謎の商人ロールプレイ 作:誰かさん
これは、少し前の話――。
アイズ・ヴァレンシュタイン。Lv.4であることとモンスターに飽くなき憎悪を抱いている以外は、年齢相応の少女である。
既に美女の片鱗が見えているが、他に特筆すべき所はない。ただ冒険者としては非凡で、十代前半という若さにしてロキ・ファミリアの一軍入りを果たした。グラグラの実を利用した攻撃力も手伝って、今では主たる火力リソースとして活躍している。
彼女は強くなることに貪欲だ。放っておけば、休みの日でもダンジョンに突っ込んでいく。それこそ何度怒られてもだ。能力を手に入れてからはそちらを発展させるのに夢中で、以前ほどの無茶はしなくなっが。それでも、強くなるためならば何でもするという気概は、今も変わっていない。
しかし今日の彼女は、とぼとぼとダンジョンの中を歩いていた。
普段ならば、このような危険な真似はしない。例えば第一級冒険者でも、無防備でいれば上層で命を落とす。ダンジョンとはそういう場所だ。少し気を抜く程度ならばまだいいが、油断だけはしてはいけないのだ。
しかし。
少女は薙刀の柄頭を引きずるようにして、ダンジョンの中を彷徨っていた。本当に、そう表現するしかない有様だ。
顔面のありとあらゆる穴から、汁を垂れ流している。目は真っ赤に充血し、鼻水がこぼれるがまま。それはもう、世界一の美人であろうと台無しという有様だ。
「うぅ……ぐす、白ひげ……」
始まりは、つい先日発売されたONE PIECE最新刊。そこで白ひげが死んでしまったのだ。
白ひげはむちゃくちゃ格好良くて強くて、まさに理想の男であり、父。それこそ白ひげの背中が、もう記憶の中にしかない父のそれとかぶっているような気さえした。不思議な話だ。共通点など一つもないのに。
白ひげスタイルになろうとして上半身裸になろうとしたり、入れ墨を入れようとしたり、そのたびファミリアの皆に止められたのもいい思い出だ。……アイズにとっては。
だが、そんな彼も最後は死んでしまった。まるで父のように。
息子達を守って、ただ一人の息子も見捨てることなく。
戦って戦って戦い抜いて死ぬ。それはいい。いや、よくはないが、まだ納得できる。問題はその後。彼は、あろうことかかつて息子と呼んだ男に裏切られ、その上で遺体を辱められたのだ。
なぜそんなことをされなければならないのか。グラグラの力が欲しいという、つまらない欲望のために。そんなの……そんなのあってはいけないことだ。
「なんで……どうして……」
ずびりと鼻を鳴らす。呼吸をしにくい感覚が、酷く不快だった。
この考えは、ファミリアの仲間に対する裏切りだと分かっていたから、口にしたことはない。だが、どうしても消えてくれないのだ。自分も、死ぬときはエースのように――父の名誉を守る為に死にたい。
そして、彼女は気付いていないが、そこには逆恨みもあった。
アイズは父と白ひげを重ねると同時に、白ひげと自分も重ねていた。まあこれはオラリオによくある事だ。原作キャラと同じ能力を持っている相手に、行きすぎた贔屓をしてしまう。
これが悪い方に作用して、アイズは黒ひげに対し、ざっくり二倍の恨みを抱いていた。もう怨念と言ってもいい。
「かならずたおす……」
現実に黒ひげはいないなど百も承知だ。が、それはそれとして心に決める。黒ひげ許すまじ。
「うっ……」
頭がズキズキと痛む。当たり前だ。もう三日は泣きっぱなしなのだから。これは悲しみに対してだけではない。
白ひげという男の生き様に感動し、亡骸を踏みつけにされた事を嘆き、もうアイズの心はぐちゃぐちゃだ。情緒が崩壊しすぎて、自分で何をしているのかすら分からない状態である。でなければ、体調最悪な状態でダンジョンになど来ない。
が、そこは腐ってもロキ・ファミリアの主力。上層にいる程度のモンスターでれば、ほぼ反射で殺していた。今も、アイズを襲おうとしたミノタウロスを、そちらも見ないで一薙である。
ああ、この激しい情動はどうすれば収まるのだろう。
そろそろ復活しなければならない。ファミリアの皆が心配している。さすがに三日は引きずりすぎだと、アイズも分かっていた。
