どこまでも続く緑豊かな草原地帯だった筈の土地は、生命の枯れた砂漠になっていた。
碌に光のささない洞窟に三日も居たせいか、卒倒しそうなほどの暑さでおかしくなったのか、今見えている光景が幻にしかみえない――が、どうしようもない現実だ。
「砂漠……? 本当に……?」
「ルナ、受け入れろ。目の前のこれが現実だ」
ここに俺以上に衝撃を受けている奴がいるから、なんとか平静を保って居られている。
ルナは何度も砂を掬っては散らして確かめている。
「……砂、本物ですね。……本当に? だって、おかしいです! ここは草原地帯のはずで……」
「そうね。魔王様が生きていた時代はそうだったんでしょう? あなたが教えてくれたから覚えちゃった」
その様子を覗き込みながらカルメが告げる。
「でも、これも知ってるでしょう? 資源の酷使と環境の変化で、人類史末期には砂漠化が進んでいたって」
「それはっ、そうですが……でもそんなのは修復者が直して――って、そうです! 修復者はどうしたのですか?」
救いを求めるかのように叫ぶルナだが、その声は空しく砂漠へと響いて消えていく。
それを嘲笑うかのようにカルメは満面の笑みでその肩を叩く。
「まーまーまー、見ればわかるから、ね?」
こいつそればっかりだな……。
先の『帰ってきた』発言に加え、そもそもリヴラを旅立った目的は武者修行だ。
「カルメさんって、ひょっとして……」
「……戦闘狂ってやつだろうな」
そしてこの場所は、カルメ曰く魔獣だらけの土地となっている。
あまり説明をしてこなかったのも、文字通り『さっさと戻って戦いたかったから』なのだろうか。
そう考えるとかなり性質が悪いが……。
当のカルメは失礼な、と頬を膨らませて首を振る。
「戦闘狂とは心外だわ。ルナの目的の場所はこの先にあるのでしょう? そしてわたしはここで戦う理由があるのです。ならば、やることは一つ――この魔獣だらけの土地を斬って、斬って、斬って、駆け抜けるのです! それだけの力があなた達にはある。わたしはあの教会でそれを知りました」
「……ほう。つまり、俺たちならこの大陸で勝てると?」
そしてだからここに案内しと、そう言うのかこの女は。
「ええ、ええ! その通りです。ああ……いちいちどんな魔獣がいるかなんて聞かないでくださいね? 見ればわかる――何度もそう言っているでしょう?」
「……はあ」
改めて聞いても何をしたいのか全くわからない。
わからないが……他に選択肢はなさそうだ。
「行くしかないってことだな。ならば、どこへ行く?」
「この先にわたしが拠点に使っていた場所があります。先ずはそこまで行きましょう? 船で来られる方も、目印が必要でしょうから」
「……そう、そうですね。拠点は確かに必要です。……わかりました、行きましょう!」
笑顔で歩き出すカルメに、復活したルナも慌ててその後に続いていった。
残された俺たちは、その背を呆然と見つめる。
「騒がしくなりそうだ……。行くぞ、エリ」
「あ、はい。……砂漠化、か……」
「そうらしい。暑さに気を付けないとな」
「……そうですね」
その返答は重く、やけに暗い表情は以前森の探索中に見せた時のものに似ていた気がした。
どうやら一物を抱えているのはカルメだけではないらしい。
……この地方も、一筋縄ではいかないようだ。
早くも熱のこもったため息を吐き出して、二人並んでカルメの後を追いだした。
***
「ふふふーん」
呑気な鼻歌を奏でながらカルメは砂漠を進んでいく。
黄色がかった白砂が広がる景色は僅かに覗く岩場こそ見えるが、殆どは砂の起伏に隠れて遠くを見渡すことはできない。
少しでも道を違えば永遠に彷徨うだろう砂の迷宮だが、その中をカルメは悠々と進んでいく。
ルナもそうだが、彼女たちは頭に地図が叩き込まれているようで道に迷うことがない。
今もスキップするように進んでいるが、彼女の中では正確に進んでいるのだろう。
「索敵は……するだけ無駄か」
この広い砂漠では下手に蛇を放っても大した成果は得られないだろう。戻ってきた蛇が熱くなるのも嫌だしな。
むしろこの砂地に足を取られるのが厄介だ。
蛇を足裏に展開して足場にしてみる。……よし、歩きやすくなった。
軽くなった足取りでカルメの隣へと進み出る。
「カルメ」
「あら魔王様! どうしました? 拠点はまだ先ですよ?」
「幾つか聞いておきたいことがあってな。歩きながらなら構わないだろ?」
「……ふふ、魔王様は知りたがりですね。いいですよ。何が知りたいんですか?」
妖艶な笑みを浮かべながら、カルメは頷いた。
それを聞いて慌ててルナも近くまで寄ってきたが、足を取られて転びそうになっている。
蛇を伸ばして引き寄せてから、そのまま話を続ける。
「そうだな、先ずはお前がどれくらいこの大陸にいたのか、だな。リヴラから離れた後、ずっとこの大陸にいたのか?」
