4月3日
「…………」
研究室のソファに横たわり、ミツハはぼんやりと天井を見上げる。
ディアウス・ピターの討伐に出撃した第一部隊を見送ってからというものの、どうも落ち着かず検査という名目で研究室で暇を潰していた。シオはお昼寝しているようで自室から出てこない。残念だなと思いつつ起こすのも悪いので、サカキの言葉を話半分に聞く。昨日に比べて適合率やオラクル活性も上昇し、予測どおり明日になれば通常値に戻るだろうとサカキは言っていた。
「タイミングが悪かったねぇ。いや、良かったと言うべきかな」
ソファの横にあるテーブルに湯呑を置きながら、サカキが狐のように笑う。相変わらずこちらの出方を窺うような物言いに、ミツハは口を尖らせて起き上がった。
「博士のそういう言い方嫌いでーす」
「おや、じゃあこれから気を付けなければ」
「……でも、良かったっていう気持ちのほうが強いです。私の実力じゃ足手纏いになっちゃうだろうし……何よりピターの討伐は、第一部隊のみんなにしてもらいたいっていうか……」
「ミツハ君だって第一部隊じゃないか」
「リンドウさんがリーダーだった時、私は防衛班だったですし」
――戻れるなら、防衛班に戻りたいですし。
そう内心で呟いた言葉が声にならないよう、サカキが出した茶を一口飲む。渋みが強い緑茶で思わず顔を顰め、サカキがそれに小さく笑った。
「そうそう。リッカ君から聞いたよ、一昨日の防衛任務に同行したって。そして昨日はこっそり訓練していたらしいじゃないか」
「えっ、訓練のことはリッカちゃん知らないはずじゃ……」
「神機を預けに来たソーマと鉢合わせしたらしくてね。怒ってたよ、リッカ君。『適合率が下がってるのに無理に扱うなんて!』ってね」
「うっ……ちょっとくらいなら大丈夫かなって思っちゃって……捕喰されるほど下がってないですし……」
「それで、神機を扱ってみてどうだったかい?」
茶を飲みながらサカキが問う。無理をしたミツハを咎めているというより、研究者としてミツハの珍しいケースに興味があるようだった。
相変わらずだなぁ、と思いながらミツハは昨日の状態を振り返る。
「神機が全然言うこと聞かなかったです! ブラストなんかはオラクルが尽きるまで撃ち続けちゃうし。それと……身体の内側が気持ち悪かったです。同じ極の磁石を近づけたら反発が起きるじゃないですか。あれが身体の内側で起こってるような……血が逆流して細胞が逆立ってる感じで……」
「拒絶反応だねぇ。倒れなくて良かったよ」
「あはは……」
実際倒れてしまったので、ミツハは誤魔化す笑顔が引き攣った。
「適合率が下がっている間はゆっくり休むように。それに越したことはないね」
「……ええー」
「おやおや、ミツハ君は随分と仕事熱心なんだね」
不満の声を漏らしたミツハにサカキが可笑しそうに笑う。「だってぇ」とミツハは口を尖らせた。
「前にも言いましたけど、アラガミと戦っているほうが気が紛れますし……。なにより、休日ってわけでもないのに休んでいるのが、周りに申し訳なくて……!」
「日本人って感じだねぇ」
「博士だって日本人なんじゃないんですか?」
「失礼。流石60年前の日本人だ、と訂正させてもらおう」
「なんですか、それ」
サカキの言い方にミツハはくすくすと笑う。話をしているうちに、沈んでいた気分もだいぶ浮上してきた。
よし、とミツハはパチンと自分の両頬を叩き、ソファから腰を上げた。
「そろそろ帰りますね。お邪魔しました」
時計を見れば、星が浮かぶ時刻だった。帰る前にシオの部屋を覗いてみたが、寝息を立てていたのでそっと扉を閉じた。
研究室を出てエレベーターに乗り込む。自室がある新人区画のフロアに出た。
「あっ――」
自室に向かう途中、見覚えのある後ろ姿を見つけた。
オレンジ掛かった茶色の髪に成長途中の小柄な少年――コウタだ。
シャワーを浴びた後なのか、ハネっ気の強い髪はしっとりと落ち着いていた。
「コウタ、帰って来てたんだね!」
「おう、体調はもう平気かー?」
「うん、明日には復帰できるよ。ていうかコウタこそ、平気そうで良かった……」
小さな怪我はあちこちにあるが、目立った大怪我は見当たらない。無事に帰って来たことに安堵すると、コウタは曖昧に笑った。