しかし、感情が処理しきれない。まるでロキ・ファミリアに入って初めてモンスターを見たときのようだ。あの時も、ずいぶん無鉄砲で皆に迷惑を掛けてしまった。
「ずびっ」
どうしよう。心が赴くままに暴れれば、少しは気が晴れるだろうか。上手く働かない頭で、そんなことを考える。
衝動的な暴走など、間違っているだろうと分かっていた。だって、白ひげはそんなことしない。アイズと白ひげは別人だし、なんなら白ひげは実在だってしないのだが。完全に脳が茹だっているアイズには、一切の道理が通用しない。
あぁ。特注で作って貰った薙刀(お値段5700万ヴァリス)も、今はどこか空しい。
どれだけ悩んでも答えは出せず、さりとて割り切る事もできず。ぼんやり進めていた足も、そろそろ引き返そうかと考え始める。元が衝動的な行動であり、そもそもダンジョンに来る気がなかったのだから、ファミリアの誰にも言わずに出てきたのだ。
どこへ向かっているのかも分からないアイズの前に、ゆっくりと人が歩み寄ってきた。
にんまりと好戦的な笑みを浮かべている彼女は、見たことのない顔だった。アマゾネスという種族らしく、格好は軽装。いや、ダンジョンに潜る際はそれなりに重装備をするアマゾネスもそれなりにいるので、当然という程でもないか。
周囲を探っても、人はおろかモンスターですら近くに居ない。そもそも、彼女の闘気はまっすぐアイズにだけ向けられており、間違えようがなかった。
当然、アイズには見ず知らずの他人に、ここまで本気で敵意を向けられる覚えなどなく。困惑に、周囲をきょろきょろと見回す。
「何か用ですか?」
何度確認しても、アイズ以外に誰かがいるわけもなく。
とりあえず聞いてみる。と、彼女は面白そうに、そしてつまらなさそうに笑った。
「ケケケ。相変わらず人を舐めた物言いだねぇ」
「……!」
彼女の言葉から、少なくとも過去に一度は顔を合わせていると分かった。失礼な事をしてしまったと後悔する。
改めて、目の前の女性を見てみた。
すらっとした長身は、多分リヴェリアと比べても頭一つ高い。小顔で、手足がびっくりするほど長かった。髪は肩より少し下程度。長髪の多いアマゾネスには珍しい。さすがにティオナほど短くはないが。何より美貌が特徴的で、女神と比べても遜色ないような美しさだった。
一度見たら忘れられないような外見。つまり、やはりアイズには見覚えがない。
アイズの様子に苛立って、彼女が吐き捨てるように言う。
「アタイなんて眼中にないってかい? 腹立たしい小娘だよぉ」
「……もしかして、フリュネ?」
「やっと思い出したかい、クソガキ」
限りなく低いと思っていた可能性を肯定され、アイズは思わず愕然とした。
前に見た(というか襲われた)時とは、骨格からして違う。顔だと異様に小さくなっていて、いっそ不気味なほどだ。体も体重が半分になったのではと思わせるほど痩せているし。しかも、やつれたような印象のない、健康的な痩せ方だ。
そんなアイズの目を、フリュネは忌々しげに鼻で笑う。
「ふん、今更アタイの美貌に見とれたってかい? ま、確かに思わず見とれるほど美しいのは認めるんだけどねぇ」
「いや……」
別人としか表現できない変化に驚いていたのだが。言っても理解してくれそうな雰囲気ではなかったので諦める。
と、フリュネが何かを投げてきた。
さほど威力がなかったので、反射的に掴んでしまう。失敗したか、と思ったものの。それは、なんて事のない、ごく普通のタオルだった。
「不細工なのは仕方ないとして、その汚い顔はいただけないねえ。アタイはお前の鼻水に触れるなんてご免なんだよぉ」
「えっと、ありがと」
とりあえずぐしぐしと顔を拭った。タオルにはべっちゃりと、鼻水やら涙やら汗やらが付いていた。なるほど、これは確かに汚い。
タオルをどうしようか、とおろおろ迷っていると。そんなのは無視して、フリュネは背負っていた斧を取り出し、掲げた。
「んじゃ死にな、人形女!」
「!」
身の丈ほどもある、巨大な斧。その重量は、恐らくガレスが使っているものと大差ない。にもかかわらず、彼女の動きは滑らかで、そして早かった。
アイズは反射的に拳を突き出す。不可視の振動がフリュネを叩いた。と、思ったのだが。
相手の全身を砕き、それでも威力は衰えず、壁まで吹き飛ばす事を想定していた攻撃。それが、まるで関係のない位置で破裂する。
