謎の商人ロールプレイ   作:誰かさん

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うさぎおいしかのやま

 オラリオの生活は楽しいが、同時に毎日遊んでいるだけではやっていけない。という事でベルは、毎日ガンガンダンジョンへと向かっていた。

 ステイタスの恩恵もあって、とりあえず「初心者がここより下に行ってはいけない」と言われていた上層上部では苦戦しなかった。姉の拷問じみた訓練は無駄じゃなかったんだ、と感動した瞬間である。

 ただ、感動が落ち着いてくれば、現実が見えてくるものであり。

 端的に言ってしまうと、新人冒険者は全然稼げないという現実を知った。

 ベルだって、新米ががっぽがっぽに稼げる、などとまで甘いことは考えていない。しかし、どこかに期待もあったのだ。あれだけ鍛えていたのだから、もしかしたら自分はいきなり凄いんじゃないかと。

 確かにベルは、戦闘技術で言えば上澄みである。あくまで新人としては。だからといって、適性レベル以上のモンスターをぽんぽん倒せるほど強くなければ、ダンジョンは甘くなかった。

 今の彼が一日に稼げるのは、数千ヴァリスといった程度。万はおろか、半ばに届くことも珍しい。どれだけ好意的に見ても、下級冒険者の粋を出なかった。

 人間が健康に一日を過ごすのに必要な金銭が、だいたい1500ヴァリス強だとする。これにプラスして、住居の維持費やら何やらも稼がなければいけない。おまけに冒険者は、武器防具の購入整備費用、いざというときに回復薬(ポーション)を用意できる貯金等、支出も多い。

 下手をすれば赤字になる稼ぎだった。これは、冒険者の全体的な強化に伴う、魔石相場の下降が大きな要因である。

 冒険者になればなんとかなるだろうの精神だったベル。見込みが甘すぎたことを知る。

 はっきり言って、ファミリアに納める金を差し引けば、生活分くらいしか残らなかった。

 

「うぅ……おじいちゃん、現実は厳しいです……」

 

 別に、ファミリアやら何やらに文句があるわけではない。上納金は適正な価格だし(多分)。新人冒険者が無理なく生きていけるという時点で、十分に善良な運営体制だと分かっているのだ。

 ただ、現状ファミリアの運転資金は、アルフィアとホリンの稼ぎから出ている。そこに、ベルの貢献はない。

 つまり、今のベルは、人の手当を当てにして日々を過ごしているのと同義である。めちゃくちゃ罪悪感と情けなさがあった。

 

「神様は気にするなって言ってくれてるけど……」

 

 言葉を真に受けて気楽に構えられるほど、ベルは暢気ではない。

 もうちょっと下の階層にまで潜りたい――つまり『冒険』をしたいと訴えたのは、つい昨日のこと。アルフィアとホリンからは「好きにすれば」と言われたが、ヘスティアから大反対を食らってしまう。

 それでもちょっとくらいなら、と思っていたのだが。どうやら前日のうちにエイナへ告げ口をされていたらしく、絶対に規定の階層より下へ行ってはいけないと説教を貰った。

 正直、いつまでこの調子で居なければならないのだろうという思いは強い。どこまでが新人で、こんな風に日々を過ごさなければならないのだろう。

 何を置いてもまずは慣れよという考えなのは分かっている。地上とダンジョンでは、環境からして全く違うのだ。まずはそこに適合しろ、という教え方は、否定していいものではない。

 エイナは言う。冒険者は冒険してはならない。これは、ある一面において正しいだろう。

 しかし、とベルは思うのだ。『冒険』なくして『成長』はない。ましてや神の恩恵(ファルナ)が器を昇華させるには、偉業を達する必要があるのだ。安全ばかりを選択して進めるほど簡単とは、どうしても思えなかった。

 いつか冒険が許される日が来るのかも知れない。まずは新人に無茶をさせず、生存率を高めるという方針も理解できる。

 ただ。

 

「これじゃあ僕は、いつまで経ってもお姉ちゃんのヒモじゃないか!」

 

