謎の商人ロールプレイ 作:誰かさん
アポロン・ファミリアは精強なファミリアとは言いがたい。規模だけは大きいが、その実、所属団員の質は寒かった。
外からは、ヒュアキントスのワンマンファミリアなどと揶揄されている。この言に腹立ちはあるが、しかし言い返せないのも事実だった。有力な冒険者はLv.4のヒュアキントスだけで、後はLv.2以下。この数字は、ヒュアキントスがいなければ、中堅とすら認識して貰えないかもしれないというものだ。
ファミリアの評価は、主に三つの要素で算定される。経済規模、団員のレベル、そしてダンジョンの最終到達階層。
経済規模は現時点でも十分な数字だし、団員のレベルは(いつも通りの無茶な)引き抜きでもしない限り、劇的な改善はされない。となれば、実行できるのは最終到達階層のみ。
アポロン・ファミリアの最終到達階層は20階。これは中堅の探索系ファミリアとしてはかなり低い。ましてや一人とは言え、第二級冒険者を抱えているとは思えない数字である。
危機感を覚えたアポロンおよびヒュアキントスは、精鋭部隊によるダンジョンアタックを宣言した。ヒュアキントスを中核としたLv.2以上の団員のみで、最終到達階層更新を狙うのだ。
というわけで、やってきたのは25階層。
下層の適性レベルは3で、現時点でのアポロン・ファミリアでは少々荷が重いかと思っていたのだが。思っていたより遙かにサクサク進めたし、モンスターもさほど脅威ではなかった。ここら辺、ヒュアキントスの実力が図抜けていたのが大きい。
「拍子抜けだな」
オラリオ最高峰の速度を生かして、彼を中心におよそ200メドル内の敵を瞬時に打ち倒す。
適正値を超えるレベルに加えて、攻撃力と、何より速度を爆発的に上げてくれる能力。バネバネの実は対少数から集団までまんべんなく強く、25階層程度では特に苦もなかった。
優秀な
ヒュアキントスの脳裏に、行ける所まで行ってみるか、という考えが浮かぶ。物資を考えると、どれだけ頑張ってもあと3階層くらいが限界だろうし。試してみるのも案外悪くない、そう思えた。
「団長、あんまりぴょんぴょん跳ねないでよ。万が一水の中に落ちたら危ないでしょ。ただでさえカナヅチなんだし」
そう苦言を呈してくるのは、ダフネ・ラウロス。今回の選抜メンバーが一人でありる。
能力はLv.2の中でもそこそこでしかないが、とにかく防御が上手い。パーティーの直接戦闘に向かない者を守るのに適していた。それでいて案外攻撃も上手く、全体的に小器用という評価。必須ではないが、いるとありがたいバランサーである。
「愚か者。貴様はロキ・ファミリアの報告書を読んでいないのか? 悪魔の実は海でカナヅチになるだけであり、ただの水なら普通に泳げる」
ちなみに、ロキ・ファミリアのアイズ・ヴァレンシュタインは「海以外でも泳げないのは悪魔の実のせい」と強弁しているらしい。当然、そんなものはスルーされているが。
「どっちにしたって、こんな激流に飲まれれば一発でしょ」
「それこそ安い考えであり、俺の能力を軽んじている。今回に備えて、滝壺の中から脱出する訓練はしてきた」
まあ、落ちないに越したことはない。そこだけは同意して、次に視線を向けたのはカサンドラ。
「それで、お前が言っていたのはどのあたりだ?」
「はい。ええと……」
いいながら、陰気な雰囲気を全身に纏っている彼女は、地図を広げ始めた。
カサンドラ・イリオン。
そんな彼女を連れてきたのは、実のところ飛び抜けて優秀だからだ。それこそ稀少性という意味では、ダフネなど比べものにならない。
アポロン・ファミリアどころか、オラリオ全体でも数が少ない回復魔法持ち。おまけに解毒魔法まで持っており、どんなファミリアからも欲しがられる専業
実のところ、最近になってその妄言が有用であるとも分かってきた。