「んー。時間で言うと10年くらいかしら? リヴラを離れてしばらく彷徨って、辿り着いたのがここからもう少し北にある山裾だったの。あの時は砂漠が広がっていてびっくりしたわ」
「10年……ずっとここに?」
「ええ! 過ぎてみればあっという間だったわ」
「……」
唖然としているこちらを無視して、カルメは陽気に話し続ける。
「最初は直ぐに戻ろうと思ったの。だって砂漠ってなにもないじゃない? だけど、ちょっと歩いて直ぐにここが魔獣だらけの場所だって気づいたの。そして、その魔獣がとっても強いってことも」
手にしていた薙刀を愛おしそうに胸で抱きしめる。
「わたしは戦うためにリヴラを出た。そんなわたしにとって、ここは最高の修行の場所だったのよ」
「最高、ね……」
この荒廃した大地を見てそう言えるのは、こいつだけだろう。
「色々歩いてみるとね、結構建物とか都市も残っていたんだけど、その殆どが魔獣の巣なの。……あ、これから行く拠点にはいないから安心してね」
「都市が残ってるんですね! では人類史も……」
「あると思うわ。わたしはあまり集められてないけど、探せば資源も結構あるのよ?」
「そうですか、それは良かった……」
「後で色々と案内するから、そこは任せてね?」
ルナが安堵の息を漏らす。
砂漠を放浪するのは避けたかったから、一先ず休める場所がありそうで良かった。
まともな補給もせずマナホールへと向かうのは無謀だからな。
「それで、修行とは?」
「んーっと、大したことはしてないの。ただ、戦っただけね」
乾いた風に赤い髪を靡かせて、カルメがはにかむ。
「戦って、拠点で休息しての繰り返し。幸いわたしは他の
そこで仕方ないから戻るか――と東に向かっていたら、さっきの地下通路を見つけたという経緯らしい。
「その後はみんなも知っての通りよ」
「確か、あの木に捕らわれていたんだよね」
「そうよー! 多分五年は寝てたんじゃないかしら。時間の無駄よね、ほんと」
ぷりぷりと怒ってはいるが、出てくる時間の単位が全くもって可愛くない。
「でも、こうして戻ってこられた! ルナのお陰で武器も直ったから、もう完璧!」
「それはなによりです。……しかし、見事に砂漠化していますね……」
見渡す限り砂、砂、砂。
遠くに岩山こそ見えるが、眼前には文句のつけようのない砂漠が広がっている。
「こっち側――南東側は特にひどいわ。都市跡も何もないの。だから魔獣も少なめなんだけど……また来たわね」
会話の途中でカルメが薙刀を構える。
直後地響きが起き、視界の奥から砂煙が上がってくるのが見えた。
「あら、あの魔獣は――丁度いいかもしれないわね」
「魔獣がどうかしたんですか? カルメ」
「見ればわかるって、さっき言ったでしょう? その答えが来たのよ」
「え……?」
一体何が、と問う前には砂煙はもうそこまで迫っていた。
仕方なく蛇を引き抜いて構えるのと、魔獣が現れるのは同時であった。
そしてその瞬間、カルメ以外の全員が言葉を失った。
「……なんですか、あの魔獣は」
そこにいたのは、凡そ生物と呼べるものではなかった。
巨大な針山が動いているような棘だらけの
その姿は禍々しいの一言で、中心に埋まった顔すら円錐のように尖って前に突き出されている。
腕や足、尻尾もその隙間から生えてきてはいるが、どれも鱗や棘で覆われている。
そしてその針も体表も、全てが黒と紫のまだら模様に
「針鼠……?」
「あれが? ……本当に?」
「というか生物か? あれは……」
針から垂れるドス黒い液体は奴自身の身体にも垂れ落ち、煙を上げている。
強すぎる毒に自ら焼かれるその姿は異常の一言だ。
『――――!!』
こちらへ襲いかかろうと地面を掻くように進む腕は見えている前面だけで
恐らくは八本足なのだろうが、その腕は全く別の生物の腕が生えているかのように色も形もバラバラであった。
そしてそれらの部位が接続された胴体は――甲殻に覆われた虫の様な姿をしていた。
「針鼠、いや虫か? それとも……」
「どれでもないわ、魔王様」
困惑の声をカルメがばっさりと切り捨てる。
いつの間にか青く励起させた薙刀を振るって。
「あれがこの地方に住む魔獣の一種よ。でも、あれは初めて見るかも。よっぽど食い合わせが悪かったのかしら」
「食い……? 待て、10年もいて知らない魔獣がいるのか?」
「もちろん! というより、ここでは魔獣の『種族』なんてものはないのよ」
「……うん? 何を――」
問いを言い切るよりも先に、魔獣が眼前へと到達した。
咆哮とも言えない奇妙な金切り音を上げて、その魔獣は巨大な口を開いた。
肉を噛み千切るための鈍く尖った乱杭歯が覗くその口腔からは、体表に滲むものと同じドス黒い液体が迸る。
ガチンと閉じられたその噛みつきをルナを抱えて飛び退って避けた。
追撃はない。思ったより緩慢な動きに安堵していると、カルメの声が響く。
