「遊びに行く」と言って「勝手にしろ」と言われたのは、正直予想外だった。
ソーマの部屋に訪ねたことは過去に二回あるが、中に入ったことはない。好きな人の部屋を訪ねるという、嬉し恥ずかしのドキドキイベントにミツハの胸が高鳴った。
特に何かが起きるわけではないとは理解しつつも、ミツハはシャワーの後のボディケアを念入りにした。商業区画の店で見つけたお高いボディクリームを武装し、良い匂いを身に纏う。この世界に来て史上、最高のコンディションだった。
そんなコンディションで夜更けにベテラン区画を訪ね、緊張しながらソーマの部屋のインターホンを押す。応答は無かったが、すぐに扉が開かれてフードを脱いだソーマに迎えられた。
「早く入れ」
「お、お邪魔します」
中にシオが居るため、あまり扉を開けていたくないのだろう。急かすように招き入れられ、ミツハはソーマの部屋に足を踏み入れた。
中に居たシオはソーマの部屋を物色していたのだが、ミツハの姿を見るなりパッと表情を綻ばせた。可愛らしい表情をしているのだが、その右手にはいたいけな少女にはとても似つかわしくない――拳銃が握られていた。ぎょっとしたようにソーマが目を剥く。
「馬鹿野郎! 勝手に物を取んなっつっただろうが!」
「シオこれしってるぞ! バガラリーだ!」
「コウタの野郎……」
どうやらコウタからバガラリーというアニメを見せられていたらしい。きゃっきゃとはしゃぐシオから拳銃を取り上げ、深い溜息を吐くソーマにミツハはくすくすと笑った。
「……何笑ってんだよ」
「仲良いなぁと思って」
「…………」
「照れ隠しで銃を向けるのは流石にどうかと思いますよ!?」
「照れてねぇ」
拳銃のグリップ部分で頭を軽く叩かれた。ふん、とそっぽ向いて拳銃を棚に戻すソーマを見ながら、ソファに座るシオの隣に腰を下ろす。
オモチャを取り上げられたがしょげた様子はどこにもなく、既に別の物にシオの興味は移っていたようだ。ソファの後ろの棚に置かれてあるコンポを見ながら、シオは琥珀色の目は輝かせている。「シオこれしってるぞ!」とコンポを指差し、得意気な顔をしてソファの上で飛び跳ねた。隣に座るミツハも揺れる。
「これジュウバコだな!」
「……そりゃコンポだ」
「こんぽ?」
「音楽を聴く機械だよ〜」
的外れな名称を告げたシオにソーマが何度目かの溜息を吐いた。二人のやりとりに和みながらミツハが説明すると、ソーマが実際にプレイボタンを押してやる。
すると、コンポの両脇とベッドの枕元にあるスピーカーから、ミツハの耳に馴染みのある曲が流れ出した。
――これ、ソーマさんにあげたCDだ。
鎮魂の廃寺への任務に付き合ってくれた礼にと、スマホに入っているロックバンドのアルバムをCDに焼いてソーマにプレゼントしたのだ。ちゃんと聴いてくれているのだと、心の底がむずむずと小躍りした。
「な、何喰いやがった! 出せコラ!」
口元を緩ませていると、ソーマが驚きの声を上げてシオへ詰め寄る。何事かと隣を見やれば、シオの口が皿でも含んだように左右に突っ張っていた。
ソーマがシオの口を開かせると、銀色の円盤――CDがちらりと見えた。これにはソーマも血相を変え、慌ててシオの口からCDを引っ張り出す。
「お前、貴重なCDを! これは喰うもんじゃねぇ、聴くもんだ!」
「うまくなかった!」
「なら喰うんじゃねぇよ……!」
――凄い、ソーマさんがたじたじだ……!
