謎の商人ロールプレイ 作:誰かさん
女神ヘスティアの一日は、爽やかな目覚めから始まる。……などということはなく。
「……フガッ」
ぐーたらとだらしのない格好で寝こけている所、鼻をつままれて息苦しくなり起きる所から始まる。
はっきりしない意識の中、手足をばたつかせる。しばらくそうして、やっと現実にまで意識が浮かんできたところで、自分の鼻をつまんでいる手を引っこ抜くのだ。
もしょもしょ顔を揉みながら、上半身を起こして一言。
「アルフィア君、いつも言ってるじゃないか。もっとボクを優しく起こしてくれって」
「断ると言った筈だぞ」
彼女はいいながら、ヘスティアからシーツを引っぺがすと、すぐに立ち去ってしまった。
まったくまったく、とぷりぷり怒りながら、いいとは言えない目覚めを味わう。
本当は優しい優しいベルに起こして欲しいのだが、彼は朝食担当だ。というか、一般的な家事はベルとヘスティアの担当である。残りの二人は不器用だったり大雑把だったりで、控えめに言っても気遣いが必要な作業に向かない。掃除すらまともにこなせないってどういうことなの……と当初は思ったものだ。
彼らは人生の大半を戦いに注ぎ込んでいたため、と言っていたが。それは言い訳でも何でもなく、どちらもレベル以上の戦闘技能を持っていた。……まあ、元から家事に向かないというのも間違いではないのだが。服を洗うだけで破いたり、料理があり得ない味付けになっていたりと、もうわざとやっているしか思えない。
「うーん」
未だに違和感のある鼻を撫でる。今朝は多少息苦しいかなという程度で、まだマシな方だ。
アルフィアは気分によって起こし方が変わる。ご機嫌斜めだと、鼻の穴に指を突っ込まれるのだ。ホリンはいつもお腹の上に座ってくる。抗議はしてみたものの、なしのつぶて。嫌なら自力で起きろ言う正論が返ってくるだけだった。神に優しくない子供である。
身だしなみを整えて、教会の上へと上っていく。
そう、この『炉心聖堂』は、もう廃教会ではない。集めたお金で修繕と清掃を行い、正式に稼働させているのだ。
ただし、基本的に敷地面積は狭い。そのため、今でも生活の一部は地下を使っていた。
「おはよー」
「おはようございます、神様」
上に出ると、エプロン姿で料理をしているベルが迎えてくれる。彼の姿を見て、ヘスティアは何度も頷いた。これこそ清く正しい眷属の姿というものである。神扱いしてくれるのは彼くらいのもので、残りの団員は、ヘスティアをマスコットくらいにしか思っていない。
別に、敬い奉れとまで言うつもりはない。だが、もうちょっとこう……何かないだろうが。少なくとも神の頬をびすびすつつくのは違う。
今日朝食を取る者の中に、ホリンはいなかった。最近知った事だが、高レベル冒険者はホームを空けている事が多いらしい。中層半ばより下の階層で稼ごうと思うと、どうしても日帰りでは無理があるからだ。
そんなわけで、アルフィアとホリンは不在である事がちょくちょくあった。アルフィアがいるのは、そこそこ珍しい。
アルフィアは話しかければ相応に返してくれはするのだが、なるべく放っておいてくれと言われている。これは別に、人付き合いが悪いからとかそういう事ではない。
「むぅ、また駄目だ。幽体離脱などどうすればいいと言うのだ、まったく……」
これは謎が多いのだかそんなことはないのだか、よく分からないスキルである。なにせ説明文はたった一言、幽体離脱できるというだけの一言だから。
アルフィア曰く、これは『白い牙』の周辺で『特定条件』を満たした者が共通して類似したスキルを持つのではないかという事だ。ちなみに、特定条件は心当たりがあると言っていたが、教えては貰えなかった。