ぎょっとしながら、反射的に薙刀で攻撃を防御してしまいそうになり。即座に危険だと判断。薙刀を斜めに構えて、受け流す形に変更する。
音もなく薙刀の上を滑る斧。それが振り切られて地面に接触しても、やはり静かなものだった。分厚い斧が叩いたはずの地面は、しかし断面が鏡のように滑らかだ。重量武器が振り下ろされたとは思えない光景だった。
もしこれを真正面から受けていたら、薙刀ごと真っ二つにされていただろう。アイズは冷や汗が流れるのを感じながら、距離を開けた。
「スベスベの実……」
「ケケケ、分かるかい。原作に登場した悪魔の実ってのも考え物だねえ」
笑いながら、彼女はゆっくりとした動作、アイズを嬲るように斧を持ち上げる。
「最初はもっと強い能力をよこせと思ったけど、こいつはこいつで悪くないよぉ。なにせ、完璧なまでの攻防一体だ。
にんまりと笑いながら、フリュネは斧を掲げた。断面に移る自分の顔を確認して、悦に入っている。
「原作じゃあ、アルビダが見違えるように変化していたねぇ。まああの程度の不細工とこのアタイじゃあ事情が違う。期待してたわけじゃないが、さすがにアタイをこれ以上美しくするのは不可能だったらしい。ま、肌のつやと瑞々しさだけは認めてやってもいいけどねぇ」
「いや、あなたも別人……」
「なんだい人形女」
「なんでもないです……」
やけに威圧されて怖かったので、それ以上は何も指摘しないことにした。言ったところで得はないし。
フリュネは斧の鏡面からこちらに目を滑らせ、そしてにたりと唇の端を釣り上げながら言った。
「これで頼みの綱のグラグラは無意味になったねえ。さあ、怯え逃げ惑いなぁ!」
宣言と共に、フリュネが奇妙な動きで迫ってくる。地面のでこぼこやざらつきなどを完全に無視して、滑りながら近づいてくるのだ。
暫く、アイズに防戦一方の時間が続く。
察するに、彼女は能力のオンオフが抜群に上手い。その上で能力を発展させ、自分の戦術に織り込んで昇華させている。わかりやすく、能力上級者だ。大抵の相手なら、この動きだけで圧倒できるだろう。
その上、どうやら能力同士の相性もいいとは言いがたい。何も考えずに振動を放てば、容易く受け流されてしまう。どうやら彼女は、スベスベの実で擬似的な
しかし、全ての要素を考えてなお。アイズは、関係がないと断言する。
「グギッ……!」
アイズが放った振動に、フリュネが小さく悲鳴を上げた。口の端から血を流している。
「やっぱり」
「小娘ぇ! 何をしたぁ!」
ダメージそのものは大したことがない。しかし、彼女は自分の無敵を貫通した、得体の知れない攻撃の方におののいていた。
「横振動は流されるみたいだから、縦振動にした」
「何を言っているんだい!? アタイを馬鹿にしてんのかぁ!」
能力の相性が悪いと言っても、それはあくまで何も考えずに能力同士をぶつけ合えばの話。相手は本家
彼女の失敗は、恐らく能力同士の駆け引きをしたことがない点だ。
覇気と能力の綱引きは、覇気が優先される。そしてお互い覇気を纏った能力であれば、相性が優先される。フリュネが知っているのは、多分ここまでだ。能力は相性が絶対的でなければ、少しの工夫で突破できる。これが分かっていない。高度な能力者同士で比べる機会に恵まれなかった。
アイズは当然、白ひげほど能力を極めていない。出力は言うに及ばず、指定の地面だけを崩さずひっくり返すような真似は、とてもでないが無理だ。それでも自分なりに能力を研究してきたし、最初の能力者として高め続けた自負もある。
動きから見るに、レベルは相手の方が上。能力、覇気共にかなりの段階に達している。全ての要素を考慮して――問題なし。
「ふ――!」
「ぎゃあああ!」
今度はお試し程度ではなく、力を込めた一撃。地震ならぬ空震は、直線上にある一切合切を砕いた。フリュネの全身から血が吹き出る。
アイズは思う。フリュネは確かに強い。現時点で、未だ格上だ。しかし、以前襲われたときのような
何の問題もない。
もはやフリュネ・ジャミールは、アイズ・ヴァレンシュタインの『試練』たり得ない存在。ただそれだけ。
「これで終わり」
薙刀を地に這わせるように構え、先端にグラグラの力を込める。