『能力』登場最初期、アポロン・ファミリアは他のファミリアと同じく、怪しい老人を捕らえる事で能力の独占を考えていた。しかしこれに強固な反対を見せたのがカサンドラで、それこそ体を張って止めている。
そのせいで出遅れたと、当時は忌々しく思っていたが。しかしすぐに、彼女の行動は正しいと証明された。無体を働いたファミリアの前に、二度と怪しい老人が出てこなかったからだ。
さらに彼女は、怪しい老人が襲われそうな場所を予言した。これによって、能力を得る権利を合法的に簒奪できたのである。実は、ヒュアキントスの能力もそうやって得たものだ。
一連の流れがあり、彼女の妄言はそれなりの信憑性があると認められるようになった。今では主神アポロンも、ちょくちょく呼び出しては何かないかと聞くほどである。
鬱陶しいが、今回の妄言(本人曰く夢)は、微妙に前向きなものだった。というか、怪しい老人襲撃情報のように、上手くすれば利益になる、と言った方がいいか。そのため、少し付き合ってやってもいいかな、という程度には思っている。つまりただの気まぐれだ。
「滝壺から離れてて……流れが比較的穏やかで……浅瀬がある場所……。この五カ所のうち、どれかだと思います」
「ふむ」
地図に記されたマークを眺める。
今回、彼女が吐いた妄言は、
ただし、単体ではさほど戦力が高くない。あくまで他のモンスターと連携された場合に厄介だという程度の相手。最大の脅威である
ドロップアイテムである『マーメイドの生き血』は非常に高価で取引される。これを纏まった数で持ち帰れれば、今回の遠征は大幅な黒字で終えられ、数によってはホームの改修だって余裕で可能だ。アポロン・ファミリアの威を示すだけのダンジョンアタックが、直接的な利益までもたらす。
そんな相手が「
「そろそろだな……。総員、対
「了解」
「後方部隊はアイテムと
全員から返事が返ってくる。
確かに『マーメイドの生き血』は欲しいが、それでも命と天秤に掛けるほどではなかった。入手できないなら仕方ない。あくまで今回の目的は最終到達階層の更新であり、
そうして実行した『人魚狩り』は、特にトラブルもなく、なかなかの成果だった。
「ふむ、やはり追い込みが必要ないというのはいいな」
特殊な能力や生態を持っているのでも無い限り、モンスターは冒険者へ突っ込んでくる。これで壁、あるいは前衛となるモンスターがいれば話は変わったのだろうが、
そうなれば後は簡単だ。ダフネ隊に水際を行ったり来たりさせ、愚かにも浅瀬に近づいた
後はこの繰り返しで、数十体といた
「どうだ?」
「うーん、あんまりないかなぁ」
水の中に半身を入れて、水底をさらっているダフネに尋ねる。
答えを聞いて、彼は小さくため息をつく。
「そうか……。まあ、当然と言えば当然なのかもな」
今探しているのは、『マーメイドの生き血』だ。倒したとき、水の中に沈んでしまったものがないか確認している。だいたいは液体として流れてしまうが、稀にドロップアイテムとして結晶化し、それを加工して治療薬にするのだ。でもなければ、それなりに強くて厄介な能力を持った水生生物の血なんぞ集められる訳がない。
たまに『マーメイドの生き血』を直接ぶっかけて回復するような奴もいるが。そんなものは、例外中の例外だ。
「ドロップ率はあまり高くない、と」
「仕方ないわよ。そうぽんぽん出てくるなら、もっと市場に出回ってるし」
「そうだな。カサンドラ、今回はよくやった。お前の夢とやら、それなりに信憑性があるものと認める」
「あ……はい」
正直、最初は全く期待していなかった。ただ、どうせ近くだし、いれば儲けものという程度の感覚であったのだが。もしかしたら彼女は、こちらが思っているより遙かに使える人間なのかもしれない。
まあ当の本人は、相変わらず猫背で気の弱い女である。心なしか嬉しそうな様子はあるが、ただそれだけ。
結局、五十六体の