「見ての通り、あれは毒よ。ルナはいいとして……お二人は平気?」
「私は平気。毒の類は効きません」
「体内に入らなければ問題ない」
「そう。安心して、腐食毒ではないみたいですから。――じゃ、行くわよ」
待ちきれないと言うように笑みを浮かべて、カルメはその大きく開かれた口へと飛び込んだ。
手にした薙刀が青く輝く。
飛び込んだ勢いをそのままに、薙刀を口へと一気に振り下ろした。
開かれた口にぴったりと咥えられるように放たれた一撃は、異形の左頬を深く切り裂いた。
肉が裂け、血が飛び――でることはなく、あふれ出たのは少しだけ色が赤みがかった、あの毒液だった。
「魔王様、続いて!」
「なんなんだこいつは!」
悪態をつきつつ、カルメの切り開いた傷口へと蛇槍を突き立てる。
そのまま潜り込ませ、すぐさま爆破。左顔面に巨大な穴が開く。
「エリ!」
「はい――!!」
そこに、踏み込んだエリが聖剣を撃ち出した。
身体の芯を銀が貫き、異形の獣は砂漠の上に僅かに浮き上がる。
その下に滑り込んでいたカルメが、最後の一撃を振り上げた。
聖剣が抜けるのと同時。青い一閃が空へと昇り、異形は両断されて砂漠へと落ちた。
今度は毒の雨を浴びることなく真横へと転がって、カルメがくるりと身体を飛び起こす。
「――ふうっ! お二人とも、流石ですね。こんなに簡単に勝てたのは初めてです」
「カルメさんこそ、強いですね。このサイズの魔獣を両断ですか……」
「ふふ、ありがとうございます。勇者様に褒められるなんて、わたしも捨てたものではないですね」
両断された死体の横で微笑んでいる。
相変わらず、こいつの倫理観はどうなっているのやら。
「……で、なんなんだこの魔獣は。俺の見間違いじゃなければ、血まで毒液になってなかったか?」
蛇で死体を突いて見るが、砂を湿らすのはドス黒い毒液だけ。赤い血はどこにも見当たらない。
俺の問いにルナも同意の頷きをする。
「私も見ました。身体に毒を持っていたり、一部が毒を持っていたりする魔獣はいますが、この魔獣は全身――それどころか血管、恐らく内臓までも毒にまみれているようです。これでは直ぐに死んでしまうではないですか」
毒の器官を持つ生物もいるとは聞くが、目の前のこれはどう見てもマトモな生物ではないだろう。
「それに、お前は言っていたな。魔獣の種族なんてない、と。あれはどういう意味だ?」
「……そうですね。実際に見てもらったわけですし。そろそろ信じてもらえるでしょう。話しますから、先ずは歩きましょう? わかったと思いますが、ここでは外を歩いていたらそれだけで魔獣が寄ってくるのです。落ち着ける場所まで進むのが先決です」
そう言ってさっさと歩き出してしまう。
だが彼女の言う通りなので、皆黙って従う。
気持ち早くなった速度で進みながら、カルメが口を開く。
「さて、ルナ。さっきの魔獣、何の種だかわかる?」
「……いえ。あのような針を持つ動物はネズミの仲間にいた筈ですが、あの体は虫のそれでした。しかも足は八本……頭部は肉食獣のものにも見えましたし……毒を持つ生き物の特徴とも違います。そんな魔獣を私は知りません。あれは、そう、まるで色んな生き物を混ぜ合わせたような――」
そこで言葉を切って、ルナははっと顔を上げる。
「種類なんて、ない。まさか――」
「そう。ここに住む魔獣はね、ああいう連中ばかりなの。つまり、色んな生物の特徴を無理矢理つぎはぎさせたような……そうね、混獣種とでもいうべきかしら?」
「そんなことが……」
ないとはもう言えない。
それほどまでに、一目見れば分かるほどにあの生物は異常であった。
だが体液まで毒になっているのは流石に信じられないが……。そんな生物がどうやって生まれるというのだ?
その問いには、カルメは首を横に振る。
「何が原因かはわたしも知らないわ。でも、ここはあいつらの楽園なのよ。おおよそ生物に対する概念全てが壊されるの。だからわたしはここに残った。だって、最高じゃない? これほど修行に、未知の敵と戦うことに適した場所をわたしは知らないわ!」
「……事情は理解した。これはさっさと拠点とやらに向かうしかなさそうだな」
「だからそう言ってるじゃない」
「お前は説明が足りなさすぎる!」
えー、と抗議の声を上げるカルメだが、その顔には直ぐに笑顔が浮かぶ。
説明しても無駄だと言われているようで腹が立つ。……だが、俺も見るまで信じられたかといわれれば微妙なところだ。
見れば分かる。それはつまり見るまでは信じられないという意味だったのだろう。
……何も知らずにここに来て、あれの集団にでも襲われれば、どうなっていたのやら。
そういう意味で、少数で大陸の端から静かに侵入したことは正しい――のかもしれない。
それにしたって説明不足ではあるのだが。
兎も角、この先はこれ以上のものが待っているのだろう。
再び大きな息を吐いて、以降は黙って目的地へと進んでいった。