 そこだけは、どうしても飲み込めなかった。

 故郷にいた時点で、意地悪されながらも、あれやこれやと世話を焼いてくれた人。この上で、オラリオに来てまでおんぶに抱っこなのは、なんというか精神的に死ねる。ただでさえ、一生頭が上がらないかもという考えが脳裏をちらつくのに。

 

「どうにか許可を貰わないと」

 

 ぶつぶつと、ギルドの待機所で呟く。現在は魔石とドロップアイテムの換金をして貰っている最中だ。算出が終われば、渡された番号札を呼ばれる様になっている。

 現状の何が悪いかと言ったら、ベルが冒険者に成り立てな所だ。これの解決方法は時間しかないため、とりあえずは脇に置いておくとして。

 次に思いついた問題点が、単独(ソロ)であるという点。

 ダンジョン攻略は、基本的にパーティー単位だ。たまに単独(ソロ)専門の人もいるが、それはキワモノの類。ちゃんとした(というかまともな神経をした)ダンジョンアタックをするならば、仲間は必須だった。

 

「うん、やっぱり一緒に潜ってくれる人を探さないと」

 

 ぐっと拳を握りしめ、方針を決める。

 まあこれも、言葉ほど簡単な話ではないのだが。

 パーティーは、大抵の場合が同ファミリア内で組まれる。というか、同ファミリア内でパーティーを組めないものは、それだけの問題人物と見なされるのが普通だ。

 ファミリアを跨ぐ固定パーティーは、よほどファミリア同士の関係が良好な場合に限られた。固定パーティーでなければ、可能性はなくもないのだが。逆に言うと、固定パーティーでなかったとしてもそれだけ低い確率ではあるのだが。正直に言って、他にすがれそうなものもない。

 ちなみに、ベルがファミリア内でパーティーを組むのは無理である。ホリンは一匹狼で、アルフィアもレベル帯が同程度になるまで組む気はないと明言されていた。

 

「帰ったら、早速神様に聞いてみないと」

 

 換金を終えた後、小走りでホームに戻っていく。

 思ってみれば、ベルはヘスティア・ファミリアの事を何も知らない。友好、敵対関係にあるファミリアすら把握してないのだ。

 

(お飾りでも一応団長なんだから、これも確認しないと……)

 

 というか、ベルがやらなければ本当に誰もしない。

 冒険者経験のある二人は、なんだかんだ力を貸してくれるのではと期待していたが。マジのガチに放置だった。これにはベルも戦慄したものである。ちなみにヘスティアは善良ではあるものの、組織的な気遣いは全くできない。ヘスティア・ファミリアは、本当にベルの匙加減一つで全ての方針が決まる場所だった。

 比較的早めの時間にホームへ戻ると、珍しいことにヘスティアがいた。

 ヘスティア・ファミリアは、金銭的な意味ではそれなりに充足している。Lv.4二名が好き勝手にダンジョンへ潜り、稼いでいるためだ。そのため、ヘスティアはもうバイトをする必要はないのだが。彼女の友神、もとい保護者であるヘファイストスが「ぐうたらは許さない」と言ってバイトの続行を命令した。ヘスティアは泣いた。最近は他の事もちょくちょくやっているようだが、これの内容は知らない。

 ちなみに、ホームとして使っている廃教会は修繕保全(多少の改築も)が決定している。これはアルフィアの強い希望によるものだ。なんでも、思い入れがあるらしい。詳しいことは話して貰えなかったが。

 

「神様、お帰りなさい。今日は早いんですね」

「おお、ベル君。うん、古い友神がオラリオに来てるみたいでね、早引きさせて貰ったんだ。ベル君こそ、今日は早いねえ」

「バッグが一杯になってしまって。もう一周するには、ちょっと遅いですからね」

 

 単独(ソロ)でのダンジョン探索には、ランクに関係なく共通した問題がある。ドロップアイテムの運搬量が限りなく低いという点だ。

 上層の、それも初心者しかいないと言われているような場所ですら、何も考えず全回収しているとすぐ一杯になる。単独で下層深層に潜っているような人が、どうドロップアイテムを選別しているのか気になった。

 この問題を解決するのが、サポーターという役割(ロール)だ。そこそこ深く潜るなら必須と言っていい存在のだが、その割に社会的地位は低い。冒険者のなり損ないという悪いイメージと、犯罪の温床になっているという二つの事情からだ。