あのソーマがすっかりシオのペースに呑まれてしまっている。茶番のようなやりとりにソーマには悪いが笑ってしまう。珍しいものを見れた。
救出されたCDはアラガミだからか唾液などはついていなかったが、歯で擦ったような引っ掻き傷が小さくついていた。
「ったく、油断も隙もねぇな……」
「傷ついちゃってますね〜。聴けるんでしょうか、これ」
ソーマは一度曲を止め、元々入っていたCDと入れ替えて再生させる。透き通った女性シンガーの歌声がスピーカーから流れ、鼓膜をくすぐった。どうやらCDは無事なようだ。
ほっとするソーマの横で、ミツハはその曲を聴き入る。物悲しい旋律だが、強い芯の通った歌声が印象的だった。
「そーま、これなに?」
シオがスピーカーに耳を寄せ、首を傾げた。
「歌だ。人間は言葉をリズムやメロディに乗せて、気持ちを伝えたり表現したりする」
「うた……うたか」
聴き入るようにうっとりとシオが目を閉じる。「この歌、気に入った?」そうミツハが尋ねると、シオは「うん!」と元気良く頷いた。
「うたも、いいな。しゃしんもうたも、シオにいろんなこと、おしえてくれるな」
ふふふ、と子供のように無邪気にシオが笑う。スピーカーから流れるリズムを鼻歌でシオが真似して、少々歪んだハーモニーがソーマの部屋に響いた。シオのたどたどしい歌に耳を傾けながら、微笑ましくなってミツハも頬を緩めた。
「良い曲ですね、これ」
「なんだ、知らねぇのか。確か2009年のリリース曲だったぞ」
「音楽もいっぱいあったので、気に入ってるアーティストの曲くらいしか把握してませんよ〜。友達の影響で男性ロックバンドばっかり聴いてたので、女性シンガーはあんまり知らないんですよ」
「ろっく? さっきのが、みつはのすきなうたか?」
先ほど取り出したCDにシオが手を伸ばす。しかしシオの手が届く前に、ソーマが避難させるようにCDを取り上げた。
「おい馬鹿、触んじゃねぇ」
「えー! そーまのけちー!」
「壊されたら堪ったもんじゃねぇからな……」
CDを棚にしまいながらソーマが呟く。先ほどソーマが言ったように、この時代では音楽というのもだいぶ廃れてしまい、CDの入手も厳しく貴重品だ。2009年の曲ならばアーカイブにも残っていないだろう。
だが今しがたソーマが取り上げたCDの音源はミツハのスマホに入っているものだ。今再生されている曲と違って壊されてもスマホで聴けるので、そこまで痛手ではない。
「壊れたらまた焼いてくるので、そんなに気にしなくても……」
「そういう問題じゃねぇ」
「えー、でも……あ、焼くCDも物資不足だと貴重か……」
「…………」
合点がいったが、ソーマには何故か溜息を吐かれてしまった。首を傾げていると、シオがソファから飛び降りてベッドへ向かった。
ソーマのベッドの上は銃や刀剣などで塞がっており、シオはそれを邪魔だと言わんばかりに床に落としてベッドの上で跳ねる。傷んでいるのか飛び跳ねる度に軋んだ音が響いた。
「シオのベッドのほうがもっとはねるぞ!」
そんな文句を言いながら、枕元にあるスピーカーに近寄る。離れた場所にあるスピーカーからも同じ音が流れ出すのが気になったようだ。
床に散らかされた武器類を見ながら、ソーマが面倒くさそうに頭を抱えた。
「……そもそも、なんでこんなに武器集めてるんです? 壁には撃った痕もあるし、ちょっとビックリするんですけど……」
荒れた部屋を見渡しながら、ミツハが口元を引き攣らせる。
アナグラにある個室の壁には大画面のモニターが埋め込まれており、窓が無い代わりにモニターに風景を映し出したりしているのだが、ソーマの部屋の場合は何故か人型のターゲットが設置されている。