普段の明朗としたコウタらしくない、陰のある笑みだった。
「……リンドウさんの腕輪、見つかったよ」
重苦しく、コウタはそう告げた。
討伐したディアウス・ピターからリンドウの腕輪が発見された。
――それはつまり、リンドウの戦死が確定したのだ。
「そっか……。……見つかって良かった、って言うのは、なんか、違う気がするね……」
言葉に詰まり、ミツハもまた曖昧に返した。腕輪が見つからなければ、一抹の希望をまだ持てた。もしかしたらどこかで生きているのではないか、と。
しかしその希望すら打ち砕かれた。KIAの文字が頭に過ぎり、ソーマの顔が浮かんだ。
「ミツハ」
名前を呼ばれ、俯いていた顔を上げる。「あー、なんつーか、」と言葉を迷うように少々難しい顔をしていたが、やがて吹っ切れた笑みを浮かべた。白い歯を見せ、ニッと笑う。
「あいつのこと、頼んだ!」
そう言い、拳を突き出される。一瞬豆鉄砲でも食ったような顔をしたミツハだが、すぐに力強く頷いた。『あいつ』というのが誰であるかなんて、愚問だろう。
「うん、頼まれた!」
突き出された拳に、コツンと拳をぶつけた。
彼のことが心配なのは何もミツハだけではない。仲間想いのコウタが、ソーマを心配しないはずがないのだ。
◇
ぴゅうぴゅうと乾いた風が音を立てる。春先といえど、夜はまだまだ寒い。それに極東支部の屋上は地上300メートルもあるのだ。風の冷たさを紛らわすべく、熱を持ったスチール缶をカイロ代わりに手のひらで転がした。
――やっぱり、居た。
屋上の柵に肘をつき、ぼんやりと外部居住区を見下ろす男。自分よりもずっと大きいはずの背中が、ひどく小さく見える。いつか見た訓練場での記憶と重なった。
ゆっくり近づくと気配に気づいたのか、ソーマは鈍い動きでこちらを振り向く。驚きは無い。ソーマらしからぬ緩慢な動きは、ミツハだとわかっていたような素振りだった。
ただ、少し居心地が悪そうに顔を背けられる。
「……お前、なんでこういう時に毎回来やがるんだよ」
「居るかなって思って。……ダメでした?」
「……勝手にしろ」
「じゃあ勝手にします」
にへらと笑い、ソーマのもとへ歩み寄る。フードで隠れがちな顔を覗き込みながら、いつぞやのように右手に持った缶を差し出す。あの時とは違い、缶は熱を持ったスチール缶だ。
「身体、冷えちゃいますよ」
「……甘いのは好きじゃねえ」
「そこは、ほら。私チョイスなので。疲れた時には甘いものですよ」
そう言ってミツハが笑えばソーマは溜息を吐き、包帯の巻かれた右手でそれを受け取った。
自販機で売っている缶タイプのホットミルクティーだ。「あったかいでしょう」何故か自慢げにミツハが言う。呆れた様子で「そりゃあな」とソーマが返した。
そんな短いやりとりをしながら、ミツハは腰を下ろして柵に凭れ掛かる。何を言うわけでもなく、同じようにソーマも腰を下ろした。やはり甘いものは飲む気になれないのか、プルタブを開けずにミルクティーをただ手のひらの上で転がしている。
「ソーマさん」
「なんだ」
「おかえりなさい」
「……ああ」
相槌の声は少し、掠れていた。その声色に、ミツハの胸はきゅうと締め付けられる。
本当は今、ひとりになりたい気分なのかもしれない。リンドウはソーマの初陣からの付き合いだ。ソーマにとって一番長く戦場を共にした、きっと兄のような存在。そんな男の死が確定してしまったのだ。ひとり、ひっそりと悼みたいのかもしれない。
だとしても。――だとしても、だ。
「ソーマ、さんっ!」
「な――っ、おい、何しやがる!」
「き、昨日のお返しですっ」
ソーマの腕を強引に引っ張ると、案外簡単に頭は曲線を描いた。太腿をさらりと撫ぜた髪がくすぐったかったが、普段見上げてばかりの顔が真下にあるというのは新鮮だ。
「これ、するほうはそんなにですけど、されるほうはめちゃくちゃ恥ずかしいですよね。私も昨日めちゃくちゃ恥ずかしかったですもん」
「…………」
「そんなに睨まないでくださいよ〜」
ソーマの鋭い視線から逃げるように、苦笑しながら夜空を見上げた。ぴゅうっと冷たい風が頬を撫でる。熱くなった頬には気持ち良かった。
――いや、するほうもめちゃくちゃ恥ずかしいけど!