このスキルは名称からして。『BLEACH』を原点とするものである。BLEACHは、アルフィアが最も好きな作品でもあった。だからなおさら使ってみたいと思っているのだが、今の所、成果はない。
「お姉ちゃん、もうご飯だからそろそろね」
「うむ。しかし本当に、どうやったらスキルが発動してくれるのだ……」
カトラリーが並べられると、やっとアルフィアもうなるのを止める。
全員でいただきますをする。食事が始まっても、彼女は
「いったいどうやったらスキルを発動させられるのだ。こんなに難儀なスキルは初めてだ」
「そもそも、アルフィア君はこだわりすぎだと思うぜ」
「お姉ちゃん、この前も斬魄刀の偽物を掴まされてたじゃない」
過去にいろいろとあって、その手の偽物は大部分が駆逐されている。しかし、非現実型作品の偽物は未だに一定の勢力を保っているし、買う側も大半がそれを分かっていて求めていた。つまり、半ばジョークグッズとして扱われており、取り締まりができない最大の要因となっている。
ただし、そこでワンチャン本物があるかもと考える人間もまたおり。アルフィアはその類いであった。
そういう考えの者が少なくないのも、オラリオで漫画の技術再現研究が盛んなのも理由の一つだろう。作中で主題となっている能力は、未だ影も形も掴めない。ただし、『内燃機関』『通信技術』『航空力学』といった分野では、一定の成果を上げている。分かっていた話だが、漫画の中の技術とは、ただの夢物語ではない。
ただ、怪しい老人が渡したわけでもない、その辺の道具に能力を期待するのは、さすがに夢が溢れすぎだとヘスティアは思う。
「ところで、二人は今日どうするんだい? ちなみにボクはオフだぜ」
言外に、暇だったらデートしようと加えたが。二人の返事はノーだった。
「すみません、僕は今日、アレンさんに指導して貰える事になったんです」
「17階層を見てくる。丁度ゴライアスの復活周期だからな。運がよければ、短時間でそれなりの稼ぎになる」
「そっかぁー……」
と、ヘスティアはしょぼくれた。
いや、仕方のない事は分かっているのだ。彼らは冒険者の本分を果たそうとしており、むしろ邪魔しているのはヘスティアの方。
落ち込むのがすぐなら、気を取り直すのもまた早い。
「ま、いっか。今度時間が合ったときは、一緒にお出かけしようぜ!」
「私は必要なく外に出たくない。めんどい」
「お姉ちゃん……」
そんな、仲良しヘスティア・ファミリアである。
朝食を終えた後、それぞれが目的地へと向かっていく。一日予定がいきなりなくなってしまったヘスティアは、とりあえず友神の所へ遊びに行くことにした。
ヘスティアは陽気なキャラクターに反して、友神はあまり多くない。これは、引きこもり気質な所が影響しているだろう。ここからさに下界に居て、いつでも遊びに行ける相手となると、数えるほどしかいなかった。
向かった先はヘファイストス・ファミリアのホームである『ヴァルカの紅房』。『炉心聖堂』とは比べものにならないほどの大きさだ。が、ヘスティアはそんなこと気にしない。昔は大きなホームに夢見ていた時代もあったが、一国一城の主となってからは、ファミリアは大きさではなく中身だと思うようになった。
フリーパスでホームの中をてこてこ歩いていると、団員に声を掛けられる。
「ヘスティア様、お久しぶり」
「どうしたんすか、また泣きつきにきたんすか」
「へへん、ボクはもう自分のファミリアを立ち上げたんだ、そんな軽口効かないね」
ヘファイストス・ファミリアの団員とヘスティアは、気安い。というのも、彼女はそれなりに長い間、ヘファイストスの膝元でお世話になっていたからだ。敬意とかそういったものとは無縁だが、ヘスティアにとってはむしろこちらの方が付き合いやすい。
