つけてミツハは笑顔になった。
しかし、様子が少し可笑しい。
「どしたのカノンちゃん」
「ミツハちゃん……! わたしっ……私はまたやってしまいました……!」
「何があったのカノンちゃん!?」
落ち込んでいるカノンに声をかけると泣きつかれてしまった。何事かと話を聞くと、カノンは肩を震わせながら両手で顔を覆う。
「うぅっ……頑張ってるんですよ、これでも……。『ヘタに動くな』『お前は固定砲台』『ってか邪魔だ』……言われ続けまして……ソーマさんとシュンさんに、多大な迷惑を……」
「ああ……カノンちゃんはソーマさんたちと組んでたんだ……」
そして今日も誤射をしてしまったのか。南無。
ミツハは心の中で本日の被害者に手を合わせながら、カノンを励ます。
「今度ジーナさんとサクヤさんが先生になってもらってバレットの勉強会しようって話をアリサとしてるんだけど、カノンちゃんも来る?」
「是非! 是非参加させてください〜……! 普段組む機会が少ない方だと、いつも以上に誤射しちゃって……!」
「防衛班は回避スキル鍛えられてるからね……」
その一、カノンの射線上には立たない。
その二、カノンに背を向けない。
その三、カノンの動向を注視すべし。
――第二部隊に所属していた間、ミツハが己に課した三箇条である。
アラガミがダウンしても気を抜いてはいけない。捕喰しようと神機が大口を開けていると、横から吹き飛ばされたりするのだ。カノンによって。
話をしているうちに元気になった様子のカノンに安心し、勉強会の約束を取り付ける。話が一段落ついたところで、「あ、そうだ」とミツハは小首を傾げた。
「ソーマさんも一緒に帰投してる?」
「はい。神機も預けていたので、お部屋に戻られてるんじゃないでしょうか」
「そっか、ありがと。勉強会の日程はまたメールするね〜!」
「お願いします!」
カノンと別れ、ミツハはエレベーターに乗り込んだ。地下300メートルにある居住区のベテラン区画へ足を運ぶ。途中の自販機でジュースを買い、ソーマの自室の前に立つ。
こうしてソーマの部屋へ訪ねるのは、グボロ・グボロに殺されかけた日以来だ。
――少し、緊張する。
一度深呼吸をして、インターホンを押した。
『……誰だ』
「あっ、えっと、ミツハです」
以前とは違い、すぐに反応があった。どうせ一度目は反応が無いだろうと指はボタンに添えられたままだったので、インターホンから聞こえた応答の声に少し驚いてしまった。
名前を告げると通話は切られ、すぐに扉が開いた。隈を隠すように目深に被られたフードを覗き込む。
「何か用か」
「えーっと、その、……ちょっと屋上行きません?」
言いながら、ミツハは右手に持っていたアルミ缶をソーマに差し出した。
葡萄味の缶ジュースだ。
「…………」
ラベルを見て、ぴくりと眉を寄せられた。
葡萄味の缶ジュースに、屋上。
言外に意味を含んだそれらに、ソーマは何か察したようだ。思案するようにその場に立ち竦んだ。
じろりと蒼い瞳がミツハを見やる。ミツハはその目を逸らさずに、黒い目にソーマの姿を写り込ませた。
先に目を逸らしたのは、ソーマだった。
差し出された缶ジュースを受け取り、一歩扉から出た。ミツハの横を通り過ぎ、部屋のロックをかけてエレベーターに向かって歩き出す。先を行くソーマの隣にミツハも並び、言葉は交わさずにエレベーターに乗り込んだ。
一階で上層用エレベーターに乗り換え、屋上へ昇る。エレベーターの扉が開くと、澄み切った青空に千切った綿菓子のような白い雲がすうっと泳いでいた。
三月も下旬に入り、昼間は少しずつ暖かくなってきている。春先の柔らかな日差しと吹き抜ける風が気持ち良く、任務終わりとあって思わず眠気がやってきた。
「カノンちゃんへの固定砲台発言は流石にソーマさんじゃないですよね?」
「…………シュンだ」
「ですよねー」
「あいつの誤射はどうにかなんねぇのか」
「今後のカノンちゃんに乞うご期待です!」
ミツハは明るく笑いながら、屋上の柵に肘を置く。今日は空気が澄んでいるため遠くまで景色が見えた。
そうやって眺めるミツハの隣にソーマは腰を下ろし、渡した缶ジュースのプルタブを開ける。カシュッ、と軽快な音が響いた。
「ユウから聞きました。シオと喧嘩しちゃったって」
「……喧嘩じゃねえ」
どこか不貞腐れるような声に苦笑しながらソーマを見下ろす。フードのせいでほとんど顔が見えなかった。
「シオのことをどう思うかって、前にソーマさん聞きましたよね。保留にしてた答え、出せました」
「…………」
「……同じなんだなって、思います。私も、シオも」
べこ、と缶が凹む音がした。揺れる蒼い瞳がミツハを見上げる。思わず力の籠った手とは裏腹に、その表情は諦めに近い静かな色をしていた。
置いて行かれた子供のような、そんな目だ。
「……あいつは、ただのアラガミだろうが」