 これでも、いくつかのあくどいファミリアが潰れてからは、大分マシになったらしい。ギルドが改善のために大分骨を折っているとエイナから聞いたが、結果が出るのは数年先だともぼやいていた。

 

「ベル君も、丁度いいから同席しておくれよ。彼女達は基本的にオラリオの外で活動していて、たまにしか顔を合わせられないらしいからね」

 

 本当は、皆が帰ってきてから紹介しようと思ったけど、と注釈する。

 

「分かりました。こちらにいらっしゃるんですか?」

「ううん。さすがに廃教会(ここ)は、人を招けるような場所じゃないしね。『星屑の庭』を借りられる事になったんだ」

「星屑の庭……! アストレア・ファミリアのホーム!」

 

 アストレア・ファミリアは、全冒険者――とりわけ女性冒険者には憧れのファミリアだ。男子禁制で、オラリオ三番手のファミリア。少数精鋭という看板は正しく、Lv.3以上の団員のみで構成されている。

 ベルだって、女だったら一にも二にもなく突撃していただろう。

 

「楽しみですね!」

「あはは、ベル君には悪いけど、アストレアには場所を借りてるだけだから。団員君達と会えるかは怪しいぜ?」

 

 雰囲気を感じられるだけでもいいのだ。憧れとはそういうものなのだから。

 ウキウキとスキップしながら、ヘスティアに連れられて星屑の庭へと向かう。

 星屑の庭は、あまり一流ファミリアらしくない立地のように思えた。大通りからはほど離れており、建物の周囲も微妙に閑散としている。建物も華やかなのは正面だけで、裏手側は大分無骨な作りだった。

 そんなことをヘスティアに聞いてみると、彼女は指を立てながら語る。

 

「星屑の庭はね、暗黒期以降に大改修をしたんだ。人々の避難所になれるようにってね。いざというときは要塞として立てこもれるようにもなっているのさ。……なんて、ボクも聞きかじった程度でしかないんだけどね」

 

 えへへ、と恥ずかしそうに笑う。

 暗黒期というのは、ベルには本当かどうかも怪しい噂程度の知識しかない。なんでも、アルフィアは短期間ながら、その時代を経験したのだとか(一体何歳なんだろう……)。

 ともあれ、アストレア・ファミリアが躍進したのは今の主要メンバーが入ってきてからである。それまでは……こう言ってはなんだが、中堅やや上といった程度のファミリアでしかなかった。ホームの立地が微妙なのは、そのなごりが今も残っていて、こういう形に落ち着いたのだという。

 

「はー……ファミリアに歴史あり、ですねえ」

「この辺が賑わってきたのも、アストレア・ファミリアが大きくなってからだぜ。ボク達も大きくなれば、教会の周囲にいろんな店が並ぶよ、きっとね」

 

 それは、なんとも夢が広がる話だ。

 

「ヘスティア?」

 

 二人して感慨にふけっていたら、背後から声が掛かる。

 そこにいたのは、女神……だと思う。神の醸す気配というのは独特で、慣れてくると神威を発していても分かるようになるのだ。よほど上手く演技されたらならばともかく、普通にされているならまず間違えない。

 その女神は、とても美しかった。

 誓って言うが、ヘスティアが見劣るという訳ではない。ただ、ヘスティアは美しさよりもかわいらしさが全面に出てくる。何というか、こう、綺麗だなと見惚れるタイプではなかった。

 まあ、目の前の女神に目を奪われるような事はなかったのだが。だって、彼女の容貌よりも、両手の紙袋にぎっしり詰まった漫画の方に目が行ったし。

 彼女も視線に気がついて、慌てて紙袋を背後に隠した。

 

「いや、これは違くて……!」

「そんな恥じる事ないじゃないか、アルテミス」

「そうですよ。『BLEACH』とても面白いですよね」

 

 BLEACHは、非現実型の中ではトップクラスに人気のある有名な本だ。それこそ、斬魄刀が現実にないことが非常に、ひっじょーに惜しまれる程に。熱心な読者がどうにか斬魄刀を出してくれと謎のファミリアにファンレター(?)を送り続けている。かくいうアルフィアもその一人で、定期的に斬魄刀はよ出せというコールをしていた。