ちなみに、ヘファイストス・ファミリアの団員に片っ端から声を掛け、引き抜きを行った時期もある。当たり前に、ヘファイストスからげんこつを貰った。さすがに分別がなさ過ぎたと反省している。まあ、今でも挨拶代わりに言ったりしているのだが。
勝手知ったるとばかりにホームの中を進み、ヘファイストスの私室まで向かう。
「おはろー、ヘファイストス」
ノックもせずに扉を開ける。中ではお茶をしているヘファイストスと、側に控える秘書がいた。当然秘書の事もヘスティアは知っているし、なんなら出来が悪いけど憎めない子供みたいな目で見られている。
「あら、いらっしゃい、ヘスティア」
「今お茶をお持ちしますね」
ホームを出る直前までは、かなり厳しい様子だったヘファイストス。しかしヘスティアが独り立ちし、ファミリア経営もそれなりに順調になれば、接し方も昔に戻った。
ヘファイストスの正面に座ると、お菓子の受け皿を少しだけ押してくる。食べていいという事だろう。ご厚意に甘えて、お菓子を貰った。今日は極東流お茶請けのせんべいだ。
「景気はどうだい?」
「いいんだか悪いんだか。特注品は今までと比べものにならないほど注文が来る代わり、既製品はあんまり売れないのよねえ。そろそろバベルでの営業は縮小した方がいいかも、と考えてるのよ」
「へー。それってやっぱり漫画の影響?」
「間違いなくね」
能力……というか覇気か。とにかく、覇気がこの世に現れて以降、武器とは必ずしも装備しなければいけない道具ではなくなった。拳闘士でも、手甲すら装備せず完全な素手で戦う者がちょくちょく見られる。
ましてや現在では選択肢も増えており、覇気が向いてなかったとしても問題ないようになっている。
「いくら漫画が人気と言っても、さすがに実用的でなさすぎる武器はあんまり注文がないわ」
「あんまりなんだ」
つまり、少しはあるという事だ。
ちなみにヘスティアも、その手の扱いづらい武器を持っている者は見たことがある。三節棍とか。
ただし、中には実践可能なレベルにまで高めている変人も少なくないので、一概には馬鹿にできない。
「まあ大抵は、特注せずとも真似ができる所から入るものよ。三刀流とか」
「ずいぶんと痛々しかったらしいねえ」
精神的な意味ではなく、物理の話だ。まだヘスティアがいない頃だが、三刀流を真似して歯を折る奴が大量発生したらしいのである。
この影響で一時期医療系ファミリアが潤ったという、嘘のような本当の馬鹿話があった。
「でも需要がなくなった訳じゃないんだろう?」
「そりゃあね。総合的に見ればプラスになっているわ。うちの子も、武器研究を盛んにしてるのよ。最近では、覇気や気と親和性を高くする鍛え方の研究が進んでね。これはちょっと凄いのよ。ヴェルフっていう子が発見したんだけど」
「優秀な子なんだねえ」
「ええ。次世代の幹部を期待されているわ。といっても、今はまだLv.2だから、これから経験を積んで貰わなければいけないけど」
グダ話をしているうちに、秘書がお茶を持ってきてくれた。
暫くお茶と追加のお菓子をたしなんで場も暖まった頃、ヘスティアは目的を切り出すことにする。
「でさ、ヘファイストス。今日はちょっと相談があるんだけど」
「お金なら貸さないわよ」
「違うよ!? ボクを何だと思ってるの!?」
半眼になってすげなく告げるヘファイストスに、少なからずショックを受ける。彼女の中で、自分の立ち位置はどうなっているのだろう、と気になった。
小さく咳払いをして、気を取り直した。
「欲しいのはお金じゃなくて知恵なんだよ。ほら、ボクのファミリアも立ち上がってそこそこじゃないか。だからうちの子達に何か武器でもあげたいと思うんだけど、全然駄目でね」
「やっぱりたかりじゃない。絶対に貸さないわよ」