しかし予想外の収入には変わりなく、魔石も合わせれば巨万の富と言っていいだろう。ファミリアの格を上げるだけだった遠征に、花を添えた形となる。完全とはいかないが、ヒュアキントスをして満足させる成果だ。
「さて、もう少し進むか。……どうした?」
彼の声に、声を返す者は誰一人としていない。全員がぽかんと、なぜかヒュアキントスの方を見ている。
彼らの視線がヒュアキントスではなく、その後ろに注がれていると気がついたのはすぐだった。視線を追ってみて、そしてヒュアキントスも、思わず口を変えて呆然とする。
そこには、ぷかりと頭半分だけ浮いている何者かがいた。
当然だが、ここはダンジョン内でも、飛び抜けて危険な区域の一つである。どんな阿呆であろうとも、遊泳など考えない(いやまあ、例外的な馬鹿とはいるもので。泳いでそのまま死んだ大馬鹿者の例は存在するのだが)。だから、こんな光景はあり得ないのだ。
少女は、全体像が見えているわけではないが、恐らくまだ子供といっていい年頃。目元やら何やらがあからさまに幼い。それが、ヒュアキントスの混乱を加速させた。そもそも、十代前半で単独下層到達できるような女冒険者の時点で、心当たりがないのだ。
問題はすぐに解決したとも言えるし、より大きくなったとも言える。
少女が水面から、恐る恐るといった様子で体を持ち上げた。裸の上半身に生傷ができており、かなり酷い目に遭ったのが窺える。
問題はここから。光源の都合でよく見えなかったが、彼女の肌は青色だった。そんな肌をした種族は存在しない。なにより、水面下で水を掻いているのは、どう見ても足ではく尾ひれだった。
つまり、にわかには信じがたいが、少女はモンスター。
しかし……かといって、
「アノ……」
こちらが何をするより、それこそ戦いを決断して武器を構えるより早く、少女は控えめに呟く。
「本当ハ人前ニ出チャイケナイノ……デモ、オ礼言ワナイトト思ッテ」
もじもじと、どこかたどたどしく。しかしはっきりと人の言葉を喋った。その事実に、声を発せられないほど驚愕する。
同時に、疑問が思い浮かんだ。これは……彼女は……本当にモンスターなのだろうか。
彼女(と言っていいのかは悩むところだが)は、仕草から表情から、全てが年頃の娘にしか見えなかった。それも、特別なところなど何一つとしてない、地上に出ればどこにでもいそうな小娘に。
新手の罠だろうか、そんな発想が一瞬浮かぶ。しかし、
つまり、この状況は、本当に裏も何もない現実。
(いや、待て待て待て)
混乱する頭で、状況を整理する。
彼女に付いている生傷は、恐らくモンスターにつけられたもの。ダフネ隊が受けた傷と酷似している。
モンスターがモンスターを積極的に攻撃するというのは、レアケースではあるものの、あり得る。強化種などがそうだ。しかしそう考えるには、彼女は一方的にやられすぎていた。ヒュアキントス達と交戦した
「ソノ……」
返答が無い事に困惑してか、彼女はおどおどとし始めた。慌てて返答をする。
「あ、ああ。大丈夫だ、聞こえている。念のため聞いておくが、こちらの言葉は理解できているのだな?」
「……! ウン!」
一転、彼女は顔をほころばせ、元気よく答えてきた。本当に、どこまでも見た目通りの子供。
どう対話すればいいのか分からず考えあぐねているヒュアキントスに、ふと電流が走った。
「君!」
「君ジャナイ、マリィ!」
「そうか、ではマリィ。もしかして、奇妙な果実を食べなかったか?」
「食ベタ。マズカッタヨ」
端的な答えに、なるほど。とヒュアキントスは頷く。
いつの間にか近づいてきたダフネが、肘で脇を突きながら耳打ちする。
「いきなり何言ってるの?」
「この子は悪魔の実を食べた。それは分かるな」
「まあ。本人の弁が正しければだけど」
「それは、地上へ行ってアポロン様に立ち会っていただけば分かる。問題はそこではなく、