 ちなみに、BLEACHに一枚劣る形で、『NARUTO』『HUNTER×HUNTER』『北斗の拳』などがある。ここらが一歩引くは作品内容ではなく、舞台背景が万人受けしないのが原因だと言われていた。例えば、『NARUTO』はあからさまに極東人向けの漫画であるとか。

 

「なんだよぉ、恥ずかしがる事ないじゃないか。一緒に漫画トークしようぜぇ」

「そうですよ。えっと、アルテミス様でいいんですよね?」

「そ、そうかな? じゃあ、ちょっとだけ話しちゃおうかな……」

 

 なんというか、ずいぶんとキャラクターが可愛らしい。最近出回り始めた『ラブコメ』なる漫画にいそうなキャラクターだな、とベルは思った。ヘスティアに関しては……その、ごめん。でもヒロインの親友とかならありえそうだから。

 

「では改めて。私はアルテミス。ヘスティアの神友だよ」

「僕はベル・クラネルです。一応、ヘスティア・ファミリアの団長もさせてもらっています」

「ちゃんと挨拶ができるいい子だ……」

 

 と、途中でアルテミスの言葉が止まった。なぜか、目を見開いている。

 彼女は本をそっと地面に置くと、ベルにずいっと寄ってきた。唐突に距離を詰められ、思わずどぎまぎする。

 

「……オリオン?」

「ちょちょちょーっ! アルテミス、距離が近いぜ!? ほら、離れて離れて!」

「あ、ああ。唐突で申し訳なかった。ところでヘスティア、ものは相談なんだが、オリオン――ベルを私にくれないだろうか」

「いきなり何言ってるの!? 再会して早々引き抜きとか、さすがのボクでもびっくりだよ!」

「む、すまない。そういう意味ではなかったんだ。ただ、ベルを私の伴侶として欲しいというだけで」

「意味の分からなさが数段上がったんだけど!?」

 

 女神二人の話し合いは平行線……というか、どちらも自分の意見を曲げずにぶつけ合う展開となり。発展性がないどころか、話せば話すほどこじれる有様だった。

 

「駄目ったら駄目だ! ……ベル君、君は少し応接間なりで待っていてくれるかい? 僕はこの分からず屋を論破してから戻るよ」

「うん、それがいい。私としても、ヘスティアには理解の上でオリオンを渡して欲しいからね」

「誰が渡すかぁ! ベル君はボクのだぞ!」

 

 なんだかよく分からないうちに、二人はずんずんと奥へ進んで行ってしまった。

 静寂の中、ベルは一人、ホームの入り口に取り残される。唐突すぎて、話が全く見えてこない。

 ヘスティアにはホームの中で待っていろと言われたら、勝手に入っていいのかも分からない。そもそも、女所帯の生活空間に飛び込む時点で気が引けた。

 

「もし」

「ぎゃっ!?」

 

 気配もなく背後から声をかけられて、心臓が飛び出てしまうのではないかというくらい驚いた。

 ぎょっとしながら振り向き、慌てて言い訳をする。

 

「あの、僕は神様の付き添いで来てまして! 別にやましいことを考えている訳では決して!」

「知っていますよ。ずっと見ていましたから」

「へ?」

 

 どこか抑揚に乏しいしゃべり方をする少女を見て、ベルは別の意味で心臓を跳ねさせた。

 そこにいたのは美少女だった。それもちょっとやそっとではない。超がいくつもつくようなだ。

 身長は、ベルよりいくらか低い程度。恐らく年の頃も同じくらいなのではないだろうか。金色の長い髪はまるで絹糸のようであり、『妖精』という言葉がこの上なく似合っていた。金糸をかき分けるようにして覗いているのは、長い耳。エルフである事の証明だ。それこそ彼女の美貌は、女神に勝るとも劣らない。

 端的に言ってしまえばだ。ベルはこの瞬間、一目惚れにして初恋をした。

 

「わたくしはアルテミス様の護衛を、影ながらしていたのです。あなたは、ずいぶんとアルテミス様に気に入られた様で……聞いていますか?」

「ひゃい!」

 