ミツハの問いに、ソーマは意地悪でもするかのように僅かに口元をにやりとさせた。
「用意に越したことはねぇだろ」
「なんの用意ですか、なんの」
本気なのか冗談なのかわかりづらい。というかアナグラの訓練場には対人用の射撃場もあるため、洒落になっていない。
苦笑しか返せなかったが、ソーマは「さあな」とからかうように少しだけ笑う。その顔は普段より子供っぽく見えた。
自室とあって気が抜けているのだろうか、今のソーマは随分と雰囲気が緩んでいる。昼下がりの屋上で盗み見た寝顔を思い出した。
「きょうはしゃしんないのかー?」
「しゃっ、しゃしん!?」
無邪気なシオの言葉に、ミツハの心臓がどきりと跳ねた。やましいことがある証拠だ。
不自然に動揺したミツハにソーマは怪訝な顔を見せた。その顔から逃れるようにしてミツハはソファから腰を上げてシオのもとへ向かう。隠し撮りをしたことを本人にバレるのは避けたかった。
「スマホなら持ってきてるよ」
「すまほ! いっしょにしゃしんとれるな!」
前面カメラがついているスマホのほうがカメラよりもツーショット写真が撮りやすいため、シオはスマホのほうがお気に入りのようだった。
ベッドに腰掛けてカメラアプリを起動すると、シオが楽しそうにミツハに顔を近づける。花の咲くような満開の笑みを浮かべ、それにつられてミツハも笑った。
「撮るよー」
「ちーず!」
「それじゃ口尖っちゃうよ〜」
以前ミツハが写真を撮る際に口にした言葉をシオが真似する。スマホの画面には口を尖らせながら笑うシオとミツハの姿が映り、それを見返して二人で笑った。
シオの興味がソーマの部屋からスマホに向けられ、無暗に物を漁られる心配が無くなって安心したのか、ソーマは読書をし始めた。何やら難しそうな分厚い本だ。なんの本なのか気になりじっと見ていると、ばちりと視線が合った。
「……なんだよ」
「なんの本かな〜って」
「気圧もわからねぇヤツには理解できねぇ内容だと思うが、知りたいか?」
「……い、いじわる」
「お前はシオの面倒見とけ」
面倒事を押し付けるように視線で追い払われる。「遊びに行く」と言って「勝手にしろ」と言われたのは予想外だったが、こうしてシオの相手をミツハに任せて自分の時間を確保するためだと思えば納得がいく。ドキドキイベントだと思ったのはミツハだけだ。
――楽しいから全然良いんだけど。
まさかこうしてソーマの部屋で穏やかな時間が過ごせるとは思いもしなかった。ベッドに寝転んでカメラロールを遡るシオの頭を撫でながら、「これなんだ?」と問いかけるシオの疑問に答えてやる。スイーツや柴犬の抱き枕の写真を見ては目を輝かせていた。
しばらくするとシオの問いかけが少なくなってくる。おや、と見下ろしてみれば、琥珀色の瞳は今にも瞼で隠れてしまいそうだった。
「眠くなっちゃった?」
「んんー……」
力の無い生返事が返ってきた。愚図るようにシーツに頭を擦りつけていたが、次第にその動きも止まって寝息を立て始める。
ベッドに放り出されたスマホを手に取り、時間を確認すると23時近くになっていた。もう随分と遅い時間になっていたようだ。
「眠ったか」
「ぐっすりです」
本を読んでいたソーマが顔を上げる。ソファから腰を上げ、スヤスヤと眠るシオの寝顔を見下ろした。
「ったく、オッサンも面倒なことを押し付けやがって」
「まぁ支部長が来ちゃうんじゃ仕方ないですし……」
苦笑しながら返すが、馬鹿らしいことに自分の言葉に気分が沈んだ。
――支部長。ヨハネスの顔が浮かび、ミツハは重い溜息を吐いた。
「……帰って、来ちゃうんですねぇ……」
「……そりゃいつかは帰ってくるだろ」
「そうですけど」
それでもなぁ、とシーツを握った。あの事件がきっかけで色んなことが吹っ切れたとは言え、恐怖心はついて回る。