「じゃあ、私はなんなんでしょうね」
「人間だろうが」
「オラクル細胞が自然発生してるのに?」
「…………」
ミツハの言葉にソーマは唇を噛み、口を噤んだ。狡い言い方だと自分でも思った。
「……少なくとも、『ただの人間』じゃないですよね。だったらシオも、『ただのアラガミ』じゃ、ないですよね」
それはソーマもわかっているはずだ。だからこそ、怖いのだ。シオがただのアラガミじゃないからこそ。
シオがただのアラガミだったのなら、迷うことなどなかった。意思疎通もできず人を捕喰しようとするのであれば、ソーマは躊躇いなく彼女の細い首を刎ねるのだろう。
しかし、シオはそうではない。言葉を発し、人間の言葉も理解している。人を喰らわない。温かな心がある。
ただのアラガミではないと強くわかっているから、できないのだ。
柵から手を離し、ソーマの隣に座る。柵に背凭れながら言葉を紡いでいく。黄昏に呑まれた屋上を思い出しながら。
「……普通じゃないって、怖いじゃないですか。自分と同じ存在が居なくて、たった独りなんですよ。それがどんなに怖くて寂しいか、私たちはよく知ってるじゃないですか。……それは、シオも同じだったんです」
ずっと独りだったと、寂しそうにシオは言った。ミツハたちを見つけて嬉しかったと、シオは言った。
膝を抱えて背中を丸める小さな白い少女は、一人の生き物だった。独りが怖いと感じる、ミツハたちとなんら変わりのない生き物だった。
独りが怖いからわかち合いたい。独りが寂しいから傍に居たい。独りでは生きられないから、寄り添いたい。そう願うのは、シオも同じなのだ。そう願ってしまうのだと、ミツハとソーマは知っている。抱きしめ合った温かな体温をよく覚えている。
それを思い出していたからだろうか。口から紡がれる言葉は、温かなミルクを注いだ紅茶のような、自分でも驚くほど優しげな声色をしていた。
「……お前は、それでいいのか。アラガミと同じで、いいのかよ」
ソーマが問う。その声は少しばかり震えていた。
「……『アラガミ』じゃなくて、『シオ』と同じだから、いいんです。……ソーマさんは本当に、シオに対して……自分を脅かす存在としか思えませんか? 一緒に話して、写真を撮ったりしたシオとの時間は、楽しくありませんでした?」
「俺は……」
言葉の続きが見つからないのか、ソーマは誤魔化すように缶ジュースを呷った。缶ジュースの飲み口を見つめ、思いあぐねている。しばらく風の音だけが屋上に響いた。
化け物は化け物だろうと、以前のように切り捨てるような言葉すらソーマは紡がない。手負いの獣は、今はその鳴りを潜めていた。
ミツハは迷子のその顔を覗き込み、手を引いてやるかのように笑いかけた。
「……その、大丈夫ですよ、ソーマさん。案外、拍子抜けするくらい簡単なことだったりするんです」
人間でも、アラガミでも、二人と居ない化け物であろうと、自分は自分だということ。そしてそれは、みんな同じだということ。
片や、アラガミ化した母親から生まれ落ち、生まれながらにしてオラクル細胞を持った人間。
――それでも、ソーマはソーマだ。
片や、突然変異でオラクル細胞が体内で自然発生し、時代を飛び越えた人間。
――それでも、ミツハはミツハだ。
そんな当たり前のことを、ずっと見落としていた。
黒い瞳に、蒼い瞳を映り込ませる。髪色や肌の色といい、ミツハとソーマはまったく違う。白に近いソーマの銀髪とは正反対にミツハの髪色は真っ黒であるし、ソーマの肌はミルクチョコレートのような褐色の色だがミツハはあまり日に焼けていない生白い色をしている。背丈の差だって、いくら男女差があるとはいえかなりあるほうだろう。
その違いすら愛おしいとでもいうように、ミツハは柔らかく笑う。
「なので一度、ちゃんと向き合ってみませんか? 向き合うことが怖いのは、よくわかります。でも……怖くても、ソーマさんはひとりじゃないんですよ」
「…………」
「ぐるぐる悩んでずっと立ち止まってるくらいなら、当たって砕けろってやつですよ」
「……砕けんのかよ」
「く、砕けたら拾っときますので……」
比喩として使った言葉にまさか突っ込まれるとは思わず、苦笑しながら親指を立てた。するとその返しが可笑しかったのか、ソーマは呆れたように肩の力を抜いた。くっ、と噛み殺す小さな笑みが口元から漏れた。
「つくづく思うが……とんだ物好きだよな、お前」
とんだ物好き。今と同じような状況で、しかし今とは違う空の下でも言われた言葉だ。
別にミツハは物好きなわけではない。困っている人が居たら助けようとする良心はあるが、ソーマだからこそ、こうして心の内に触れたいと思うのだ。
だのにその本人からそんなことを言われるのはなんとなく面白くない。ミツハは少しドキドキしながら、別の意味合いを込めた否定の言葉を告げる。