「だったら何なの」
察しの悪いダフネを、鼻で笑う。彼女の額に青筋が浮かんだ。
「
「えぇ? あー、うーん? そんなことある?」
「では逆に聞くが、モンスターに自由意志が発生するか?」
「……うん、そっちの方が無理あるね。どっちの方があり得るかって言われたら、断然悪魔の実だわ」
モンスターとは、端的に言って人食いの化け物だ。動物の
百歩譲って、ここに自我が発生したとして。それが『人類に友好的な』ものである可能性はいかほどか。論理的に言うなら、人類に極めて敵対的な人格だろう。人類に敵対的な生態から、友好的な自我が生まれたなどというよりは、よほど筋が通っている。
そんなものより、悪魔の実による影響だと言われた方が遙かに納得できるし、姿が通常とは違う説明にもなるのだ。
一度分かってしまえば、ヒュアキントスのやるべき事は一つだった。
「お嬢さん」
「ナァニ?」
「我々は君と仲良くしたいと思っている」
「私モ!」
ぱっと笑顔になった彼女が、手を伸ばしてくる。一瞬何事か分からなかったが、やがて握手がしたいのだと気がついた。
手を握るのに躊躇はない。ただ、やはり人間の習性を分かっているという感想が出てきただけだ。どこからどう見ても、悪魔の実の効果だった。
「カサンドラ、
「は、はいっ!」
投げられたポーションを、後ろ手にキャッチする。それを、マリィへと振りかけた。
「アリガト!」
「どういたしまして。それで、相談なのだが。できれば、我々のホームへ来てくれないだろうか。こちらで移動は担当する」
「ちょ、団長!?」
そこまで言ったら、ダフネに思い切り引っ張られた。
この台詞にはさすがに他の団員も驚いたのか、マリィからヒュアキントスを隠すように囲まれる。
「団長、さすがに無理がありますって!」
「そうよ! 下手したら全ファミリアが敵に回るじゃない!」
「貴様らはつくづく……」
愚かしすぎて、大きなため息が出てしまう。普段から考える頭が足りないと思っていたが、まさかここまでとは。
「なぜ貴様らはほんの少しでも熟慮しようと思えんのだ。悪魔の実の力を持ったモンスターだぞ、放置してどうする。こんなものはもう、見て見ぬ振りをして生き残るより死んだ方が問題だ」
「何でよ」
「頂上決戦とビッグ・マムの描写を忘れたか? 能力者を喰えば、能力を簒奪できるかも知れんのだぞ。今回たまたま友好的なモンスターになったからいいものの、
「む……」
「見ての通り、マリィはモンスターから攻撃を受けていた。それはつまり、彼女は
ここまで言うと、さすがに全員が黙った。いい加減、理解したのだ。彼女を地上に監禁するだけでも意味があると。
さらに、とヒュアキントスは続けた。
「貴様らは大きな思い違いをしている。アポロン様のご意思が全てに優先されるのだ。勝手な判断で切り捨てていいものではない」
きっぱりと断言すると、さすがに抗弁してくる者はいなかった。同意したわけではないが、反対も消極的。そんなところだろう。
それでいい、とヒュアキントスは断ずる。
邪魔な団員を手で払い、改めてマリィの元へ行った。片膝を突いて、彼女と目線を近づける。友好こそ第一目的であり、拉致など可能な限りすべきではない。
えっと、えっと、と彼女は迷いながら。
「私ノコト、モンスターッテ虐メナイ?」
「そんな事はしないしさせない。我が主であるアポロン様の名に誓って」
「ンー……。ジャア、行ク」
小さな手が、ヒュアキントスのそれに重ねられる。彼女の手を握りながら、もう片方の手で、思い切りガッツポーズをした。
「我々は魚人族の人魚を仲間にしたぞ!」
「あんた、それが本音でしょ」
ダフネのどこか軽蔑するような視線が、背中に刺さった。
「うるせぇーーーバァァァァーーーーーーカ!」
緊急で開催された