殺すわけにはいかないが、さりとて半端な威力では耐えられてしまう。力を込めすぎてしまえば、高ランク冒険者だろうと容易く死に至らしめてしまう力だ。アイズの勝利条件は、あくまで半殺しにしてガネーシャ・ファミリアなりアストレア・ファミリアなりに引き渡すことである。
斬るのではなく、内側から叩き潰す。アイズが考え得る、最も穏当なやり方。
一つ予想外だったとするなら。フリュネが最後に頼ったのは自分ではなく、他人という所だろう。
「お前達、アタイを助けろぉ!」
実際の動きは、言葉が発せられる直前くらいだったと思う。いきなり真正面、つまりアイズとフリュネの間から、何かが吹き出てきた。
アイズは急停止し、フリュネに叩き付ける予定だった薙刀をそれに向けて振るった。
攻撃が通じなかったわけではない。ただ、湧き出たそれは恐らく何かの集合体らしく、ほとんど意味がなかった。砂はどれだけ砕いても砂、粒の大きさが変わるだけ。
何かは正面だけではなく、アイズを囲むようにして現れた。反射的に背後に振動を放ち、作った穴へ飛び込むことで包囲から逃げる。これは彼女が上手くやれたのではなく、最初からそこだけ薄く作られていただけだ。つまり、後退できたのではなくさせられたのである。
気配を探って、見つけた方向に地震を一閃。人間が数人は悠々と隠れられる岩の裏に、二人ほど潜んでいた。
一人はヒューマン。もう一人は獣人だ。
獣人の方は知らないが、ヒューマンは見覚えがある。確か、イシュタル・ファミリアの副団長である男だ。ここオラリオでも、いかにも砂漠の方面出身といった外見は珍しい。
反対に、獣人――恐らく
アイズはとりあえず、
こんな場所に引っ張ってくるのだから、重要な役割を担っているのは間違いない。が、高ランク冒険者二人を相手するならば、気にしている余裕もなかった。
「……っ!?」
だが、ここでも計算違いが起こった。想定していたより、速度が数段速い。相手のではなく自分の。体が男の方へ引き寄せられていた。
とっさに薙刀を挟み込む。直接触れられる事はなんとか避けたものの、しかし武器ごしでも、脱力感を感じた。力が吸い取られていく先は、男だ。
放たれた蹴りを、足で受け止める。しかし、体から力が抜けていたため、予想以上に大きく吹き飛ばされてしまった。
「ケケケ、よくやったねえ。さあ、次はお前だよ、小娘ぇ」
ひい、と小さく怯えながらも、
「【ウチデノコヅチ】、重ね『
瞬間、フリュネの気配が爆発的に上昇した。ここまでの圧力は感じたことがない。経験はないが、深層の
つう……とアイズの頬に、冷や汗が流れる。体調は最悪、敵には援軍が居て、しかも最大戦力であるフリュネの能力が跳ね上がった。思いつく限り最悪の状況だ。
「ふー……」
大きく息を吐いて整えながら、思考を整える。
体調は最悪。肉体的にはともかく、精神面での疲弊が大きい。いざ戦いとなれば多少は整えられるように鍛えているものの、万全とは言いがたい。ましてや格上と戦えるような調子ではなかった。
「ふざけるなよ、フリュネ!
「うるさいねェッ! ここで始末すれば関係ないんだよぉ!」
「クソッ! 本当に何から何までお前の身勝手に振り回されていると分かっているのか!?」
彼が、何を指して憤っているのかは明白だ。間違いなく
支援型の魔法が二つ。どちらも破格の性能を持っている。何より恐ろしいのが、ウチデノコヅチとやらで地力を上げ、魔法で追加した分も含めて
相乗効果のある魔法は見たことがある。が、それを一人で完結、それも支援魔法でというのは初めて見た。
つまり、なおさら
しかし。すぐに、アイズの全思考は空の彼方に吹き飛ぶこととなる。
「やむを得ん。ここで確実に殺す」
「最初からそう言ってるじゃないか」
フリュネが斧を構え直し、幾度か握りの感触を確かめている。これは、ダメージの程を確かめるために、よく行われる行為だ。
問題は、男の方。
彼を中心として、地面に
アイズが見間違える訳がない。あれは間違いなく――ヤミヤミの能力。
なぜ彼がヤミヤミの力を持っているのか。いや、それは重要ではない。気にすべきは、ヤミヤミの能力を持っている者がそこにいるという点。つまり……男は黒ひげだった?