「だから違うって言ってるじゃないか。話を聞いてよ。とにかく、君にものをねだるとかそれ以前の話で、何を渡していいかが分からないんだ」
「何でよ。それぞれの得意武器くらい分かってるんでしょう?」
「そりゃ分かるよ。でもね、熟練者であるホリン君は自前の武器を故郷から持ってきていて、アルフィア君は魔法職な上、武器にこだわりがないんだ。唯一の初心者であるベル君は、素手で戦うんだよねえ」
さすがにゴムゴムの能力を持っていることは、積極的に明かさない。基本的に脳が溶けてるんじゃないかと言うほど考えが足りないヘスティアだが、最低限の理性は持っていた。
まあ、いずれベルがランクアップしたら、死ぬほど自慢しまくるつもりではあったが。
「防具じゃ駄目なの?」
「ボクもそれは考えたよ。でも、皆が皆、敏捷を生かして戦うタイプだから重装備はしないんだ。中でもアルフィア君は、普段着みたいな格好でダンジョンへ行くものだからひやひやだぜ」
「ふうん。確かにそれで、実用的なプレゼントっていうのは難しいわね。正直、そこにこだわらなくてもいいと思うけど」
「でもね、やっぱりいつでもボクを感じていて欲しいんだよ」
「言ってる事が気持ち悪いわよ」
「おっと、心に刺さる正論は聞かないぜ?」
こんな下らない一時を過ごせるのも、順調にファミリアが動いているおかげだ。多少バイトを減らしたところで、ヘファイストスも怒らなくなっている。
彼女に言わせれば、軌道に乗ったファミリアで主神が忙しいというのは、健全な状態ではないらしい。ファミリアはあくまで
実のところ、相談の体でただ恵まれた愚痴を吐きたいだけだったので、この後も雑談が続く。
このまま一日を潰してもよかったが、ヘファイストスにはまだ仕事があったため、ほどほどでおいとました。
帰り際、秘書に手土産としてお菓子を貰う。いい子だなあと思いながら受け取った。子供扱いされているとか言ってはいけない。
「さて、まだ昼にもなってないのに、いきなり予定がなくなっちゃったぞ」
ホーム戻ってもやることがない。かといって、このまま一人でふらつくのは寂しかった。彼女は趣味に走っている状態なら孤独を感じないが、目的がない時は誰かが近くに居ないと嫌なタイプの女神だ。
むーんと悩みながら、とりあえず繁華街方面へと足を向ける。
下界の喫茶店は、知らない者同士で話すのが当たり前という風潮なのだ。どこへ行っても、漫画の話で盛り上がれる。また、目的の話題があるときは、喫茶店の外装や看板を見れば、何の作品を中心にしているか分かるようになっていた。とても便利である。まあヘスティアにはその手のこだわりがないため、気にしたことはないのだが。
とにかく、現在のオラリオは、コミュニケーション能力さえあれば非常に生活しやすい土地であった。
やっぱりONE PIECE系の喫茶店にしようかなー、と考えながらふらつく。ベルががっつりONE PIECEの能力なため、そんな気分なのだ。アルフィアがBLEACHにかすっていると言えなくもないが、そちらはまだスキルを発動できないため、断定する事はできない。もしかしたら、幽☆遊☆白書タイプという可能性もなくはないし。
なんて考えながらあちこちを見ている途中のことだ。ヘスティアは、その可愛らしい顔立ちに似合わない、凶暴な笑みを作った。
そして。
「オラァ!」
「うぎゃっ!」
ぺちーん! と、そいつの尻を叩く。
不意打ちを受けた男は、ひたすら情けない声を上げる。彼の護衛がとっさに動こうとしたが、ヘスティアを確認して体をこわばらせる。基本的に神へ乱暴な真似はできないため、惑ったのだ。
まあそうでなくとも、くだらない喧嘩として処理された可能性は高いが。
ヘスティアはさらに、無様を見せた男の尻に追撃を放つ。つま先に思い切り力を込め、蹴り上げてやる。
「オふゥッ!」
