人類は移住しました 残され者たちは世界再生の旅に出ます 作:穴熊拾弐
都市を覆う肉泥が崩壊する直前に、俺たちは近くの建物内に逃げ込むことができた。
最後のカルメが飛び込んだのと同時に、天井部から拳ほどの大きさの肉泥が屋上に激突するのを見た。鈍い音をたてて潰れた赤い染みは、人に当たれば致命傷になりうる威力がありそうだ。
「なんとか間に合いましたね……」
「ああ。卵を壊したらこうなるのか……危ないところだった」
良く見なくても、都市を覆う肉泥を生み出したのはあの卵だった。
卵を壊せば混獣種も死ぬというのだから、都市を覆う肉泥も崩壊する可能性も考えれば気づけた筈だ。
俺や頑丈な勇者はいいが、カルメとルナに直撃していたらどうなっていたか……。今回は屋根が近くにあって何とかなったが、今後気をつけなければ。
「うわ、外、もう土砂降りだよ」
エリが指し示した先、汚れくすんだ窓の外では既に豪雨のように肉泥が降ってきている。
壁が、窓が破壊される音が其処等中で響き渡り、都市を揺るがしている。
都市の天蓋から雨よりもずっと重い泥が降り注いできているのだ。流石に建物そのものは壊れないだろうが、脆い部分は一気に破壊が進むだろう。
貴重な人類史が……と、ルナがそわそわしているが、そもそも虫の巣になっていたのだから、そこは期待しない方がよさそうだ。
破砕を伴い轟く崩壊音はそのまま30分ほど続いたところで、ようやく静まり返った。
そして音の代わりに、壊れた窓から朝日が差し込んできた。
その意味するところは一つ。都市を覆う泥が消えたのだ。
「終わったか」
「そのようです。出てみましょう」
階段を降り、中までなだれ込んできていた泥を踏み越え外へと出てみれば、窓から差していた以上の陽が視界を覆い、乾いた風が通り抜けていく。
天蓋となっていた肉泥は全て崩れ落ち、砂漠の上に山となって積まれている。
都市は赤や白といった本来の壁面を見せ、荒涼とした砂漠の中に本来の姿を現している。
その光景を見て、俺たちは言葉を失った。そのあまりにも急激な変化に――ではなく。
「……驚きました。都市がほとんど風化していません」
そう、壁面を彩る赤色は見事なまでに鮮やかな朱で、人類の移住後長い期間砂風に晒されていたとはとても思えない程に綺麗な様子なのだ。
今の土砂降りで崩れた外壁や砕かれた窓さえ見なければ、今もまだ人が住んでいるかのように。
「泥に囲まれていたから、風化から守られていたのかな?」
「……そうとしか思えません。あの虫が修復していたなんてことはあり得ないでしょうし」
「そうね。幾つか巣は見たけど、建物自体を修復するのは見た事ないわねー」
建築技術を持つ生き物は確かにいる。今回の虫がまさにその一例だろう。
だが、人間の建造物ほどの複雑さはないだろう。材質に関しては特に。
金属も石も塗料も使うこの都市を虫が修復できたとはとても思えない。
つまりは、この都市はあの肉泥によって長らく保存されていたと考えるのが妥当だということだ。
それ程の長い時間、この都市は虫に――混獣種に支配されているということでもあるのだが。
まさかあの魔獣の中でも特殊な混獣種たちが人類の文明を守護してくれていたなんて、誰が思うだろうか。
「で、この後はどうする?」
想像よりも遥かにあっさりと終わってしまったためにまだ朝だ。
その状況に加えてこの都市の状態。となれば――。
「もちろんこの都市を調べましょう。虫が本当に停止しているのかの確認もそうですが、これだけ都市が綺麗に残っているのです。人類史も多数見つかるかと!」
「まあそうなるよな……カルメ、良いのか?」
「もちろん! ルナの目的はわたしの目的よ」
にっこりとそう言って、カルメは手を合わせる。
てっきり次の都市へと向かうと主張するかと思ったが、あくまでも一番の優先は世界の再生らしい。
まあ、今から別の都市に行くと言っても、今日中に着くわけではないしな。
「手分けしていきましょう? ルナは魔王様と。エリさんは私と行きましょうか」
「うん、よろしくね、カルメさん」
カルメたちが話し始めた横で、再びフードを被ったルナが俺の元へやってくる。
「魔王さま、お願いしますね」
「ああ」
「今日はこのままこの都市に泊まりましょう? 寝泊まりができそうな場所があったら覚えておいてくださいね」
そのまま二手に分かれ、俺たちは都市を探索していく。
「では行きましょう、魔王さま」
先を小走りで進んでいくルナを追って歩き出す。
頬に乾いた風が当たる。流れ込む風は都市の中に砂を運び込んで来ていた。
虫や卵だけでなく、都市を覆い保護してきた泥はもうない。
道中倒した多くの虫も、今の土砂降りで砕かれてしまっただろう。
都市に散らばる肉と泥の欠片が、早くも砂の海に沈みつつあった。
***
その日、空に赤い光が昇った。