 めちゃくちゃ声が裏返ってしまう。恥ずかしい。

 彼女から見て、ベルはさぞ挙動不審だっただろう。顔は紅潮し、手足の感覚がない。もし何かきっかけがあれば、大声を出しながら逃げていたかも知れない、とすら思った。体が動かなかったのは、相手のあまりな美貌に硬直したから。それくらい彼女は美しく、そしてベルの好みど真ん中だった。

 いや、あと何秒か時間があれば、実際に逃げていたかも知れない。それが制されたのは、彼女の白魚のような手が、ベルの手をしっかりと握ったから。

 

「とりあえずこちらに。ここでは変に注目を集めてしまうやもしれませんので」

「はわわわ……」

 

 触れられた手が、めちゃくちゃ熱かった。ベルの中には、それを振り払うという選択肢はない。万が一にも傷つけてしまうかもしれないし、そもそも体がガチガチに硬直している。

 彼女に連れて行かれた場所が、どこかは分からない。ただ、一対の椅子やテーブルがある当たり、客人を招く部屋ではあるのだろう。

 しかし、ベルにとって重要なのはそこではない。狭い部屋に二人きりというシチュエーション。超絶好みで、惚れた女の子と、密室にいる!

 

「とりあえず、わたくしはカリストです。あなたのお名前を聞いても宜しいかしら?」

「ベルです! ベル・クラネル!」

 

 自分の大きすぎる声に、思わずびっくりした。気合いが入ってしまった声を、変に思われていないだろうかと不安になる。

 幸いにも、カリストは一瞬びくりとしただけで、さほど気にしていないようだった。そんな事はどうでもいいとばかりに、ベルをじろじろと見てくる。

 こちらを見上げる顔。とても長いまつげに、切れ気味の目とは対照的に優しげな視線。どれもこれも、ベルの心臓を早めていく。

 

(なっ、なんだろうっ!?)

 

 全身が凍ったように固まる。指一本動かせないのではというような状態だ。

 どういう事なのだろう。ぐるぐるとまとまらない頭で悩む。

 ベルの女性経験は限りなく少ない。故郷に同年代の女の子などおらず、一番長く接触した女性もアルフィアという始末。しかも彼女はどうしようもない振る舞いを抜いても、保護者兼師として徹しており、女性を感じることはなかった。

 とりあえず、これだけ近づいてくるんだから嫌われてはいないよね、と思う。何もしていないのだし。後はまあ、だからといって好かれている訳ではなさそうだとも。いくら初対面での距離が近くとも、そこまで自惚れる事はできなかった。

 そして。ベルが甘酸っぱい考えを持っていられたのも、ここまでだった。

 

「ひぃ!?」

 

 おもむろに伸びたカリストの手、それがベルの息子を握った。

 ベルは思わず腰を引いて、股間をかばった。

 

「な、なにするんでひゅか!」

 

 想定外すぎる事態に、思わず舌を噛む。一瞬、これがエルフ流なのかと思ったが、どう考えてもそんなわけがない。

 彼女はベルの事など気にせず、股間を握った手を眺めていた。

 

「特別大きいとか、そういう訳ではなさそうですわね。もっとも、わたくしに()()()の善し悪しなど分かりませんけれども。ううん……問題はそこではないという事なのでしょうか」

 

 何を人の()()で真剣に悩んでいるのだと思うが、ともあれカリストはこの上なく真面目な顔をしていた。

 彼女の独り言を聞いていくうちに、ベルは少しだけ思った。もしかしたらこれは、自分が理解できないだけで、重要な問題なのではないだろうかと。

 

「この方のどこに、アルテミス様は惹かれたのでしょう」

「あの、これって何なんです?」

「女神様が惚れるほど、何かが特別とは思えませんし。やはり、我々人類とは違う視点を持っているのでしょうか」

 

 声を掛けてみるが、全然聞いてくれない。あえて無視している、という様子でもなかった。さすがに、視界にも入れて貰えないとは思いたくないが。

 カリストは暫く考えた後、やがて決意したように顔を上げた。

 