見栄を張って大人ぶってみたものの、心臓はばくばくと音を鳴らす。平然としていた昨日のソーマも、内心ではだいぶ恥ずかしかったのかもしれない。
そんなふうに思いながら、彼の頭をフード越しに撫でる。
「誰も来ませんよ」
満天の星空の下、風の音とミツハの声だけが響く。
ここにはソーマとミツハしか居ない。
「だからちょっと、休んじゃいましょうよ」
そう言って、柔らかくソーマを見下ろす。彼の右手に持っていたミルクティーを取り、頬に当てる。じんわりと、ぬるくなった熱が冷えた肌を温めた。鋭い視線は鳴りを潜め、夜空を見上げていた。
ソーマは起き上がろうとはしなかった。押しに弱い。そう教えてくれたのはリンドウだ。
一緒に居てやってほしい。そう、リンドウから言われた。
だからミツハはあの日、訓練場の扉を開けたのだ。
だからミツハは今日、ここに来たのだ。
「……体調は」
「もう平気です。適合率も上がってますし、明日から出撃できますよ」
「そうか」
「足手纏いにならないように頑張りますね」
「訓練、してねぇだろうな」
「してませんよ。大人しく待ってましたよ」
「そうか」
「約束、しましたからね」
「……そうだな」
ぽつりぽつりと会話を交わす。手の中にあるミルクティーは次第に冷えていき、ただの無機質なスチール缶になっていく。
そうなったら、今度は手のひらでソーマの頬を包む。指先で彼の輪郭をなぞった。
「……物好きなヤツ」
奇妙な顔をしながらソーマが言う。ミツハは苦笑しか返せなかった。
「お前も、エリックも、……リンドウも」
名を紡ぐ音は、少し震えていた。吹き続ける冷たい風のせい、だけではない。
「とんだ物好きなヤツだったな」
思い出すように遠い目をして、蒼い瞳に星空を映す。ミツハも同じように空を見上げた。ソーマが今どんな表情をしているのかなんて、見なくてもわかる。
「……物好きなんかじゃ、ないですよ、私。それに、エリックさんとリンドウさんも、きっと」
自分なんかが彼らのことを語っていいのか、わからない。烏滸がましいような気もする。
「物好きじゃなくて……ソーマさんが、好きだからですよ」
それでも、きっとそうだろうという自信があった。だからミツハは話し続ける。
「私はエリックさんと話したこともないので、よくわかりません。でも、リンドウさんならわかりますよ。だって、ソーマさんの話をする時のリンドウさん、お兄ちゃんみたいでしたもん」
リンドウはソーマのことをよく気にかけていた。ソーマを気にかけるミツハに、リンドウはソーマのことを話してくれた。一緒に居てやってほしい。その言葉に頷けば、リンドウは嬉しそうに笑っていた。兄のようだと、思ったのだ。
「……あいつは」
「はい」
わずかに震えているのは相変わらずだ。だが、穏やかな声色をしている。その穏やかな声はいつだって、ミツハの心を揺さぶった。
「初めて会った時からずっと、飄々とした奴だった」
「変わらないんですね」
「デカくてムカつきもしたな」
「ああ、確かその頃のソーマさんって小さかったんでしたっけ」
「……誰に聞いた」
「博士から」
「あの野郎……」
恨めしそうな声にくすくすと笑う。ソーマもふっと溜息を吐くように薄く笑った。
「あと5センチ、結局届かずじまいだった」
「…………」
見上げていた視線を下ろし、ソーマを見やる。蒼い瞳には相変わらず星空が映っている。手の届かない遠い光の粒をソーマはずっと眺めていた。
声をかけようと口を開いて、閉じる。口元に緩い弧を浮かばせ、彼の額に手を当てる。さらりと揺れる白銀の綺麗な髪を、優しく撫ぜた。
――昨日の、お返し。
――お返しに、なればいいな。
そんなことを思いながら。そんなことを祈りながら。
ふたり、彼の死を悼んだ。