「……別に物好きってわけじゃないですよ。その、誰にでもこんなことをするほどお人好しでもないですし」
「あ? じゃあなんで俺なんかに構ってんだよ」
しかし別の意味を汲んでくれるどころか、怪訝な顔をされる始末である。
「それ聞きます!? 内緒です、内緒。それくらい自分で考えてください!」
「はぁ……?」
心底意味がわからないという顔をされ、ミツハはショックを受けた。周りからはわかりやすいだのなんだの言われるというのに、当の本人はまったく気づいていないらしい。
――でも、当たり前と言えば当たり前か……。
自分とは無縁のことだと思っているのだから。『俺なんか』に好意を向ける人が居るなど、夢にも思っていないのだろう。
「……ここに居るのに」
「何がだよ」
「な、内緒です〜」
思わず呟いた小さな独り言は、ソーマの鋭い聴覚によってしっかり拾われてしまったようだ。
追求するソーマを誤魔化すべく、ミツハはポーチからスマホを取り出した。
「それより! この前ユウたちに写真を見せながら色々元の世界の話をしたんですよ〜。昔バスケやってたって言ったら驚かれました」
「身長足りんのか」
「足りなかったので中学までで辞めました」
ストレートに返すとふっと笑われた。このまま話題を変えようと、カメラロールをスクロールさせる。画面を見せるとソーマは視線を向けてくれた。
「……本当はどう生きるはずだったんだ」
「え?」
何かソーマの興味を惹くような良い写真はないかと探していると、流れていくカメラロールを見ながらソーマはそんなことを聞いた。言葉の意図が読み取れず、ミツハはスクロールする手が止まった。
「前に言ってただろう、……約束だとか、大学だとか」
「あー……あの時の……えっ、恥ずかしすぎるから忘れてほしいんですけど」
「忘れるわけねぇだろうが」
あの時。あの夕暮れの屋上でのこと。剥き出しの感情のままに泣き叫んでしまったことを思い出すと、恥ずかしくて堪らない。
だが、ソーマがミツハの元の世界について興味を持ってくれている。
そのことがとても嬉しく、ミツハははにかみながら答えた。
「……約束は、友達としてたんです。高校を卒業したら卒業旅行しようねって。ええと……私が行方不明になって元の世界に帰ってた時。この写真の子たちと遊んで、そのときに約束してたんです」
「…………千夏、だったか?」
「えっ、私名前も言ってました? ヤバい、何を口走ってたか覚えてない……! ……ええと、はい。私の隣に居る子が千夏で、小学校の頃からの親友なんです」
一緒に遊んだあの日の写真の他にも、色んな写真を見せながらミツハは大切な友人たちをソーマに紹介する。ソーマにとっては関わることのない別の世界の人間の話だが、興味が無いとは言われず黙って聞いてくれていた。
「大学は美術系の大学で、写真とか映像を学ぶ学科に受かってました。春からは一人暮らしする予定で……あった、オープンキャンパスに行ったときの写真です。緑豊かで綺麗なキャンパスでした」
写真を見返しながら、思い出を語る。話したいことは山ほどあった。家族や友人のこと。学校のこと。何が好きで、何を思って、どんなふうに生きていたのか。くだらないと笑ってしまうような日常の話をソーマに語る。ソーマは缶ジュースを呷りながら、時折相槌を打って聞いてくれていた。
しかし、いつの間にか相槌がなくなっていく。
――しまった、一方的に話しすぎた……?
そう不安になり、スマホの画面からソーマへ視線を向ける。顔色を窺うようにソーマを盗み見ようとしたのだが、不意にミツハの肩に重みが乗った。ネイビーブルーのフードがすぐそこにあったのだ。
「そ、ソーマさんっ?」
「…………」
「……寝ちゃってます?」
問いかけるも返事は無い。ミツハが話を止めれば、寝息を立てる音だけが聞こえた。
フードから覗くその表情は隙だらけだ。常に纏っている警戒心や息が詰まる緊張感などどこにも見当たらない。大人っぽいと常々思っていたが、寝顔は案外あどけなさが残っていた。
日向ぼっこに最適な天気の下、長々と話を聞いていれば眠くなるのも当然だろう。任務終わりに連れ出している上に、閉じられた目の下には隈がある。ぐるぐるとひとりで悩んでいたせいで、あまり眠れていなかったのだろう。
――写真撮ったら怒られるかな……。
無音カメラのアプリが入っているスマホならばシャッター音で起こしてしまうということはない。しばらく悩んだ結果、欲に逆らえずミツハはカメラアプリを起動した。
前面カメラに切り替えて腕を伸ばす。多少の罪悪感を覚えながら、カメラロールにツーショット写真が追加された。
「……へへ」
画面に映る写真を確認すると、思わずにやけてしまう。にへ、と口元を緩ませながらミツハも目を閉じた。
眠気がやってきていたのはミツハも同じだ。少しぐらい良いだろうと、麗らかな春日の中で微睡んだ。