ならば自分は誰なのか。もしかして、もしかして――。新刊発売のタイミング、あまりにも悲しい結末、そして目の前に現れたヤミヤミの実能力者。ああ、本当に、なんという事なのだろう。
「お、おい」
「何だいうるさいねぇ! あんたは細かすぎなんだよぉ!」
「そうじゃなくて、あれ……」
「あれぇ? うわ……」
「泣いてる……」
もうとっくに枯れ果てたと思っていた涙が、再度噴出する。
彼女は一瞬脱力し、すぐに拳を大きく振り上げて、渾身の力で振り抜いた。
「どおおおおおお!?」
男が地震を避けられたのは、アイズの一撃があまりにも大ぶりだったからだ。見てから躱せる程に雑で――そして、とてつもない威力だった。
今までの比較ではない。ダンジョンの一部ではなく、全体が悲鳴を上げてそこかしこが砕け落ちる。
アイズの震動攻撃は、フィンによって何段階かに分けられていた。敵個体ないしは少数に影響がある震動。敵大部隊に影響がある震動。階層をまるごと影響下に置く震動。しかし、彼女が今回使ったのはさらにその上。階層を貫いて都市を破滅させかねない震動である。
「あ、あいつ……俺を集中狙いする気か……」
「いいじゃないか、存分に狙われなぁ。その間に、アタイがぶっ殺してやるよぉ」
「ふざけるな! あんなもの、かすっただけで死んでしまう!」
二人が何かやりとりをしていたが、そんなものアイズにはどうでもよかった。正しく言えば、フリュネの方が。
「ひげ……」
「おい、剣姫! そんな攻撃を続ければ、バベルの底が抜けて落ちてくるぞ! それは貴様も本意ではないはずだ!」
「黒ひげ……愛せない息子……。ここで殺しておくべき……」
「おい……?」
彼もやっと、アイズの異様さに気付いたのか。若干引きながらも、なんとか言葉を尽くそうとする。
「いいか、加減だ! 今のような真似を続ければ、たとえここで生き残ったとしても、貴様の居場所はなくなる!」
「仲間を裏切った大馬鹿な息子……黒ひげ……今首を切る」
「本当に何を言っている!? あと俺は黒ひげではない、タンムズ・ベリリだ! ついでに貴様も白ひげではなく、アイズ・ヴァレンシュタイン!」
「違う。お前は黒ひげ。生きてちゃいけないやつ。あと私は白ひげ」
「本格的にどういう頭をしているんだ!? 物語と現実の区別がつかなくなってるではないか!」
「これは……どうすりゃいいんだい?」
連日の号泣と、精神および脳の疲労。加えて、消化しきれない感情。さらに追加されたのが、僅かながらも過去のトラウマを掘り起こすような物語の展開。
要するにアイズは、ものっくそ錯乱していた。
「っ! 飛びなぁ!」
アイズが薙刀を振りかぶるのと同時、フリュネの絶叫が響く。
ほとんど倒れ込むようにしてかがんだタンムズの直上、後頭部の髪を半ばまで切断するように、震動の斬撃が通過する。あと0.1秒でも反応が遅ければ、タンムズの頭は輪切りになっていただろう。
「ひぇ……」
彼は頭の後ろを手で押さえながら、背後に振り向いた。そこには、上層の狭い階層ながら、全てつなげてしまったのではないかと思うほど大きな亀裂が壁の向こう側まで連なっている。
「フリュネ、早く殺せ!」
「命令するんじゃないよぉ!」
今までとは比較にならない速度で、フリュネが接近してくる。
もし彼女が最初から武器が届くほどの距離にいれば、アイズは為す術がなかった。しかし、距離が開いているならば。能力を極めているのではなく、能力の扱いが上手いというだけならば。対処法はいくらでも思いついたし、実行できる。
軽く踵を鳴らす。それだけで、フリュネは明後日の方に吹き飛んでいった。
特別な何かをしたわけではない。彼女は滑って距離を稼ぐため、反応できないタイミングで地面を
精神的疲労が原因で、思考力が低下していたアイズ。しかし黒ひげという確かな標的を得たことで、脳が明後日の方向に復活する。
可能なことなら大抵は実行可能。それが、彼女を天才と言わしめた理由の一つであった。
「近付……けない!」
超強力な強化魔法の重ね掛け。確かに無比と言える力だ。しかし、かけられる側が感覚になれていなければ、価値は半分以下にしかならない。
力に振り回され、能力の制御も雑になっている。これなら、先ほどまでの方がよほど手強かった。戦いは、突出した一つの能力で決まるものではない。