アポロンが狂乱し、その辺にあるものを手当たり次第に放り投げる。その辺にあるものというのは本当に全てで、手元に置いてあったカップ等はもちろん、果ては近くに座っていた神までブン投げる始末だった。
これにはさすがの上位ファミリア主神も参ってしまい、全員がアポロンから離れておっかなびっくり避難する有様。
彼は投げるものがなくなっても、なお暴走を続ける。
投げるものがなくなってしまったアポロンは、今度はテーブルを壊し、その破片を投擲に使う。かなりの勢いで投げられているため、当たれば怪我では済まない。一部対処できる神以外は、悲鳴を上げながら逃げ惑っていた。
怯え竦む神々の前に立ち、なんとか彼を諫めようとする神が一柱。
「お、落ち着けアポロン。そうだ、このガネーシャの筋肉を見るか?」
「貴様の汚らしい肉体など見たいものか! ヒュアキントスほどの肉体美を得てから出直せ!」
「しゅん……」
思い切り罵倒され、落ち込むガネーシャ。
ただ一定の効果はあったようで、アポロンは肩を怒らせながらも、ものを投げるのは中断した。代わりに、大きく息を吸い込む。
「いいか、よく聞けカスども! マリィたんは魚人の人魚であって、決してモンスターではなぁぁぁい! そしてえぇ! この! 私のものだあああぁぁぁ!」
今すぐ憤死しかねないほどの気迫と共に、あらん限りの力で絶叫をする。
声に、一柱の神が余計な事を口走った。
「いやでもあれ、どう見ても
「黙れェ!」
アポロンがまた破片をぶん投げる。
こぶし大の石片はまっすぐ神に命中し、彼は頭から盛大に血を吹き出しながら昏倒した。近くに居た神が小さな悲鳴を上げながら逃げる。
周りの神が慌てて介抱しているのを見届けた後、再度ガネーシャが止めようと割って入った。
「待て、本当に待つのだアポロンよ。このままでは、お前を力で制圧しなければいけなくなる」
「ンだ、コラァ! ッってみろやアァン! 首だけになっても、貴様の喉元噛み千切り殺してやるわ!」
全く話が通じない。ガネーシャは怯んだ。
ガネーシャとアポロン。普通に戦えば、アポロンに勝ち目はない。が、ただでは済まさないという自信がアポロンにはあった。
彼は武神でこそないが、権能から間接的に戦いも司っている。専業の武神戦神でもなければ、そうそう後れを取る事はないだろう。ましてや死なば諸共という勢いならば、やってやれない事はない。というか意地でも
実のところ、アポロンだって無茶苦茶な事を言っているという自覚はあった。だが、それとマリィを手放すかは全く別の話。
アポロンに、一度惚れ込んだ相手を手放すとか差し出すとかいう言葉はない。絶対手元に置き続けるし、ましてや「殺すから渡せ」などという要求には、命を賭してでも抵抗する。
彼にとって、既にマリィがモンスターだとか、そいういうのはどうでもいいのだ。惚れてしまった。持ち帰ったのも
それこそいざとなれば、オラリオ全体を敵に回してもいいとすら思っていた。これはマリィに限らず、
「……正直に言って、私は認めてもいいと思っているわ」
「おお! 本当かアストレア!」
流されて、半ば押しつぶされていた彼女が、周囲の人間を力尽くでかき分けながら言う。
当たり前に、非難が彼女に降り注いだ。何を言っているのだとか、気でも狂ったかだとか。
「そうだ、もっと言ってやれ! 頭のネジが百本くらい飛んだ正義厨女神!」
「殺すわよ? モンスターが悪魔の実を食べた問題は、今後も十分あり得る話です。
「そーだそーだ!」
「アポロン、うるさい。黙らせるわよ。一つ聞きたいのだけど、マリィっていう子は
「うむ、それは確認済みだ。未確認のヒトヒトの実だったぞ。現時点でこれ以上は言えん」
はぁ……。アストレアから小さな吐息が漏れる。
「頭の痛い話だわ。ヒトヒトの実を食べたモンスターが
「はっはっはっはっはっはっ! つまり私の勝ちだな!」