南西部のまだ端で発せられたその光は、明るい午前の空でもはっきりと分かるほどに鋭く瞬き、天を一瞬だが貫いた。
大陸南西部に生きる者たちの大半は何なのかも分からないその意味を、しかし正確に理解したものたちが僅かに居た。
一つは崩壊した都市の中に佇む何か。
スルゥトと同じように崩れた都市に座り込み、砕かれた肉片をかみ砕いていた所であった。
もう一つは砂風に揺れる砂の海の中。
空に走った光を見上げて、風に揺れる外套に隠れた顔が上がる。
そして、遥か西の地の底。
薄汚れた石室の中にいた男は、ほんの僅かに瞼を瞬いた。
彼らは悟る。長らく止まっていた時が動き出したことを。
自分たちにも間もなくその流れがやってくることを。
同じように、立ち上った光を、砂漠を進む少女が見ていた。
この大地に見合わないような白と青の衣服を身にまとい、背には自身の背丈ほどもある金属塊――狙撃銃を括り付けた少女、イオである。
「あれは……」
リヴラ号は修理――といっても完璧なものではなく応急処置だが――を終え、ようやく大陸南西部へと到着していた。
ルナの送ってもらった座標へと移動し、拠点へと辿り着く直前にその光は昇ったのだった。
「まっかなひかりですねー、なんでしょう?」
『――――?』
同じように並んで外を眺めていたヤマたちが首を傾げているが、聞かれてもイオには分からない。
カルメと違い、イオはこの砂漠の大地をよく知らない。『あれ』がこの地でよく起きることなのかもわからない。
ただ、先に進んでいると言っていたルナたちがまた何か起こしたのだろうと、それだけは分かった。
「無事でいるといいけど……」
「皆さん、見つかりましたよー!」
背後からランバの声が聞こえてくる。拠点らしき岩場を調べていた彼が、入口を見つけてくれたらしい。
本当に岩にしか見えない壁が突如掻き消え、その奥に下へと続く階段が現れた。
ルナからの情報がなければとても信じられない。こんな場所があったなんて……。
初めての砂漠に足を取られながらぽてぽてと歩いていたヤマたちが、その入口を覗き込む。
「シンジュ、はいれますかね?」
『――――』
「そっかあ……」
肩幅だけでイオ四人分くらいありそうな巨大な樹の人は、青く光らせた顔を横に振る。
階段は人一人がなんとか通れる程度。彼のこの大きさでは、流石に入りそうもない。
首を振る彼を見て、ヤマは途端に落ち込んでしまう。
そんなヤマを見てシンジュも光を曇らせて俯いてしまう。サイズこそ違うが、彼女たちは本当に仲良しなのだ。
「どうせここを拡張するんだろ? なら、少しの辛抱だ。その間、二人を荷物運び係に任命する! いっぱい運べたやつはご褒美があるぞ?」
そう言ってロアがヤマを抱えて、シンジュの腕にぽんと触れる。
「わーい!」
『――――!!』
それだけで子供二人は大はしゃぎ。直ぐに荷物を運ぶチビルナたちの手伝いへと戻っていった。
「おー。すっかり元気になって……ありがとね、ロア」
「気にすんな。それで、さっきの光は?」
彼にもまた光は見えていたらしい。
「多分ルナたちね。巣を攻略するって言ってたから、それじゃないかしら」
「巣ねえ……。あんな光が出るんだ。碌なもんじゃねえんだろうな」
「混獣種っていったっけ。……銃弾が効けばいいんだけどねー」
「そもそも戦うの自体ごめん被るがな……ん?」
ため息を吐くロアの元に小さな物体が飛んでくる。
球形のボディに回転するプロペラのついたそれは、都市攻略前にルナが飛ばしていた小型飛行機。
ゆっくりと下降してロアの手に収まると、それはひとりでに開き、中に保存していたものを曝け出す。
覗き込んだ二人の目には、僅かに明滅する球体が納められていた。
「これは、核か」
ロアが小さく呟いて、核と呼んだ球体を手に取る。
彼の両手でようやく掴めるかという大きさのそれは、彼の知るこの時代の核とも違う毒々しい色をしていた。
「多分、ルナの報告にあった混獣種っていうやつのかな? 送ったなんてメッセージはなかったけど……」
「んなもんなくても分かる。これを調べろってんだろ。あの蛇め……人を便利屋か何かと思ってやがる」
「いいじゃない。詳しいでしょ魔王様たちにいっぱい核集めてもらってたし。適材適所ってやつよ」
「自分で調べるのと頼まれんのはちげえんだよ……まっ、丁度いい。これで戦わなくて済む。ちょっと、下の部屋借りるぞ」
意地の悪い笑みを浮かべて、ロアは階段へと踵を返していった。
「あ、ちょっと……拠点の準備はー?」
「任せるよ。適材適所、だろ?」
イオの言葉に手だけ振って、そのまま地下へと消えてしまった。
ランバは地下設備の調査をしているだろう。これで大人組二人がルナの依頼である拠点形成から逃げ出したことになる。
「もう、どいつもこいつも……」
『師匠は研究が最優先。諦めて』