「ざまーみろ、ばぁぁぁか!」
声を、まるで勝ちどきのように上げる。ついでに、うずくまっている月桂冠をかぶった体格のいい男、その尻を踏んづけた。
「きさっ、キサマ、ヘスティアか! いきなり何をする!」
「それはこっちの台詞だぜ馬鹿ロン! よくもボクのベル君を怯えさせてくれたな!」
「馬鹿ロン!? いや、今はそんなこと、どうでもいい! ベルきゅんはいずれ私のものになる!」
「なるか! もう一発食らえ!」
「ぎゃんっ!?」
振りかぶった足を思い切り振るうと、アポロンがカエルが潰れたような声を上げる。
「だいたいキミ、強引な勧誘は禁止されてるんだろ! アストレアから聞いたぞ!」
「ちーがーいーまーすー! あれは眷属を使った勧誘が禁止されただけですぅー! 私が誘う分には何も言われませんー!」
「そのせいでベル君が怯えてるんだぞーっ!」
「ああっ、おやめ下さい神ヘスティア! アポロン様のお尻が割れてしまいます!」
「こんなやつ、お尻が六つくらいに割れた方が世のためなんだー!」
護衛の静止など無視して、とにかく蹴手繰り続ける。このまま、泣きながら二度とベルに手を出さないと誓うまで尻を蹴ってやろうと思っていた。
が、忘れていた事がある。アポロンは天界でも上位に数えられる武力を持つ神なのだ。
ヘスティアのは、素人感丸出しの踏みつけ攻撃。アポロンからしてみれば、その隙を突くのは容易い。右手が軽く背中に回されたかと思うと、あっという間にヘスティアの足首へ指を引っかけ、そのまま引きずり倒した。
うつ伏せに倒れ込み、今度はヘスティアがカエルのように潰される番だった。背中を踏んづけ返され、高笑いまでされる。
「ふははは、よくも私の高貴な尻を足蹴にしてくれたな! どうしてやろうか、このちんちくりんめ」
「だ、誰がちんちくりんだい!」
「どこからどう見てもちんちくりんだ、このたわけ。ふん、胸だけは一丁前にでかいが、そのほかは寂しい限りだな、ちんくしゃが」
「ちんくしゃだとぉ……言うに事欠いて!」
反発し体を動かしてみるものの、全然意味がなかった。どれだけ体を揺さぶっても、上手く足で制されてしまう。やたら上手くて腹が立った。
「うぐぐ、アポロンなんかにぃ……。ごめんよベル君、不甲斐ないボクを許しておくれ……」
「ふはは! 己の無力を悔やんで、私にベルきゅんを明け渡すがいい!」
「渡すわけないだろ馬鹿! うんこ! 馬鹿うんこ! そもそも、お前みたいに下半身でしかものを考えられない奴とうちの
「何が下半身でしかだ、失礼な事を言うな!」
「どこが違うって言うんだ! 君んちの
アポロンが視線を向けると、護衛はすっと視線を逸らした。彼はそれにショックを受けているようだったが、当然である。
なにせアポロンの悪評と言えば、その手の事情に疎いヘスティアにまで届いているのだ。昔など犯罪ファミリア一歩手前で、不正をしてまで眷属の引き抜きをしていたのだ。護衛の子が直接の被害者でなかったとしても、現場を見たことがない事はないだろう。
そして、引き抜きの理由はアポロンが気に入るか否かである。いっそ驚くほど欲望に忠実な神だった。
「と、とにかく! 私は真の愛を下界の子供達に伝えているだけだ! 何もやましいことなどないし、していない!」
「嘘つけバーカバーカ! 今更お前のやらかしを知らない奴がいるわけないだろー! 愛なんてごまかしてないで、はっきり性欲と言ったらどうなんだい!?」
「なんだとぉ!? そもそも貴様ら処女神に、愛のなんたるかなど問われたくないわ!」
「どういう意味だい!」
「純潔を重んじるだの汚れがどうのとごまかしているがな、貴様らはただ好きな相手に
「そ……そんなことないやい!」
反論するが、声がうわずっている自覚はあった。