「まあいいでしょう。アルテミス様が受け入れた殿方など千載一遇。この機を逃す手はありません」

「あの……結局何なんでしょうか。できれば事情を教えて下さい」

 

 そして、じろりと――なんとなく、初めてベル本人を見た気がした――こちらを見る。

 彼女の瞳は、何というか。恐ろしく濁っていた。気のせいではなく、本当に。

 

「ところであなたは、あなたがわたくしとまぐわったあと、アルテミス様と情事を行えば、それはわたくしとアルテミス様が繋がった事になると思いません?」

「……はい?」

 

 意味が分からなさすぎて、答えとも言えない声が漏れる。

 幾ばくかの沈黙を挟んだ後。ベルはやっとカリストの言っていることを理解して、顔を赤らめるよりも先に青ざめさせた。この人はまるっきり意味が分からず、そして道理が通らない事を言っている。

 

「な、何を……」

「否定的なようですね。わたくしもなるべく円満にと思いましたが、仕方のない事です。それに……殿方のものがわたくしの中に入ってくるなど、怖気が走りますし」

「ひっ!?」

 

 彼女の目の色は、どう表現していいか分からない。とりあえず、人に向けていい類いではない事だけは確かだ。

 再度、まるっきり独り言として、カリストが呟く。

 

「あなた様の()()を切り落とし、わたくしに移植(つけ)たとして、アルテミス様は受け入れてくださるかしら……」

 

 今度の目は、ベルも知っていた。

 冬眠に失敗した熊。食べるものがなく、延々彷徨い続けた末に見つけて小村。なりふりを忘れた獣は、それこそ村人総出で討伐を行っても、引くことをしなかった。死を覚悟した突撃。あの時の、狂気が生死を超越してしまい、それ以外の全てを失った目。

 それが。今。ベルだけを見ている。

 そこが、ベルの限界だった。

 

「わああああああ!」

 

 ドアを思い切り叩いて逃げる。鍵を掛けられていなかったのは幸運だった。もし開かなかったら、ベルは最低限の理性すら保てなかっただろう。

 

「なんだいなんだい!?」

「どうした! 何かあったのか!」

 

 すぐ近くに居た女神達が、声を聞いて飛び出てきた。

 ベルはヘスティアに抱きつくと、そのまま背後に隠れて、がたがたと震える。妙な安心感があり、そのままぼろぼろ涙を流してしまった。

 

「本当にどうしたんだい!? おーよしよし、もう大丈夫だよ、ベル君」

「カリスト、君はベルに何をした?」

「特にこれというものは……。会話らしい会話もまだしておりませんし」

 

 神に嘘は通用しない。そして、二人の女神は釈然としないながらも、カリストの言い分を飲んでいる。

 それはつまり、本当に彼女にとっては、その程度の事でしかなかったという事だ。ベルの扱いも含めて。それは、彼を道具として扱うのも、息子をちょん切るのすら、まだまだ序の口だという意味だ。

 

「女の人怖い……エルフ怖い……」

「わぁ……ベル君が壊れちゃった」

「これはもう挨拶って言う雰囲気ではないな。ヘスティア、今日の所は」

「そうだねえ。おいとまさせて貰うよ」

「またお越し下さいませ。わたくし達は間借りしている身、いつでもとは言えませんが。よろしい時があれば、わたくし達から出向かわせていただきます」

「うん。うーん。ちょっとベル君の様子を見ながらにするよ。またね、アルテミス」

 

 ヘスティアによしよしと撫でなられながら、手を引かれて星屑の庭を出て行く二人。背後には、ベルが流した涙の跡だけが残っていた。

 この後、ヘスティアがどれだけベルをあやしても、何も答えてもらえなかったり。

 戻ってきたホリンに男同士の話という事で告白したが、爆笑されてさらに傷ついたり。

 ヘスティアには話さない方がいいという結論になり、一人仲間はずれにされた彼女がちょっと拗ねたり。

 いろいろな事があったが、これらは全て余談でしかなく。

 つまるところこれは、ベル・クラネルが初恋とエルフへの幻想を木っ端みじんに粉砕され、その上特大のトラウマを植え付けられるというだけの話である。

 

 

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