呆れるイオの腕を、ウミが叩いた。
彼女は砂漠でも活動できるよう、リヴラ特製の衣服を身に着けている。
分厚い生地の中には水が満たされており、長時間活動できるように水を生成する魔石を搭載している。
砂漠の中でも長期間活動出来ている上に、いざとなれば中身の水を放出も可能と、彼女には不可欠な装備となった。
声がくぐもって聞こえにくいのが、やや難点ではあるが。
『あたしたちは手伝う。さっさと終わらせよ』
「ありがと。そうね、さっさと追いつかないとね。よし、やるかー!」
『おー』
「「「オー!」」」
もう一度光の消えた空を眺めてから、イオもまた自分の役目を果たすために地下へと消えていった。
***
探索を終え、俺たちは今日の寝床と決めた建物の内部に集まった。
巣には虫たちも手を出していなかった建物が複数残っており、そこでいくつもの人類史が見つかった。
ただ殆どが民家であったのだろう。物としては大して珍しいものは見つからなかった。
集められたのはこの地方特有の文化を示す衣服や書籍、この地方のものだろう貨幣に加えて時計や用途不明の携帯端末といった、当時最先端の魔道具類が幾つか。
未知の人類史、という意味ではそこまで重要なものは見つからなかった。
むしろ驚くべきは、どれも風化の度合いが恐ろしく低い点だった。
時間経過での劣化こそしているが、砂地での風化は殆どみられなかったのだ。
都市と同じく、あの肉泥によって人類史もまた護られていたのだ。
「虫の巣は都市の保存に優れているようですね。ここまで綺麗に残っているとは……」
俺たちの居た南東部は大半が森によって家屋を破壊されていたから、特に雨風による風化が激しかった。
それと比べれば異様と言っていいほどに保存状態が良い。
「……そうだな、少なくとも二百年は経っているんだ。こんな状態は本来あり得ない」
「他の巣もこうなのでしょうか? これならこの地域でも文化の蒐集が可能に――」
嬉しそうに言葉を続けるルナだったが、その言葉は俺の耳には届かなかった。
思い至ってしまったのだ。ある可能性に。
――なぜこうも、人類史は
風化や劣化の話ではない。問題は数だ。
世界は急激に変化したと聞いている。だがそれと同じく、人類は異世界に逃亡したとも。
ならば何故、ここにはこんなにも人類史が残っているのだろう。
異世界に逃げたのならば、そしてそれが計画されたものならば、皆自分の財産は持って移動するのではないのか?
ここに残された衣服や貨幣、魔道具類はその中でも最たるものではないだろうか。
持ち物全てを捨てて逃げたのなら理解できるが、都市単位でそれが行われたとでもいうのだろうか?
それほどまでに、事態はひっ迫していたというのか?
素直に考えるなら答えは『ありえない』。ただ、ここにはそれを説明できるだけの理由が、曰くが存在している。
この地方がマナホールを使い、魔力資源を最も浪費していたということ。
そして、マナホールの位置していた場所が丸ごと消失しているということ。
思い出すのはアルトの地下、最初のマナホールで解体屋が見せた球体への形態変化。
もしあれを誰も止めなかったとしたなら――トゥリハ消失はその結果か?
あれだけの規模の崩落が突如発生し、そこから解体屋が襲ってきたとするならば――この事態も起こりうるのかもしれない。
勿論これはただの仮説――否、それにも満たない妄想の類だ。まだ決めきることはできないだろう。
だが、大陸を破壊するほどの危険物が眠っている可能性がここにはあるのだ。
その原因を知るためにも、この地方を調べていかなければならないだろう。
「さ、収集も終わったことだし、次の目的地の話をしましょう!」
カルメの声で意識が引き戻される。
未だ無事だった石の机に地図を広げて、次なる行き先を決めていく。
ここスルゥトから北西に進んだ先にある都市をカルメが指さした。
「次の目的地はここ、都市タウハ。歩いて3日くらいかしら……。ここも、恐らくは虫の巣よ」
「虫……種類は同じですか?」
「行ったことはないからそこまでは。でもこの辺りは大体虫の巣よ」
「ここと同じなら、大したことはなさそうだね」
「ふふっ、流石勇者様。頼もしいわね。じゃあ、ルートはこれで決まり! 明日早朝に出発しましょう?」
「……ああ」
当初の予定通りに、最短距離で砂漠を突き進む。
それだけの力があることは既に証明したし、巣をつぶせばその巣の個体は全滅することも理解した。何なら巣ごと崩壊しているし。
ならば石に声を残した大本の男を叩けば、この地方の混獣種は本当にすべて停止する可能性が出てきた。
マナホールのために、この地方を制圧する――その目的が現実味を帯びてきたのだ。
まだ謎は多い。だが、やることだけは何故かやけに明確で。
その奇妙な状況に戸惑いつつも、明日に向けて準備を進めていくのであった。