「ふざけんなバーカ! モンスターは殺すべきなんだよ!」
「というかマリィたんは俺の嫁! よこせ!」
「貴様ァァ! 本音を出したなァァ!」
取っ組み合いになりそうだった所を、ガネーシャがなんとか身を挺して止める。全力で暴れるアポロンを、力尽くで引き離した。途中、かなりの数殴られていたが。
「それでなのだがな、アポロンよ」
「ふんッ!」
「痛ぁ!」
言葉も許さず、アポロンはガネーシャの足の甲を思い切り踏んづけた。痛みにあえぎながら、それでも拘束は緩めず、なんとか続ける。
「ギルドから、件の
彼の言葉に、全員が目をむいて驚いた。それこそ、暴れていたアポロンすらも、ぴたりと動きを止めてガネーシャの方を見たほどである。
「どういう事だ……?」
「今回の話は、ギルドの中でも相当に紛糾しているらしくてな。処遇はギルドでも意見が分かれ、あわや内部分裂かという所まで行った。そこで珍しくウラノスが出張ってな、鶴の一声で「アポロンに預けよ」と」
「じゃあなぜ貴様はマリィたんを処刑しようとしたのだ!」
「ガネーシャ、そんなこと一言も言ってない……。ただ落ち着かせようと頑張っていただけなのに……」
「……そういえばそうだったかも」
思い返せば、言う通りのような。確かに、マリィの処遇については言及がなかった気がしなくもない。正直、誰が何を言ったかまでは記憶になかった。
「ウラノスの許可があるなら、なおさら私は監視を推すわ。ただそのために、アポロンには一つ条件を飲んで貰わなきゃいけないけど」
「なぜ貴様ごときにそんなことを言われなければならん」
「なぜ? 今、なぜって言った? あなた、自分がどれだけ問題を起こしているか自覚がないようね」
アストレアの目が鋭くなった。危険な兆候を感じてか、彼女の周囲にいた神が距離を開ける。
別に、アポロンに迷惑を掛けている自覚がない訳ではない。ただ顧みないだけだ。欲しい子供を得るには仕方ない事であり、だから反省も後悔もすべきではない、と。ただただ、それはそれとして割を食う者はいるだろうな、という感想があるだけ。
故に、彼女がどの件の事を言っていようと、回答は一つ。んなもん知ったこっちゃねえ、だ。
「あなたが他のファミリアに行っている、強引な引き抜き。しかもそのために、隠れて暴力行為までしているのは証拠もあるわ。いい加減見過ごせない」
「見過ごせなかったらどうするというのだ」
そう言って、アポロンは鼻で笑った。
他ファミリアに干渉してはいけない。これは不文律である。
が、それが何だという風に、アストレアは吐き捨てた。
「あなたのとこ、ソーマ・ファミリアに次ぐ問題のファミリアだって話に上がっているわよ。ああ、旧ソーマ・ファミリアだったわね」
この言葉に、アポロンは思わずぎょっとした。焦ってガネーシャを見ると、彼は痛ましげに小さく頷く。
ソーマ・ファミリア。それはある意味でオラリオの汚穢そのものであり、今では言葉にするのも忌避する者が多い。とりわけ子供達は、揃って名を出さないファミリアだった。
事の始まりは、恐らく『悪魔の実』に端を発する、謎のファミリアがばらまいた能力なのだろう。彼らはいくらかのファミリアと同じく、早い段階で怪しい老人を捕縛し、能力の独占(という名目で隷属の強要)を企んだ。そして当然、二度と接触できなくなる。
それでもソーマ・ファミリアおよび団長のザニス・ルストラは諦めなかった。金にものを言わせて、他派閥や一般人を雇い、時には暴力的な方法もとって、何度も老人を我が物にしようとする。
当然、これには大きすぎるリスクが伴った。問題となったのは、自分ではなく雇われた側に。一般人の方はともかく、雇われ他派閥団員は、自派閥の者まで巻き込んで能力を得る機会がなくなったのだ。頭の足りない団員を使われてしまったファミリアは、該当人物を退団させるしかなく。そんなことが起きてもザニスは懲りず、何度もあの手この手で怪しい老人に手を伸ばした。ただでさえこの時点で、ファミリアの内部で完結する話ではなくなっていたのだ。