「何かあったら言え」
「……はい」
だが、握っていた手は簡単に解けた。ひとりで背負い込んでいた以前とは違うのだ。ソーマの存在が心強かった。
少々むず痒くなり、首元を擦りながらはにかんだ笑みを浮かべる。
「え、っと。じゃあそろそろ帰りますね」
「遅くまで悪かったな」
「私が来たくて来たんですから、気にしないでください」
そう言いながらミツハはベッドから腰を上げるが、引っ掛かるように途中で腰が止まってしまう。ミツハのルームウェアの裾をシオがぎゅっと握りながら眠っているのだ。
子供のようで可愛いなとは思うものの、放してくれないと部屋に戻れない。苦笑しながら小さな指を一本一本解くように裾から放していく。
――の、だが。
「いぬー!」
「えっ、わっ、シオ!?」
力強く引っ張られ、バランスを崩した身体がベッドに倒れ込む。ぎしっ、と軋んだスプリング音を立ててシーツに沈むと、まるで抱き枕だと言わんばかりにシオが腕に絡まりついた。起きている様子はなく、写真で見たばかりの柴犬の抱き枕を夢に見ているのかもしれない。
抜け出せないかと身じろぎをしてみるが、流石アラガミとあってか力が強くて叶いそうになかった。
「……どうしましょう」
「…………」
助けをソーマに求める。ベッドに寝転ぶミツハとシオを見下ろし、ソーマは顔を手で覆って深い溜息を吐いた。
「抜け出せそうにねぇか」
「ちょっと無理そうです」
短い会話を交わし、ソーマはもう一度溜息を吐く。今日だけで何度溜息を吐いているのか気になるくらいだった。
「……そのまま寝とけ。起こして騒がられるのも面倒だ」
「……お、お泊まりだ」
「変な言い方すんな」
そっぽ向くようにソーマは背を向け、ソファの背凭れに掛けられていた毛布を掴む。毛布を貸してくれるのだろう。
しかしミツハの腕を抱き枕にしているシオは、服の繊維が気にならないと言って逃げだしたばかりだ。毛布の肌触りははたして大丈夫なのだろうか。
「シオって寝る時、毛布使ってましたっけ?」
「……掛けても蹴っ飛ばしてたな」
「ダメじゃないですか……」
またちくちくすると嫌がって逃げ出されたら一大事だ。「世話の焼けるヤツだ」と呆れたようにソーマが愚痴を零すが、言葉の割に優しい声色をしていた。
「毛布はソーマさんが使ってください。別に一晩無いくらいで風邪引きませんし」
「だとしてもお前はなんか羽織っとけ」
そう言い、ソーマはばさりとダスキーモッズをミツハに掛けてやる。ショートパンツから露出した肌が隠れ、「あ」と思わず間の抜けた声が漏れた。確かに生足を曝け出したままソーマの居る部屋で眠るのは恥ずかしく、羞恥で頬が赤くなった。
「ありがたく使わせてもらいます……」
「じゃあさっさと寝ろ」
「はーい、おやすみなさい」
にへらと笑って就寝の挨拶を告げる。ふん、とソーマはそっぽ向いて照明を落とし、ソファに横になった。
静かになった部屋では、自分の心音がうるさいくらい身体の内側で響いた。それでも嬉しいドキドキハプニングにミツハはふにゃりと口元が緩み、小さく身じろぎしてシオを向き合う形を取る。
はたして安眠できるのか不安が強かったが、不思議と眠気はすぐやってきた。
――ソーマさんの匂い、落ち着くんだよなぁ。
ぼんやりとそんなことを思いながら、ミツハはゆっくりと目を閉じた。
◇
「……眠れねぇ」
寝静まった真夜中。
普段なら無音であるはずの自室に響く、二人ぶんの寝息。シーツが立てる衣擦れの音。出来の良い耳は物珍しい音を拾うように鼓膜を擽り、意識すると妙に目が冴えてしまう。
気にもせずに眠るミツハが少し恨めしく思えてしまい、嘆くようにソーマは独り言ちた。