ともかく、今のフリュネであれば、勝つのは不可能でもいなすなら簡単だ。安心して
「フリュネェ! 早く助けろォ!」
「くそっ、何だってんだこいつ! アタイを無視しやがって!」
こうなっては、もはや彼女達の勝利条件はアイズを殺すことではない。いかにしてタンムズを無事に地上へ逃がすかだ。
「ぎゃああああああ!」
「こっちを向け、人形女ぁ!」
「黒ひげ……黒ひげ……」
「違うと言っているだろう話を聞けバカ!」
ほとんど戦いにならず、上へ上へと進んでいく。
戦い……まあ戦いは、フリュネとタンムズの判定勝ちだった。なんとか地上までたどり着く事ができたのだから。
地上は大慌てだった。異常な地震を何度も味わっていたのだから当然だ。原因が能力であるなら、そうしなければならないほどのモンスターが現れたという事。能力でないならもっと厄介で、オラリオが崩壊しかねない天災だ。当然、上層にいた冒険者は、我先にと逃げてきた。そんな恐々とした空気の中、三人は表に飛び出たのである。
ギルド職員がほとんど総出で仲裁に入り、主に暴走していたアイズをなだめる。その間、タンムズはかなり自分たちに有利な証言をしていたが、これはすぐに覆された。フリュネがアイズに突っかかる所を目撃した冒険者がいたのだ。
これにより、イシュタル・ファミリアは相応のペナルティが課される事となる。ただ、アイズも絶対にやってはいけない能力の使い方をしてしまった。事情を加味して、ファミリア間では痛み分けになった。というか、どうかそういうことにしてくれとギルド職員に数人がかりで泣きつかれる。
フリュネとタンムズがギルド職員監視の下、ホームへ送られていく。これは、主神イシュタルへ説明するするためでもあった。これ以上問題を起こさせないために、という理由も多分にあっただろうが。
アイズはなんとか(比較的)落ち着きを取り戻す。黒ひげは絶対殺すという意思は変えないながらも、今は無理だなと思った。
さあ帰れとでも言うような、ギルド職員の視線を浴びる。どうやらアイズに監視は付かないらしい。ここら辺、所属ファミリアの信頼差だろう。
が、アイズはきびすを返し、ダンジョンへと向かった。
「ちょっ、なんで戻るんですか!」
一人の職員に呼び止められたところで、アイズは両手を広げる。
「忘れ物した。取ってくる」
「ああ、武器落としたんですね? 分かりました、取りに行っていいですが、すぐ帰ってきてくださいよ」
落としたというか、スベスベの能力で手放させられたのだが。まあこれは、特に付け加える事でもあるまい。
「うん」
言葉少なに答えて、ダンジョンへと飛び込んだ。
薙刀はすぐに見つかった。が、アイズはそのまま奥へと進んでいく。探しているのは薙刀だけではない。ギルド職員の言葉には、特に注釈しなかっただけで。
ダンジョンの中は、非常に静かだった。
冒険者が軒並み撤退したというだけではない。地震の影響で、モンスターも隠れてしまったのだ。人を見れば狂ったように襲いかかってくるモンスターも、人が居なければただの野生動物と変わりない。
特に障害もなく、フリュネに襲われた場所までたどり着く。周囲を暫く探していると、やはりいた。土に半ば埋もれるようにして、完全に意識を飛ばしている
イシュタル・ファミリのの二人が強制送還されたから、彼女は置き去りなのではないかと思ったのだ。予想通り、地震の余波で目を回している。もしアイズが回収しに来なかったら、モンスターに喰われて殺されていただろう。
「んしょ……んしょ……」
とりあえず、
「起きて、ねえ」
ついでに頬をぺちぺと叩いたが、意識を回復する事はなかった。ただの気絶なので、放っておけばそのうち起きるだろう。
ここに放置するわけにもいかず(何しろ、いいとこLv.1サポーターといった子が、地力で生き残れる階層ではない)、とりあえず連れ帰ることにした。その辺に落ちている、冒険者が放棄していっただろう大きなバッグを拝借する。中身だけは出して、ちゃんと他の遺失物と一緒に纏めておいたので許して欲しい。
これが手に入ったのは幸運だった。人一人を抱えて歩くのは、余人が思っているよりも遙かに手間が掛かる。小柄な人間がすっぽり入り、両手が開くというのはありがたい。