アポロンはその様子を、弱点見抜いたりと言った風に笑う。そして、ぐりぐりと背中を踏みにじってきた。超むかつく。
「だいたい愛について語っておきながら、愛の終着点から目をそらしている時点で語るに落ちるというものよ! はっきり言ったらどうなんだ? 私は永遠の喪女ですと」
「言っちゃいけない事を言ったなキミィ!」
「負け犬の無様は心地よいなぁ! はっきり言ってやろうか、貴様ら処女神が愛を語ったところで痛いだけなのだよ。億年単位の処女など、もはや蜘蛛の巣すら風化しているわ!」
「くぅぅぅ……!」
「もし」
「そろそろ認めたらどうなんだ? 私にベルきゅんは不釣り合いだからアポロン様に譲ります、と。あと処女神なんて所詮行き遅れなのをごまかしてなんとかいいよいうに言っているだけです、と」
「ベル君は絶対渡さないしお前なんかに似合わないし、後半はただの悪口だろ!」
「アポロン」
「アポロン『様』だ、言葉遣いには気をつけろ。……ん? というか誰だ?」
次の瞬間、めこ、という音がした。固いもの同士が当たったにしては軽すぎ、もし発信源が人体たとすれば、それはあまりに鈍すぎる。
ヘスティアは足が退かされたのを知り、さっと身を翻す。背中をはたきながらそちらを見ると、倒れて唇の端から泡を吹いているアポロンと、静かに直立した状態で、拳だけを強く握っているアルテミス。
「やあ、ヘスティア。ヘファイストスの子に君のことを聞いてね、一緒にお茶でもしようと追いかけてきたんだ」
「う、うん」
気の利いた返しはできなかった。だって、アルテミスが無茶苦茶怖いのだ。
笑顔ではある。ただし、貼り付けたような。全身から怒気が溢れており、下手に口をきけるような状態ではない。
「アポロン。ずいぶんと面白い話をしていたね」
「き、聞いていたのか」
「ヘスティアを踏んづけ始めたあたりから、見ていたよ。最初はじゃれ合いだと思ったから、干渉しなかったけどね」
つまり、聞かれてはまずい部分をほぼ全てだ。アポロンは顔を青ざめた。
「ヘスティアに無体な真似をしたのもそうだけど……君の本音は分かった。私はずいぶんと馬鹿にされていたみたいだ」
「待て! 言い訳を聞いてくれ! あれは売り言葉に買い言葉というもので、ヘスティアにしたって、先に仕掛けてきたのは奴だぞ!」
「どうせ君が悪い」
取り付く島もなかった。アルテミスがアポロンの胸ぐらを掴んで、ぐいっと持ち上げた。
まずいと思っただろう。思わないわけがない。なにせアポロンとて鍛えていない訳ではないが、アルテミスはそれこそ、都市の外で延々子供達と共に戦い続けた狩猟の神である。程度に違いがあって当然なのだ。
アポロンがどんな動きをするよりも早く、アルテミスの膝が駆け抜けた。首の根元を掴んでからの膝蹴りが、綺麗に鼻っ柱を打ち抜いた。当たりにまき散らされた血は、神同士の小競り合いとは思えないほどで、護衛の子が止めようか本気で迷っていたほど。
強烈な一撃で頭を揺さぶられ、アポロンの体からかくんと力が抜けた。既に力を込められるのは視線だけであり、その瞳にしても、恐怖に染まっている。
「というわけだ。すまないね、ヘスティア。私はちょっと、
アポロンは声にならない声で、口をぱくぱくさせながらこちらに訴えていた。たすけて。
当然、無理である。だってヘスティアですら、今のアルテミスは怖いのだ。とても口出しできる空気ではない。
「君も」
急に声をかけられて、護衛の子がびくりと震えた。
「今から
「いえ、ですが、あの」
「借りていくよ」
「……ハイ」
片手で胸ぐらを掴み直されたアポロンは、まるで荷物のように引きずられていった。彼の未来を暗示しているような光景である。
残されたヘスティアと、そして護衛の子にできる事は、祈るだけだった。なんとかアポロンが生きて帰れますように。