ただでさえ評判が悪かったソーマ・ファミリア。この件で過去の行いまで広く知られる事となり、完全につまはじきとなる。
これの割を食ったのは、一般団員だ。
もはやソーマ・ファミリアの団員は、たとえサポーターだろうと組んでくれる者はいなくなる。あらゆる場所で忌避され、時にはダンジョン内でかなり強引な排除を受けることすらあった。
ソーマ・ファミリアは団員数だけしか取り柄のない、三流以下のファミリアである。構成員のほぼ全員が下級冒険者で、第三級冒険者などザニスただ一人。能力も装備もたいしたことが無く、その上ファミリアのバックアップすら受けられない冒険者。ここからさらに周囲から白眼視されてしまえば、飢えるのはすぐだった。
とにかく生きるので精一杯な、誇りなどない冒険者。そんな連中が自分より弱い一般人をターゲットにし、狼藉を働き始めるまで、時間はいらなかった。
苛烈で限度のない振る舞いは、不干渉だからで済ませられる話ではなくなる。アストレア、ガネーシャ両ファミリアの合同作戦により、ソーマ・ファミリアの制圧作戦が実行された。
そこで何を見たか、アポロンは知らない。ただ、両ファミリアの団員が怒りに打ち震えるような状況だったというだけ広まっている。
最終的に、ソーマ・ファミリアは強制解体。主神ソーマの身柄は、生産系ファミリアが共同で管理下に置くと決まる。ホームの中を改めているうちに、団長のザニス・ルストラと側近が
「そんな所と、私を一緒にすると言うのか!」
「やってる事まで同じと言うつもりはないけどね。ファミリア……というか、あなたにに対する反感はそれ以上よ」
「ぐ……!」
思わずうなって、周囲を見る。アポロンを睨みつけている神は、両手の指で数えられない程にいるのだ。誰も彼も、強引に眷属を奪われた者。
「はっきり言うわ、これは温情よ。たまたま強制介入を行う前に警告する機会があって、たまたま交換条件にできそうな話があったというだけ」
「マリィは私が見つけたのだぞ!」
「そうね。でも別に、監視するのがあなたでなければならない理由は、何一つないわ。言っておくけど同意しないなら、その子の処遇如何に関わらず
「こんな無法が許されるのか!? 誰か……誰か!」
声を掛けるものの、同意する者は一神としていない。ここにきて、信頼の差が出た。
どれだけ品行方正に生きてきたか……などではない。どれだけルールに沿って生きてきたか。
欲求の赴くまま、逸脱した行為を平気で行ってきたアポロン。それに対し、思うところはあれども、限界まで不干渉というルールに従ってきたアストレア。どちらが支持されるかなど火を見るよりも明らかだった。どうしたってこれは覆らないだろう事を、今になって悟る。
もっと早くに気付くべきだった。自分に味方はいないのだと。
「っ~! ……条件を言え」
「他ファミリアへの不法行為を疑われた場合、ギルドの査察を断らない事。もう一つ、
どちらも重い。とりわけ後者は、二度と
少なくとも、これを突っぱねれば実力行使が待っている。
「受け入れた場合……うちの
「申し訳ないけれど、現状維持ね。元のファミリアに戻せとか解放しろとか、そこまでは言えないわ」
「ぐぐぐぐぐぐ……」
正直に言って、すごく嫌だ。なぜ欲しいものを我慢しなければならないのかと思う。
しかし、やりたいようにやって袋叩きにあった者は、天界でも下界でも枚挙にいとまが無い。
考えようによっては悪くないかも知れない。神はまだモンスターに対する忌避感が少ないが、子供達はそうではない。中にはマリィだろうと、殺したくて仕方がない子供もいるだろう。ここで明文化してしまえば、少なくとも表立っては手出しできなくなる。もしかしたら、アポロンをやり込められたと思って