まっすぐ地上へ向かっていると、ぽつぽつと冒険者がダンジョンへ戻っている所が見られた。皆が置いてきた荷物を取りに急いでいる、といった様子である。一部、そういった者とは趣が違う一団もいたが。例えば、アマゾネスの集団とか。
まあアイズには関係ないので、無視してダンジョンを出る。もう寄り道はせずまっすぐ黄昏の館跡地に帰ると、半壊している門の前でリヴェリアが仁王立ちをしていた。
「このっ……馬鹿者が!」
そのまま、脳天にげんこつを貰う。
アイズは涙目になったものの、しかし反論はしない。今回はさすがに、全面的に自分が悪いと思っている。
「ごめんなさい……」
「あまり心配をかけてくれるな……」
ぎゅっと抱きしめられると、なんだか切なくなった。遠い過去、思い出したいような、思い出したくないような。
暫くそうしていたあと、リヴェリアはやっと離してくれた。
「先にギルド職員から事情は聞いている。まあ……イシュタル・ファミリアといざこざを起こしたのは仕方ないだろう。あそこ、というかフリュネは、何かにつけてお前につっかかっていたしな。あと、使ってはいけない能力を使用した事については、あとでフィンに怒られておけ」
「えー……」
フィンの怒り方は、ネチネチしていてあまり好きではないのだ。まあリヴェリアならからっとしているという訳でもなく、一度説教が始まると長いのだが。
「ところで、それは何だ?」
「あ」
指摘されて思い出す。どこかで解放しようと思っていた
「えっと、これは……」
思わず口ごもると、リヴェリアの目がすっと細まった。そして、無理矢理にバッグの口を開く。
かくしてリヴェリアの目には。がたがたと震えながら彼女を見上げる、一人の少女が映った。
リヴェリアは、そっと口を閉じた。
閉じた後、彼女は深くため息を一つして。小さく頭を抱えながら、絞り出すように言った。
「拉致……っ!」
「ち、ちがう。話を聞いて」
大きすぎる誤解をすぐに解くべく、全て説明した。アイズはそういった行為が得意ではないため、上手く言えた自信はなかったが。
何が必要な情報かが分からないため、とにかく全部を最初から起きた順に並べる。話している合間、ちょくちょくとリヴェリアの質問が飛んできた。それに答えつつも、おおむね全てを語り終えて。
話の中盤頃には、既にリヴェリアの眉間に刻まれた皺は、別の意味になっているように見えた。
「アイズ、ここに来るまでの間、その子は誰にも見られていないな?」
「えっと、たぶん……」
背中の感触から、
「ならいい。お前はそのまま、歩いてロキの執務室まで行くんだ。私は人を集めておく」
「うん」
よく分からないが頷いておく。リヴェリアの言うことには、ふざけ半分で逆らっていい時と、そうでない時がある。今回は後者だと直感した。
足早に去って行くリヴェリアの背中を尻目に、アイズはゆっくりと歩いた。わざわざ歩いてと注釈してきたのなら、必ずそこに意味はある。
仮設ホーム内は、崩壊した黄昏の館ほど煩雑としていない。ホームと言っても、旧ホームの片隅に、いくつかのプレハブ小屋を設置しているだけだった。ここで生活している者はおらず、あくまでホーム再建の指揮と軽い休憩ができる程度の設備である。
時間を掛けて執務室にたどり着くと、ドアをノックする前に開かれる。中には、予想通りにフィン、ガレス、ロキが揃っていた。
「お帰り。そこそこ大事な話なんやって?」
「うむ。だから、アイズへの説教は後にしてくれ」
「なくてもいいよ」
反射的に余計な事を言ってしまう。リヴェリアにものすごい形相で睨まれ、とっさに目をそらした。
リヴェリアはバッグを下ろすように指示する。そっと置いた後、彼女は口紐を緩めた。
「おほーっ! むっちゃかわええロリっ娘、いやロリっ狐やん!」
「なんだ、拉致か?」
「こら、アイズ。勝手に子供を拾って来ちゃ駄目って言ったじゃないか」
「そんな事言われた記憶ない……」
「お前ら遊ぶな。あとロキは抱きつくな、子供が怯えているだろう。ざっくり言うと、この子は襲撃犯の一人なのだ」
リヴェリアはアイズが伝えたことを、彼女よりよほどかみ砕いて伝えた。
最初はフリュネが、明確に命を狙って襲ってきたこと。タンムズがヤミヤミの実の能力者であったこと。何より重要だったのが、
「そらまたとんでもない魔法がでてきたもんやなあ。なあリヴェリア、これ『謎の』案件やと思うか?」
「あったとして、半分だけだろう。片方は自前の確率が高い。下手をしたら、両方とも自然発生だな」
「こういう子がたまにいるから、油断できないんだよねえ」
「そんなにすごいの?」
「うーん、お主は相変わらず、感覚がバグっとるなあ……。まあ能力のない時代を正しく理解しとらん『新世代』だし、仕方ない部分もあるが」
よく分からないからと口に出せば、ガレスが呆れるやら感心するやら。
彼が語るに、現在『謎のファミリア』が世に出した能力が猛威を振るっているのは、あくまで
だから彼女の、ランクを二つ三つ上げてくれる魔法は、正しく破格。
アイズも、フリュネが疑似ランクアップの感覚に慣れていたらどうだと聞かれて、納得がいった。確かにその場合は死んでいた。なんだかんだ、高い地力を上手く扱える者は、それだけで優位なのだ。
「んじゃ、おじょうちゃーん、ちょーっと背中見せてくれへんかなー」
「ひいぃ……いぢめないでください……」
「いじ、虐めたい!」
「やめい」
変なスイッチの入ったロキを、ガレスが叩いて無理矢理戻す。
ロキは背中を確認すると、大きくガッツポーズを取った。
「っしゃあ! 思った通りや!」
「結果を教えて欲しいんだけど。
「おっと、すまんな。要点は二つや。この子は
「へぇ……」
ロキの言葉に、フィンがあくどい笑みを浮かべる。勇者として振る舞う必要がない上、策略を巡らせる時によくする顔。そのために、一部で頭ドフラミンゴなどと罵倒されているのだが。本人が気にしていないため、ノーダメージである。
アイズは二人の服を引っ張った。
「どういうこと?」
「あの子がイシュタルの眷属やないって事はな、表面上イシュタル・ファミリアと無関係って事や。書類の上では、あー……、イシュタル・ファミリアで働いている
「我々が彼女を眷属に迎えたとして、イシュタル・ファミリアにはそれを止める大義名分がないという事だよ。アマテラスは、確か極東の国家系ファミリア主神だったかな。何らかの理由、もとい方法で
「もちろん、イシュタル・ファミリアはこの子が正式な団員だとして、引き渡し要求をする手段はなんぼかある。でも……確かついこの間、イシュタル・ファミリアのランク詐称疑惑があったなあ。ウチらの懐に身柄があって、事情も把握されとる。ギルドがもう一度ガサ入れする絶好の機会になってまう。さぞや――突かれたくないやろなあ」
「イシュタル・ファミリアは黒い噂が絶えない。大方、フレイヤ・ファミリアに対抗するため、かなり無茶をしているんだろうけど。彼女らにとっては、この子の魔法が表沙汰になるだけでも大ダメージだ。わざわざファミリアに迎え
「いっひっひっ」
「ふふふふふふ」
どうも陰謀の話となると、とたんにロキとフィンが元気になる。アイズはとっくに話について行けなくなっていたので、ほとんど聞き流した。
リヴェリアとガレスも諦め、
そのうち二人は笑うのをやめ、同時に
「とはいえ、お嬢ちゃんがどうしたいかが最優先や」
「君がロキ・ファミリアへ来てくれる意思がなければ、今の話は全てなしだ。だから、君はどうしたい?」
聞かれると、少女の瞳が揺れた。怯えに逸らしてしまいそうな視線をなんとか支え、二人を見返している。少なくともアイズにはそう思えた。
「わ、私は……娼婦をするのは嫌です。でも、私のせいで誰かが辛い思いをするのは、もっと嫌です……。だから、ご迷惑を掛けるようなら……」
言葉を遮るようにして、ロキは少女の頭をがしがしと乱暴に撫でた。
「迷惑なんて、いくらでもかけたらええんや。かけんようになんて考える必要あらへん。家族になるんやからな。それに、おちび一人入ったくらいでどうにかなるほど、ウチの子らは柔やないで」
再び、少女の瞳が揺れる。先ほどとは別の意味だというのは、誰の目から見ても明らかだった。
「はい……りたいです……! 私も家族が欲しい! 誰かと笑い合いたい!」
「せやったら、名前教えてや。ジブンの口から直接聞きたい」
「サンジョウノ・春姫です……!」
はっきりと名乗った彼女に、もう迷いは見えなかった。……まだ怯えてはいたが。
アイズはいい話を聞いたとでも言うように、うんうん頷いた。ほとんど理解できなかったが、とにかく春姫がロキ・ファミリア入りする覚悟を決めた事くらいは分かる。
だから、彼女は必要だと思うことを言った。
「じゃあ
「ひぇ……」
春姫は怯え、アイズは後頭部を思い切り叩かれた。