そんな風に考えて、無理矢理自分を納得させた。いや、全然納得できないのだが。
ぎりぎりと歯ぎしりをしながら耐え、やがてアポロンは絞り出すように言った。
「分かった……条件を飲む……!」
「そう、よかったわ」
アストレアと、そしてガネーシャもほっとしたように吐息を付く。アポロンを睨んでいた神は、これでしてやったとでも言いたげに騒いだ。非常に憎らしい。負け犬のくせに。
差し出された書類へ乱暴に署名した後、彼は怒りにまかせてペンを叩き付けた。そして、背を向けながら叫ぶ。
「ふん! 悔しくなんかないもんねー! バーカバーカ! お前ら全員タンスの角に小指ぶつけて悶絶しろ!」
「ざまああああ!」
「負け犬の遠吠え、おいしいです」
「アポロンたんかわいいよペロペロ」
精一杯の捨て台詞を吐き、走って逃げ出す。背後からやいのやいのという声が響いたが、とても内容を聞く気にはなれなかった。
ちょっと涙目になりながら、精一杯強がって帰路に付く。腫れぼったくなった目元を見られたくないため、少しだけ遠回りした。まあ、誓って泣いてなどいないのだが。
ホームにさしかかったところ、門の前でぼんやりと突っ立っている男を見つける。気分が最悪だった事もあり、思わず絡んでしまった。
「おい貴様、何をしている」
「あ、ええと……」
いきなり声を掛けられて困惑しているのは、まあ、どこが特徴という訳でもない男だ。せいぜいやたらでかいリュックを背負っているのが目立つ程度。
「ここは私のホームだ。何をうろついている」
「ええと、すまねえ。ここにリアル人魚がいるって聞いたもんで」
「……もう噂になっているのか」
眉をひそめる。
が、別におかしな事ではなかった。アポロンは、マリィをホームの中に入れてからは、特に隠して居なかったのだ。むしろ自慢してさえいた。だからこそ、緊急で臨時の
いや、話題になっている事自体はいいのだ。問題は、その後に余計なケチがついた事である。
「貴様、名は何という?」
「リドだぜ」
「ふん、聞いたことがないな」
どうやら冒険者らしいが、大した腕ではないようだ。恐らく二つ名もまだないだろう。
普段なら相手にしない小者だが、気分転換には丁度いい。話の一つも付き合ってやることにする。
「それで人魚を見に来たと。言っておくが、見せてやらんぞ」
「だろうなぁ」
「ついでに、貴様の主神にも言っておけ。マリィたんは私のものだ。誰にも渡さんと」
「マリィたん……」
なぜだか微妙な顔をしているリド。どこか悩んでいる様子だった。何に悩んでいるかは知らないし、まあ、どうでもいい事ではある。
「ところで、なんかやたら大きな工事をしているみたいだけど、これは何だい?」
「うむ。これはマリィたんが快適に過ごすための改築だ。ホーム中に水路を通そうと思っている。まだ図面も完全ではないがな。その前に、部屋を用意しなければならんし」
この大規模な工事は、今回の遠征で得た金の大半をつぎ込んで行う予定である。
最初は反対意見もあった。しかし、彼らもマリィと実際にふれあってみると、まあ仕方が無いかという様子に変わる。
「その、ずいぶんと可愛がられてるんだな」
「やらんぞ」
「そういうつもりで言ったんじゃないんだが……」
うーん、とリドは暫く考え込んだ後、独り言のように言った。
「どうせ会わせて貰えるとか、最初から思ってなかったしな。そうだ、せっかくだからマリィの事聞かせてくれよ」
「ふん、まあいいだろう。この私が直々に、マリィの魅力を語ってやろうではないか!」
これはいい愚痴の相手ができた。そんな風に思いながら、がっちりとリドの肩を掴む。
その後、
つまりそんな、激動の一日だった。
漫画や映画の情報を見るに、水の成分関係なく水量が問題のようです
ただそこまですると見極めが面倒なので、今作では海水のみとしています